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珠音いろ  作者: 今安ロキ
第1章 高校野球編
43/75

8回表 ―希望の花― 1.時は巡り、報せを待ち

珠音たち女子選手が特例出場できる権利を得たとはいえ、時節は野球のオフシーズン。

試合に飢える珠音は、さながら餌に飢える穴熊のようだった。


春センバツの出場を知らせる電話は情報の奔流に晒され続けたチームを活気づけ、それぞれがチームの勝利に向けた努力を重ね、大人たちもその実りが万全の形で花開くよう、それぞれの対応に全力を注ぐ。

Top of 8th inning ―希望の花―


1.時は巡り、報せを待ち


 冬ならではの乾燥した空気に呼気が混ざり、含まれる水分が白く凝縮した後に霧散する。

 年が明けた後も続く厳しい寒さを、遮る物なく吹き付ける海風がさらに増幅させる。

「はーるよ来い、はーやく来い」

 グラウンドコートを脱ぎ、寒さを物ともせずに走る珠音は時折何かを口ずさみながら、ひたすら基礎トレーニングに励んでいた。

 特例により公式戦への選手登録が可能となったものの、根本となる大会自体が無いのでは、折角勝ち取った特例も何の意味もなさない。

「試合がしたい」

 珠音は試合に飢えていた。

 女子硬式野球の東日本大会では上位にこそ食い込んだものの、結成1年に満たないチームの地力の弱さが出たことも相まって、決勝トーナメントに進む条件だった上位2チームには入ることはできなかった。

「試合がしたい試合がしたい」

 制度施行時期の都合でスタンドからの応援に徹するしかなかった関東大会は、キャプテンの二神と浩平を中心とした堅実な戦いで下馬評を覆し、強豪犇めくトーナメントでベスト4という過去最高の成績を収め、選抜高等学校野球大会の出場をほぼ手中に収めている。

「試合がしたい試合がしたい試合がしたい」

 チームとしてほぼ連戦となった湘南杯は制度施行前ながら、前年の反省を活かした大会運営側の配慮も相まって選手登録が可能となった珠音が”エースナンバー”を背負い、近隣地区のライバル校を蹴散らして見事優勝を果たした。

 それでも、珠音は試合に飢えている。

 対戦相手への物足りなさか、それとも眼前で強大なライバル校に勝負を挑むチームメイトを羨む気持ちか。

 どちらにせよ、春を待たねば珠音の欲する舞台は訪れない。

 暖かな季節を待ちわびる姿は、新たな生命の息吹を感じさせる草花や賑やかなさえずりを生む小動物というより、腹ペコな穴熊のようだった。



 1月も下旬に差し掛かる頃、野球部内では敢えて話題にこそ出さないものの、少しずつではあるが試合とは別種の緊張感が部内に張りつつあった。

 無論、今でも時折顔を出す3年生の大学受験が迫っていることや、琴音のアンサンブルコンテストが週末に控えていることも、直接の原因ではない。

「今日だよな」

「あぁ」

 いつもと変わらない放課後、部員は普段通りグラウンドに集まるが、どこか上の空で部員間の会話も少ない。

 この日は選抜高等学校野球大会の出場校を決定する選考委員会の会合日であり、その結果は決定次第通知される。

 大庭の確認はこのことを指し示していたが、分かり切った質問に二神は短く答えるだけのやや冷たく、傍から見ればやや素っ気ない対応に見えた。

「集合」

 空気が変わったのは、スーツ姿の校長がグラウンドに姿を現して鬼頭を呼び出した瞬間だった。

 シートノックの最中でグラウンドに散っていた部員も各々のポジションでざわつき始め、鬼頭から集合の合図を受けると、感情の爆発を抑え込むことに必死の状態になった。

「......お前らなぁ」

 想像の通りだけに部員の期待を裏切ることはないが、ここまであからさまな様子は少々呆れざるを得ない。

「お前らの想像の通りだ。先ほど、高校野球連盟の選考委員会より連絡があり、校長先生が対応して下さった」

 鬼頭の周囲に半円を描くように集合し、その言葉を逃さず聞こうとうずうずとした様子の部員たちの姿は、まるで主人からの餌やりを待つチワワのようにも見える。身体は大きく大人になったが、中身はまだまだ子供だ。

 鬼頭は溜め息をつくと、まるで子犬へご褒美をあげるような優しい口調で言葉を続ける。


「3月の選抜高等学校野球大会に、我々鎌倉大学附属高校硬式野球部の出場が決定した」

 

 鬼頭が伝えきる前からやや食い気味に、部員たちは歓声を上げる。

 二神は小さなガッツポーズで、大庭は大きく両腕を突き上げて、その他も十人十色の方法で喜びを表現する。

「やったな、珠音」

「うん」

 浩平は横に立つ珠音は始めこそ大はしゃぎしていたものの、何かに気付いたような仕草の後からどこか浮かない表情を見せていた。

「どうした?」

「あぁ、うん。ごめん」

「調子でも悪いのか?」

「いや、別に......。これに関しては私が何かをした成果じゃないから、どんな顔すればいいのか分からなくて」

 チームメイトの視線が珠音に集まる。

 珠音がチームのムードメーカーであるのは間違いがなく、元気印に勢いがないとチーム全体でどうにも調子が狂ってしまう。

「笑えばいいと思うよ」

 夏菜がキョトンとした表情で珠音をジッと見つめている。

「一緒に喜ぼうよ」

「でも、私は試合に出られなかったわけだし。これは男子が頑張った結果で、私がメンバー入りを目指すのも何だか悪いなって思う時もあって」

「何もしてない訳じゃないよ、いっぱい応援したじゃん!」

 琴音が人垣をかき分け、珠音の前に立つ。

「そうだよ。それに野球はチームスポーツだし、グラウンドの選手もスタンドの応援団も変わらない。私は野球部としても吹奏楽部としてもスタンドに行くけど、何もしていないなんて思わないよ」

 普段から大きな声を出すことの少ない琴音の強い言葉に、珠音が驚いたような表情を見せる。

「それに楓山がいなかったら、俺たちが選抜に行くなんて絶対になかった。楓山がいつも引っ張ってくれたからこそ、選抜に行けるチャンスをものにできたんだ」

 二神の言葉に、全員が頷く。

 部員が男女合わせて40人に満たない程度の野球部で、関東の強豪校との激戦を勝ち抜くのは相当の努力が必要である。

「二神の言う通りだ。それに珠音が迷ってどうするんだよ。お前が進む道を信じて、みんなここまで頑張って来られたんだから」

 常に先頭に立ち続け、前へと走り続け努力を積み重ねる珠音の姿がチームの支えになったことは、誰にも疑う余地はない。

「珠音、忘れたのか?」

 浩平が半円の真ん中に移動し、珠音と相対する。

「このチームは男女学年経歴に関係なく、完全実力主義だろ。湘南杯ではお前がエースナンバーだったけど、次もお前が選ばれるかは分からない。誰だってメンバー入りを目指すチャンスはある。余計なことを考えるのはやめようぜ」

「分かった、ごめん。みんなもごめんね」

 珠音は素直に謝罪し、大きく深呼吸する。

「湘南杯の後、少し考えちゃったんだ。男子が頑張って掴んだ選抜への切符で、私が列車に乗っていいものかってね。でも、琴音の言う通り、野球はチームスポーツだもの。グラウンド上の選手も声援を送る応援団もワンチーム、選抜行きの列車にはみんなで乗らないとね。それに、私は余計なことを考えている暇はない。私だって、メンバー入りできるか分からないんだし――」

 珠音は何かを言いかけると、ハッと気が付いたような表情を見せ大きく息を吸う。

「私がエースナンバー背負って、甲子園のマウンドに立ってやる!」

 グラウンドに響く声は校舎で跳ね返り、海風に逆らって大洋へと乗り出していく。

「俺は甲子園球場でホームランを打って見せる!」

 浩平が珠音に続くように声を上げると、仲間が真似をして次々と思いの丈を叫ぶ。

「俺は楓山からエースナンバーを奪い返す!」

 関東大会と湘南杯でそれぞれエースナンバーを背負った珠音と高岡が、互いに挑戦状を叩きつけ合う。

「俺は自分の全部を出し切って、チームの勝利に貢献する!」

 二神は遊撃手、投手、左翼手としてユーティリティーな活躍を見せ、時折背番号の通りのポジションで試合に出場したいとぼやくこともあるが、キャプテンとしても選手としてもチームの勝利に貢献している。

「私が”6”を背負って見せる!あ、二神は1か7に回ってね」

 遊撃手の二神はまつりが出場する場合、投手として先発し左翼手に回ることも多い。

 二神もレギュラーポジションを争うライバルとして、まつりに主戦場を簡単に譲るつもりなどはない。

 気付けば同じポジションの者どうし、レギュラー争いの火ぶたはあちこちで切って落とされていた。

「青春ですなぁ、鬼頭先生。私はこの様子を見るだけでも、何だか若返ったような気分になりますよ」

「全くです。ただ、これから大変です。彼らを導きつつ”守らないと”いけない。これまで以上に、彼らは暴風に晒される訳ですから。これ程までに重要な役目を果たせるかと思うと、時折不安になります」

 校長は小さく頷き、部員たちを見やる。

「何とかなるでしょう。彼らも当然、何とかしようと精一杯走り続け、夢を叶えて来たのですから。私たちも精一杯の努力をするのみです。それが、子供たちを守る大人の役目なのですから」

「そうですね」

 鬼頭は短く答えると、部員たちに檄を飛ばす。

「さぁ、土浦の言う通り、うちは実力最優先だ。関東大会も湘南杯も関係なく、全員横一線でスタートだ。自分たちが挑戦者であることを忘れることなく、これからの練習に取り組んで欲しい」

『はい!』

 部員たちがグラウンドに散らばっていく。

 この瞬間を切り取れば、ここ最近のどこか地に足つかない雰囲気はすっかり消え失せ、自分の長所を如何なくアピールしてスタメンの座を勝ち取ろうと、狩人のような雰囲気を醸し出してさえいる。

「いいですね、鬼頭先生」

「はい、これだから教員という仕事が辞められません」

 この一瞬で、部員たちはまた成長した。

「さぁ、ノックを再開するぞ」

 鬼頭は満足気な表情を見せると、ノックバットを手に再び気を引き締め直した。



 冬の夜は長い。

 太陽は水平線の向こう側へ早々に隠れ、通学路の灯が美しく輝き始める。

「それじゃあ」

 珠音たちと別れた琴音はまつりと一緒に電車へ乗り込み、帰路につく。

 一時は疎遠になっていた2人も、同じ部活動で時間を共有するようになってからはかつての仲を取り戻していた。

「ふあぁ...」

「お疲れだね」

 衆目の中、琴音の理性が堪えきれず出てしまった欠伸に、まつりはクスリと笑みを浮かべる。

 中学校以来の同級生だが、2人が並んで帰路につく姿など1年前の時点では想像が付かなかっただろう。

「ちょっと睡眠不足気味かなぁ」

「吹奏楽部の部長もやりながら、よく続けていると思うよ」

 野球部と吹奏楽部の二足の草鞋を履きながら、琴音は何とか学業の成績も維持している。

「夏菜と私が言い出しっぺだし、自分で言ったことには最後まで責任持ちたいから」

 琴音は正面の窓ガラスに映る自分の姿をぼんやり眺めると、表情を引き締める。

「珠音を見ているとね、私なりでいいから少しでも近付きたいって思うの」

「分かる。選手としてだけでなく、人としても負けたくない」

 大船駅で電車を降りエスカレーターを登った先で、琴音とまつりの前に見知った姿がひょっこり顔を出す。

「あれ、舞莉先輩?」

「ん、やぁ、久し振りだね」

 吹奏楽部を引退して自らが部長職に就いて以来、琴音は舞莉のことを”部長”と呼ばずに野球部内での呼び方に変えている。

 2人は駅構内のカフェで寛いでいる舞莉に誘われると、都合よく空いていた隣席に腰を落ち着ける。

「選抜が決まったんだってね、おめでとう」

「ありがとうございます。先輩はどうしてここに?」

「予備校帰りさ。真っすぐ帰るのもいいけど、たまには羽も伸ばしたいからね」

 舞莉が伸びする様子に、まつりが苦笑する。

 もう間も無く勝負の2月。何でもそつなくこなすように見える舞莉でも、やはり受験勉強は億劫なようだ。

「受験生、大変ですね」

「来年は君たちも体感するさ。進学希望だろ?」

「あくまで来年...ってことで、今は考えないようにしています」

 3人は苦笑し、しばし雑談を続ける。これといった話題がある訳ではないが、他愛のないことに笑い合える時間は何よりも貴重だ。

「そういえば、琴音の曲作りは進んでいるの?」

「ふえぇっ!?」

 舞莉の突然の話題振りに、琴音は赤面する。

「え、琴音って曲作りできるの?」

「あー...ごめん、野球部には言ってなかったんだね」

 琴音のアタフタする様子を見て、舞莉は珍しく”見誤った”といった表情を見せる。

「いや、そんな、できるってレベルじゃ......」

「なーに言っているの。前に私が頼んだ曲だって形にしてくれたじゃない。すごく助かったよ」

「あれは舞莉先輩が”中学の先輩に貰った”って言っていた楽譜を元にしましたし、要所要所の微調整は先輩がやっていたじゃないですかぁ」

 琴音は涙目で身を乗り出し、衆目を気にして小声で舞莉に詰め寄る。

「曲として成立させてくれた事実には変わらないよ。現に、依頼した私としては一人ではとてもできなかったし、結果として大満足な出来栄えだったよ」

「音楽のことをよく分からない身としては、それでも十分凄いと思うけど」

 まつりが苦笑しながら琴音を席に戻し、話題を元に戻す。

「琴音、何か作曲しているの?」

「う、うぅ......」

 まつりが視線を移すと、もじもじする琴音の姿を舞莉が恍惚とした表情で見つめている。

「(この人はどうやら、珠音と同類らしい。......あ、だからあんなにも気が合うのか)」

 まつりはそう感じた途端に寒気を感じ、目の前の柚茶に口を付ける。

「......オリジナルの応援歌とチャンステーマを作ってみたいなと思ってね」

 か細い声で、琴音はポツリぽつりと思いを零れさせる。

「私、中学から吹奏楽部だったけど、別に音楽が大好きな訳じゃなかった。有名人が言う”音楽の力”って言われても正直よく分からなかった。部長なのも、ただ真面目に練習していただけだし、スタンドからの応援だって実際のところあまり意味は無いんじゃないかなって思ってた」

 琴音は自分に自信のあるタイプではない。

 それは自負しているところだし、付き合いの長いまつりもそう感じている。

「去年の春大会に選手として出て、スタンドからの声援を受けて、初めて応援の力を実感したの。何だか、応援してくれるみんなの力も自分のエネルギーに変わるんだなって。自分でグラウンドに立って、初めて気が付くことができた」

「(あぁ、だから珠音に喰いついたんだ)」

 まつりは先日のグラウンドにおける顛末を思い出し、納得したような表情を見せる。

 いつもは前に出ることの少ない琴音が、時折立ち止まりそうになる珠音を再び前進させる鍵になっている。

「もしもオリジナルの応援曲があったら、グラウンドに立つ選手にたくさんの勇気をあげられる気がする。グラウンドの選手もベンチメンバーも、もちろんアルプススタンドの応援団も、一つになれる気がしたんだ」

 一呼吸ついた所で長々と語っていたことに気付き、琴音はまた赤面して俯いてしまう。

「琴音...」

 恥ずかしがる友人から視線を移すと、舞莉の表情が見ていられない程に崩れていた。

「(うわぁ、この人興奮した顔しているよ。絶対に珠音と同族だ)」

 眼前の舞莉に呆れつつ、まつりは琴音の様子を見る。

「秋頃から少しずつ作っているんだけど、中々進まなくてね。何とか、選抜には間に合わせたいんだけど」

「(珠音に引っ張られてチームは大きく成長した。チームとしても個人としても。私だって負けてられないな)」

 まつりは一つ息を吐き出し、冷めてしまった柚茶を飲み干す。

「私でよければ......いや、琴音がよければだけど、みんなで作らない?」

「え?」

 まつりの提案に、琴音が驚いたような表情を見せる。

「みんなで作れば、思いももっともっと強くなるよ。どうかな?」

 当初は少し恥ずかしそうな表情を見せていた琴音だったが、表情が徐々に移り変わり、舞莉がコーヒーを飲み干す頃には決心がついたようだ。

「そうだね、恥ずかしい部分もあるけれど、みんなの意見も聞いてみたいな。まつりも手伝ってくれる?」

「もちろん!」

 琴音は満面の笑みを見せると、すっかり冷めてしまったホットチョコレートを飲み干し、上機嫌に鼻歌を奏で始める。

「いいフレーズだね」

 舞莉の表情を見る限り、どうやら思い描いている応援歌のワンフレーズのようだ。

「さて、若人の前進を見届けられたことだし、私は帰ろうかね。息抜きに付き合ってくれてありがと」

 舞莉は立ち上がり、自分のお盆を返却口へと持っていく。

「こちらこそ、ありがとうございました。曲ができたら、是非先輩も吹いてください」

「受験、頑張ってくださいね!」

 舞莉は振り返ることなくひらひらと右手を振ると、そのまま店を出ていった。

「やっぱり不思議な人だな」

「そうだね。困ったことがあっても、舞莉先輩ならまるで答えを知っているような感じも

する。おかげで前に進むことも多いし」

「へぇ...」

 ガラス戸越しに見せた背中は、帰宅ラッシュの波の中に消えていく。

 見失うと同時に、まつりの中でふと疑問が沸いた。

「もしかして、琴音を前に進ませるために待ってた?でも、何で?」

「そんなまさか。それに、舞莉先輩は受験生だよ。そんな暇ないよ」

 まつりが思わず口にした疑問を、琴音は笑い飛ばす。

「......そりゃそうか」

「そうだよ。さ、私たちも帰ろう」

 まつりは琴音の言葉に頷き、席を立つ。

「ま、変わった先輩ってだけでいいか」

「何か言った?」

「ううん、別に」

 2人は返却口に食器を返すと、間も無く発車の東海道線に乗り込もうと走り出す。

「私は単なる愉快な変わり者でいい。君たちにとってはね」

 その様子を横須賀線ホームから眺める舞莉は満足そうな表情を浮かべると、帰宅客でごった返す車内へ消えていった。

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