1回裏 ―始まり― 1.続ける意志
夏大会終了後、受験勉強に勤しむ日々を送る合間で、珠音と浩平は進学先候補として鎌倉大学附属高校、その硬式野球部を訪問する。
「私は私の"やりたい"を大事にしたい」
顧問の鬼頭から高校で野球を続ける意志を問われるが、珠音は真っ直ぐ強い視線と凛とした声で答えた。
Pixiv小説様にも、投稿させていただいております。
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=19463674
Bottom of 1st inning ―始まり―
1.続ける意志
部活動を新チームへ引き継ぎ、やや小柄で細身な上級生たちの声がグラウンドに木霊する様子にも慣れ始めた頃には、カレンダーは8月へと暦を進めていた。
「お待ち遠さま」
「おっす」
珠音は浩平と最寄り駅で落ち合うと、鎌大附属の最寄り駅で待つ顧問の桜井と合流すべく、電車に乗り込む。
「やっぱり制服の方がしっくりくる。夏期講習も制服で行こうかな」
「分かる。どちらかと言えば、私服の方が落ち着かない気もする」
受験勉強の本格化に伴い2人は学習塾の夏期講習を受講していたが、特に制服を着る意味もないので私服で通っている。
中学に入学し共に野球部へ所属して以降、ほぼ毎日、曜日など関係なしに制服を着て登校・対面していたこともあり、互いの私服姿はむしろ違和感さえあった。
慣れ親しんだ感触と互いの姿に、心地良ささえ感じている。
「そういや、持って来たの?」
「まぁ、一応な」
高校野球の練習に、中学生の参加は原則禁止されている。
今日もあくまで”見学”だけなのでユニフォームは持って来ていないが、何となく愛用のグローブだけは持参している。
「軟式用だけど、まぁ問題ないだろう」
「使うとも限らないしね」
トンネルを潜り抜けると、15両の長編成が街中の小さな駅に滑り込む。
この国に初めて誕生した武家政権の本拠地はかつての輝きこそ失っているものの、観光都市としての価値を確固たるものとしていた。
観光客でごった返す改札口で何とか桜井との合流を果たし、3人は若宮大路を海の方向へ進む。
「久しぶりだなぁ」
「小学校の校外学習で、ちょいちょいこの辺りを散策したよね」
「えっ、いいなぁ!」
生徒2人が少し前の話を懐かしんでいると、桜井が目をキラキラさせて羨ましがる。
「観光地出身って、それだけでもブランド感が漂っていていいよね。しかも、鎌倉なら海も目の前にあるし」
「あぁ、先生は出身が埼玉って言っていましたね」
「そうそう、海無し県としては、海に面しているだけで羨ましいよ。潮干狩りとかやりたいなぁ」
「授業でやったな」
「あぁ、大潮の日にやったね。洋平がタコ捕まえた時はビックリしたな」
「タコっ!?」
干潮時を狙った潮干狩り体験の時、友人がタコを捕まえて驚いたことがある。その後、自宅で捌いて美味しく頂いたそうな。
「あと、海と言えば”砂工作”か」
「やったなぁ」
「えっ、何それ!?」
年に1度、市内の全小学校が文字通り砂を活用した造形コンテストを開いており、珠音と浩平のクラスは市長賞を受賞した経験がある。
最近では波浪による浸食で砂浜が減少しており、会場の確保が喫緊の課題となっている。
「砂を固めるための水場作りとか、砂の運搬とか......思い返していたら、久し振りにやりたくなっちゃったな」
「洋平のクラスが作ったタコが脚9本になっていて、皆に笑われていたよな」
「あったあった~」
「ちょ、ちょっ、地元トークに混ぜて!」
3人がそんな会話をしている内に、一行は目的地に到着した。
正門は伝統的な意匠で広い敷地には大学と高校が隣り合っているが、どちらも夏季休暇に入っており学生の数は少ない。
「ちょっと待ってろよ」
学校の正門前には守衛所が設置されており、桜井は身分証を見せ挨拶すると、2人を手招きする。
「いま、職員の方を呼んでもらったから、ここで少し待たせてもらおう」
2人は頷き、待つこと数分。
校舎へ続く一本道を、壮年の女性が小走り(といっても、普通に歩いているのと変わらないくらいの速度)で近付いてくる。
「はぁ、お暑い中お待たせして申し訳ございません」
女性は息を切らし、頭を下げて挨拶をする。
「私、事務を担当する原井と申します。梶原中学校の桜井先生ですね」
「はい。本日はお忙しい中、ご対応いただきありがとうございます。」
早速学内へと足を踏み入れる。グラウンドは小さいものの野球部専用のものが用意されており、既に20人弱の部員が汗を流していた。
「......あれ、グラウンドには行かないんですか?」
グラウンドから離れていく方向に案内され、珠音が思わず不安気な声を漏らす。
「ごめんなさいね。まずは応接室にお通しします。顧問の鬼頭を紹介させて頂きますね」
「ま、大人には順序というものがあるものだ。覚えておけよ」
桜井が得意げな表情を見せ、大人をアピールしてくる。
「はぁ(子供か!)」
珠音は口から出かかった悪態を何とか吞み込むと、グラウンドへ後ろ髪を引かれつつ付き従う。
「どうぞ。すぐに鬼頭が参りますので、お飲みになってお待ちください」
応接室に通されると、別の職員がよく冷えた烏龍茶を用意してくれた。
野球部を引退してから2週間程度だが、少し暑さに弱くなったのかもしれない。
喉を通る冷たい味わいは全身に涼しさを届け、うだる気持ちを爽やかにする。
「お待たせいたしました」
ノックの後、扉の影から現れた姿は、桜井よりも少々年長に見えた。
「ようこそ、鎌倉大学附属高校へ。野球部顧問兼監督の鬼頭です」
「梶原中学校野球部顧問の桜井です。本日はお忙しいところ、お時間を頂きありがとうございます。こちらが貴学の硬式野球部を見学させていただきます、土浦浩平くんと楓山珠音さんです」
『よろしくお願いします』
2人の声が自然と揃う。
引退したとはいえ、長年染み付いた習慣はそうそう変わるものではない。
「お話は桜井先生から聞いています。本学へ進学希望で、かつ野球部への入部を検討して頂いているようで、こちらとしても嬉しい限りです」
「恐縮です。まぁ最も、キチンと入学試験をパスしてもらわない事には、この見学は何の意味も成しませんがね」
「ぜ、善処します」
桜井がチクリと2人に釘を差す。
最も、2人は学業でも入学試験を突破するには十分程度の成績を収めており、さしたる問題ではない。
「簡単に、本学の紹介をさせて頂きます」
鬼頭は学校のパンフレットを2人に差し出す。
「本学は来年で、開学から75年を迎えます。元は私学の女子大学とその附属高校でしたが、20年前に公立化されるにあたって門戸を広げ、共学化されました。野球部は共学化の際に創部されましたので、学内の他の部活と比べると歴史は浅めです。今年の夏大会は3回戦敗退、県大会の過去最高はベスト32が1度ある程度なので、県下では中堅とも言えない程度でしょうか」
学校数の多い神奈川県は、国内屈指の激戦区である。
全国区の知名度を誇る有力校が複数あり、勝ち上がるには相当な努力を必要としている。
「事前に桜井先生からは伺っています。土浦くんはキャッチャーだそうだけど、いつからだい?あと、硬式経験はあるのかな?」
「キャッチャーは少年野球で始めた時からで、他は外野の経験があります。硬式経験はありません。強いて言うなら、キャッチボール程度ですね」
「なる程、うちもシニア経験者はあまりいないから、スタートは同じと見ていいよ」
浩平との会話を終え、鬼頭の視線が珠音を捉える。
「楓山さん、君の話も聞いているよ」
「......はい」
珠音は自分が緊張していることに気が付き、手汗をスカートで拭う。
「最初、話を伺った時は驚いたよ。全国でいないことはないだろうけど、硬式野球部に選手としての入部を希望してくる女子生徒はそうそういないもんだ。まさか、自分の受け持つ野球部に入部希望者が来るだなんて、夢にも思わなかったよ」
鬼頭は笑みを見せ、珠音に語り掛ける。好意的な対応に、珠音の緊張が少し緩んだ様子を横にいる浩平は感じ取った。
「だが」
しかし、逆説を現す接続詞が続いた瞬間、珠音はピクリと身体を振るわせる。
「君も知っての通り、高校硬式野球において女子選手は選手登録することはできない。練習試合や私設大会なら出場可能だが、大舞台へ繋がる公式戦への出場はできない。そんな君を選手登録の必要がない試合に出場させたら、公式戦に出場可能な男子部員の出番を減らすことになり、必要な経験を与えられずにチームの弱体化を招く可能性もある。チームの勝利を目指す上で、あまり効果的とはいえないかな」
鬼頭は溜め息をつき、手元の烏龍茶に口をつけつつ、珠音の様子を見る。
敢えて発言に悪意を込めたこともあり、珠音の握りしめた拳がそれとなく震えているようにも見えたが、視線は真っすぐ鬼頭を捉えていた。
「(真っすぐでいい瞳だ)」
鬼頭は烏龍茶のグラスを置き、言葉を続ける。
「さらには、フィジカル面の心配がある。もう体感しているだろうが、君たちの年代から男女の体格差は大きく開いてしまう。ただでさえ、試合中の接触プレイでは男子選手でも大怪我の危険性があるんだ。指導者の立場としては危険を冒すようなことはしたくないと思っても、おかしな話では無いことは理解できるね」
「あ、あのっ!」
浩平が言葉を挟もうとするのを制し、珠音は立ち上がる。
「......分かっているつもりです」
大きく深呼吸し、言葉を絞り出す。ここまでストレートに正論を振りかざしてくるとは思わなかったが、これから先もずっと晒され続ける評価に耐えない訳にはいかない。
「君が理解していないとは思っていないよ」
鬼頭は珠音の瞳に染まる熱意が失われていないことに満足し、小さく笑みを見せる。
そもそも、鬼頭に断るつもりなど毛頭ない。
「それでも、私は野球を続けたいと思っています。私は私の"やりたい"を大事にしたいと思っています」
珠音は大きく息を吸い、言葉の続きを紡ぐ。
「これまで他の競技を薦められたりもしましたが、私は野球がしたいんです。他の競技も面白そうですけど、自分がプレイする姿がいまいちピンと来なくて、私はやっぱり野球がやりたいんだって分かったんです。先生や他のチームメイトに迷惑をかけてしまうかもしれません。それは重々承知の上で、お願いします!」
珠音が吸いきった息を吐き出しきるのと同時に勢いよく頭を下げると、浩平も立ち上がってそれに続く。
「いいバッテリーだ」
「少年野球時代からの名コンビだそうで、馴染みのチームメイトからは”老夫婦”なんて言われているんですよ」
桜井が軽快な笑い声を上げる。
「いいだろう、入学試験を無事に合格して我が校に入学した暁には、君をあくまでも”選手”として受け入れよう。これは約束だ」
「ありがとうございます!」
珠音の表情に、ようやく明るさが戻る。
「当然、男子部員と同じように扱うからね。ハードルは高いよ」
「もちろんです。それに、ハードルが高ければ高いほど、飛び越えがいがあります」
あっけらかんと話す珠音の姿に、鬼頭は素直に魅力を感じていた。
「さぁ、気を取り直してグラウンドへ行こうか。鍵をかけるから、この部屋に荷物を置いたままにしていいよ」
「あ、あの...」
部屋を出ようとする鬼頭を呼び止めると、珠音と浩平は恐る恐る鞄からグローブを取り出す。
「持って行ってもいいですか......?」
「まぁ、キャッチボールくらいならいいか。練習に参加した訳ではないからな。といっても、バレたら怒られるかもしれないから、絶対に内緒だぞ」
『ありがとうございます!』
チームメイトから"老夫婦"と呼ばれているだけのことはある。
ピッタリ揃った返答に、鬼頭は思わず苦笑した。




