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珠音いろ  作者: 今安ロキ
幕間 ―いろに染まり―
57/75

進むその背を、見守って ―田中夏菜―

夏大会終了後の"夏大会"。

鎌倉大学附属高校硬式野球部は夏の甲子園に向けた県予選でベスト4の成績を残し、男子は活動を次代に託すこととなった。


連戦となる女子大会のマウンドにも楓山珠音は変わらず上がり、実力の違いを見せつける。


 あの時、自分が声をかけなかったら

 あの時、友人と意見が合わなかったら


かつて見た弱り切った姿は微塵も感じさせない。

田中夏菜はマウンドに立つその背が進む行く末を、見守り続ける誓いを立てた。

 あの時、自分が声をかけなかったら。

 あの時、友人と意見が合わなかったら。

 ダイヤモンドの中心に立つ彼女の姿を見ていると、ふとした拍子に疑問が沸いて出る。

 夏の全国高校野球選手権大会の神奈川県予選、鎌倉大学附属高校硬式野球部は健闘の末、甲子園への切符こそ手中に収められなかったもののベスト4という成果を残し、3年生”男子部員”は引退した。

「さぁ、私たちの夏はまだまだ続くよ!テッペン目指して行こう!」

 自分の檄にナインが応え、グラウンド上へ散らばっていく。

 男子との混合チームに選出されエースとして君臨する珠音、同じく控えながら堅実なプレーに定評のある伊志嶺まつりの負担軽減の意味合いも込めて、田中夏菜は3年生の春から女子班キャプテンに就任していた。

 野球部へはマネージャーとして加入した。

 理由は何か青春っぽいから。

 運動部に所属したからと言ってスポーツ経験が豊富なわけでもなく、運動神経に自信がある訳でもない。

 むしろ壊滅的とまで評価される自分に、"キャプテン"なんて大袈裟な役職が務まるのだろうか。

「運動部出身だっているんだし、別に私じゃなくても......」

 女子班結成から1年以上その役職にあった珠音から打診された時、夏菜は隠すことなく本音を漏らした。

 運動部の部長や主将、キャプテンを務める人材ともなれば、持ち前の技量やキャプテンシーをもって部員たちを引っ張れる存在であるべきだ。

 自身の考えに、珠音と共に現れた顧問兼監督の鬼頭とまつりも一定に納得した表情を見せる。

 主力の3年生は野球経験こそ入部以降と短いものの、厳しい練習を自らに課す珠音とまつりに触発されてぐんぐん技量を伸ばした運動部出身者であり、いつまでたってもへっぽこな自分よりも遥かに適任ではないだろうか。

「いや、私は夏菜しかいないと思っている」

 そんな後ろ向きな意見を、珠音は一蹴する。

「だって、このチームを作ったのは夏菜だから」

 あの時、自分が声をかけなかったら、

 あの時、友人と意見が合わなかったら、

 この強く凛とした瞳の友人は、間違いなく生まれなかった。

「――分かった」

 "観念した"と深く嘆息すると夏菜は申し出を承諾した。



 高校女子野球部の夏は長く、秋まで続くと言える。

 全国高等学校女子硬式野球選手権大会は8月上旬に終了するが、ここで優秀な成績を収めればプロアマ合同の女子野球ジャパンカップへの出場権を手にすることができる。

 ベンチウォーマーのキャプテンというのもやはり情けないと感じてしまうのだが、一歩引いた視点でいられるからこそ見えるものだってある。

 鎌倉大学附属高校硬式野球部女子班は、強い。

 先日、9月に開催される女子ワールドカップ日本代表に選出された絶対的エースの楓山珠音の存在はもとより、二遊間を守る伊志嶺まつりと糸口希望の守備力は群を抜いている。

 1学年下の後輩捕手と中堅手も珠音の存在を知って急遽志望校を変更してきた実力者であり、センターラインの強固さは女子野球界屈指といってもいいだろう。

 男子の練習にただ混じっただけではない、彼女たち自身の向上心の賜物だ。

「守備もいい緊張感を保てている。あとはピッチャーを打ち崩すだけだよ!」

 口ではどうとでも言える。

 内心、自嘲気味なことを考えながら、夏菜はキャプテンとしてチームメイトを鼓舞することにだけ集中する。

 珠音の活躍により衆目を集めた女子高校野球はチーム数が一気に増え、僅か2年で大会参加校は1.5倍にまで増えていた。

 ただ増えただけで実力が伴わないと言われればそうなのだろうが、これまで"先"がなく他競技に流れてしまっていた逸材に陽の目が当たり、大会全体のレベルも上がっている。

 現に、この決勝戦で相対する対戦校のエースピッチャーは女子高校野球の一般的な視点でなら非常に高い実力を持っており、鎌大附属打線は要所要所で決定打を放てないまま試合後半にまで差し掛かっていた。

「流れを引き込まないとな...」

 0-0で迎えた最終回を控え、監督の鬼頭はベンチでチームメイトを鼓舞する夏菜に視線を送る。

 先攻の鎌大附属が勝利するためには、是が非でも得点しなければならない。

 ましてや、エースの珠音は男子の大会も含めて連戦連騰であり、気丈に振舞っているとはいえ疲労は蓄積しているだろう。

「田中、代打だ!」

「分かりました。で、誰ですか?」

 主審への伝令を頼まれたのだと勘違いし、ベンチを飛び出そうとする夏菜を鬼頭が慌てて呼び止める。

「お前だ!」

「――え?」

 数秒間、コントのような掛け合いに、ベンチにいる女子部員たちが笑い声を上げる。

 鬼頭はこの瞬間、夏菜の打席結果がどうであれ、勝利を確信した。



 奇策とは結果を残せば名采配と評価され、失敗すれば愚策と叱責される。

「何とかなってよかった」

 夏菜はスコアボードに灯った"2"の文字を見て、ほっと胸を撫で下ろした。

 代打田中夏菜の迷采配に、対戦校はこれでもかと翻弄された。

 大会屈指の実力を誇る鎌大附属のキャプテンが登場し、ベンチは大いに勢いづいている。

 内野守備は強い打球を警戒してやや後ろに下がり、バッテリーは警戒して際どいコースばかりを選択した。

 視力だけには自信のある夏菜は際どい球を左打席から悠然と見送り、一度もスイングすることなくカウントは3ボール1ストライク。

「(えぇい、ままよ!)」

 やや甘いコースに投じられた5球目を、1年半かけてようやく様になってきたかなと言われる程度のスイングで強振すると、鈍い金属音とともに弱々しい打球が三塁線上へ転がった。

 意表を突かれた投手と三塁手が慌てて処理しようとして交錯し、無理な体勢から一塁手へ送球したことが祟って案の定暴投となり、走力"も"決して秀でているとは言えない夏菜は悠々と二塁ベースに到達した。

 明らかに浮足立つ対戦校を勢いに乗る鎌大附属が見逃すはずもなく、最終回にしてようやくの先取点をもぎ取った。

「それにしても......」

 夏菜はスコアボードに記載されたメンバー表に視線を移し、嘆息する。

「私が守備に、しかもセンターなんて練習でも入ったこと無いよ」

 田中と書かれた上に煌々と灯された"8"の文字。

 公式戦で守備についたのは初めて参加した大会以来、しかもその時はライトだった。

 両翼を経験者が固めているとはいえ、大事な局面で外野守備の司令塔的ポジションを正しく未経験者の自分に任せるなど、監督はいったい何を考えているのだろう。

「それにしても――」

 迷采配に心拍数を上げている最中、ふと気付くことがあった。

「みんなのことが、良く見えるなぁ」

 右打者に対してやや引っ張りを警戒して左中間寄りに位置をとると、やや前方に位置取りした両翼含めて全員が視界に収まった。

 吞気に口から漏れ出した言葉に苦笑しつつ、頼もしいエースの力投を特等席で見物する。

 先頭バッターは内角低めにズバリと決まった直球で見逃し三振。

 次のバッターは力無い打球を打ち上げてショートフライ。

 あとアウト1つで、鎌大附属硬式野球部はささやかながら優勝という栄冠を勝ち取ることができる。

「え、マジっ!?」

 金属音とともに上がった打球はあろうことか、自分の方向へと進んでくる。

 持ち前の視力は打球を正確に捉えると、自身の身体へ5~6歩ほど右斜め前方へ歩を進める判断を促してきた。

「オーライ!」

 大きく手を拡げて両翼を制し、グローブのポケット越しに打球を捉え、落下点と認識したポイントの2歩ほど後方で捕球体勢をとる。

 ズシリとポケットに収まった硬式球の感触を味わいつつ、初めて外野ノックを受けた時は顔面に痣を作ったことを思い出す。

 そんな自分が、優勝のウィニングボールをこの手で掴んでいるだなんて、想像したこともなかった。

 マウンド上に歓喜の輪ができており、夏菜は加わってボールを珠音へ手渡すべく近付いていく。

「ナイスピッチ」

 差し出されたボールを、珠音は首を振って固辞した。

「これは夏菜が持っていてよ」

「いや、でも――」

「いいからさ」

 差し出されたボールを強引に押し戻すと、珠音は夏菜の肩を叩く。

「夏菜のおかげでこのチームができたからこそ、私たちはこの舞台に来れたんだ。これは夏菜が持つべきだよ」

 あの時、自分が声をかけなかったら。

「さぁ、キャプテン。整列しよう!」

「――うん」

 前を行く頼もしい背中は、間違いなく存在しなかった。

 これから別世界を歩むであろうその背中は、例え近くでなくても見守ることができる。

 珠音のファンクラブ第1号の座は、間違いなく自分だ。

 夏菜はボールをしっかりと握りしめ、先行く背中を見守った。

Pixiv様にも投稿させていただいております。

https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=21051602

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