8回表 ―希望の花― 2.珠音の能力
春の選抜高校野球大会への出場に向け、部員は練習に、学校職員は部員の支援や取材対応にと正しく"てんやわんや"の日々を送っている。
ミスはつきもの。
学校に舞い込んだ取材対応の精査から漏れ、珠音との対談を求める人権団体が来校する。
あくまで自分たちを利用しようとしかしない彼らに対し、珠音は毅然とした態度で応じた。
2.珠音の能力
鎌大附属硬式野球部が選抜高等学校野球大会の出場権を獲得して以降、詰めかけるメディアと舞い込む取材依頼の数は格段に増え、対応する広報担当はまさに"てんやわんや"といった様子であり、事務所内を忙しなく右往左往している。
もちろん、全ての問い合わせが善意によるものとは限らない。
明らかな"嫌がらせ"の数は格段を超えた勢いで増加し、入学試験の対応に追われる教職員全ての負担をこれでもかと増加させていた。
それでも、生徒たちを不安にさせないために悟られないよう努める姿は、正しく"教職員の鏡"とでも表現すべきだろうか。
「本日は大変お忙しい中、私どもへ貴重なお時間を頂きありがとうございます」
それでも、取材対応の事前フィルター機能が疎かになったと後々になって後悔する事案も、必然的に発生するものである。
「いえ...」
制服姿の珠音とスーツ姿の鬼頭が対談したのは、"作り慣れた" 温和な表情と笑顔を浮かべる中年の女性だった。
握手を求められた珠音がぎこちない笑みで応えると、アシスタントと思しき同行者が"ベストショット"を狙って執拗にシャッターを切り続ける。
「楓山珠音さん、あなたの活躍は実に素晴らしいものです。あなたのニュースが報じられるたび、私たちも勇気づけられる思いでいっぱいです」
「ありがとうございます」
中年女性は名刺を差し出すと、ひと呼吸挟むことなく饒舌に自己紹介を始める。
「西園寺公子と申します。女性の地位向上、男女平等の社会確立を目指す人権団体の代表を務めております」
「は、はぁ...」
これまでもメディアやスポーツ雑誌のインタビューを受けることはあったが、やや偏りのある主義主張を訴える団体からのアポイントを受けることはなかった。
対面した瞬間から毛色の違いに戸惑っていた珠音がチラリと鬼頭の表情を見やると、申し訳なさと苦渋の入り混じった渋い表情を浮かべている。
鬼頭としても、広報担当の"ミスジャッジ"にほとほと呆れているようだ。
「長く不平等な伝統が積み重ねられてきた中、こうして歴史の転換するタイミングに立ち会えたこと、本当に光栄に思います」
「不平等...?」
「高校硬式野球において女性選手が出場権利を与えられていなかったこと、甲子園大会における女性部員のグラウンド立ち入りの禁止の件です」
「...あぁ」
珠音の脳内でようやく、野球部が一丸となって勝ち取った"特例措置"と人権団体代表殿の主張が繋ぎ合わさる。
「(なる程、この人は自分たちの主張に私たちという化粧を施そうとしているんだ)」
珠音は小さく気付かれない程度の溜め息を漏らし、自分なりに当たり障りのない回答を考える。
真剣な対応をするだけの労力はもったいないが、下手な捉えられ方をされても困る。
短い時間では満足な打ち合わせをできた訳ではないが、その中で導き出した鬼頭との共通認識だった。
「まぁ、仕方がなかった部分もあったんじゃないかなと思います」
珠音の何の気ない言葉に、西園寺に塗りたくられたの"いい人"という化粧の一部がポロリと剝がれ、口元が小さく歪む。
「男女の体格や体力の差を埋めるのはなかなか難しいということは、プレイする自分が一番実感しています。この前の大会ではレギュラーポジションを貰えましたが、次もそうなれるかは分かりません。日々、精進です」
「あらあら、楓山さんは大人なのね。謙遜しちゃって」
西園寺はまるで孫をあやすように、優しい声色を作り出す。
「いいえ、事実です。ウカウカしていたら、仲間たちと勝ち取った"特例"というチャンスを活かせませんので。私のことを応援してくれた人や、今はメンバー入りを目指すライバルたちのためにも頑張らないと」
「あら、それは大変。あなたのことを応援する"私たちのため"にも、是非とも頑張ってもらいたいもの」
アクセントの付け方から、早くも下心を隠し切れていない西園寺に対し、鬼頭が咳払いで牽制する。
「練習時間を奪っても悪いから、単刀直入に伺います。楓山さんは、これまであなたの価値を認めてこなかった規則について、どう考えているのかしら」
西園寺の表情から笑みを消し、"本業"の顔に戻る。
「行き過ぎた規則であったかもしれませんが、怪我の可能性を考えればこれまでのルールも理解できないことはありません。私が連盟へお願いしたのは、あくまで女子選手にも挑戦する権利を与えて欲しいということだけです」
「それだけでいいの?」
「それ以上のこと、何かありますか?」
西園寺は暫し考える素振りを見せる。
「例えば、各校の出場選手登録に一定数の女子選手枠を設けるとか、別枠で追加するとか」
「男子と肩を並べる実力を持つ女子選手がいれば、自ずと枠内に入れるでしょう。別枠を無理に作れば、そこに"入れられてしまった"選手は肩身の狭い思いをすると思いますし、そもそもベンチ入りできてもグラウンドには立てません」
珠音の端的な指摘に、西園寺は返答に窮する。
「(ほう、成長したな)」
その様子を見て、鬼頭は感心した表情を見せる。
これまで繰り返されたメディアとのやり取りを経て、珠音は精神的にも大きな成長を遂げていた。
意見は実に的を得ており、助け船を出す必要など微塵も感じられない。
「それもそうね」
話題をどう転じようか、作り慣れた厚化粧の裏で思考を巡らせる様子を暫し見守る。
しばし逡巡した様子を見せた後、西園寺は意を決して"本題"を切り出した。
「楓山さんは将来、トップリーグを目指すとおっしゃっていたけれども、その発言の本気度はどの程度なの?」
「本気も本気、100%です」
珠音が笑みを見せながら返した無邪気な回答に、西園寺はクスリとも笑わなかった。
「楓山さん、私たちはあなた以上にあなたの価値を分かっているつもりです。端的に言うと、高校を卒業したら"野球なんて辞めて"私たちの活動に加わって欲しいの」
突然の誘いに、無邪気を作っていた珠音の表情が凍り付く。
「西園寺さん、生徒への勧誘行為はお控えください」
鬼頭が2人の会話へ割って入り、睨み付ける。
「あなたは100年に及ぶ古臭い伝統を打破し、改革をもたらした。容姿も申し分ない、メディア好みの旗印と成り得るわ。"野球なんて"続けるより、あなたの価値をもっともっと高める舞台を私たちなら用意できます」
「西園寺さん!」
鬼頭が声を荒らげるが、勧誘は止まる様子はない。
「あなたは現状で世間に蔓延る男女の格差を是正し、女性の価値を広める革命の騎手になるのよ。旧態依然の体質を改善しなくては、女性を真に解放することには繋がらないわ」
自らを制する声に聞く耳など端から持ちあわせていないとでも言うように、ただひたすら熱弁を奮う西園寺と、その様子に心酔した様子を見せるアシスタントに向け、鬼頭は啞然とした表情を向ける。
「あなたは惰性で生きるそこら辺の女性とは違う。問題に対し能動的な行動から、長く続く男性優位の制度を改革した実績を、あなたはその若さにして達成できた。それこそ"ジャンヌ・ダルク"が大活躍したのも、あなたと同じ17歳じゃなかったかしら」
自らに酔いしれる西園寺に対し、珠音は何も反応を示さない。
「あなたは凝り固まったこの国の社会に革命をもたらす人物。高校野球界の"ジャンヌ・ダルク"から政界の"ジャンヌ・ダルク"になるのよ。絶対に、その方がいいわ!あなたならできるわよ!」
西園寺は珠音の両手に自身の掌を重ね、包み込むように自身の顔の前に寄せる。
「一緒に頑張りま――」
「お断りします」
西園寺の言葉を遮るように放たれた珠音の言葉が、溢れ出る熱量のせいでいくらか上昇した室温を一気に冷やす。
「......え?」
自身の演説に余程の自身があったのか、それとも"酔い"が回って正しい判断力を失っていたからか、西園寺とそのアシスタントは突き付けられた回答を"まるで理解できない"といった表情を見せる。
「り、理由を聞かせてもらえないかしら」
放出先がないためか体内に熱量が蓄積し、西園寺の顔がみるみる紅潮していく。
「あなたは、私が大好きな野球に対して"なんて"って言葉を使いました、しかも2回も。自分の意見を突き通そうとするだけで相手の努力を蔑ろにするような人達を信用なんてできませんし、そもそも"そんな"ことに興味がありません」
冷たく言い放つ珠音に、西園寺が喰らい下がる。
「あなたにはこの国を変える能力があるのよ!自分の手の届く範囲内だけで"我が儘"を言っていないで、大人の世界に目を向けて欲しいわ。あなたが立ち上がらなければ、また同じことが繰り返され、あなたに続く人々が憂き目に合うことは分かり切っています。想像力が欠如していると言わざるとは得ない、この学校の教育はどうなっているのかしら!?」
「学校は関係ありません。私の"我が儘"の結果が、仲間たちと勝ち取った成果です。仲間たちのためにも、私は私の手の届く範囲で勝ち取った"我が儘"を突き通したいと考えています。この考えは、私が野球を引退するその時まで変わりません。それに、私は私の周りにいる"大人の女性"が惰性で生きているようには思えません。みんな必死に、自分で考えて生きているように思えます。あなたの意見は、あなたが"他の女性より高みに位置していること"をアピールして、自分を気持ちよくしているだけのようにしか聞こえませんでした。信頼できない仲間とチームプレイはできないので、あなた達の仲間には加わりません。あなた達の仲間に加わらなくても、私は私の信じる道を進んで、後輩たち道標になりたいと思います。お話、改めてお断りさせていただきます」
御しやすい、世間でチヤホヤされているだけの"ただの小娘"に自分の強い意見などなく、会見やインタビューでは周囲の大人が用意した原稿を読んでいるだけだとでも考えていたのだろう。
事実として普段の取材対応でも珠音は生の意見を主張しており、文章の簡単な校正以外、大人は手を加えていない。
珠音の意志が込められた回答に西園寺は"想定外"とでも言いたげな表情を見せ、目を泳がせながら言葉を返せないままただ時間だけが静かにすぎ、応接室には秒針の音だけが響く。
「議論もこれ以上は必要ないでしょう。本日はお帰り下さい」
「いや、まだっ――」
「お帰り下さい」
鬼頭が退去を促すと、西園寺とそのアシスタントも一度は抵抗の様子を見せたものの、ついに諦め、無言で頭を下げ部屋を出ていく。
「ジャンヌ・ダルクになり損ねたな。よく頑張った」
足音が遠ざかるのを確認すると、鬼頭は大きな溜め息をつき、珠音の肩をポンと叩く。
「炎上はごめんですので。単純に納得がいかないことも多かったですし、そもそも興味がありませんでした」
「すまなかった。こういうの、学校側がキチンと事前に対処すべきだ。広報にはキツく言っておくよ」
「......お願いします。それじゃ、着替えて練習に行きますね」
珠音は小さく溜め息をつき、応接室から出ようとドアノブに手を掛けたところで足が止まる。
「先生、能力ってなんでしょう。私にはさっきの人が言っていたような"能力"が自分にあるとは思えないんですが」
純粋な疑問を込めた瞳が、鬼頭を捉える。
「そうだな、この場合、能力ってものは人からみた他人の個性だったり、他人から"こう思われたい"という願望のある自身の特性を示すんじゃないかな。自身の価値を確立するために人はそれぞれ個性を磨くし、成果として現れれば周囲から個人の"能力"として認められる」
「なんとなく、言っている意味は分かりました。他人に対してする身勝手な期待が含まれるのなら、当の本人がまるで考えていないような未来に熱を持つこともありますよね。過剰な期待を向けられた身としては、はた迷惑ではありますけど」
珠音はウンザリといった表情を見せ、大袈裟に肩をすくめる。
「能力のある無しを判断するのに感情を持ち込むのは、人間だけだよ。良くも悪くも、な。それを言ったら、俺だってお前には特別な能力があると思っているぞ?」
「どんなです?参考までに聞いてみたいです」
「人に面白い何かを見せてくれる、そんな能力だ」
「......フフッ」
鬼頭の言葉を受け、珠音は小さく笑みを浮かべる。
「なら、私は絶対に期待に応えないといけませんね。みんなの為にも」
珠音は先程までの剣呑とした時間などとうに忘れたといった様子で、部屋を後にする。
まだまだ太陽の出ている時間が短い中、選抜高等学校野球大会に向けた練習は1分1秒たりとも無駄にはしたくない。
「何かしてくれそうだと周囲に期待を持たせる能力。楓山が持っているとすれば、そんな能力だろうな」
鬼頭は疲労の残る身体に気合を入れ直し、デスクに溜まった仕事を片付けるべく職員室へ向かう。
自身が求められているのは、未来ある若人の進む道を正しく守ること。
誇りある仕事へ踏み出した足は思いの外軽く、身体は小気味良ささえ覚えていた。




