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珠音いろ  作者: 今安ロキ
第1章 高校野球編
51/75

9回表 ―珠音いろ― 3.風は吹く

プロ注目投手をなかなか攻略できず、鎌大附属ナインはアウトを積み重ねてしまう。

珠音とまつり、今大会を盛り上げる女子選手2人が喰い下がって得たチャンスに、浩平は集中力を研ぎ澄まして打席に入る。


珠音いろに染まる鎌大附属硬式野球部。

その先頭を駆ける珠音の背は、仲間たちが支えている。

前に立ち続ける彼女の大勝負を多くの人々が見守り、その想いを受け取った。

3.風は吹く


 プロ注目左腕の壁は、食い下がる鎌大附属打線を蹴散らしにかかった。

 7番から始まる8回裏の攻撃で、鬼頭は先頭の髙橋と次打者の小林に代打としてそれぞれ大野、新妻を送るが、粘りを見せこそしたものの最終的には打ち取られてしまう。

 エース古賀の登板以降、鎌大附属打線は安打一本どころか、ただ一度の出塁すら許されていない。

「9番ショート、伊志嶺さん」

 2アウトと追い込まれた状況で、まつりはそのまま打席に向かう。

 彼女の守備力は代えがたい存在で、たとえ打ち取られたところで次は1番から始まる好打順となることを見越した采配だろう。

「(でも、今1番に入っているのは珠音。アウトになっても先頭からって思えば気楽だけど、私がここで出れば珠音が打ち取られたとしても、9回裏は土浦から始まる。最少失点差なら、私が出塁できれば遥かに得点の可能性は上がる)」

 まつりは打席に入り、大きく深呼吸して思考を整える。

「(さっきはどん詰まりのファーストフライで、完全に力負けした。悔しいけど、このレベルの投手が相手だと、男女差は大人と子供くらいの差といっても過言では無いわね)」

「ストライク!」

 古賀は攻め易しと見たか、150km/hを超える剛速球を真ん中に放り込んでくる。

 まつりはそれを見逃し、改めて息を吐き出す。

「(私が出塁すればピッチャーも動揺するだろうし、勝つ確率は確実に上がる。そして万が一、珠音も続いてくれれば、その確率はグンと上がるハズ)」

「ボール!」

 今度は力が入ったのかボールがやや上ずり、ストライクゾーンを外れる。小柄でストライクゾーンが狭いだけに、やや投げ辛さを感じているのかもしれない。

 電光掲示板に表示された球速は152km/hで、女子野球の大会で対戦した投手よりも40km/h近く速い。

「(ボールは低めに集まっているし、センター返しだと球威に負けて、たぶん二遊間に難なく取られる。下手に一二塁間を狙った所で、前の打席みたいに詰まらされるだけか)」

 思考が研ぎ澄まされ、相手の投球動作がゆっくりと動いて見える。

「(なら、一か八か)」

 まつりはいつもよりほんの気持ちだけ早く始動し、3球目として投じられたこの日最速の153km/hの直球を思い切り振りぬく。

「(この場合、私のヒットゾーンは三塁後方!)」

 詰まった打球への対応策としてやや前方にポジションを移動していた三塁手の頭上を超えた打球が、内野の土と外野の芝生の境目付近に捕球されることなく落着する。

「うわぁ、打てた!」

 大会史上初の女子選手による"安打"を記録し、一塁ベース上で満面の笑みを浮かべる姿に、お祭り騒ぎの一塁側アルプススタンドから大声援が送られる。

「くっそ!」

 この試合で始めての出塁を許した古賀は、よもや女子選手に安打を許すことなど考えもしていなかったのだろうか、マウンド上で明らかな動揺を見せている。

 捕手が見かねてタイムをとり、古賀を中心にマウンド上で輪ができていた。

「私の役目は果たせたね。いっけー、珠音!」

 自陣が歓喜に沸く中、次打者の珠音は打席に入る前にも関わらず悔しそうな表情を浮かべていた。

「私が先にヒットを打ってやろうと思っていたのに!」

「前の試合で2三振の奴が何を言っているんだ」

 バットを振り回す珠音に、浩平が呆れて溜め息をつく。

 暫くしてマウンドの輪が解かれると、珠音が滑り止めを付けて左打席に向かっていく。

「(ここで私が凡退しても、次は浩平から。でも、そんな消極的な姿勢じゃダメだよね)」

 珠音は打席から古賀を観察する。

 動揺は表向き収まっているようにも見えるが、所作に落ち着きの無さが垣間見える。

「(次のイニングに得点する可能性は、まつりが出塁してくれたおかげで確実に上がった。でも、次の回に得点をあげる確率よりも、私が出塁してこの回に得点できる確率の方が絶対に上だ!)」

 古賀の投球を見極め、打てそうな球を待っているうちにカウントは2ボール2ストライク。そこから3球ファールで粘り、向かえた8球目。

「(ここだ!)」

 投球の瞬間に"しまった!"とでも言いたげな表情を見せた古賀の投球が、高めのギリギリボールゾーンに真っすぐ放たれる。

 見逃せば恐らくボールと判定されるだろう投球を、珠音は小さな身体全体を使って振り抜く。バットのやや根元で弾き返された打球が三塁ベースの後方、やはり詰まった打球を警戒した三塁手の後方にポトリと落ちるテキサスヒットになった。

「おっしゃー!続け浩平!」

 一塁コーチャーとハイタッチを交わし、珠音が喜びを爆発させ、次打者に檄を送る。

「簡単に言ってくれるよ」

「2番キャッチャー、土浦くん」

 状況は2アウト一二塁。ここにきて、鬼頭の采配が的中する。

 女子選手二人の出塁により流れを引き寄せつつあるところで、打席には部内一番の強打者が打席に向かう。

 もちろん、相手バッテリーとしては敬遠策も十分に考えられるが、次打者もこの日タイムリーヒットを放っている大庭である。

 何より"格下"相手に敬遠策を採るよりも、目の前の打者を抑え込む方が試合の勝率は高くなるだろうし、そもそも強豪校バッテリーの矜持がそれを許さなかった。

 打席に入る浩平へ、一塁側アルプススタンドから自作応援曲の"珠音いろ"が送られる。

「(ここで打たなきゃ負けるし、そもそも珠音に何を言われることやら)」

 内角に食い込んできたボール球のスライダーを悠々と見逃し、外野の守備位置を確認して一度思案を巡らせてから、再び集中力を高める。

「(外野は前進守備で、伊志嶺の本塁突入を阻止しようとしている。同点に追いつくためにも、長打コースに運ばないといけない)」

 続く2球目は外角低めにスライダーが決まり、カウントは1ボール1ストライク。

「(スライダーを2球続けて、初球はインコースで球種の意識付け。2球目は引っかけてくれればいい程度で外角に同じ球種を見せて、コースの意識付けだろう。ならば、俺なら)」

 浩平は捕手目線での配球考察から、次の球種を読む。

 古賀の制球はこの打席では比較的安定しているように感じられ、相手捕手と浩平の配球が同じならば読み通りの場所に3球目が投じられるだろう。

「(きた!)」

 投じられたのは高めやや真ん中よりにズレた直球。

 応援曲にも記された"珠音いろ"に最も染まる女房役が振り抜いたバットは、150km/hを記録した直球を左中間方向へ鮮やかに弾き返す。

「回れ回れ!」

 大庭の賑やかな声がグラウンドに響き、まつりが全力疾走で三塁ベースを蹴る。同点は確実だ。

「カット二枚入れ!バックホーム!」

 相手捕手の有田が、中継に入る内野手に指示を送る。

 ようやく打球に追いついた中堅手が振り向くと、一塁走者の珠音が減速する素振りを見せずに三塁へ向かっており、三塁コーチャーは大きく腕を回していた。

 慌てて外野へ駆けて行った遊撃手へ送球し、遊撃手は2枚目のカットマンとして内外野の境目付近に立つ二塁手へ送球する。

「ホーム!」

 あくまで"女子選手"としては俊足の部類とも言える珠音だが、スプリンターではない。

 男子競技では並以下の脚力では、本塁突入のタイミングと二塁手からのバックホームを捕手が受け取るタイミングがほぼ同時だろう。

 判定は正しく五分五分といった所か。

「届け!」

 ホームの向こう側では、まつりが"滑り込む"よう指示を送っているのが確認できる。

 珠音は若干縺れそうになる下半身を奮い立たせ、投手にも関わらずホームベースを目掛けて文字通り"飛び込んで"いく。

 二塁手が正確な送球を受け取り、捕手が珠音を阻止すべくホームベースへ伸びた利き手にキャッチャーミットをはめた左腕を伸ばす。

 珠音により舞い上がった土煙の下、球審は捕手有田のキャッチャーミットの"下"に珠音の左手が位置していること、続けてその手がしっかりとホームベースを触れていることを確認し、生還が認められた。

「......セーフ!」

「よっしゃ!」

 主審の判定を受け、ユニフォームを泥だらけにした珠音が飛び上がり、飛び込む直前から判定の瞬間まで愕然とした表情を見せていたまつりと抱き合って、喜びを表現する。

 投手の生命線とも言える利き手を突き出した決死のプレーの甲斐もあり、鎌大附属は土壇場で試合をひっくり返すことに成功した。



 珠音はユニフォームの前面を真っ黒に汚したまま9回表のマウンドに上がり、マウンドに立ち寄った浩平と言葉を交わす。

「ホント、大丈夫なのか?」

「全然ヘッチャラ!」

 心配そうな表情の浩平に対し、土汚れを軽く払いながらコンディションは万全だとアピールする。

 珠音の本塁生還も束の間、三塁まで進塁していた浩平もホームに返そうと息巻いた三番打者の大庭はあっけなく凡退し、珠音に息つく暇を与えることができなかった。

 キャッチャーボックスに向かう背中を見送りつつ、誰にも気づかれないよう小さく息を吐き出す。

「ヘッチャラとは言ったけど、あれだけ走った直後だからね。少し呼吸を整えないと...」

 投球動作は全身の筋肉を連動させて行うものであり、全力疾走により一部が疲弊した状態だとパフォーマンスが落ちる可能性も十分に考えられる。

 男子と比べて一般的に肉体疲労の回復が遅いと言われる女子の身体で、尚且つ常に身体能力で勝る相手に勝負を挑まなくてはならない状態である。

 万全な状態を維持してようやく食らいついていける相手に、半端な状態で立ち向かうことは無謀と言われてもおかしくはない。

 この回の先頭打者がクリーンナップの一角を務める3番打者なら、猶更である。

「このマウンドは譲りたくない。私の手で、この試合に勝ってみせる」

 もう一度、短く息を吐き出すと、一球一球を大切に、身体の状態を確かめながら投球練習を行う。

「プレイ!」

 規定数を投げ終え、捕手から二塁ベースへの送球。続いて、内野のボール回しが終わり珠音の下へボールが返球されると、主審の合図で9回表が開始される。

「あと、アウト3つ」

 勝利を収めるまでに必要なアウトカウントを思い描き、珠音は浩平の構えたミットを目掛けて全力で投げ込む。

「(しまった!)」

 身体の疲労が残っていたか、甘めのコースに投じられた投球が甲高い金属音と共に弾き返され、弾丸のような打球が真っすぐ珠音の身体を目掛けて突き進む。

「うわっ!」

 咄嗟に進路上にグローブを差し出しつつ身体を翻して打球を交わす。

 珠音の倒れ込んだ姿に球場は一瞬静寂に包まれるが、直後大きな歓声に包まれる。

「あれ、どこいった!」

 珠音は地面に打ち付けた右腕を気にすることなく、打球の行く先を探す。

 しかし、自分の周囲を見渡し何処を探しても白球は見当たらない。

「アウト!」

「......へっ?」

 駆け寄ってきた主審が珠音のグローブの中を確認すると、そこには珠音の探し求める白球が収まっていた。

 完全捕球を確認しアウトが宣告されると、球場は大いに盛り上がる。

「捕ったのに気が付かなかったのかよ」

「いやー、かわすのに必死だったもので。1回みたいに、捕ったより入ったって感じかな」

「身体は大丈夫か?」

 浩平が呆れた様子で駆け寄り、打ち付けた身体を心配する。

 受け身をしっかりと取ることができていなかった身体の右側に黒い土汚れが付着しており、もろに衝撃を受けたに違いがない。

「取り敢えずは大丈夫かな」

「......分かった。少しでも違和感を感じたら、隠さず言うんだぞ」

「分かったよ"お母さん"」

 心配性な女房役を追い返し、珠音はグローブをはめた右腕を大きく回す。

顔を若干しかめたことに浩平は長年連れ添った女房役だけに、本当は気が付いているのかもしれない。

「(痛いだなんて言ったら、マウンドから降ろされちゃう)」

 チラリと一塁側ベンチを見ると、ベンチに残った控え投手の小川が肩を作り始めている。珠音の前に登板した二神もまだレフトのポジションにおり、軽くウォーミングアップをしているようにも見える。

 地面に着地した際、右肩に走った痛みは違和感として残っているが、珠音としてはどうしても最後までマウンドに立ち続けたかった。

「(私の我が儘に皆が付いて来てくれたから、私はここに立てている。皆に立たせてもらえたマウンドを、簡単に降りたくなんてない)」

 この一年、"珠音いろ"に染まってきたチームメイトから寄せられた信頼に応えたい。

 珠音の頭は、その思いで一杯だった。

 しかし、珠音の強い思いをよそに、続く4番の堤、5番の古賀の打球が内野の守備網を破っていく。

 アウトカウントは1つで、三塁に同点の走者、一塁に逆転の走者が立つ。

「内野ホームバック!バッター集中!」

 打席に6番打者を迎えるタイミングで浩平から守備陣へ送られた指示は、二塁併殺を考慮せず、1点を死守する前進守備。

「ストライク!」

 初球の緩いカーブは簡単に見逃され、無警戒の一塁走者はガラ空きの二塁ベースを悠々手中に収める。

 これで内野を抜ければ、逆転を許す状況が訪れる。

「打たせてたまるもんか」

 だからこそ、鎌大附属ナインは相手の作戦を"強攻策"と考えていた。

 呼吸を整えた珠音が投球動作を開始した瞬間、三塁を守る大庭が大声を出す。

「走った!」

 190cm近い巨体を持つ三塁ランナーの堤がスタートを切り、"左打者"の6番有田がバットをベース上へ水平に構える。

「(しまった!)」

「(浩平なら、捕ってくれる!)」

 相手打者を詰まらせるべくインコースに構えていた浩平の対応が遅れる中、珠音は誰もいない右打席に向け高めのボールを投じる。

 正面から見る限り、打者と捕手がボールに向かって同時に飛び込み、鈍い金属音と共に打球が三塁線上へ"舞い上がる"。

「オーライ!」

 倒れ込む浩平に代わり、投球直後より三塁側へ身体を動かし始めていた珠音が落下点に向け猛然と突き進む。

「届け!」

 小さな身体を大きく伸ばして突き出したグローブの先端に、ボールが引っかかる。

「やっ――」

 その光景を最後まで確認する前に、珠音の視界は衝撃と共に暗転した。



 勝敗を決する重要局面で大いに盛り上がりを見せていた球場が、予期せぬ事態に静まり返る。

 スクイズを試みた有田の打球は完璧なスタートを切った堤の走路上への小飛球となり、ノーバウンドでの捕球を試みた珠音も同じく走路上へその身を晒すこととなった。

 珠音が捕球可能と判断した堤は三塁ベースへの帰還を試み急停止をかけるが間に合わず、予期せぬ接触プレイが発生してしまう。

 既に主審による判定で珠音の完全捕球と三塁走者への咄嗟のタッチプレイによる併殺成立が認められており、アウトカウントは3。

 つまり、9回表は終了し、鎌大附属は最終スコア3対2での勝利を確定させている。

「た、珠音!?」

 慌てて駆け寄る浩平に続き、血相を欠いた鬼頭と筑前商業監督の西郷が、うつ伏せに倒れ込む珠音の様子を確認しに来る。

 特に体格差のある2人が衝突した様子は、さながらトラックと軽自動車による交通事故とでも表現できるだろうか。

 プロ野球にも選手同士の接触プレーにより、日常生活すら危うくなりかける程の大怪我を負った選手も過去には存在する。

 女子選手の出場を特例で認めた最初の大会で起こり得る最悪の事態が、こうして目の前で起ころうとしている。

「珠音、大丈夫か!?」

 珠音の無事を心配そうに見守るチームメイトの視線の中心で、女房役が珠音の肩を揺らそうとした瞬間だった。

「し、死ぬかと思ったーーっ!」

 緊迫した雰囲気をぶち壊すように、ユニフォームどころか顔面まで真っ黒に染め上げた珠音が勢いよく上体を起こし、あろうことか珠音の頭と浩平の顎が衝突する。

『――っ!』

 悶絶する2人を見て緊張が一気に解けたのか、心配して集まった面々にも笑みが戻る。

 続いて珠音が立ち上がり、球場に集まった観客からも無事が確認できると、スタンドからは割れんばかりの拍手が送られてきた。

 珠音の身体に異常がないことを確認すると、両チームがホームベースを挟んで整列して主審より"ゲームセット"が告げられると、両チームの選手が握手を交わす。

 先程まで顔面蒼白といった表情を見せていた堤に珠音が笑いかけた後、勝者はバックスクリーンに向かって整列し、校歌を斉唱する。

 駆け付けた一塁側アルプススタンドの応援団への挨拶を終えると、鎌大附属ナインは次戦のチームにベンチを開け渡すべく、慌ただしく撤収していく。

「何か、ホントに勝てたんだね」

 顔についた土を落とすのも忘れ、珠音は浩平とクールダウンのキャッチボールを行う。

「身体は本当に大丈夫か?」

「......正直、分からない。後から来るかも」

 アドレナリンの分泌で、痛みを感じにくくなっているだけかもしれない。

 少なくとも、受け身をとれた自信は全く無かった。

「試合には勝った。でも、私にはもう一戦残されている」

 珠音は最後に緩く1球を投じると、浩平と共にチームメイトを追う。

「勝負を決めよう」

「うん、頑張る」

 珠音はユニフォームに着いた土汚れをできる限り落とす。

 真っ黒なユニフォームは、本来の白地が確認できる程度には回復した。



 結論から言えば、珠音の言う"もう一戦"の勝敗は、珠音の圧勝に終わった。

 勝利を収めた鎌大附属ナインに駆け寄る報道陣に、監督の鬼頭とキャプテンの二神の他、この日の勝利の立役者とされた珠音、浩平、まつりの3人が対応する。

 土汚れの目立つユニフォームに身を包み、顔に砂埃が付いたままの少女は真剣に、時に屈託の無い笑顔でインタビューに応える姿は、多くの人に好感を与えた。

 中には珠音とまつりの取材記事に対し、"学校の売名行為""新聞社の人気取り""大した活躍もしていないのにチヤホヤされている"など謂れの無い批判をかき鳴らす輩もいない訳ではなかったが、圧倒的多数の称賛によりあっさりとかき消された。

 事実として、珠音は2試合を投げ計9イニングを無失点に抑えたばかりか、まつりと共に男子選手が打ちあぐねた筑前商業エースの古賀の投球に食らいつき、逆転の口火を切る安打を放っている。

 さらには攻守交代後の登板を控えているにも関わらず、一塁から激走を見せて逆転のホームを勝ち取り、危険を顧みずに小飛球に飛び込んで文字通り勝利をもぎ取った姿は、世間から称賛を得るに相応しいものだった。

「彼女は一野球選手として、常に高い意識を持って練習し、本番でもその成果を十二分に発揮した。勝利を掴み取るために全力で野球に取り組む姿勢には、我々教育に関わる者としても、教えられる思いです。私見ですが、彼女は続く者のなかなか現れない、正しく不世出の存在でしょう。先に立つ者は特異な存在を排除するのではなく、個性を受け入れ、認め、更なる発展へと導き、共に歩み、成果を喜び合うための努力を忘れてはならない。私は彼女と出会った経験から、そう強く、心に刻みました」

 有力新聞社のベテラン記者に珠音の印象について応えた鬼頭は、更にこう続けた。

「願わくば、彼女の事は"特例出場選手"とも"女子選手"とも呼ばないであげて欲しい。彼女を形容するために余計な言葉はいらないと考えています。ただ、"高校球児"とだけ、表現してあげて下さい」

 結果的に見れば、翌日以降の記事には"甲子園のアイドル"だの"白球小町"だの、各紙はこぞって珠音に好き勝手なあだ名をつけ始める始末で、新聞各社に鬼頭の思いは伝わらなかった。

「やれやれ、数学教師にこんな詩的な表現をされてしまっては、国語教師の立つ瀬がないじゃないか」

 新聞を開きながら、激励に訪れた谷本が缶コーヒーを嗜む鬼頭を揶揄う。

 鬼頭の言葉は完全に無視された訳ではない。

 目立たない者のとある有力新聞社の社説に小さく掲載され、多くの賛同を集めた。

「結局、"球界のジャンヌ・ダルク"が一番人気だったけどね」

 最終的には一番最初についた渾名に落ち着き、珠音は"炎上したくない"と溜め息をついたが、それはまた別の話である。


 

 後年、立花の手により、珠音の活躍は一冊の書籍に纏められる。

「甲子園球場に"珠音いろ"の風が吹き、自らの手で勝利を掴み取ったあの日、"野球選手"楓山珠音が誕生した」

 冒頭この一文から始まる書籍の名は"珠音いろ"。

 プロ野球トップリーグに誕生した史上初の女子選手―楓山珠音―の大河ドラマは、まだ始まったばかりである。

Pixiv様にも投稿させて頂いております。

https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=20223110

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