5回表 雛鳥は翼を広げ
オフシーズンを過ごしたオーストラリアでのウィンターリーグでの活躍を引っ提げて、珠音は決意のシーズンを迎える。
好調そのままに名実ともにチームの中心選手といえる活躍を見せ、世間に報じられる珠音の存在感は日増しに際立っていった。
梅雨も間もなくあけようとしたある日、あるスポーツ紙が一面で特報を伝える。
信憑性に欠ける内容に珠音は左程の興味を示さず、いつも通りの日常を過ごそうとしたが――
5回表 雛鳥は翼を広げ
特定のスポーツにのみ関心を持つファンにとって、オフシーズンは物足りない日々、表現を変えれば翌年への充電期間と言ったところか。
贔屓のチームで翌年の飛躍を期待する、または例年通りの活躍を期待する長年の”推し”への応援に全力を注ぐ熱烈なファンもいれば、ネットニュース等で海外のウィンターリーグに参戦する選手たちの情報をいち早く確認して来季の予測を立てるマニアもいる。
不定期でピックアップされる情報を何の気なしに確認する程度のライトユーザーも、はたまた契約更改の金額情報のみに関心を示す者もいるだろう。
「なぁ、プラーゼンズの楓山って、お前はどう思う?」
「どうって、いや、結局のところ何だかんだ言っても女だぞ。確かに活躍しているみたいだけど、力も体力も圧倒的に”上”な男のリーグで1年やれるとは、俺は思えないね」
「夢がないな。俺もそう思っていたんだが、もしかしたらって気がしてきているんだよ」
そんな中、海の向こうの南半球-オーストラリア―でのTamane Kaedeyamaの活躍はネットニュースのスポーツ欄をたびたび賑わせ、コメント欄には北半球の真冬のような冷たい意見もあれば、現地のように暖かな論調も見られ、プロ野球ファンは次の春の到来をいつも以上に焦がれ、待ちわびることとなった。
「このようなオフシーズンの論調に対し、当の本人としてはどのような意気込みをもって、来るシーズンを迎えようと思いますか?」
キャンプイン前日の1月31日。
旧知の立花から取材を受けた珠音は「そうですね…」と逡巡する素振りを見せた後、迷いなき瞳でインタビュアーに返答する。
「まず、そう言っていただけるだけ、プロ野球ファンの皆さんから期待を寄せて頂けていることに感謝しなければいけないと思っています。遥か雲の上の世界に飛び込んだ私の成長を一定に認めてもらえた、ということにもなりますが、ここで終われば”所詮はこの程度が限界”という評価になって、後に続く女性選手の妨げになるかもしれません」
珠音は手もとの水に口をつけ、乾燥した喉を潤す。
「プラーゼンズに入って今年で3年目になりますが、より精度の高い結果が求められていると思います。プロ野球ファンの皆さんから”今年の楓山は本当に凄いぞ!”とか、”もっと見てみたい!”と言ってもらえるよう、全力を尽くしたいと思います」
まず第一に今シーズンの”成功”を正確に予見したのは、チームメイトでも、旧知の友人たちでもなく、同席したカメラマンだったかもしれない。
強い意志のこもった言葉と雰囲気に魅了された結果、インタビュー中で最も良い表情をフレームへ収めることに失敗し、会社に戻る道中でデータをチェックしていた立花から叱責されるハメになった。
日本、そして世界の野球ファンにその名を轟かせた珠音の活躍はまさしく、シーズンイン直前のインタビューで語った通り”有言実行”と言え、むしろ上回る程のものだった。
オフシーズンの快投そのままに、珠音はキャンプを通じて、プラーゼンズ首脳陣や他チームのスコアラー、そして報道記者らに自らの好調をアピールし続けた。
前年はキープしきれなかったコンディションの安定感を堅実なものとし、キャンプ中の練習試合やファームリーグのオープン戦では前年を上回る投球を見せた。
「去年は投壊したチームに”今すぐ楓山をトレード入団させろ!”程度でファンが色めくくらいだったが、今年は”どのチームに楓山はマッチするのか”をスポーツ新聞各紙が各々持論を展開するレベルだ。かく言う俺としても、そのレベルの期待を寄せられるだけの成長を見せていると思っている」
オフに退団した前監督の白河に代わり、前年までヘッド兼バッテリーコーチを務めた松尾が監督に昇格し、チームの指揮をとっている。
「それでも、まだ賑やかしに毛が生えた程度でしかありませんよ。新戦力の台頭で”今年はどこどこの優勝は間違いなし!”って言ってるのと変わりないです」
シーズン開幕後は勝ちパターンのセットアッパーとして起用する旨を伝えた後、雑談程度のつもりだったが、浮足立つ様子を一切見せない珠音に松尾は心底ホッとした。
「お前が現実的な思考回路の持ち主でよかったよ。お調子者なら舞い上がった挙句、シーズンに入ってけちょんけちょんにされるところだ」
「私の場合、現実は一般論以上に厳しい環境ですからね。高校の頃からほぼほぼそんな状態ですから、浮かれ方を忘れちゃったかもしれません」
「20代前半の言葉とは思えない達観ぶりだが、それだけに信頼を寄せることができる、というものだ。活躍を期待しているよ」
「ありがとうございます」
監督室を後にした珠音の胸には、現実を見つめた冷静さとは正反対の、並々ならぬ熱い決意が秘められていた。
「今年でダメなら、私を戦力として考えてくれるトップリーグのチームはなくなると思っていい。間違いなく、このシーズンで”結果を出す”」
決起集会も兼ね、ペナントレース開幕直前のオフ日にチームメイトの鍛冶屋茉穂、就職を控えた伊志嶺まつりや田中夏菜、桐生琴音といった気兼ねなく話せる面々と集まった場で、珠音は決意を語る。
「ぞくぞくした。別に、最近がそうじゃなかったって訳ではないけど、今年の珠音の雰囲気は、高校野球の公式戦に出ようとしていた頃とそっくりだ」
4月から母校で教員として勤務予定のまつりは、友人の凛々しい姿を自らのことのように誇らしく感じていた。
彼女自身、大学でも引き続き男子に交じって野球に打ち込んだが、公式戦出場は4年間で片手に収まるレベルに留まり、この春をもって選手を引退し、一つの区切りを迎える。
もっとも、副顧問として野球部に携わる予定なので、完全に縁が切れるということはない予定なのだが。
「私たちの夢も、珠音に預けるね」
長い人生を送るにあたり、それぞれ思い描いた夢をしまう段階に至っている。
彼女たちはただしまい込み鍵をかけることなく、預け託すことのできる幸せに感謝し、友人の成功を祈念した。
数々の、そして種々の思いに背中を押され、珠音は躍動した。
ファームリーグとはいえ、ひとたび登場すれば球場の雰囲気を変えてしまう彼女は、当初予定されたセットアッパーとしての役割だけでなく、相手チームに流れを奪われた、または奪われそうになったタイミングでも登板機会を与えられた。
「私の仕事、最初に言われたものから増えていませんか?というか、間違いなく増えていますよね?」
「それだけアピールの機会が増えたんだ、苦情を言われる筋合いはないな」
起用方法の急な変更はチーム状況の悪さを物語っているのだが、松尾は開き直った様子で珠音を見やる。
珠音の手には日本プロ野球機構より贈られた表彰状と目録が握られており、そこには3・4月期のファーム月間MVP賞と記されていた。
開幕から試合数の多い期間でリーグ最多の25試合に登板してチームの勝ち星の1/3となる5勝を挙げ、ホールドポイントは15、投球回26イニングで失点は僅かに2と、キャンプとオープン戦の好調そのままに、チームはともかく珠音自身は開幕からロケットスタートを切ることに成功した。
ファームながら圧巻の活躍ぶりは珠音への注目をさらに集めさせ、賑やかし程度だった報道もいつしか本気度を増して伝えられるようになっていた。
「そうそう上手くいくわけじゃありませんからね。まだ春先で、これから気温も一気に上がってくるわけですし、体調の維持に気を付けないと」
「そうだな。まったく、花粉症持ちじゃないことがどれほど羨ましいことか」
松尾はどうやら重度の花粉症らしく、現役時代は春先から絶不調で、キャッチャーマスクを防毒マスクに変えられないか真剣に検討したほどだったという。
そんな花粉シーズンが終わりを迎えるゴールデンウィークが過ぎ、間もなく交流戦の時期を迎えようとする時節には、例年通り各チームそれぞれに好不調の度合いが鮮明に表れていた。
オープン戦での躍動から飛躍が期待された選手たちはまるで予定調和とでも言うかのように鳴りを潜め、豪快なホームランを期待された外国籍選手の多くがバッテリーの術策に翻弄されて扇風機となり、前年は堅牢だったリリーフ陣が総崩れとなる。
何事も計算通り、全てが青写真のままとはいかないことは当然なのだが、苦しむチームの首脳陣は日々頭を痛め、隣の芝生は何とやらといった様子で、快調にペナントレースを勝ち進むライバルチームへ羨望の眼差しを送っていた。
もっとも、トップリーグの悲喜こもごもは、ファームリーグへ多大な影響を与える、とまではいかなかった。
選手の入れ替えから経験豊富な選手との対戦機会が増えたものの、珠音の投球成績には何ら影響を及ぼすことなく、その実力が運だけではない証明を更に積み重ねていく。
「珠音、今日の新聞は読んだ?」
「いや、まだだけど」
じめじめとした梅雨の時期ももう間もなく終わろうとしていたある日。
ロッカールームでリフレッシュしていると、半袖アンダーシャツ姿の茉穂が嬉々として、紙面を片手に近寄ってくる。
ルームシェアをしている2人は自宅で新聞の購買契約を結んでいないが、球団として各紙と契約しているために休憩室には毎日のように届けられ、暇つぶしや気分転換で目を通すことはたびたびあった。
茉穂から手渡されたスポーツ新聞一面の文字が、珠音の目に飛び込んでくる。
「兄将晴の静岡サンオーシャンズ、栃木プラーゼンズの妹珠音を獲得調査か?」
これまでも似たような報道はされたことがあったが、ここまで具体的にチーム名が挙がることはなかった。
もともと上位争いにはなかなか組み込めていない静岡サンオーシャンズは、実績に乏しいベテラン選手たちの奮起による奇跡とも言われた初優勝以降、球団人気は右肩下がりになっていた。
加えて、球団創設20年目を最後に当初計画通り沖縄への本拠地移転が決定されており、客足が遠のきは加速しつつある。
加えて移転資金を確保するために補強は最低限となり、有望選手の引き留めも上手くいかず、毎年のように綱渡りの選手起用でペナントレースを戦っていたが、今年はケガ人続出で綱渡りどころか火の車。
ファームリーグの試合に至ってはベンチ入り登録人数は常に満杯とならず、守備位置登録などお構いなしといった様子でアマチュア時代の経験をフル活用し、投手が野手起用される、あるいは敗色ムードが漂った途端に野手の投手起用も頻発する始末で、こと今年に至っては万年最下位をひた走るプラーゼンズの更に下を行く程、状況は深刻だった。
「何か、お兄さんから聞いていないの?」
「何にも。サンオーシャンズのチーム状況が悪いのは見るからにそうだけど、だからと言って私だけに白羽の矢が立つ訳じゃないでしょ。選ばれたらそれは確かに光栄なことだけど、他にもたくさんの選手がプロ野球にはいるんだし、事実として私には何も知らされていない。いつもの賑やかしだと思って、私は今日も頑張るよ」
「それもそうだね…、ごめんね」
「いや、別に。ありがとう、それでも正直なところ、気分は悪くないよね」
珠音は笑顔を見せると、グラウンドへ出ようとロッカールームの扉を開く。
「おっ」
「あ、すみません」
珠音が大きな壁にぶつかり一歩退くと、そこには驚いたような表情で松尾が立っていた。
松尾視点で見れば、手をかけようとしていたドアノブが目の前から勢いよく消えたのだからその反応は当然だろうが、開けた主を見てその驚きはもう一段増したように、後ろから眺めていた茉穂には感じられた。
「楓山、ちょっといいか?」
「え、あ、はい、何でしょう?」
松尾は茉穂の姿を確認すると、迷ったような表情を見せた後に小声で要件を伝える。
「ここでは何だから、監督室まで一緒に来てくれ。GMから緊急の案件と言われて、球団本部とテレビ通話を繋いである」
いそいそと、やや早歩きで進む松尾の背中を追い、珠音は球場の廊下を進む。
「(まさか、ね…?)」
直前まで茉穂と交わした会話が反芻され、鼓動が自然と高まっていく。
廊下を歩いた時間はとても長く、また一瞬にも感じられた。
監督室の扉が開かれ、松尾が先に入る。
この敷居を超えれば、自分は何かが変わるかもしれない。
珠音は必死に冷静を装うと、意を決して監督室に足を踏み入れた。
Pixiv様にも投稿させていただいております。
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