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珠音いろ  作者: 今安ロキ
幕間 ―いろに染まり―
53/75

黄昏の下、白球は駆け続ける ―鍛冶屋茉穂1―

虫の音が木霊する田舎の夕暮れ。

西の地平線に太陽が沈もうとする時刻になっても、甲高い金属音がリズミカルに響き続ける。


楓山珠音との出会いを経て、鍛冶屋茉穂は再び前に進む決心をつける。

悩みや不安を振り払うようにバットを振り、放たれた打球はただひたすら真っすぐに、黄昏時のグラウンドを駆けていった。

黄昏の下、白球は駆け続ける ―鍛冶屋茉穂1―


 これほど心を揺り動かされたのは、いつ以来だろう。

 田舎の高校で幼い時から時間を共有する友達がリズムよくトスする古ぼけた白球を右打席から彼方へ打ち返しながら、浅黒く肌を焼いた少女―鍛冶屋茉穂―はふと沸いた感情に想いを馳せる。

 一時は自身の心に蓋をしていただけに、一心不乱にバットを振ってもまるで疲れないのも、心境の揺り戻しによるものなのだろうか。

「...あっ」

 練習のパートナーがカゴ一杯に入った硬球が空になったことに気が付き、周囲に響く甲高い金属音が止む。

 生徒数から考えれば広すぎるほどのグラウンドに散らばったボールを全て回収するのは、なかなかの手間である。

「いいよ、打っているのは私だし、香苗はここで待ってて。とりに行った先から送球練習もできるし」

「わかった」

 女子2人、男子に混ざって高校入学と同時に硬式野球部に加わっていたが、ついに最後まで大会に参加することはできなかった。

 自身は親の援助もあってクラブチームにも加わり試合に出場する機会も得ていたが、友人―久木香苗―は近隣の高校と稀に行う試合程度でしか試合経験がない。

 高校野球連盟の選手登録に関する規定によるもので、女子選手の公式戦出場は如何なる事情があっても認められていない。

「......よし!」

 グローブを右手にはめ、真っ先にレフト方向へと駆け出すと、まずは手近な場所に落ちる硬球を拾い上げる。

 本塁付近にはポケット付きネットが設置されており、それを捕手に見立てて送球する。

 低い弾道で投じられたボールは2、3度バウンドの後、ポケットに入らずネット部分にぶつかって僅かに跳ね返る。

「(次!)」

 グラウンドをレフトからライト方向へ、手近な球の近くへダッシュ、本塁へ送球を繰り返す。

 ボールはポケットに入ることもあれば、検討違いの場所にいってしまうこともあった。

 外野手である茉穂ならば、外野のどこからでも一様な送球技術が必要であり、得手不得手など言ってられない。

「......こんなんじゃ、追いつけない!」

 ましてや、自身はプロになりたいのだから。

 茉穂は最後の一球の軌跡を見届け、大きく息を吐き出した。



 鍛冶屋茉穂は、夢を諦めた。

 幼馴染のケガが原因で沈んだ心は、太陽のように力強い年下の少女によって引き上げられた。

 少女の名前は楓山珠音。

 神奈川県の高校に通う硬式野球部に所属する女子選手であり、連盟規定を改正させて公式戦出場を目指している。

 以前にインタビューを受けた学生記者―立花真香―の紹介で出会った彼女に誘われた野球部の練習で、彼女の覚悟をまざまざと感じさせられた。

 例え埃を被ったものであっても、長く続く"伝統"を守るべく変革を拒むものである。

 自分のワガママを突き通す方が、この場合は"悪"と捉えられてしまうのかもしれない。

 それでも、彼女のワガママは周囲を支え、憧れとなり、誇りを与えていた。

「また、対戦したい」

 彼女は自分の全てをもって、自分に向かって来てくれた。

 自分もクラブチームで封印した"右打ち"で彼女の投球を打ち返せたのは、ちょっとしたビギナーズラックだろう。

「鈍った感覚を取り戻さないと」

 左投右打はもったいない。

 男子の中でも生き残れるようにと提案してくれたコーチの薦めもあって必死に練習した左打ちも、それはそれで武器になるだろう。

 自身のセンスも相まってか特段不得手という感覚はないが、何より必死に足掻いた日々を忘れたくない思いもある。

 だがそれ以上に、常に全力で前進し続ける彼女との勝負に、小手先の技術では勝ち続けられない思いがあった。

 珠音に対するならば、僅かにでも後悔のない選択をしたい。

 封印を解く決断など、茉穂には容易いことだった。

「香苗、もうちょっと時間いい?」

 全ての打球を回収し、カゴに戻す。

 陽は西方、東京湾の向こう側へ沈み、辺りは段々と暗くなってくる。

 田舎の学校に夜間練習の設備が充実しておらず、蛍光灯が本塁付近に数本設置されている程度だった。

「最初からそのつもりだよ。茉穂には私の夢も預けたんだし、ルンルンでバットを振ってるのを止めるなんて、そんな野暮なことできないよ」

 幼馴染は親指を突き上げ、了承を合図する。

「サンキュ!終わったらうちに寄って、お母さんが夕飯作って待ってるって!」

「やった!」

 鞄に入れていたスマートフォンに届いたメッセージを見せると、茉穂は一度深呼吸して集中力を高める。

 プロテストのトライアウトまで、もう時間は殆どない。

「ワンセット!」

 再び響くリズミカルな金属音は、まるで行進曲のように聞こえてくる。

 打ち放たれた打球は黄昏時に紛れ込み、さながら"先のことなど誰にも分からない"と暗示しているかのようにも感じられる。

 ただ、"一寸先は闇"という訳ではない。

 僅かにでも先が見せるのならば、前に進むのみ。

 なぜなら、茉穂は振り返る恐怖を克服し、夢の追い駆け方を思い出したのだから。

「ラスト!」

 憧れた後輩の背中を思い浮かべながらバットを鋭く振りぬく。

 放たれた打球はまるで茉穂の進む道を示すかのように、真っ直ぐ力強い球足で薄暗いグラウンドを駆けて行った。

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