1回裏 ―始まり― 2.見学
珠音と浩平は鬼頭に連れられ、グラウンドで練習する硬式野球部を見学する。
一回り以上は身体の大きい高校生の力強さに若干面食らうも、自分たちよりも高いレベルのプレイに2人は心躍らせる。
鬼頭の発案でブルペンを借りた2人は、息の合った投球練習を見せる。
"老夫婦"とも評された2人の姿を、鬼頭は満足そうに見つめていた。
Pixiv小説様にも、投稿させていただいております。
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2.見学
鬼頭がグラウンドに足を踏み入れるのを確認すると、部員たちが練習の手を止め揃った挨拶をする。
挨拶の仕方は違えど、どこの学校も文化は同じなようだ。
「集合!」
キャプテンの合図で部員が鬼頭の元に集まってくる。
「事前に伝えた通り、今日は見学者が来ている。いい所を見せようと張り切るのはいいが、無茶をしないように」
『はいっ!』
集まった面々の中には珠音の見知った顔もいる。小さな市で同じ競技に取り組む者どうし、世間は狭い。
再開された練習を間近に見ながら、その動きに感服する。
「やっぱり、力強い......」
練習内容は変わらないのに、動きの速さと力強さは中学野球とは段違いである。
身長はそこまで変わらないのに、身体は2周り程大きく見える。
「自信なくしたか?」
「......ちょっとね」
自分がこれから挑もうとしている世界。
珠音はその一端に触れ、聳え立つ障害の大きさを改めて思い知らされる。
これでまだ中堅校と言えるかどうかの高校である。強豪校を相手に、自分はどこまで渡り合えるのだろうか。
「でも、楽しみ」
少々の小細工は、パワーで粉砕されてしまう。
如何に障害を乗り越えるか、想像するだけで珠音の顔から自然と笑みがこぼれる。
自ら"ハードルは高い方が乗り越えがいがある"と発するだけのことはある。
「......何?」
そんな珠音の表情を観察していた浩平は、逞しさを感じていた。
同性ですら圧倒される光景に、珠音は笑みを見せる。
「すげぇな、お前」
口から出た言葉に、噓偽りは寸分足りとも混ざっていない。
「今更気が付いたの?」
あっけらかんとした珠音の姿に、浩平は称賛を込めた溜め息を送った。
「2人とも、ちょっといいか?」
鬼頭に声をかけられ、応える前に硬球が投げ渡される。
「硬球を扱った経験はないんだったな?」
「はい、基本的には。キャッチボールで少しだけってところです」
中空でゴム製の軟式球と比べ、硬式球はコルクとゴムを芯として糸を巻き付け、表面に革を縫い付けた構造をしている。
近年改良が進められたものの、軽い軟式球は空気抵抗を受けるため失速しやすく、球速や打球の飛距離が出しづらい傾向がある。
「スライダー曲がるかなぁ」
「投げる気満々じゃねぇか」
投手視点で見れば、軟式から硬式へ転向する際に変化球の質が大きく変わってしまうこともある。
とはいえ、投じられたボールが変化する原理は変わらない。
2人は軽く肩慣らしをすると、制服姿のままブルペンへ鬼頭に連れられる。
「あぁ、ジャージに着替えるか?」
鬼頭が今更になって、珠音の服装に失念していたことを思い出す。
華の女子中学生に、制服姿で本気の投球動作をさせるのは如何なものか。
「いえ、大丈夫っす。下にスパッツ履いているんで」
何を思ったか、珠音はスカートをたくし上げようとする。
「俺らを犯罪者にしないでくれ」
「お前は恥じらいを覚えろ」
その場の男性陣から向けられた呆れの視線も、珠音は特に気にした素振りを見せない。
中学生ながら”男社会”に順応しすぎているのも、如何なものだろうか。
「うっし、じゃあ、いっちょやってみますかぁ」
肩慣らしのキャッチボールを終えると、珠音はぐるぐると左腕を振り回し、意気揚々と投球動作に入る。
「スパイク履いてないどころかスニーカーですらないんだし、無茶すんなよ」
グローブをはめた右腕とボールが握られた左腕が振りかぶられ、ローファーを履いた右脚が高く上がる。
チラリと見えたスパッツに目もくれず、浩平は細い左腕の先端に握られた白球にのみ意識を集中する。
「もっちのろん!!」
力強く踏み出された右脚がマウンドへ体重を伝え、左腕から投じられた白球は一条の筋を描き、"古女房"の構えたミットに小気味よい音を立てて収まる。
「ナイスボール」
「んー、ちょっとズレたか」
珠音が"ズレた"と言ったのは、踏み出した右脚が着地の際に僅かに滑ったことを差したのか、浩平の構えたミットが上方へ僅かに動いたことを示したのか。
浩平から返球を受け取ると、珠音は汗を軽く拭い、再び構えられたミットをジッと見つめる。
「いくよ」
珠音の声に、浩平はミットの内側を右手で叩いて応える。
続いて投じられた白球は、浩平のミットを動かすことなく包み込まれる。
「いい感じ!」
久し振りに思い切り身体を動かしたからか、珠音はいくらか興奮した様子を見せる。
「次、スライダー!」
「おっけ!」
浩平に指定された球種を次々と投げ込む。
本格的に硬球に触れることが初めてということもあり、幾度か違和感を覚えたよう表情を見せるが、その次にはすぐ修正した投球を披露する。
「すごいな」
鬼頭は、自分が独り言を漏らしたことに気が付かなかった。
男子選手であったとしても、なかなかできる仕業ではない。
「あまり投げ込みすぎないようにな。本格的に投げるのは初めてなんだから」
「分かってます」
「うっし、ラスト5!」
浩平と示し合わせ、珠音は若干の名残惜しさも込めて投球を続ける。
「ラスト!」
この投球を最後に、珠音はまたしばらく野球ができなくなる。
思い残すことがないように投じた最後の一球は若干高めに上ずったが、この日一番の威力が込められた。
「もったいないな」
「私もそう思っています」
終始、その様子を見守っていた鬼頭の独白に、桜井が反応する。
「私は、彼女に別の競技へ転向するよう勧めていました。それが、彼女のためになると」
桜井は苦笑する。
「ですが、私は見当違いをしていたようです。子供たちの価値を大人が決めつけてはいけませんね」
「全くですね、私も改めて教えられた思いです」
顧問を担当すると、場合によっては家族よりも長い時間を一緒に過ごすこともある。
「子ども達を指導する立場でありながら、反対に教えられることも多い。この教師という仕事、辞めたいと思うことも多いが、それと同じくらい面白くやりがいを感じられるあたり、私にとって天職なのかもしれません」
珠音と浩平がクールダウンする様子を眺めながら、鬼頭は考えていた。
この2人が輝ける場所を、どうにかして作れないものかと。
「これは面白くなりそうだ」
まだ無事に入学してくるかも分からない2人の姿は、鬼頭の目にハッキリと焼き付いた。
そして同時に、これだけ息の合った2人が公式戦でバッテリーを組む姿を見られないことに、鬼頭は心から残念に思った。
練習見学を終えて鬼頭ら野球部員に挨拶すると、桜井に連れられた珠音と浩平は少々物足りなさそうな表情を引っ提げて帰路につく。
「やっぱ重いなぁ。それに、上手く"曲がらない"」
「そりゃ、軟球と硬球じゃ全然違うしな」
「ここから調整しないとね」
「既に入部前提のようだが、その前に2人とも、ちゃんと合格してくれよ」
久し振りに身体を動かし野球談議へ花を咲かせるティーン2人に、ややお疲れ気味の桜井が釘を差す。
『はーい』
糠に釘とはこのことかと、国語教師の桜井は溜め息をつく。
生返事の主たちは、先人の言葉に意識を向けることなく野球談議に花を咲かせている。
「やれやれ、だ」
しかし、嫌な気分にはならない。
話に満開の花を咲かせている2人の表情は、夏の日差しを受ける向日葵よりも燦々と輝いていた。
珠音と浩平が後輩の練習を手伝いつつ受験に備えて夏期講習をこなしていると、例年よりもやや長く感じた夏休みはあっという間に過ぎ去っていた。
「結果どうだった?」
「まぁまぁ」
夏前には各部活の話で盛り上がっていたクラスメイトたちも、夏休みが明けて1ヶ月が経つ頃には模試の結果に一喜一憂するようになっていた。
無論、珠音と浩平も例に漏れることは無い。
「そう言う割には、表情にやにやしてんじゃん」
珠音が浩平の模試結果を奪い取ると、鎌倉大学附属高校の合否判定を示す欄には「B」の文字が記されていた。
この調子で継続すれば、高い確率で合格できるだろう。
「ほー、なかなかに順調そうではないかね!」
「そう言うお前はどうなんだ。俺の結果を見せたんだし、お前のも見せろよ」
上から目線の物言いに若干不機嫌な声色で返し、浩平は珠音の成績表を奪い取る。
「......お前がそういう女だってこと、思い出したよ」
合否判定に記された「A」の文字。
少なくともスポーツ万能な彼女は、学業においても学年では上位に割り込んでいる。
浩平もそれなりに上位を伺うポジションを維持しているとはいえ、これまで成績で珠音に勝ったことは一度もない。
その都度、得意げな表情を見せる珠音から煮え湯を飲まされていた。
「あーそういやさ、明後日は暇だよね?」
「あ?」
どうにかして鼻を明かしてやろうと思案に耽っていた浩平は、珠音の誘いに思わず不機嫌な返答をしてしまった。
「まぁ、確かに塾ないな」
2人は同じ学習塾で同じ授業を履修しており、互いに放課後の予定は熟知している。
「兄ちゃんが週末にかけて帰ってくるんだけど、どうする?来る?」
「うぉ、マジか!行く行く!話聞いてみたい!」
珠音は年の離れた兄がいる。
前年秋にドラフト指名されたプロ野球球団に大学卒で入団して以来、ルーキーシーズンとなった今年からチームの本拠地がある静岡県に居を移していた。
シーズンが終了し秋季練習が開始されるまでの余暇を実家で過ごす算段らしい。
「分かった、伝えておくよ」
珠音と浩平へ野球を教えた張本人であり、入りたくても入れない憧れの世界に足を踏み入れることができた、一握りの存在である。
「楽しみにしているよ」
浩平は平静を装っていたが、明らかに浮かれている。
午後の授業へ全く身が入らない様子を、珠音は内心で大笑いしながら見ていた。




