8回裏 ―夢舞台― 2.躍動するパンダ
大会3日目、待ちに待った初戦を迎え、珠音は意気揚々と夢見たマウンドに向かう。
実力の拮抗する対戦校打線に対し、珠音は堂々のピッチングを披露する。
2.躍動するパンダ
大会3日目の午後。
第2試合を戦う2校へ送られる声援を遠くに感じながら、珠音らはウォーミングアップを開始する。
「応援団も無事に到着したよ。開会式、みんな格好良かった!精一杯応援するから、みんなも頑張ってね」
鎌倉から応援団を引き連れてきたユニフォーム姿の琴音が室内練習場に顔を出し、ベンチ入りメンバーを激励する。
早朝集合に慣れないバスでの長距離移動もあり表情には若干の疲労感が出ていたが、それを感じさせないくらい明るく振舞っていた。
「ありがと。初回から飛ばすよ!」
珠音は激励を確かに受け取ると、浩平に声を掛けられブルペンに入る。
1回戦の相手は北信州総合高校で、珠音ら鎌大附属は後攻。
「舞莉先輩の話だと、決して強豪とは言えない相手だってね」
抽選会の後、二神は律義に関西旅行中の卒業生へ日程と対戦校を教えたところ、舞莉から北信州総合高校の情報が送られてきた。
「それにしても、何で舞莉先輩が長野県の学校のデータを持っているんだろう」
珠音と浩平は徐々に距離を開きながらキャッチボールを行い、肩を暖めていく。
「あの人を疑問に思い始めたらキリがないさ。何でも、知り合いが長野にいるとかいないとかで、卒業式の後にしばらく一人旅行していたらしい。二神が言っていたぞ」
「ふえぇ」
珠音は同じく横で投球練習を始めた二神に視線を送る。今日のゲームプランでは珠音は6イニング投げた後、二神と高岡に継投する予定だ。
「俺も驚いた。ホント、あの人のことはよく分からん」
一足先に投球練習を開始していた二神は、既に仕上げの段階に入っていた。二神の投球を、控え捕手の深瀬が小気味良い音を立てて捕球する。
「おぉ、気合入っているね」
「そりゃな、負けたくないし」
二神は深瀬へ「ラスト」と声を掛け、息を吐き出す。ゆっくりとした動作で振りかぶり、全力で投げ込まれた直球は、深瀬のキャッチャーミットを動かすことなく吸い込まれる。
「あと、俺の知り合いが北信州総合に通っていて、吹奏楽部に入っているんだ。今日はアルプススタンドに来ているらしい。対戦校とはいえ、知り合いの前で格好悪い姿は見せられないだろ」
「......それもそうね」
二神はクールダウンを終えると、ブルペンを後にする。
「それじゃ、エース。試合は任せたぞ」
「はいよ」
二神の激励に珠音はグローブをはめた右手を軽く振って応える。
「ねぇ、浩平」
暫く投球練習を続けた後、珠音はポツリと呟く。
「何だ?」
「二神の知り合いって、性別どっちだと思う」
「女」
「私もそう思った!」
珠音の疑問に浩平が食い気味に応えると、珠音も瞳を活き活きとさせて盛り上がる。
「いやー、二神も興味ないように見えて、何だかんだ男子だね。うんうん」
何だかんだで、珠音も女子である。人の色恋話は好物だ。
「ほら、人のことより自分だ。集中、集中」
「はーい」
浩平は"やれやれ"と首を振り、珠音にボールを返す。
長年バッテリーを組んできただけに、気分屋な一面を持つ珠音のコントロールもお手の物だ。
「(ホント、普段はふざけた性格しているくせに、一度ボールを持ってマウンドに立たせたら雰囲気が変わるな)」
珠音はボールを受け取る時は不承不承な様子だったが、短く息を吐き出し意識を浩平のキャッチャーミットに集中すると、目付きが一変して鋭くなる。
珠音に投球を促すと、構えたミットに綺麗な回転の投球が軽快な音を立てて収まる。
「ナイスボール」
珠音の真っすぐな視線は、試合の勝利のみ捉えていた。
第2試合が終了してすぐ、第3試合を戦う選手たちがグラウンドに姿を現し、両校が試合前練習を始める。
暫くして第3試合のスターティングメンバーが発表されると、球場内は大いに盛り上がった。
「まだ、試合始まってないんだけどなぁ」
室内練習場からベンチ脇のブルペンに場所を移したバッテリーが、試合前にも関わらず歓声を上げる観客に呆れた様子を見せる。
盛り上がりの要因は、正しく9番投手としてスターティングメンバーに名を連ねた珠音だろう。
高校硬式野球の公式戦に登板する史上初の女性選手の存在は、下馬評ではお世辞にも有力校とは目されない初出場2校の対戦カードを、大会屈指の注目度にまで持ち上げていた。
既にスタンドは満員に膨れ上がっており、設置されたカメラの台数も心なしか多く感じられる。
投球練習中も、好奇の視線は常に感じられていた。
「気にしても仕方ないさ」
「分かっているよ」
4番打者を務める浩平が苦笑する。
既に両校とも試合前練習を終え、グラウンド整備の様子を眺めながらベンチ前に並び、素振りを行っている。
「早くマウンドに上がりたいな。このままベンチに座っていたら、私はただの人形だもの」
珠音の様子は恐らく、現在進行形でテレビカメラにしっかりと抑えられているだろう。
「マウンドに立てれば、せめて動物園のパンダくらいにはなれるのになぁ」
「いったい何を言っているんだ」
3番打者としてスタメンに名を連ねた三塁手の大庭が、珠音のボヤキに首を傾げる。
「動いてないよりかは、動いている方が気は晴れるってことじゃないか?」
「たぶんそうだ」
同2番遊撃手の二神の指摘に、浩平が頷く。
「試合が始まれば大丈夫だ。こういう環境にも慣れている」
「そう願うよ」
浩平の視線の先には、マウンドをジッと眺め精神統一する珠音の姿があった。
間も無く、高校野球の歴史が変わる。
グラウンド整備が終了し、両チームの選手が一列に並ぶ。
第3試合を捌く審判4人が一塁側ベンチ脇に並び、主審の合図で両チームは本塁付近で相対し、礼を交わす。
球場内からは拍手が鳴り響き、それに後押しされるよう守備に就く鎌大附属ナインがグラウンドに散っていく。
「ピッチャー、楓山珠音"さん"」
ウグイス嬢の紹介で珠音の名前がコールされると、割れんばかりの拍手がマウンドに立つ小さな背中に向けられる。
他の選手が"くん"付けで紹介される中での"さん"付けが後日に場外でひと悶着を巻き起こすほどの異質さを、グラウンドで一番高い場所から球場中に放っていた。
最大4万7千人を超える観客を収容できる大きな球場では、珠音の華奢で小柄な身体は普段以上に小さく見える。
「プレイボール!」
主審が試合開始の合図を発すると同時に、球場にサイレンが鳴り響く。
浩平のサインに首を縦に振り、ゆったりとした投球フォームから投じられた"歴史的一球"は、打者の打ち気を削ぐような80km/h台後半のスローカーブだった。
「ストライク」
主審の判定一つに、球場が大きく湧き上がる。
通常ならば単なる一球に過ぎないが、珍妙な"見世物"とあっては話が違うのだろう。
「(過剰だな。珠音が変に意識しなければいいが)」
浩平は球場の様子へ素直な感想を覚え、マウンドに立つ珠音の様子を見る。
「......余計な心配か」
「どうした?」
心の声が思わず漏れ出したようで、主審に声を掛けられてしまう。
「いえ、何でもありません」
珠音は球場の雰囲気に呑まれることも、過剰に意識を割く様子もなく、ただ真っ直ぐと自分を見ていた。
浩平はマスクを付け直し、2球目のサインを出す。
「(直球で差し込むぞ)」
浩平のサインに珠音は疑うことなく頷き、左打者の内角に構えられたキャッチャーミットに目掛けて直球を投げ込む。
鈍い金属音と共に弱い打球が三塁方向へ転がり、三塁手の大庭が軽快に処理する。
「アウト!」
一塁塁審のコールと共に、球場はまるでアイドルのライブに押し掛けた熱烈なファンのような歓声に包まれる。
「ナイスボール。110km/h台前半だけど、上手く差し込めたな。驚いたような表情をしていたぞ」
珠音の投球で表示される"分かりやすい"数字は、高校野球の投手としては並以下といって間違いはない。
厳しい練習を自らに課してきたものの、17歳男女の体格と筋力量の差を埋めることは叶わない。
「作戦通り、いい感じだね」
持てる全ての技術を出し惜しみせず、ストライクゾーン全体を活用して相手に錯覚を与え、いかに遅い球を速く見せるか。
限られた条件の中で、打者を打ち取るために練り上げたピッチングスタイルの完成度を高め、いつでも自然に出せるような練習を重ねてきた。
まだ対戦打者は1人だが、浩平と考えた作戦はこれまで参加した大会と同様に有効と考えていい。
「このままの流れで行こう」
「うん」
少なくとも、北信州総合打線は打ち気にはやっている。
多少なりとコースが甘くなった所で、痛打を受けることはないだろう。
2人の狙いは面白いように当たり、次打者は初球のストレートをバットの先に当て、3番打者もボールが来る前からスイングして、簡単に追い込まれてしまう。
ゆっくりした投球フォームから思い切り左腕を振るが、小柄な体躯に男子と比べて見劣りする筋力量が功を奏したか、ボールとバットがコンタクトするポイントにコンマ数秒単位で投球の到達が遅れている。
打者はタイミングが合っていると錯覚するが、僅かなヒッティングポイントのズレからボールに伝わる力が減じられ、打球は鉄壁の守備陣に絡めとられていく。
「ストライク、バッターアウト!」
3番打者のバットが空を切り、首を傾げて投球の軌道を再確認する。
どの球種、どのコースに投げる時も、珠音の投球動作も表情も変わらない。
未経験者ならば当然のように思えることも、玄人相手になればなるほど細かな差が致命傷となる。
当然のことを当然のようにこなせるよう練習を重ねた珠音の前に、北信州総合の上位打線はスコアボードに0を記すと、球場は春を通りすぎたかのような熱気に包まれた。
両校無得点のまま試合は投手戦の様相を呈し、進んでいく。
「ストライク、バッターアウト!」
抑えた時の歓声が凄まじいものなら、"抑えられた"時の溜め息も凄まじい......とはいかなかった。
「なんか、当然って感じの雰囲気なんだけど」
この回の二人目の打者であった珠音が三振に倒れると、球場はどこか子供を見つめるような優しい視線を送ってくる。
「ナイススイング。なに、全く叶わなかった訳じゃないさ。バットに1回当たったわけだしな」
圧巻の投球を見せる投手楓山珠音に対し、打者楓山珠音の非力感は拭いようがなかった。
珠音の打撃スタイルは、以前に対戦した"左打席に立つ"茉穂のように、小兵らしく当ててシフトの隙間へ転がす技術を持ち味としたものではない。
無論、当てる技術は十分に持っているが、当初から転がすことに特化したスイングでは投球に力負けしてしまうのが関の山である。
一発勝負のトーナメント戦で、無駄にできるアウトは一つもない。
結果として、持ち前のミート力と小さな身体を余すことなく使い、大きなスイングで内野の頭を越すことを目指した打撃スタイルにたどり着いた。
「むー、次は打ってやる!」
珠音は膨れっ面をしているうちに、球場内に歓声と溜め息が同時に漏れる。
一番打者の南が放った打球を相手二塁手が後逸し、2アウトながらランナー1塁で打席には2番打者の二神を迎えた。
「行ったれ、キャプテン!」
「狙っていけ!」
味方ベンチからの声援を受け、打席に立つ二神が集中力を高める。
二神が繋げば、続く3番打者は何事にも器用な大庭、4番打者は部内一の強打者である浩平に繋がる。
凡打に倒れた所で次の回は中軸から始まるため、どちらにせよ得点のチャンスは大きい。
「......うぇ!?」
しかし、二神の打席結果は周囲の期待を大いに裏切った。
無論、悪い方ではなく良い方向に、そして過剰に、である。
巧打者タイプと(少なくとも体格的に)目される二神のバットがボールを真芯捉え、甲高い金属音が球場に鳴り響くと、球場は一瞬の静寂に包まれた。
打球はバックスクリーン目掛けて118メートルの距離をグングンと進み、フェンスまでの距離が縮まっても減速することなく、一塁側アルプススタンドからの声援に後押しされるようにむしろ加速していく。
本人も驚愕の表情を見せた打球は2.6mのフェンス高を悠々飛び越え、二塁塁審が右手で円を描くと、球場は一塁側の応援団を中心に割れんばかりの声援に包まれた。
「フェンスオーバーのホームランなんて初めて打ったよ!」
ダイヤモンドを一周してベンチに戻ってきた二神が、いつになく興奮した様子を見せる。
ランニングホームランこそ経験はあるが、人生初めての正真正銘な"ホームラン"を、まさかこの大舞台で打てるとは夢にも思って見なかったのだろう。
「いいじゃんいいじゃん。知り合いの女の子にも、いい所を見せられたじゃない!」
「あぁ......って、え、女!?どういうこと!?」
珠音の茶化しに二神が赤面して狼狽し、ベンチがさらに沸き立つ。
スコアボードに記された得点は2。
勝利の女神は試合の流れを生み出す水瓶を、鎌大附属へそっと傾けた。
Pixiv様にも投稿させて頂いております。
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=20090534




