8回裏 ―夢舞台― 1.開会式
春の陽気が列島を包む中、甲子園球場には野球に魅せられた若人たちが集う。
夢見た舞台へ足を踏み入れると同時に向けられる奇異の視線。
鳴り物入りで出場権を手に入れた鎌大附属硬式野球部の面々は、これまで珠音が耐えてきた状況をまざまざと感じ取る。
Bottom of 8th inning ―夢舞台―
1.開会式
3年生の卒業式から約2週間が経過し、世の中は春の陽気に慣れはじめ、街を行き交う人々の装いもいくらか薄着へと変化していった。
「抽選会お疲れ様。まさか、選手宣誓まで引き当てるとはね」
「本当だよ。こんなことなら、宝くじでも買っとけばよかった」
珠音の茶化しに、二神が大きく溜め息をついてベンチに腰掛ける。
選抜高等学校野球大会の対戦カードを決める抽選会が大阪市内で前日に執り行われ、珠音たち鎌倉大学附属高校硬式野球部はCブロック第1ゾーンを引き当てた。
「となると、大会3日目の第3試合か」
「吹奏楽部としては助かるかな」
浩平がトーナメント表を確認していると、吹奏楽部部長を兼ねる琴音が胸を撫で下ろす。
野球部員はホテルに宿泊して近くの高校のグラウンドや野球場を借りて練習に励むが、応援団までそういう訳にはいかない。
応援団は多くが試合の都度、それぞれの学校からバスを借り上げて遠征するため、第1試合ともなれば早朝に出発しなければ、とても間に合わない。
琴音は初戦までは吹奏楽部として応援団と、それ以降は野球部と行動を共にする予定になっている。
荷物の搬入や長距離移動のことを考えると、琴音としては少しでも時間にゆとりのある日程が望ましい。
「初戦の北信州総合高校に勝てば、2回戦は大会7日目の第3試合。順調に行けば、3回戦は大会9日目の第3試合だな」
浩平が日程表とトーナメント表を交互に確認する。
春分が近付き徐々に暖かくなってきたとはいえ、朝一はまだまだ冷える上に身体の動きも鈍くなりがちである。
「朝一からじゃないのは、選手としても正直助かるよ」
十分な休息がとれ、時間的にも陽が昇り気温の上がった時間帯にプレイができるのは、幸運といってもよい。
珠音としても、出来る限り慣れた環境でマウンドに登りたい。
「それに、昼間の試合なら"私たち"をたくさんの人に見てもらえる。ただ出場するだけじゃダメだし、精一杯プレイする姿を見てもらえなきゃ、意味がない」
所謂"センバツ"ともなれば、年度が替わる時期の季語とも言える程には全国的に知名度のあるイベントである。
テレビ中継も予定されており、視聴率も高い。
珠音とまつりがベンチメンバー入りしていることへの懐疑的な意見は表立ったものこそ少ないものの根強く、2人の耳に嫌でも入ってきてしまう。
「......見返してやる」
誰にも聞こえないよう気を遣ったつもりなのだろうが、案外ヒソヒソ声というものは、静かな空間では本人の思っている以上によく聞こえるものだ。
珠音のギラギラとした強気な発言に、浩平は視線を逸らして嘆息した。
開会式の前々日。
学校が主催した壮行会を終えた硬式野球部員を乗せたバスは、途中で数度の休憩を挟みながら運よく渋滞に巻き込まれることなく、新東名高速道路・伊勢湾岸自動車道・新名神高速道路・京滋バイパス・名神高速道路を西へと進み、甲子園球場最寄りにして名神高速道路の終着点である西宮ICに到着する。
球場と宿泊地は少し離れていることもあって本来は遠回りになるのだが、選手たちの希望を叶える形で鬼頭と運転手が事前に段取りを決めていた。
「お、あれじゃね!?」
大庭の声に、同乗する部員たちの視線が窓の外へと向かう。
一部は落葉しているため夏場程の鬱蒼とした様子こそないものの、球場の特長とも言うべき外壁を覆う蔦はハッキリと視認できる。
「やべぇ、俺たちホントに来ちゃったんだな!」
「いやいや来ただけじゃなくて、俺たちはあそこで試合やるんだからな?」
はしゃぐ大庭に対し、選手宣誓の原稿を確認しながら二神が溜め息をつく。
「いよいよだね」
「うん」
珠音の隣に座るまつりは表情こそ大きく変えていないものの、どこか浮かれた様子にも見える。
短く答えた珠音も、心臓の鼓動が高鳴るのを止められそうにない。
「私たち、甲子園で試合をするんだね。分かっていたつもりだけど、いざ目の前にするとドキドキするよ」
目の前には夢にまで見た高校野球の聖地が見え、自分たちは数日後にその舞台に立つのである。
浮かれるなと言われても、そう簡単に抑えることは難しい。
「やれやれ......」
鬼頭は溜め息をつくと、バスのスピーカーに繋げられたマイクを手に取り、不安全にならない程度に顔を出す。
「二神の言う通りだ。来て遠くから見ているだけだったら、ただの旅行に来た観光客と変わらないし、甲子園球場も観光名所にしか過ぎない。だが、俺たちはあそこを舞台にして、一つでも高みを目指す戦いに挑むんだ。浮かれる気持ちも分かるが、気を緩めないように」
部員たちは頷いて応え、再び視線を球場へ送る。
西日に照らされた甲子園球場はこれから繰り広げられる熱戦を暗示するかのように、その姿を赤々と輝かせていた。
賑やかな行進曲がすり鉢状のグラウンドで反響し、式典に華を添える。
プラカードを持った生徒に先導された各校の選手たちが右翼側ゲートより姿を見せ、ウグイス嬢の紹介を受けると球場に集まった多くの観客から暖かい拍手で迎えられる。
「や、やべぇ、緊張してきた」
「バスの中で見せていた余裕はどこかに置いて来たのか?」
相変わらず浮かれた様子の隠し切れない大庭は緊張も隠し切れない様子で、背番号「5」が小刻みに震えているように見える。
「そうだ、切り替えるんだ。この拍手は全て俺に向けられた称賛だよな!」
「それは空耳だな」
先頭に立つ二神が、呆れた視線を送る。
「この際だ、開会式で思い切り緊張しておけ。試合までに環境に慣れるためにも、な」
記録員を担当する夏菜を伴った鬼頭も、やれやれといった様子を見せる。
部員一同、珠音にまつわる一連の件もあり注目を集めることには比較的慣れている自負はあったが、4万人を超える大観衆の前に立つプレッシャーはこれまでの経験を上回るようだ。
「鎌倉大学附属高校の皆さん、よろしくお願い致します」
選抜旗を持つ二神が最先頭に立ち、その後方から副キャプテンを務める珠音と浩平を先頭とした2列の隊列を組む。
「よし、行ってこい!」
鬼頭の声援に背中を押され、プラカードを持った女子生徒に先導された18人の隊列がグラウンドに姿を現すと、紹介前にもかかわらず大きな拍手で迎え入れられた。
「鎌倉大学附属高校、神奈川、初出場」
ウグイス嬢のアナウンスが入ると、一段と声援が大きくなる。前を歩く高校と比べても、その差は明らかだった。
「凄いな」
浩平は雰囲気に圧倒されたのか、思わず小声を漏らす。
後ろを歩く隊列も少し動揺しているようで、腕の振りと脚を出すタイミングを何とか合わせているような状態だ。
「そうだね。でも、これは違う」
「え?」
その中でも、横を歩く珠音は表情一つ変えずに歩いている。
「あれ」
珠音が視線を送る方向から、他の高校などまるで気にも留めていないかのように、多くのテレビカメラと望遠レンズが向けられている。
高校野球の長い歴史の中で史上初めて公式戦に出場する女子選手を逃さず収めようというのだろう。
「浩平、私たちはまだ認められていないということだよ」
開会式の様子はテレビ中継されており、今この瞬間も隊列の中で一際目立つ小柄な体躯が全国のテレビ画面に映し出されているのだろう。
「どういうことだ?」
「この声援は私たちの健闘を讃えるものじゃない。パンダを見る視線と同じだよ」
珠音は一瞬だけ顔を歪め、すぐ元に戻す。
男子の中の紅一点(実際にはまつりもいるので、二点)。
もちろん全てではないが、鎌大附属に向けられている視線は珍妙な物に向けられる好奇のものに他ならない。
「(珠音はいつもこんな視線を受けていたのか)」
浩平は横を歩く珠音に再び視線を送る。
我関せず。
そう言いたげな表情の珠音は、ただただ前だけを見つめていた。
全32校が入場し、式典が開始される。
前年優勝校から優勝旗と優勝杯が、準優勝校から準優勝旗が返還され、大会主催者や来賓からの挨拶が続く。
「出場32校を代表して、鎌倉大学附属高校、二神勇翔主将が選手宣誓をします。出場各校の主将は、選抜旗を持って前に出てきてください」
アナウンスを受けると、二神は選抜旗を珠音に預け、隊列を外れる。
二神が前方に設置されたお立ち台に駆け寄るのに合わせ、選抜旗を掲げた各校の主将が前に出る。
「本物だ......」
「ちっさ」
隣に立つ身長180cmを優に超えるだろう体躯から思わず零れた言葉にも、珠音は全く動じない。
強豪校犇めく"センバツ"出場校の主将の中では、選抜旗を掲げる珠音の華奢で小さな身体は入場行進の時以上に小さく見える。
「宣誓!」
緊張の面持ちの二神は小さく深呼吸すると、覚悟を決めて読みこんだ原稿を力強い声で読み上げる。
「野球を愛する”全て”の人が夢見る甲子園。私たち選手一同は今、学校関係者、家族、友人に支えられて今日という日を迎え、幼い頃から夢見た舞台に立つことができました。私たちを応援してくれたたくさんの人たちのため、厳しい練習の日々を共に過ごした頼もしいチームメイトのため、そして、この舞台を目指している、男女問わず全ての未来の高校球児のために、試合が終わる瞬間まで持てる力を全て出し切って、正々堂々プレイする事を誓います」
宣誓に対する万雷の拍手に二神は少しだけ安堵したような表情を見せると、宣誓を見守った連盟会長にお辞儀し隊列に戻る。
続いて珠音が選抜旗を持って戻ると、二神に手渡す。
「2人ともお疲れ」
浩平が声を掛けると、二神は少々ゲッソリとした表情を見せる。
「"本物だ"とか"ちっさ"って言われた」
「態度だけは誰よりもデカいのにな」
一方の珠音は少々不機嫌そうな様子を見せ、両隣のチームの主将に睨みを利かせていた。
動じていなかったものの、その場ではあくまで"無視"していただけのようだ。
どちらの主将も視線を受けた瞬間にビクリと肩を震わせたあたり、珠音の眼力は相当なものなのだろう。
そうこうしている内に開会式が閉会し、選手たちはプラカードを持った生徒を先頭に駆け足で退場する。
「まぁ、何にせよ始まったな」
「そうだね」
浩平が珠音に声を掛けると、少々拗ねたような雰囲気の返答が帰ってくる。
「頑張ろう」
それでも、短い言葉の中には高揚感が垣間見えた。
「あぁ」
浩平は短く答え、前を駆ける小さな背中を見やる。
後ろからでは、その表情までは分からない。
「(ま、何だかんだ言っても、ワクワクしているんだろうがな)」
少年野球チーム以来、長年バッテリーを組む古女房である。
マウンドに立つ旦那の考えていることなど顔を見なくても分かってしまう。
浩平の考えている通り、珠音は期待に胸を膨らませた表情を見せ、夢見たグラウンドを力強く駆けて行った。
Pixiv様にも投稿させて頂いております。
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