2回表 ―背番号『 』― 1.新生活
鎌倉大学附属高校に入学した珠音と浩平は、硬式野球部へ予定通り入部する。
珠音の存在は学校で驚きこそあったものの受け入れられ、2人の高校生活はスタートした。
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Top of 2nd inning ―背番号『 』―
1.新生活
真新しい制服に身を包んで意気揚々と歩く背中は、つい先日まで中学生だった頃とまるで変わった様子はない。
「今日から高校生、新しい自分!」
ブレザー制服を除けば容姿からは所謂"高校デビュー"を感じさせていないのだが、大人への階段を着実に上った高揚感からか、珠音から溢れ出すオーラは新生活に心を躍らせている様子を感じさせた。
「とりあえず、鬼頭先生には挨拶しないとな」
「そうだね」
学校の校門から続く桜並木には新芽が出始めており、散らずに残った花びらの桃色と萌黄色の合わさったアーケードは、新しい環境に足を踏み入れた新入生を大歓迎しているようだった。
「別のクラスだったね」
「まぁ、部活で嫌でも顔を合わせるんだし、関係ないだろ」
学校に到着し、掲示板に張り出されていたクラスを確認した後、2人は教室に向かう前に職員室へと立ち寄った。
「よぉ、久しぶりだな。こっちだ」
入学式前で礼装に身を包んだ鬼頭が2人に気付き、手招きする。
「無事に合格出来てよかったな、おめでとう。名簿を確認する時にも、わざわざ確認したぞ。どちらかでも名前が欠けていたら、どうしようかと思った」
『ありがとうございます』
自然と揃った声に、鬼頭は苦笑する。
2人の息の合いようは、多少のブランクなど意に介さないようだ。
「桜井先生には年の為に伝えておいたが、まさか道具は持って来ていないだろうな?」
「流石に......」
珠音は苦笑いを見せ、浩平に視線を送る。
「こいつは持って来ようとしていましたがね」
「バレないかなぁと」
新入生の部活動への参加は、仮入部期間に入らないと認められていない。
珠音は桜井から伝え聞いていたものの、こっそり参加しても気付かれないだろうと道具を持って来ようとしていた。
「いや、バレるだろ」
しかし、男子部員の中に紅一点で動き回る小柄で華奢な姿は、本人が思っている以上に目立ってしまう。
浩平の説得を受けた珠音は泣く泣く道具を家に置き、登校していた。
「賢明な判断だ。俺が教頭先生に怒られてしまう」
鬼頭が大袈裟にお道化て見せる。
「入学式後のオリエンテーションでちゃんと説明を受けるだろうが、明日からは練習に参加できる。だから、今日は大人しく帰るんだぞ」
仮入部期間は入学式の翌日から2週間と決まっている。
入る部活動を決めていない新入生にとっては輝かしい高校生活を如何に過ごすかを決めなくてはならない悩ましい期間であるが、既に決まっている2人には関係がない。
「明日の放課後から、さっそく参加させてもらいます」
「よろしくお願いします」
「待っているよ」
鬼頭は2人を教室へ向かうよう指示すると、自分の机に向かいなおす。
「あら、鬼頭先生。いいことでもあったんですか?」
横に座る同僚の女性教師が鬼頭の表情を伺う。
「あぁ、いえ......」
そんなに表情が緩んでいただろうかと、鬼頭は苦笑いを見せる。
「面白い生徒が入ってきたものですからね。この1年がまた楽しみになったんですよ」
「あら、それは素敵ですね」
教師という仕事はそれなりにストレスも多い。
それでも続けられているのは、毎年のように繰り返される新しい出会いと別れ、そして教え教えられる経験を積み重ねられるからだと、鬼頭は感じていた。
入学式翌日の仮入部以降、周囲から多くの驚きと共に迎えられた珠音の高校野球生活は、中学校で過ごした日々よりも時間が早く過ぎ去っていくようにも感じられる。
制服も衣替えの期間を迎えると生徒たちは思い思いの気崩し方を披露し、生徒指導の教員は頭を抱え始めていた。
「えっ、お前の兄さんプロ野球選手なの!?」
「あれ、言ってなかったっけ」
同級生で野球部に入部したのは、珠音と浩平を含めて選手14人とマネージャー1人。
中でも、市内の中学校出身で対戦経験もある二神勇翔と大庭洋輔の2人とは、すぐに打ち解けた。
「マックで言ってたじゃん。ねぇ、二神」
そこに、マネージャーとして入部した田中夏菜が加わり、5人で行動を共にするようになっていた。
彼女自身は運動が得意という訳ではなく、高校の男子運動部の女子マネージャーというステータスに憧れての入部だったこともあり、同じような考えでてっきりマネージャーとして入部したと勘違いしていた珠音の存在に同級生の中で最も驚愕した人物でもある。
最も、市外出身者こそ驚いていたものの、既に在籍していた上級生や市内出身者にとって珠音はお馴染みの存在であり、今更だが驚く対象ではなくなっていたが。
「あぁ、そういえば大庭はその時にトイレに行ってたな」
この日の練習帰りもいつも通り、5人は駅までの帰路を一緒に歩いていた。
「俺、タイミング悪っ!」
大庭は大袈裟なリアクションを見せ、周りがツッコミを入れて笑う。
授業内容も練習内容も格段にレベルアップしてクタクタな毎日も、珠音は楽しく過ごしていた。
「え、てことは、サンオーシャンズの楓山が兄さんなのか?」
「そうだよ、よく分かったね」
「まぁ、珍しい苗字だからね。鎌倉出身で最近プロ野球選手になった人がいるのは話題になっていたし、名前を聞いた時に"もしかして"って思ったな」
興奮気味な大庭に対し、二神は冷静にコメントする。
「楓、兄さんに頼んで松元選手のサイン貰えないかな?俺、ファンなんだよ!」
大庭がちゃっかりスター選手のサインをねだる様子を、二神が呆れた様子で見守る。
なお、珠音はチームメイトからは下の名前ではなく、苗字を短縮して呼ばれている。
浩平もそれに合わせようとした時期もあったが、呼び慣れた呼称を変えるには違和感が余りにも強く、これまで通りの呼び方に落ち着いている。
そのせいか、これまで"老夫婦"と呼ばれてきた2人の関係は、新しいチームでも特別感がより際立ってしまったのだが、本人たちはそのことを特に気にする様子はない。
「いいよねー、珍しい苗字って。それだけでアイデンティティだよね。田中な私は、それだけで存在が薄れちゃうよ。絶対に珍しい苗字の人と結婚してやる!」
「全国の田中さんに謝りなよ」
「というか、苗字で選ぶのかよ」
「指標の一つだね、3文字以上の苗字がいい」
「じゃあ、沖縄に行くといいさ」
発想が自由人な夏菜に、浩平が苦笑を見せる。
「今度の練習試合、出番あるかなぁ」
珠音がぼんやりと空を見上げると、梅雨入りを間近に迎えつつある明るい空には星が瞬き始めていた。
「いやー、まだ無理じゃないかな」
「夏の大会まであまり時間もないし、うちらの出番は新チームになってからでしょ」
「だよねー」
硬式野球を続けるための体力と筋力作り。入部以降、珠音たち新入生は反復して基礎トレーニングをこなしている。
軟式野球と比べ、プレイの1つ1つにより多くの筋力と体力を必要とする硬式野球で怪我無く充実した練習を行うためには、徹底した基礎作りが重要である。
珠音は事前の約束通りに特別扱いを受けることなく、周りの男子部員と全く同じメニューに励んでいる。
「試合したいなぁ」
入部後に改めて感じる、男子部員と比較した自身のパワー不足と回復力の乏しさ。
同じメニューだからこそ自分が取り残されていく様が露わとなり、少しずつだが着実に成長を見せる浩平との差も、珠音から見れば加速度的に広がっているように見えてしまう。
「我慢我慢、うちらの時代はこれからだよ」
「......そうだね」
長年親しんだ浩平の声が紡ぐ悠長な意見。
まだそんな時期では無いはずなのに、充実した日々を送る珠音の瞳には僅かながら、早くも焦燥の色が見え始めていた。