8回裏 結実の時(前編)
残暑もようやく落ち着こうとしていた頃合いだが、静岡サンオーシャンズの本拠地草薙球場は異様な熱気に包まれていた。
ホームゲーム最終戦、20年苦楽をともにしたファンと共に戦うレギュラーシーズン最後の一戦、そしてペナントレースの優勝を決定づける一戦。
珠音を中心としたサンオーシャンズが駆け抜けた1年が、結実の時を迎えようとしていた。
8回裏 結実の時(前編)
サンオーシャンズの快進撃は止まらなかった。
この年も残暑が厳しく、登板過多が深刻な珠音を中心とするリリーフ陣の負担も限界が間近と言われ続けたものの何とか踏みとどまり、今日という日を迎えることとなる。
「優勝マジック2!首位攻防戦勝利でサンオーシャンズ8年ぶり優勝!!」
地元紙の熱烈なメッセージはかえって選手たちが平静さをいくらか取り戻すきっかけとなったものの、それでもなおサンオーシャンズの練習場は張り詰めた緊張感に包まれている。
接戦続くペナントレースは決着を見ないまま9月最終週に差し掛かり、首位を何とかキープし続けたサンオーシャンズは、2位ポートスターズを本拠地草薙球場に迎え、雨天中止で流れた一戦に臨もうとしていた。
もちろん、例年通りの消化試合ではない。
優勝マジック2のサンオーシャンズが勝利すれば優勝が決定するものの、反対に敗れてしまえば日程消化の都合もありマジック消滅という、まさしく天下分け目の一戦。
加えて言えば、本拠地での試合はこの日が最後であり、即ち移転前最後のゲームである。
しばし上位争いすら経験できなかったチームとしては、経験のないプレッシャーに抗う術を持ち合わせていなかったことも、練習場を満たす雰囲気の由来となっていた。
「今日の試合だが、米倉にスタメンで出張ってもらう。すまないが、一言頼めるか?」
試合前のミーティング、葛城は全体へスタメンを伝える前にまずチーム最年長のベテランに声をかける。
「分かりました。みんないいか?どんな試合であっても、やることは変わらない。攻撃では如何にして1点をもぎ取り、守備では眼前の打者を如何にしてアウトにするか、それだけだ」
浮足立つ後輩たちに、前回の優勝を主力打者として支えた米倉が喝を入れる。
サンオーシャンズ一期生にして移転前最後のシーズンをもって引退する彼の存在が、どれほど頼もしいことか。
衆目を集め続け、数え切れない程の賞賛・批判・好奇・悪意に晒され続けた珠音も、いくらか気持ちが楽になった。
「その通りだ。確かに特別な一戦かもしれないが、シーズンを見ればただの1試合と変わらない。そこを忘れないで欲しい。それでは、スタメンを発表する」
葛城はふっと息を吐きだし、全体を見やってから口を開く。
「一番レフト鍛冶屋、二番センター十川、三番ショート松元、四番キャッチャー土浦、五番ファースト米倉、六番サードゴードン、七番ライト普久原、八番セカンド大庭、九番ピッチャー水落、以上だ。今日は攻守のバランスを重視した。米倉の言ってくれた通り、俺たちのやることはいつもの試合と変わらないことを忘れないで欲しい」
「「はい!」」
監督とベテランからの激に、チームの士気が高まるのを肌で感じる。
同時に、内外野の守備でハンドリングに定評のあったベテラン米倉がファーストに入ることで、守備面での安心感も大きなものとなるだろう。
「それと、みんなに伝えたいことがある。トーマスにも了解は貰ったが、今日は珠音をストッパーとして起用する。これまでは接戦でも試合の流れをこちらに持ってくるために投げてもらっていたが、今日ばかりは”今年の主役”に締めてもらいたいと思っている。みんなで、彼女を胴上げしよう!」
「いやー、怖いわ~。体重軽いから、富士山よりも高く上がっちゃいますよ?」
葛城から事前に聞いていたこともあり、珠音はメンバーにお道化て見せる。
「いや、むしろ体重は公式発表で”ヒミツ♡”だから、むちゃくちゃ重いかもしれん。大の大人が寄ってたかっても持ち上がらんかもな」
いつしかチームのムードメーカーに定着した大庭の茶化しに、ミーティングルームは爆笑に包まれる。
「失礼な!!!麗しき乙女になんてこと言うんだ!!!」
珠音の反論は室内の活気にかき消されて届かない。
程よく緊張の解れた様子を眺めていた扇の要である浩平は、今日の勝利を確信した。
ようやく残暑も和らぎつつある時勢だが、球場は異様な熱気に包まれる。
試合開始前の時点で既に満員御礼の札が出され、球場外やその他イベント施設にパブリックビューイングが設置されるほど。
県内企業の多くでフレックスを利用し早上がりする社員が続出したほか、有給休暇の取得やシフトの急な変更により、この日の生産活動が著しく低下したとのレポートが統計データとして現れるなど、優勝決定戦(仮)と移転前最終戦が合わさったこの試合は、県央部のビッグイベントと化していた。
「1年前にはこんな舞台に立てるだなんて、夢でも見られなかったよ」
茉穂は試合前最後のシートノック前、珠音とキャッチボールするのが定番となっている。
ファンサービスとしての側面も当然あるが、試合中はベンチとブルペンで離れてしまうこともあり、同性で気兼ねなく話せる時間で気持ちを整える意味合いもあった。
「そうだね。優勝を目指すのは当然だけど、ここまで来られるとは正直思っていなかった」
「――ホントにそう思っている?」
珠音の言葉に、茉穂は苦笑する。
チームはともかく、珠音自身の個人成績はリーグでも群を抜いており、最優秀中継ぎのタイトルは事実上の”当確”である。
一方の茉穂と言えば、葛城による猫の目打線で一定にスタメン出場も果たしていたが、基本は外野の守備固め要員である。
打率は1割を超えるかどうかを推移し、自信のあった選球眼で四球を選んで出塁率を稼げていなければ、打者としてはまるで戦力になれたとは言えない。
「んー、どうだろうね。来られると思ってなかったのは間違いないけど、来るためにどうすればいいのか、自分はどんな役目を果たすべきなのかをずっと考えていたかな」
「どんな役目か……そういえば、毎日に必死でそこまで考えが回ってなかったかも」
同じ家に住んでいるにも関わらず、近頃は珠音の考えを聞くことは殆どない。
女子野球の頃は話す体力的にもスケジュール的にも余裕があったが、サンオーシャンズに加入して以降は日々ついていくことにいっぱいいっぱいで、深く話し込む時間を確保できていなかった。
「茉穂が今日選ばれたのは、監督の言う”攻守のバランス”で”守”の比重を担っている、ってことじゃなく、”攻守”両面での役割を求められているから。守備だけなら、洋輔と打順入れ替えてもいいもん」
「そうだね……トップバッターを任された以上、私の役目はとにかく出塁して、チームを勢いづけること」
「そうそう、期待しているよ、切り込み隊長!」
そう言うと、珠音は少しだけ力を込めて体重の乗ったボールを投げ込んでくる。
受け取る茉穂のグループが”パシーン”と心地よい乾いた音を鳴らし、どこかボンヤリしていた視界がクリアになるようだった。
「私の役割がそれなら、珠音が今日ストッパーを務める意味は、きっと――」
茉穂は思考を巡らせ、行きついた先に納得する。
自分たちが挑戦者であり、この先も駆け上がるならば。
そのためにも、自分は自分の役割をまず果たそう。
茉穂は心に決めると、そのままシートノックに備えてレフトまで駆けて行った。
試合開始から、両軍エースによる息を吞む投手戦が繰り広げられる。
負けられない一戦に、出場する一人ひとりが研ぎ澄まされた集中力で臨み、硬くなるどころかむしろ動きの良ささえ垣間見えた。
こんな時に怖いのはただ一つ、ホームラン。
打球が打ち上がった瞬間、ポートスターズのファンはボールを迎え入れるべく歓声を、サンオーシャンズのファンは押し戻そうと悲鳴を上げる。
青を基調としたレフトスタンドに白球が吸い込まれるのを確認すると、先発の水落はグラウンドに片膝をつき、肩を落として失投を悔やんだ。
マウンドに内野陣が輪を作り、水落は気持ちを切り替えると気を取り直して後続をピシャリと抑える。
「1点なんてどうってことはないですよ、次の回に取り返しますから」
するとその裏、マウンドでの言葉を有言実行すべく、浩平は初球を強振する。
ライト方向へ高々と舞い上がった打球はフワフワと風に乗り、黄色く染まるスタンドのフェンス際に吸い込まれるように着地した。
「よくやった!」
大言壮語にならずよかったと内心ホッとした浩平を、先輩たちは手荒く歓迎する。
流れがどちらかに傾くことなく、ピリリとしまった試合展開。
普段ならば珠音を投入してサンオーシャンズ側に傾けたい場面だが、この日はストッパーとしての投入が決まっている。
水落は6回1失点で降板し、先発として試合を作る働きを十二分に果たした。
しかし、変わってマウンドに上がった岩間が連打を許し、2点を失い勝ち越しを許してしまう。
「すみません……」
何とかスリーアウトをとりベンチに戻ったものの、表情を完全に失い意気消沈していた。
「大丈夫だ、任せろ」
トーマスを投入し、一気呵成に攻めかかろうとするポートスターズ8回表の攻撃をねじ伏せる。
その裏の攻撃、ベテランの米倉が先頭打者として打席に立つ。
延長戦に持ち込まない限り、今シーズン限りで引退する米倉がレギュラーシーズンで打席に立つのは、これが最後になるだろう。
前のシーズンで2,000本安打を達成した強打者に、詰めかけたファンが大声援を送る。
「くっ…」
外角の変化球にタイミングを崩され、グラウンドに鈍い音が響くが、磨き上げた技術で打球を三遊間深くに運ぶ。
年齢とともに動きの悪くなった両脚を必死に前へと運び、一塁ベース目掛けて頭から飛び込む。
「――セーフっ!」
一塁塁審が両腕を大きく開き、球場に歓声がこだまする。
かつての華麗なバッティングや豪快なホームランは鳴りを潜めたが、今できることを泥臭くとも。
泥だらけになった大ベテランが味方を鼓舞するよう、やや大袈裟なリアクションを見せ、先頭を切って自分の役目を果たす姿を体現する。
「ファーストランナー、米倉に代わりまして由田」
直後、代走が告げられると、ベンチ入りメンバー全員で激走を見せた米倉を出迎える。
大ベテランの必死の姿は、球場の雰囲気を一変させた。
ポートスターズの中継ぎエースである赤間が突如として制球を乱し、続く六番ゴードンに四球を与え、七番普久原は手堅く犠打でワンナウト二三塁の状況を作り上げる。
「痺れる展開だなぁ…!」
赤間をマウンドから引きずり下ろしたところで、八番打者の大庭は意気揚々と打席に入る。
しかし、強引なバッティングを見せる場面ではない。
まずは1点を着実にもぎ取り、点差を縮めるのが先決だ。
「――よし!」
大庭が左打席から放った打球はセンターを後方に下がらせ、二三塁のランナーを確実に進塁させられるだけの犠牲フライとなる。
続く九番の打順では、投手に代わり代打で梶が左打席に立つ。
浩平に正捕手の座を奪われた彼だったが、投手として入団しコンバートを繰り返した経験を存分に発揮し、点差の離れた試合での野手登板による敗戦処理から代打、内外野のバックアップなど、縁の下の力持ちとしてチームに貢献していた。
いぶし銀の働きを見せる梶は同点を防ごうとする必死の投球に食らいつき、迎えた10球目をしぶとくレフト前へぽとりと落とすタイムリーヒットを放つ。
「――よし」
これで”この回は同点まで追いつけたな!”。
球場に張り詰めた緊張感がやや弛緩しようとする中、茉穂は集中力を高めて左打席へと向かった。
大きく息を吐きだし、先ほどの梶と比べればリスにも思えるほど小柄で華奢な体躯が、バットを構える。
例えここで自分が凡退しても、大勢には影響がないだろう。
同点に追いつき、流れは完全にサンオーシャンズへ傾いている。
次の回は珠音が登板する予定であり、流れがポートスターズに引き戻される可能性は小さい。
現時点で打率1割に満たず、頼りなさしかない打者には誰も期待していないだろう。
相手バッテリーも、何なら打撃の上手い投手より気楽に投げてくるかもしれない。
「(ならば――)」
外角に大きく外れた変化球を見逃し、続く2球目。
ストライクゾーン真ん中高めに浮いた力のないフォークボールを強振すると、快音とともに打球が打ちあがる。
自身の手には全くもって”打った感覚”がなく、それどころか自分がどのように身体を動かしたのかも思い出せない。
左投右打で始まった野球人生。
男子の中でプレーする世界で生き残るため、血の滲むような努力で身に着け、レベルアップを果たした左打席から放った打球の行方を追い、球場は静寂に包まれる。
ライン際、滞空時間の長い打球を追って、ライトが一歩、また一歩と、背中が”ドン”とラバーにぶつかるまで下がっていく。
「いけ!」
「こいっ!こいっっ!!」
クレッシェンドのかかる声援が打球を後押し、または引き込んだのか、打球はフェンス手前には落ちてこなさそうだ。
ライトは慌ててフェンスから身体を離し、クッションボールに対応しようと振り返る。
しかし、彼が打球を処理することはできず、むしろ歴史的瞬間を特等席で見守ることとなった。
トップリーグ史上初、女子選手による本塁打。
思えば、”女子選手史上初”の記録は全て珠音により記録されており、それは投手記録にのみならず、ヒットや盗塁といった野手記録も含まれている。
全力疾走していた茉穂も、セカンドベース直前でスタンドインを確認すると、スピードを僅かに緩めて塁間を進む。
何が起こったのか、自分でもまだ理解できていないといった表情でグラウンドを駆ける彼女へ、スタンドのファンは割れんばかりの声援を送り、首脳陣やチームメイトが満面の笑みで出迎える。
テレビ中継ではあまりに異様な雰囲気に実況と解説が一言も声を発することができず、球場の音声をただただ流すという状態になったようなのだが、それがかえって良かったと後に反響を生むほど。
茉穂の並々ならぬ努力が正しく、最高の形で実を結んだ瞬間だった。
Pixiv様にも投稿させていただいております。
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=25540099




