1回裏 ―始まり― 3.挑戦者たち
夏休みが終わると、いよいよ受験勉強も本格化してくる。
静岡サンオーシャンズに所属する珠音の兄が帰宅に合わせ、2家族が珠音の家に揃う。
先んじて夢を叶えた先で努力する兄の姿を見て、珠音と浩平は高校野球での活躍を改めて誓い合う。
春を迎え、無事に鎌倉大学附属高校への入学を果たした2人は、真新しい制服に身を包む。
これから待ち受ける波乱の日々を、2人はまだ知らない。
Pixiv小説様にも、投稿させていただいております。
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=19463674
3.挑戦者たち
珠音の兄が帰ってくる日、2人は学校が終わると、どこにも寄ることなく真っすぐ帰宅した。
「よっ、おかえり」
「兄ちゃんこそ、おかえり」
「将晴さん、久しぶりです」
珠音の自宅の玄関で2人を出迎えたのは、前年秋に会った時よりも見るからに身体が大きくなった珠音の兄―楓山将晴―だった。
「浩平、身長いくつになったんだ。俺より大きいだろう」
「179cmっす」
「えっ」
浩平の返答に、先に靴を脱いで玄関を上がっていた珠音が、愕然とした表情で振り返る。
「いやぁ、羨ましいなぁ。これでまだ高校入っていないんだから、180cmなんて軽くオーバーできるな」
「ていうか、また伸びたの!?」
「保健室で何となく測ってみたら、な」
「許さん、私は全然大きくならんのに。縮んでしまえ!」
せめてもの抵抗のつもりか、珠音は浩平の身体にしがみつき、全ての体重をかける。
「いや、お前も成長していると思うぞ」
若干照れたような表情を見せる浩平を、将晴はにやけ顔で見守る。
「まぁ、上がれや。夕飯食っていくんだろ?」
「え?」
「春恵さんには事前に私から連絡しておいたわ」
珠音と将晴の母、秋穗が奥から顔を出す。
少年野球でチームメイトになってからはご近所で年齢も近いこともあり、珠音と浩平は家族ぐるみの付き合いとなっている。
「もうすぐ来ると思うし、遠慮しないで食べていって。久しぶりに大人数で食べることになりそうだからって、おばさん腕をふるっちゃったわ」
「ありがとうございます」
浩平は珠音を"背負ったまま"靴を脱ぎ、玄関を上がる。
「珠音、そろそろ浩平くんから降りなさい」
「そうだ、服が伸びる」
「やーだー、浩平の伸長が縮まるまで降りない」
「コアラにでもなるつもり?なら、夕飯はいらないわね。ユーカリでいいかしら」
「......それは嫌だ」
夕食の確保を優先した珠音が、渋々といった様子でユーカリの樹を降りる。
「あいつがいつも通り過ごしているようで、俺も安心したよ」
物心がついた小学生になってからできた年の離れた妹への親心か、将晴が安堵の表情を見せる。
「で、だ」
将晴が浩平の肩に手を回し、耳元で囁く。
「妹の成長ぶりは、どうだった?」
別々に暮らす兄としては、成長期を迎えた妹の身体が気になるところらしい。
運動部員としてそこそこ鍛えているとはいえ、珠音の身体は徐々に"女子"から"女性"へと移ろい始めている。
「柔らかかったっす。特に、一部分。前よりも大きくなっていた気がします」
「......そうか」
これは親心か、はたまた下心か。
将晴は浩平を開放すると、満足そうな表情とサムズアップを見せた。
もはや平日とは思えない二家族の賑やかな夕食は、あっという間に過ぎ去っていった。
意地でも宴会に加わりたかったのか、話を聞きつけた両家父親は共にフレックスタイムを利用して仕事を早々に切り上げ、今では愉快そうに酒を酌み交わしている。
「ルーキーから1軍の舞台を踏めて、スタメンにも抜擢されたんだ。このまま一気にレギュラーだな」
「おう、できるできる。将晴くん頑張れ!」
酔っ払い2人は場所を変え、リビングでは早くも2次会を始めていた。
「だって、兄ちゃん」
その様子に呆れた視線を送りながら、子供組は食卓で寛いでいる。
「まぁ、スタメンは消化試合だけどね。ライバルももちろん多い。正捕手の浜さんを今すぐ追い越すのは簡単じゃないけど、一歩一歩着実に成長していきたいな」
将晴の所属する静岡サンオーシャンズは、10年前のプロ野球界再編の折に実施されたエクスパンションにより参入した、歴史の浅いチームである。
元は沖縄県を保護地域としたチームとしての設立を目指していたものの、本拠地予定の球場設備や日程消化にあたる課題―梅雨前線や台風―をクリアしきれずに静岡県へ設立場所を移した経緯があり、チームも創設以来10年間でAクラス入りは1度のみと、非常に厳しい戦いを強いられている。
「やっぱ、みんな凄いの?」
「さすがはトップリーグといった所かな。うちも弱小チームとはいえ、選手はアマチュアリーグのトップ選手たちや、スカウトたちが見定めた原石たちだからね。昔よりチームが増えているけど、うかうかしていたら俺なんてすぐにクビにされちゃうよ」
「そういう兄ちゃんも、プロのスカウトに認められた"原石"の1人なんでしょうに」
エクスパンションにより、それまでは12チームだった球団は16チームに拡大され、トップリーグのチームに所属できる人数も当然増えている。
しかし、実力主義の世界が劇的に変わることはなく、平均在籍年数や引退時の平均年齢は相変わらずのままである。
「俺は大卒ドラ6。まさかドラ1で同じ大卒の捕手を獲るとはとはな」
「それだけ、ポスト浜田選手がチームとして重要なんでしょ。兄ちゃんだって、その一角を占めているんだから、期待のあらわれじゃない」
静岡サンオーシャンズの正捕手浜田は、弱小球団を攻守で支えるチームの中心選手であり、その牙城は難攻不落と言っても過言ではない。
中堅からベテランに差し掛かろうとしたスター選手の後釜育成は、チームにとって至上命題となっていた。
「まぁ、壁は高い方が燃えるがな。そうは思わんかね、若人よ」
将晴の満足そうな表情を見て、浩平は改めて2人が兄妹だと感じる。
「そういや、浩平は進路どうするんだ」
「鎌大附属が第一希望です」
「鎌大かぁ......。まぁ、浩平ならすぐ試合に出られるようになりそうだな。シニアに入っていないとはいえ、その体格なら強豪校から誘いの一つもあったんじゃないか?」
「そうなの?」
将晴の指摘に、珠音は浩平の表情を伺う。
「まぁ、無くは無いですけど」
「えー、もったいない」
珠音は大袈裟に驚いた表情を見せる。
「前も言ったけど、浩平ならもっと強い学校でも通用するよ。公式戦に出られない私とバッテリーを組みたいからって、我慢とかしてない?」
「俺は試合に出たいの。それに、我慢なんてしていないよ。俺は俺のやりたいようにしているだけだし」
「ふーん」
浩平は珠音の台詞を引用した返答に、言葉の主は生返事を返す。
2人の会話を聞いて、将晴は満足そうな表情とちょっぴり残念そうな表情を見せていた。
「おーい、将晴。こっちに来て一緒に呑もうや」
「はいよー。妹よ、こうまで言ってくれているんだ。珠音、"旦那"として"女房"は大切にするんだぞ」
はーい
宴会会場から指名を受けた将晴は、冷蔵庫からビールを取り出す。
「やれやれ、男心の分からん奴だ」
「なーにー?」
「何でもないさ」
将晴はそう言い残すと、翌日の仕事などとうに忘れてしまった酔いどれ共の宴へと飲み込まれていった。
「どうした」
「何か、兄貴がもにゃもにゃ言ってた」
「何だそりゃ......ま、これからも一緒にできるよう頑張らないとな、嫁さんや」
「甲斐性無しは嫌われますぞよ、旦那さんや」
へべれけな大人にならい、グラスに入った烏龍茶で2人は乾杯する。
「ほら、食べ終わったなら片付け手伝って」
「浩平も、それこっちに持って来て」
成人男性組が何も手伝わずにアルコールを嗜む姿に呆れつつ、キッチンの主達はテキパキと片付けを進める。
『はーい』
子供2人の息の合った生返事に、母2人は思わず苦笑する。
この姿がいつまで見られるのかと、親心を秘めながら。
中学生になってからというもの、時間の流れが早く感じるようになったと、浩平は常々感じていた。
それだけ、野球部で過ごした時間が充実していた証拠であろう。
「よっ、相棒!」
通学路の桜並木をぼんやりと歩いていると、後ろから明るい声が近付いてくる。
いつもはやや着崩している制服も、卒業式の今日というこの日ばかりは真面目に着こなしているようだ。
「私のこの姿も今日で見納めだよ。明日以降に着たら、ただのコスプレになっちゃうからね。さぁ、特と見たまえ」
珠音はくるりと1回転する。
学年で1番とは言わないが、少なくとも上位に食い込むだけのポテンシャルを有する容姿は、男女から根強い人気がある。
「はいはい、見ましたよ~」
浩平は適当な返事をすると、目線を逸らす。
キラキラとした彼女の様子をマジマジと見ることに、浩平の精神は耐えられなかった。
「結局、野球部メンバーで鎌大に行くのはウチら2人と南だけだったね」
「みんなバラバラになったな。あいつは続けるって言っていたけど、他はどうかね」
近隣の高校で野球部に入るならば練習試合で会うこともあるだろうか、高校進学を機に、別の競技へ転向する人も多い。
これまで毎日のように過ごしてきたチームメイト、とりわけ別クラスのメンバーとは引退以降、徐々に接点が少なくなってきている。
今日を最後に殆ど接する機会が無くなってしまうのかと思うと、少々の寂しさも感じられた。
「続ける続けないは人それぞれ、やり方だって人それぞれだ。うちらはうちらで頑張ろう」
珠音が浩平を追い抜き際に、ハッキリとした口調で自分の意思を伝える。
「私は私の"やりたい"を大事にしたい。だから、鎌大で野球を続ける」
「俺は俺の"やりたい"を大事にしたい。だから、鎌大で野球を続ける」
浩平は珠音に追いつき、肩を並べる。
「よろしくな、"旦那"さま」
浩平が右手を握り、珠音へと差し出す。
少年野球でチームメイトになって以来、続けられてきた幾度も交わしてきた儀式。
「"女房"よ、私に任せて下さいな。甲斐性無しになんかなるつもりはないよ。面白い高校生活も、一緒に頑張ろうね」
珠音はいつものように返すと、自分の歩く道を真っすぐと見つめている。
この時に自然に発した言葉は、もちろん意図されたものではない。
これから2人が高校生活を通じて巻き起こす嵐の予感は、桜の花びらを散らす春風にしか伝わらない。
珠音の言葉通りになったその時、これが全ての始まりを告げる合図だったのではなかと、後の浩平は振り返り述懐した。
2人が歩む激動の高校3年間。
その始まりは、桜舞う華やかな"終わり"と共に訪れた。