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珠音いろ  作者: 今安ロキ
第2章 プロ野球編
69/75

6回表 充電

サンオーシャンズに移籍・入団した珠音だったが、戦力として万全を期すべく、ファームでの調整に励む。

一軍の舞台、その場で輝くを放つべく、珠音は最後の充電期間に突入する。


そして、蓄えた力を発揮する、その時が来た。

6回表 充電


 幾度目かの衆目を集めた珠音だったが、静岡サンオーシャンズへの入団、支配下登録を経て即一軍登録、とはいかなかった。

 球団としては戦力的にも興行的にも即戦力と言える存在だが、環境適応にはある程度の期間が必要との判断を首脳陣が下し、経営層も納得の上で、珠音はファームチームに合流している。

「いいぞ、ナイピッチ!」

 ブルペンに捕手の威勢のいい声が響き、ファーム首脳も揃って頷く。

 スコアラーからの報告や映像資料、時には極秘で登板の様子を確認したこともあったが、選手としての状態を把握する上で、間近で見る以上の判断材料はないだろう。

 選手は移籍により花開くこともあれば、枯れ花のように萎れてしまうことだってある。

 期待を一身に背負ったフリーエージェント移籍選手が、前年までの活躍をまるで見せられずに給料泥棒扱いされる様を、選手やファンともに見てきていた。

 だからこそ必要と考えられた”環境適応”だったが、首脳部の心配は杞憂だったのかもしれない。

「問題なさそうだな」

 柔らかな表情で、ファーム担当のピッチングコーチが近付いてくる。

 彼としても注目の的を預かった身として、いつも以上の重責を感じているかもしれない。

「特にブランクはありませんし、引っ越し中にケガしたつもりはないですよ?」

「それはそうだ。前にも言い伝えた通り、明日のポートスターズ戦で一イニングを任せようと思っている。何なら、今日は早めに上がってもいい。緊張で眠れない、なんてことのないようにな」

「緊張よりかは、ワクワクで眠れないかもしれません」

 表情こそ大きく変わらなかったものの、珠音の瞳はやや興奮の色に染まっている。

「遠足前の小学生じゃあるまいし……ま、何にせよ明日に向けて英気を養ってくれ」

 ピッチングコーチは肩をすくめてその場を後にし、ファーム監督に電話をかけた。

「おう、どうした?」

「楓山妹ですがね」

「なんだ、状態悪いのか?」

 ピッチングコーチは目を閉じ、明日の試合を思い浮かべる。

「いえ、まったく問題ないと思います」

 彼の脳裏には、危なげなくイニングを完了する珠音の姿しか思い浮かばなかった。



 案の定、という表現が適しているのだろう。

 サンオーシャンズのユニフォームを着た最初のマウンドは、最初の一球こそすっぽ抜けてバックネットにぶつけてしまったものの、それ以外はプラーゼンズで磨き上げた実力を遺憾なく発揮した。

「どこぞの大物みたいなことしやがって。野球博物館に送る前に、一応は預けておくぞ」

 ファーム監督から手渡された試合球は、NPB史上初の女子選手が投じたものとして記念展示されることが決まっている。

「どうせだったら、一軍登板の初級を飾って欲しいんだけどなぁ」

「それはそれで飾られるだろうさ。見ただろ、今日のメディア関係者の数。もっとも、楓山妹からすれば慣れっこなのかもしれんが」

「幸か不幸か、その通りですね」

 しれっと言ってのけるあたり、珠音の肝はその豊富な経験もあって、玉座に座ったまま立ち上がる気配などない。

 むしろ、甲子園などの大舞台を経験したことのない若手選手の方が浮足立ってしまう始末で、一軍に上がったらどうなってしまうものかと、ファーム首脳陣としてはまた新たな悩みの種が増えてしまったくらいだ。

「で、どうだ?一軍正捕手格の意見を聞きたいな」

 監督室には監督、ピッチングコーチ、バッテリーコーチといったファーム首脳陣、一軍監督の葛城、珠音に加えてもう一人。

 一軍が本拠地・草薙球場での試合であることを利用し、出場機会の少ない控え選手が度々行う親子ゲームを正捕手格である梶に依頼し、実戦での投球を受けてもらった。

 もちろん、同じく一軍に帯同する浩平や将晴に頼む術もあっただろうが、付き合いの長さや肉親といった要素を切り離し、一個人としての意見を確認したい狙いがあった。

「もともとファームで投げて結果を残してきたわけですし、その実力は確認できたと思います。工夫は必要ですが、このレベルの選手を抑える分には問題ないですね」

「上では?」

 梶の含みのある言葉に、監督が返答を分かっていたとしても敢えて質問を繰り出す。

「やはり、球威不足が悩みどころですね。タイミングの取りにくさ、リリースポイントの見づらさ、精密機械のようなコントロールは一軍選手としてすぐ通用するレベルです。だが、バットに当てられたら…」

「それは他の選手だってそうだろう。仮にも日本野球の頂点で、甘い球を捉えられないのでは”プロ”の打者として失格だ」

 自説を述べる梶の言葉を、葛城が遮る。

「そして、その球を投じないのが”プロ”の投手だ。男女の違いはあるだろうが、男性の投手でも被本塁打の多い選手はいる」

「それはまぁ、そうですね」

 監督の言葉に、梶は何度か頷きながら引き下がる。

 兄将晴から聞く限りの情報だが、梶は兄と同い年で高校卒業と同時に投手として入団したものの鳴かず飛ばず、打撃練習でのパンチ力と強肩を期待され、外野手を経て捕手への転向によりようやく花開いた苦労人だとのこと。

 現在のエース格である水落とは高校時代にバッテリーを組んでいたらしく、プロに入ってから場所を入れ替えてバッテリーを組むに至ったというのも、数奇なものを感じさせた。

「一投手として、どうだ?」

 ファーム監督から話をふられたが、珠音は特に悩むことなく返答する。

「梶さんの言う通り、ファームでならこれまで通りでも通用すると思っています。ただ、プラーゼンズでも一軍経験のあるコーチや選手のアドバイスはいただいていましたが、あくまでも主戦場はファームでした。これまで磨き上げてきたものをより極めないことには、一軍でやっていけない自覚はあります」

 NPBよりもリーグとしてのレベルが劣るオーストラリアでウィンターリーグに参戦した際も、不用意な投球を易々とスタンドまで運ばれてしまった経験があった。

 そもそも”プロ”として自身の実力を客観的に見た際、過信できるほどのものを持ち合わせていないことなど、珠音は自覚している。

「分かった。本音としてはすぐにでも一軍に上げたいほどの台所事情だが、それで選手を潰してしまう訳にもいかない。足りないと思う部分を補う見込みができ次第、上がってきてもらう。こちらも、起用に向けて準備を整えておく。できるだけ早めに頼むぞ」

 事実上の新人選手としては破格の待遇だが、扱いが難しいのもまた確かだろう。

 まずは期待に応える努力をしよう。

 珠音は心にそう誓い、明日からの練習メニューに思いを巡らせた。



 珠音のサンオーシャンズ入団はオールスターブレイク前の7月上旬。

 そこから幾度かの登板を経て、得られた課題を整理し、改善していく。

 地道な工程だったが、珠音の実力はサンオーシャンズ入団以降も着実に伸びていった。

 こと、オールスターブレイクの期間中に一、二軍の選手が一堂に会したのが大きかったかもしれない。

 今まさに、一軍の舞台をリアルタイムで経験する選手たちの意見は大きく、珠音は自身に足りない部分、より磨き上げなければならない部分を具体的にイメージすることができた。

 最も、一、二軍共にオールスターへ選手がほとんど選出されていない寂しい現実によるものだが、そこは怪我の功名として割り切った。

「試すにしても、試合がないんじゃなぁ」

「ボヤくな。明後日からは再開されるんだから」

 オールスターブレイク中はファームも公式戦がなく、珠音は磨いた技量を発揮する舞台に飢えていた。

 練習後は浩平と呑み屋に繰り出し、野球談議。

 本音では兄も加わって欲しいところだが、前年に子どもが生まれたばかりともなれば、叔母としても義妹としても配慮すべきポイントだ。

「分かっているよ、すぐそっちに行くから」

 機会に飢えているからと言って、その場面が訪れた際に空回りしないあたり、珠音の忍耐力と集中力は流石と言える。

 ペナントレースの再開以降、珠音の投球はより洗練さを増し、質の高さを見せつけた。

 ヒリヒリとした緊張感のもとでの投球には凄みと勢いが増したようにも見える。

「楓山、明日から一軍に来てくれ。もう準備できただろう」

 8月中旬。

 満を持して、珠音の一軍選手登録が公示される。

 ファーム首脳陣からの報告を受け、葛城が現地視察の上で決断を下した。

 折しも週末、本拠地三連戦を控えている。

 ブルペンの台所事情を見ても、興行面を鑑みても、葛城の決断はベストタイミングと言えた。



 翌日、珠音はファーム施設で荷物をまとめ、一軍本拠地である草薙球場へ移動した。

 球場に到着するや否や、兄将晴に連れていかれたのは、選手たちのロッカールームとは別の部屋だった。

「流石に野郎どもと同じ部屋はまずかろうってことで、一部屋改造したそうだ。ちゃんとシャワーもついているぞ」

 葛城が言っていた「準備を整えておく」というのは、選手としての起用方法を確立させることとばかり思っていたが、もしや球場内設備のリフォームのことを指し示していたのかもしれない。

「今日から早速、登板の機会もあるだろう。しっかりと準備しておけよ」

「分かった」

 珠音は兄の背中を見送ると、そそくさと荷物を整理し、着替えを済ませる。

 それなりに着慣れ、見慣れてきたとはいえ、今日この日ばかりは袖を通すだけでもどこか心躍る様を感じていた。

「流石に話題になっているな。昨晩にネットニュースに掲載されて以降、当日券の申し込みが殺到しているらしい」

「期待されている証拠だ。監督としても、起用場面に困りそうですね」

「サンオーシャンズの試合でなく、単に登板するお前の姿を見たい、というのが多いだろうからな……チームとしては情けない限りだが」

 グラウンドに出ると、待ち構えていた監督の葛城とヘッドコーチの浜田が珠音の姿を見つけるや否や、声をかけてきた。

「皆さんからの、そしてファンからの期待に応えられるよう、精一杯頑張りたいと思います。改めて、今日からよろしくお願いいたします」

 一軍の面々に挨拶周りをしてから、珠音はゆっくりと自分のペースで登板に向け、身体を仕上げていく。

 ファームではナイトゲームが殆どなく、万全を期すべくウォーミングアップはとにかく入念に行った。

「(期待されていることは、嫌でもわかる。パンダとしてだけでなく、選手としても)」

 向けられる期待は相当なもの。

 試合前練習から足を運ぶ熱心なファンたちは当然、報道内容以上の情報を把握した上で、目当ての存在を目ざとく見つけ出し、声援を送る。

 ファーム本拠地でもそうだったのだから、舞台が一軍ともなれば尚更である。

 珠音の移動とともに、スタンドの人だかりも移動する。

 明確な”大スター”のいなくなったサンオーシャンズでは、久しく見られなかった光景を背に、珠音は改めて気を引き締めた。



 試合は劣勢どころか、敗色濃厚。

 日頃の試合ならば観客が徐々に帰り始め、時代にそぐわぬ野次もチラホラ飛ぶような、暗い雰囲気が漂うところだが、この日は違う。

 球場全体が浮足立ち、歴史的瞬間を心待ちにしている、さながらこの日の勝利が優勝を決定するかの様だった。

 自軍の攻撃が終わり、守備陣がベンチから出てグラウンドに散っていく。

「それじゃ、いくか」

「おっけ」

 投手の打順で代打が出されたことから当然、投手交代が行われる。

 ファンから寄せられる期待は、ただ一つ。

「サンオーシャンズ、選手の交代を申し上げます」

 ウグイス嬢のアナウンスが聞こえた瞬間、球場が静寂に包まれ、誰もがその名が呼ばれることを心待ちにする。

「代打の楠に代わりまして、キャッチャー楓山将晴。9番キャッチャー楓山、背番号39。8番梶に代わりまして、ピッチャー楓山珠音。8番ピッチャー楓山、背番号37」

 アナウンスとともに、球場がどっと沸きあがる。

 これほどの盛り上がりは、このシーズンでは初めてではないだろうか。

「楽しんで来い!」

 葛城の言葉に背中を押され、珠音は小走りにマウンドへ向かう。

 歴史的瞬間をとにかく記録しようと、フラッシュがそこかしこで煌めき、アルプスはさながら星空のように輝いた。

「異様な雰囲気だが、グラウンドに出た投手の仕事は変わらない」

 葛城なりの配慮か、記念すべき初登板のキャッチャーは兄が務めることとなった。

 アマチュア時代に長くバッテリーを組んだ浩平としては手を上げたいところだったろうが、直近の彼は打撃力を期待され外野手の準レギュラー、この日は1番センターで起用されている都合、相棒の肉親にその役目を譲ることとなった。

「分かっている。目の前の打者を、確実に抑えてみせる」

「そうだ、頼むぞ」

 バッテリーでの交代であり、組み立てはブルペンで事前に話がついていた。

 二言三言だけ交わし、珠音はグラウンド上で最も高い場所で一人になる。

「(大丈夫、いつもと変わらない)」

 高鳴る鼓動を抑えようと大きく息を吐きだし、キャッチャーに背を向ける。

 視線の先には、長らくバッテリーを組んだ浩平の姿があった。

 大きなジェスチャーで、エールを送ってくれているようだ。

 もちろん、浩平だけではない。

 彼女の背を守る全ての選手が、この歴史的瞬間が最高の形で終わるよう気を引き締めている。

「プレイ!」

 充電の期間は終わった。

 ならばあとは、持てる全てで自身の役目を果たすのみ。

 主審のコールの後、出されたサインに頷くと、珠音は兄のミットを目掛け、全力で左腕を振った。

Pixiv様にも投稿させていただいております。

https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=24047140

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