引かれた手で、その背を押して ―伊志嶺まつり―
鎌倉大学附属高校硬式野球部は、万全を期して夏大会に挑む。
伊志嶺まつりは春センバツ、春大会に続いてベンチ入りメンバーに名を連ねたが、なかなか試合への出場機会を得られないでいた。
だが、彼女の心に以前のような苛立ちはない。
むしろ誇りを胸に抱き、マウンドに立つ、自らを導いてくれた友人へと声援を送る。
振り返る度、顔が赤くなるのを実感する。
単なる暑さでも、恋煩いでもない、ただただ自身が餓鬼だったという恥。
あの時までの自分は、ただひたすら逃げていただけだった。
思い通りにならない現実に苛立ち、小さな子供のように癇癪を起していたにすぎず、ふと立ち返る度に自身の"幼さ"が恥ずかしくなる。
伊志嶺まつりは人とあまり関わらず、ストイックでクール。
高校入学後、チーム競技から陸上という個人競技に転向していた頃、自身が周囲へ与えていた印象を考えると、もはや滑稽にすら思える程だ。
「あなたの力を野球部に貸して欲しい」
自身へ手を差し伸べ、一度は挫折した硬式野球の舞台に導いてくれた彼女―楓山珠音―は、炎天下のマウンドに今日も立っている。
早々に現実逃避を決め込んだ自身とは異なり、珠音は公式戦出場の権利を勝ち取るために駆け続け、特例とされたものの高校硬式野球における女子選手の公式戦への選手登録は認められるに至り、自身は彼女とともに甲子園球場のグラウンドに選手として立った。
自分は彼女から、貰ってばかりだ。
「調子いい!あとアウト1つだよ!」
センバツと同じく夏大会でも自身はベンチメンバー入りを果たしたものの出場機会は限られ、この日も熱戦を繰り広げるグラウンドにベンチから声援を送る。
春以降、フィジカルのハンディを埋める珠音の投球術は更に磨きがかかり、限られた戦力で全国の強豪校と渡り合うために基本戦術としていた細かな継投も徐々に縮小していった。
「やっとレギュラーポジションで出場できるよ」
「そのまま別のポジションに移ってくれればよかったのに」
キャプテンで遊撃手を主戦場とする二神勇翔が継投の1枚として起用され、主軸打者として守備の負担を軽減させるために他のポジションを務めることも多く、彼がマウンドに上がる試合では守備力を評価された自身が代わりを務めていた。
つまるところ、珠音の成長と反比例するように自身の出場機会は減ったわけである。
「(でも不思議だ。昔は試合に出場できない悔しさなかったのに、今はチームメンバーとして一緒に戦えている誇りの方が大きい)」
夏大会で勝ち上がるべく、練り上げた戦略。
チーム一丸となって戦う術への理解度は高く、納得している自負がある。
伊志嶺まつりは正しく、"高校野球"を満喫していた。
青春時代が一際輝くのは、若さ故のエネルギー量が有限の時と狭い空間の中へ濃縮されて放出されるからではないだろうか。
自らが歩む幸せな時間が無限に続けばいいと願うのも、その時間が有限であることを理解しているから。
だからこそ、終わる時を一時でも遅らせようと必死にもがくし、勝っても負けても涙が溢れるのかもしれない。
「ランナー気にしないで、バッター集中!ここ抑えて、次の回に行くよ!」
まつりはベンチから、これでもかと声援を送る。
一歩でも前へ進むために。
一秒でも長くこの時を過ごすために。
鎌大附属メンバーはベンチ入りを問わず部員一丸男女問わず、春センバツ出場がマグレでないことを証明しようと、夏大会準決勝まで駒を進めてきた。
「サー......いや、ショート!!」
2アウトでランナーは2塁。
鈍い金属音とともに白球が力無く上がると同時に、2塁ランナーはグラウンドを全力で駆ける。
傍から見れば明らかに打ち取った打球が、三塁手の後方にポッカリと開いたスペースに向け力無く進む。
ショートを守るキャプテンの勇翔の打球反応は良かった。
だが、打球速度と守備位置の関係から見て、打球に追い付く可能性はかなり厳しく、同じポジションを主戦場とするからこそ試合に出場できていない、第三者として眺めるからこそ分かるものだろう。
「間に合う!」
それでも、まつりは自身の内に浮かんだ刹那の諦めを捨て去るように、キャプテンの背を押すべく声を出す。
前へ、前へ、前へ。
届け、届け、届け。
自身の左腕は、無意識下で前方へと伸びていた。
「......っ!」
眼前でポトリと、グラウンドへ白球が落ちる。
それと同時に、片方のアルプスは歓喜に沸き、もう片方の悔しさを噛み締める。
「ゲーム!」
両チームがホーム付近に整列し、主審の合図で礼を交わす。
敗者は夢の続きを見られぬ事実を受け止め現実に涙を流し、勝者は敗者の夢を受け取りさらに上へと突き進む。
だからこそ、世間はこの青春を美談として報じるのだろう。
美しきフィナーレを、輝かしきエンターテインメントとするために。
アルプススタンドの応援団に挨拶したあと、部員たちがそれぞれの表情で撤収作業を急ぐ中、チームの中心人物たる楓山珠音の姿は既に無かった。
「(珠音は、どんな表情をしているんだろう)」
ここ最近、巷で話題の中心たり続けた彼女を、報道記者は逃さないのだろう。
通路脇にできたインタビュースペースに群がる記者の隙間から見えた彼女の表情は、悔しさで硬く、やや険しさすら感じられた。
バスに戻り、まつりの隣りで窓際に座ったかと思えば、ずっと遠くを見つめて一言も声を発しない。
学校に戻り、部員たちは倉庫へ備品を運び入れる。
もうここに来て、グラウンドを駆け回ることはもうない。
その現実を考えているかどうかは分からないが、部員たちは皆一様に、無言を貫いた。
「お疲れ様」
全ての作業を終え、顧問と監督を兼ねる鬼頭を中心に円陣ができる。
「今日の一試合としての結果は残念だったが、それはこの1年間が否定されるわけではない。このチームは、このチームでしか成し得ないことをやり続けてきたんだ。このチームで、このメンバーで1年間戦えたこと、俺は誇りに思う」
ある者はすすり泣き、ある者は天を仰ぐ。
祭りのような日々の終わりを、思い思いに身に染みて伝わらせていた。
「(珠音は...)」
チーム一番の大柄男子の隣で、珠音は両手で握り拳を作り、小さく震えていた。
知り合ってから約1年半。
彼女は常に困難にぶち当たり、それを乗り越えてきた。
彼女がいなければ、このチームは成立しなかっただろう。
「――ありがとう」
まつりは思わず口に出た言葉に驚いたが、意を決し更に続ける。
「珠音、ありがとう!」
不意をついて投げかけられた感謝に、珠音の表情は正に鳩が豆鉄砲を食ったようだった。
「珠音がいなかったら、私は野球が嫌いになったままだった。ここまで連れて来てくれて、本当にありがとう!」
一度堰を切ってしまえば、あとは簡単だった。
想いそれぞれ違ったとしても、ベクトルは皆同じ。
内に秘めた想いを一身に浴び、珠音は俯く。
「珠音は――」
あの日。
野球を嫌いになろうとしていた自分に、彼女は手を差し伸べた。
素直になれない自分はそれを拒み続けたが、彼女は手を伸ばし続けてくれた。
そしてその手が届いた瞬間、もの凄い力で引き寄せられ、自身は再び野球と向き合えるようになった。
ならば、珠音が前に進めない瞬間があるならば、彼女に引かれた手でその背を押そう。
「珠音は、どう?」
珠音はこれまで、幾度も折れた気持ちを奮い立たせ、皆の先頭を駆け続けた。
自身の我が儘を貫き通すために、決して弱音を表に出さないよう気を付けていた。
そのことを、皆は知っている。
自分ができるのは、ほんの僅か、小さな小さなアプローチ。
優しくそっと触れた一押しは、我慢の堰を軽々と突き破る。
珠音は全ての想いを発露させたと共に、鎌倉大学附属高校硬式野球部の夏は終わりを告げた。
Pixiv様にも投稿させていただいております。
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=21005830




