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珠音いろ  作者: 今安ロキ
第2章 プロ野球編
64/75

3回裏 もがく先への道標—ウィンターリーグ3—

プラーゼンズでのルーキーシーズンと同様、ウィンターリーグでの登板においても、珠音の投球成績は芳しくないものだった。

正しく大きな壁に当たってしまっている、と言える状況に、茉穂は助け舟としてかつての女房役に連絡を入れる。


状況を改善し、前に進むため。

もがいた先にある未来を勝ち取るべく、珠音は差し伸べられた道標を手に取った。

3回裏 もがく先への道標—ウィンターリーグ3—


 惨憺たる成績と言える。

 初登板以降、珠音の記録した登板成績に劇的な改善はなく、対戦5チームでホームアンドアウエー計4試合、全20試合という限られた母数において、彼女の出番は試合の趨勢が早々に確定した際の”敗戦処理”に限られた。

 与えられた役割に文句など言えようはずがない。

 むしろベンチ入りさせ続けてもらえるだけ感謝しなければならないだろう。

「分かってはいたけど、厳しい世界だね」

 それは珠音に限らず、茉穂も同様だった。

 日本の女子プロ野球リーグでは俊足巧打のスイッチヒッターとして鳴らした彼女だったが、打率は自身の身長といい勝負、自慢”だった”俊足は高くとも並以下といった評価だろう。

 打球判断の良さ―守備力の高さ―を買われ、試合終盤の守備固めとしての出場機会こそ得られていたが、スタメン出場を果たす上でアピールすべき打撃では、事実上の戦力外と判断されたと言っても過言ではなかった。

「ファームリーグとはいえ、日本のピッチャーはレベルが高い。来シーズンに向けて何をどうとは分からないけど、とにかく頑張らないと」

 厳しい現状を目の当たりにしても、茉穂はあくまでも前向きな様子である。

「そうだね」

 開幕戦で浩平から”失望”の眼差しを受け、”そう思われても仕方がない”成績しか収められていない事実は、陰鬱な気持ちで一杯の珠音に彼女の姿勢は眩しく感じさせた。

「それにしても、土浦くんは凄いね。高卒3年目のオフのウィンターリーグで今のところ3冠王、正捕手としてリードする投手陣のチーム防御率はリーグ1位。もう少しで別世界に足を踏み入れそうなくらいにはなってきてるよ」

 茉穂はウィンターリーグ公式ホームページに記載された成績を眺めながら、感嘆の声を上げる。

 ウィンターリーグ全体を俯瞰して見る限り、日本からの選抜チームが実力で頭一つ抜けているとはいえ、浩平がバッテリーを組む投手陣はレギュラーシーズンを共に戦った間柄ではない。

 世間的に”ほぼ無名”やら”隠し玉”と表現されてプロ入りした浩平だったが、改めてその非凡さを世間に見せつけていた。

「――だよねぇ」

 珠音はぼんやりと相槌を打った後、深い溜め息をつく。

 浩平から受けた視線、それに込められた感情は、2人の住む世界の違いによるものなのか、将又、別の想いによるものなのか。

「そんなに気になるのなら、メッセージ送っちゃえばいいじゃん」

 茉穂は珠音から”ロック解除済み”のスマートフォンを奪い取ると、メッセージアプリを開いて浩平のアカウントを見つけ出す。

 2人は出国時に海外用ルーターをレンタルしており、Wi-Fi経由でなら国内とほぼ同様に連絡できる。

 茉穂はまるで自分のもののように、珠音のスマートフォンをスルスルと操作した。

「ちょ、ちょっ!」

 珠音が茉穂からスマートフォンを奪い返す頃には、既に浩平のアカウントに向けてメッセージが送られていた。

「久しぶり。時間があれば、話をしたい」

 色気も何もない、事務的で端的な文章を画面上に確認すると、珠音は慌てて”送信取消”の処理を加えようとしたが、時すでに遅し。

「問題ないか確認する。ちょっと待って」

 浩平から瞬時に返信が入ってしまい、珠音による証拠隠滅は間に合わなかった。

 翌日は全チーム共通したオフ日。

 数分の後、”宿舎まで迎えに行く”という一言とともに、律義に”持ち物”と”集合時間”が送られてきた。



 オフ日の活用方法は、個々の選手に委ねられている。

 気分転換にと街ブラに出かける者もいれば、各チームに指定された練習場で汗を流す選手もいる。

 珠音と茉穂は桃園ホエールズと個々の選手契約を結んだ訳ではなく、あくまでも業務提携先である栃木プラーゼンズからの派遣選手という体裁をとっており、仮に直接雇用であればオフ日であってもリーグの盛り上げとチームの勝利に貢献すべく練習場に出向くのが筋だろうが、実際のところの拘束力は”所属チーム”であることくらいだ。

 練習着に身を包んだ珠音と茉穂はJAPAN WESTの現地マネージャーが手配した車に乗り込む。

 揺られること30分、ホエールズのものよりも数段綺麗な―現地リーグの1軍が普段は使用している―施設に到着すると、その足で屋内練習場に案内された。

 練習場内を確認する限り、所属選手の殆どが揃っているようだ。

 流石にオフ日、雰囲気では軽めの調整といった雰囲気だろうが、それでも幾人かは正しく”休日返上”といった様子で、コーチの指導にも熱が籠っている。

「お、”球界のジャンヌ・ダルク”だ」

「ホントだ、直接見るのは初めてだな」

 ファームリーグを主戦場とする者どうしだが、東日本ファームリーグと西日本ファームリーグのチームが対戦する機会は滅多にない。

 日本プロ野球における”有名人”の登場で練習場内の雰囲気が一時弛緩したものの、すぐに元通りとなった。

「土浦さん、お客さんが来たよ!」

 案内役の現地スタッフが声を掛けた先では、大柄の選手がマシン打撃を行っていた。

 先ほどから練習場内に鳴り響いていたまるで金属音のような衝突音は、彼の木製バットからもたらされていたようだ。

 浩平は声に気が付くとバットをその場に置くと、キャッチャーミットを片手に小走りで駆け寄ってくる。

 距離が離れていて小さく見えた身体は、近付くにつれどんどん大きくなった。

「――直接、面と向かって話すのはいつぶりだろうな」

「そ、そだね」

 間近に見る浩平と自分たちの姿はどのように見えるだろうか。

 珠音も茉穂も女性としては長身の部類だろうが、それでもクマとリス―よくて猫―といった表現が適切だろう。

「ごめん、忙しいのに」

「気にしなくていいよ、オフ日だし。みんないるけど、それぞれ好き好きにやっているだけだから」

「その好き好きに熱が籠りす――」

 珠音は開いた口を慌てて閉じ、続く言葉を遮る。

「そうでもしなきゃ、プロの世界で生き残れないことは分かっている。高校の時よりも、自分がより厳しい環境に身を置いていることも分かっているつもり」

 珠音は大きく深呼吸してから浩平へ向き直し、勇気を振り絞って今日この場に来た理由を問い掛ける。

「打席から私を見て、私の球を見て、どう思ったか教えて欲しい」

 浩平は小さく頷くと、キャッチャーミットのポケット部分にしまわれていたボールを差し出す。

「まずは、ボールを受けさせてくれ。俺たちにはそっちの方が早いだろうし」

「それじゃあ、私は野手の皆さんのところで練習に加わらせてもらうね」

 茉穂は2人から返事を聞くことなく、ポニーテールを揺らして小走りに立ち去っていく。

 珠音はその背中を少しだけ見送ると、差し出されたボールを受け取り、持ってきたスポーツバッグからグローブを取り出す。

「――よろしく」

 浩平は小さく頷くと、何らかの言葉を発することなく―当然、付いて来ることを想定して―ブルペンへと歩を進め、珠音もそれに従った。



 練習場の一角に設置されているブルペンに、他の選手の姿はなかった。

 選手登録されている投手や捕手が練習をサボっている、という訳では当然なく、投手陣は下半身を中心とした基礎トレーニングとストレッチといった身体のケアに努めている。

 捕手はスタッフの少ないウィンターリーグだと投手陣の練習に付き合わざるを得ず、投球練習の予定されていないこの日は、浩平のように打撃練習に精を出していた。

「ホントにいいのかなぁ」

 まっさらなマウンドに立ち、珠音はたまらず恐縮する。

 同じ日本人選手とはいえ所属チームは異なっており、余所者が我が物顔で占有スペースを使用するのも如何なものか、という良心の呵責が突如として襲い掛かって来た。

「ひょいひょいと乗り込んできて、それはないだろう」

「声を掛けたのは私だけど、(ここに来るよう)声を掛けてきたのは浩平でしょ」

 簡単なウォーミングアップの後、まずは短い距離のキャッチボールから。

 もし仮に、高校以前からのチームメイトがこの場にいたとすれば、まるで変わらない”老夫婦”のやり取りだと笑われるところだろう。

 珠音の肩が徐々に暖まると、まずは捕手を立たせたまま20球。

 この頃には互いに真剣そのもの、ひと言の会話もなくなり、ブルペンは珠音の投球は浩平のミットから子気味良い破裂音だけが響いていた。

「そろそろ」

「OK」

 短いやり取りの後、浩平がキャッチャーボックス内に腰を下ろし、捕球姿勢を取る。

 2,3回りは大きくなった身体は打者として力強さと威圧感を、”女房役”としては安心感を与える。

「(まずは、今の自分の全てを――)」

 通常の投球練習ならば投手から投げたい球種を宣告するのが筋だろうが、この日は事前の取り決めで浩平からの口頭の指示を珠音が受ける形となった。

「ちょっといいか?」

 浩平が球種以外の言葉を発したのは、15球目を投じた直後だった。

 返球することなく、キャッチャーボックスから珠音の元へと歩み寄ると、浩平は小さく溜め息をつく。

「ここの所は、普段からこんな感じなのか?この前に対戦した時も思ったが、高校の時よりも投球全体が雑になっている」

「雑って――」

 珠音は少しだけムスッとしたが、思い当たる節がない訳ではなかった。

 逡巡するような表情の珠音に、浩平が言葉を続ける。

「高校時代は投球テンポがもっと良かった。練習でもそれは変わらなかったし、球を受ける側としてもリズムを取りやすかったかな。あと、コントロールももっとよかったんじゃないか?構えた所にバシバシ決まってリードも組み立てやすかったけど、細かな出し入れが苦手になっている気がする」

 珠音がふと思い返すと、浩平の要求は打者が立っていれば全て”クサイ”コース中心だった。

「さしずめ、女子野球で成績を残す、それから”コッチ”に移るにあたって、球威を強くしたい思いがあったのかなと思うけど、俺から見たら逆効果になっていると思うぞ」

 浩平の指摘はもっともだった。

 男子リーグへの移籍を目指すにあたり、女子プロ野球リーグで”圧倒的”な成績を残さない限り、自身のことは少しも認められないだろう。

 その想いから球速アップを図り、高校時代に培った実力も相まって女子リーグでは正しく”敵なし”状態だったが、反対に元来の繊細なコントロールは失われていた。

 正しく”ぐうの音も出ない”といった様子で、珠音の脳内の天使と悪魔は双方揃って白旗を掲げた。

「ピッチャ-の役割は何だと思う?」

「――バッターを打ち取ること」

 浩平の問いに、珠音は端的に応える。

 投手はその役割を果たすために、自身の持ち味を磨いていく。

 ある者は球速や球威、ある者はコントロール、ある者は変化球のキレ、ある者は球種の豊富さ、ある者は球の出所の見難さ、それら全ての取り組みはただ1つ、その目的を達成するための手段にすぎない。

 国内野球の最高峰、多数の競技人口を抱えるメジャースポーツのトップに君臨し、あらゆる栄誉と至高の座を勝ち取るため、”プロ”は血のにじむような努力を重ねる。

 そのためなら時には全て見直し、積み上げた努力を無に帰す決断も必要だった。

「何時まで、時間を貰える?」

 珠音は自分の中で、何かが吹っ切れたことを自覚する。

 一度決まった評価を覆すことは今の自分には難しく、ここで無茶をしたところで、ウィンターリーグ期間中の登板への影響は小さいだろう。

 それに、この3年が無駄になることはない。

 自分が強くなるため、大きな壁を乗り越えるための助走期間としての必要十分条件に違いない、そう思うことができた。

「今日はオフだと言っただろ」

 浩平はどこか満足気な表情を見せると、白球を珠音に手渡す。

 小走りに肩を上下させながらキャッチャーボックスへ戻っていく背中は、どこか上機嫌に見えた。



 余談閑話。

 珠音と茉穂が訪れたのはチームのオフ日。

 ある意味では、珠音と浩平の練習終了を”待たされる”はずの茉穂だったが、こちらもまた充実した1日を送ることができた。

 高校時代から同性をも魅了した彼女は、むさ苦しい環境に突如として現れた正しく可憐な花。

 年若い彼女の登場にJAPAN WEST参加メンバーは色めき立ち、練習パートナーを買って出る者、オフにも関わらず見栄を張っていつも以上に精を出す若手選手が数多出る。

 外出先から戻ったベテラン監督は活気ある練習場に満足した直後、その理由に思わず頭を抱えた。

Pixiv様にも投稿させていただいております。

https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=22264900

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