7回表 ―先駆ける者― 1.秋は岐路をもたらす
初夏に訪れた喧騒をよそに、明確な成果を得られないまま迎えた秋。
珠音は静岡サンオーシャンズに所属する兄の将晴から呼び出され、マジック1で迎えた試合へ家族で向かう。
鳴かず飛ばずのメンバーで挑むチームの快進撃は界隈で話題となっており、球場は過去一番の盛り上がりを見せていた。
Top of 7th inning ―先駆ける者―
1.秋は岐路をもたらす
季節は進み、9月。
暦の上では秋へと移り変わったものの夏の暑さは依然として停滞し、登校してくる学生たちの額からは汗が噴き出している。
「水仙はほったらかしにしても咲くから、暑い時期だけ土の温度を上げないようにこの藁葺を敷いておいてね」
「分かった、ありがとう」
2学期の開始直後、珠音はクラスメイトの園芸部に声をかけ、グラウンドの入り口付近の花壇を整備していた。
茉穂から贈られた水仙の球根を、友好の証として植えようとの考えである。
「それにしても、まさか珠音から園芸について教えて欲しいって言われるだなって、ホント驚いたよ」
クラスメイトに対して分け隔てなく接する珠音だが、それでもマイナー部活に所属する生徒にとっては近寄り難い存在なのかもしれない。
「分からないのなら詳しい人に聞くのが一番だからね」
拳に満たない程度の穴を開け、球根を教えられた通り底に置くと、上から土と藁葺を被せる。
「水仙って、いつ頃咲くの?」
「種類や気候にもよるけど、基本的には冬から初春の時期かな」
「お、それじゃあセンバツの時期じゃん」
珠音が機嫌良く作業を終えた頃、グラウンドにはユニフォーム姿の部員たちが集まりつつあった。
この日は学内報に掲載する写真撮影を行う予定で、部員たちは試合用のユニフォームに身を包んでいる。
1ヶ月前には3年生が抜けてやや物寂しさを漂わせていたが、夏を越えて新チームの主軸たる2年生は精悍な顔つきを見せるようになり、今ではそんな雰囲気をすっかり感じさせない活気を見せている。
「それじゃ、ありがとね!」
「うん。珠音もガンバ!」
同級生に見送られ、野球部の中心人物たる珠音もグラウンドへ駆けて行く。
大会のベンチ入りメンバー、即ち出場可能を示す背番号は、珠音の小さな背中にはまだ縫い付けられていなかった。
食欲の秋、スポーツの秋、芸術の秋、読書の秋......。
年の瀬へ進む暦の中で、"秋"はジャンルに毎に様々な表情を見せる。
野球好き、プロ野球ファンにとっての秋はどうだろうか。
「サンオーシャンズ、このまま初優勝行くべ。こりゃあ、大番狂わせだな」
「マリナーズは来年だから。今年は育成の年だからな!」
ある者は贔屓のチームがペナントレースの優勝争いをリードする戦況に一喜一憂し、ある者は早々に優勝戦線から離脱したチームに現れた期待の新星に翌シーズンの更なる飛躍を期待する。
「茉穂さん、入団テストに向けた追い込み、頑張っているみたいだよ」
「茉穂さんなら大丈夫でしょ。私たちも負けていられないね」
「凄い、湘南義塾の増渕は4球団競合予想だって」
「え、ポートスターズの山城、引退するの!?」
ある者は未来への挑戦の時を迎え、またある者は舞台を降りるための決心を告げる。
野球界にとっての秋は、勝負と決着、挑戦と終演、出会いと別れの季節と言った所か。
「今年も秋の大会の後に湘南杯があるからな。"今度は"誰にも口出しされないよう大会運営側も細心の注意を払っているそうだから心配しないでくれ」
鬼頭の言葉に当事者とは言えない1年生は薄い反応を示し、2年生は苦笑する。
「まだ1年経っていないんだな」
思えば、鎌倉大学附属硬式野球部が無謀とも言える挑戦を始めたのは前年の11月。
硬式野球部女子班の設立からはまだ1年にも満たないが、選手たちはあの日以来、目の色を変えて練習に取り組み、着実に力を伸ばしている。
「女子班も来月頭に東日本大会があるから、気を引き締めておけよ!」
珠音の存在が報道されて以降、高校女子硬式野球部の認知度は着実に向上しており、今秋から全国を東と西に分けた大会の実施も予定されている。
移動コストや部員不足から女子硬式野球部を持つ全校が参加できる訳ではないが、それでも東日本大会には18校が参加を予定するなど、情勢は着実な前進を見せている。
「目標を掴むためだ。全て勝つぞ」
鬼頭の言葉に、部員たちは力強く応える。
目標達成に向けた前進は、自身の成長と戦績として部員たちも実感できている。
それでも、女子部員の大会参加は依然として認められていない。
各々がその成果に手応えをまるで感じられないまま、時計はその針を悠然と進め続けていた。
事態は突然動くものである。
残暑も和らぎ、翌日に"秋分の日"を迎えようとしていた水曜日、昼休みにスマートフォンに届いたメッセージを確認した珠音は鬼頭に許可を取って部活を欠席し、学校まで迎えに来た両親の運転する車に乗り込むと、一路静岡県の草薙球場へと向かっていた。
「まさか、この大事な一戦で将晴がスタメンを任されるだなんてね」
助手席に座る母親が、上機嫌でネットニュースを確認している。
珠音の兄―将晴―が所属する静岡サンオーシャンズはリーグ拡張の折りに加入した創設12年目のチームで、これまでにAクラス入りは1度。もちろん優勝経験は無い。
選手層の薄さが課題とされ毎年の下馬評も芳しいものではなく、今年は更に主力の故障でシーズン序盤から苦しい戦いを強いられていた。
それでも、メディアに"おっさんズナイン""おっさん旋風"と呼称されるように、シーズン終了後には引退や戦力外が確実視されていたような中堅からベテラン選手たちの奮起によって難局を乗り越え、この日の試合を優勝へのマジックナンバー1で迎えたのである。
「珠音も大事な時期だろうが、せっかく当日券を確保してくれたんだ。ずっと頑張ってきているんだし、少しくらいは羽根を伸ばすのも大切だぞ」
ハンドルを握る父も上機嫌な様子を見せている。
「そうだね、最近は練習ばかりだったし。皆には悪いけど、私もプロ野球の試合を見に行くのは久し振りだから、楽しみだな」
思い返せば、最後にプロ野球観戦に行ったのはいつだろうか。
中学入学以来、野球漬けの日々を送っており、遡れば浩平と一緒に兄に連れられた小学6年生の時が最後かもしれない。
「今日、勝てるといいな」
ニュースで"奇跡"とも称される程の快進撃に、少しでもあやかりたい。
手応えに駆ける日々を送る"奇跡"を目指す珠音の胸の内は、そんな想いで一杯だった。
球場に到着し、スタンドに足を踏み入れたのは17時半頃。
グラウンドではホームチーム、即ち静岡サンオーシャンズの選手がグラウンドに散らばり、試合前のシートノックを行っていた。
「座席はどこだろうか......」
父親がチケットの座席番号を確認しながら前を行く。
「この空気感、やっぱりいいなぁ」
整備された球場で試合や練習することも多いが、あくまで一人のファンとして訪れる球場は格別だ。
12年目にして初の優勝を掛けた一戦を前に、グラウンド上の選手はおろかスタンドを埋め尽くした観客まで何やら浮足立っている。
胸の高鳴りから自身の興奮を感じ取り、時計を確認しながらプレイボールの時を今か今かと待ちわびる。
「あら、結構いい場所じゃない」
「......この場所、もしかすると少し前から用意していたのかな」
兄の用意した座席は、一塁側ベンチの程近く。
選手一人一人の顔をハッキリと確認できる程の場所に陣取ると、両親は早速屋台で夕食を購入し、売り子さんからビールを購入した。
「え、お父さん!?」
景気付けにビールを嗜む父に、珠音は驚愕の表情を向ける。
「ちょ、誰が帰りの車を運転するの!?私は明日も練習だよ!」
翌日の木曜日は秋分の日で祝日。授業は無いが、練習が午後から予定されている。
「大丈夫、もう近くのホテルを予約してあるから!」
「そこまで、私が運転していくわ。それに、ちゃんと替えも持って来てあげたでしょ」
「ちゃんと練習には間に合わせるから、今日は楽しめ!」
“わはは”と笑う両親に珠音も思わず苦笑するが、翌日のことを考えても仕方がない。今日はその言葉に甘えて存分に楽しもう。
珠音はグローブを確認して足元の鞄に一度しまうと、まずは空腹を満たすべく父から手渡された静岡おでんに舌鼓を打つ。
「何、この黒いの」
「あぁ、それか。焼津名産の黒はんぺんだ」
シートノックが終了し、グラウンド上から選手の姿が消え、グラウンドキーパーが土の内野を整備する。間も無く試合開始。
「......ん?」
珠音のスマートフォンが軽快な音で、メッセージの着信を告げる。
「あ、兄ちゃんだ」
「何だって?」
「"着いたか?"だって」
珠音は端的な表現で"着いたよ"とすぐに打ち込み、加えて"頑張れ!"とメッセージを送る。
「......またきた」
「お、何だって?」
両親が珠音のスマートフォンを覗き込む。
「"絶対に勝つ"だって」
頼もしい言葉の直後、賑やかな音楽が鳴り響き、球場のボルテージを上げていく。
「本日のスターティングメンバーを発表します」
ウグイス嬢のアナウンスで、まずはビジターチーム―横浜ポートスターズ―のスターティングラインナップが紹介されると、レフトスタンドに陣取った応援団が肩身狭そうに声援を送る。
「続いて、静岡サンオーシャンズのスターティングメンバーを発表いたします」
ビジターチームとは打って変わった賑やかなアナウンスの紹介に合わせ、球場中から割れんばかりの歓声が沸き立つ。
「8番キャッチャー、楓山。背番号52」
スタンドの沸き立つ様子が、今シーズンの兄―将晴―の活躍を称えるものだとすぐに分かる。
この日は一塁手としてスタメン出場しているベテランの浜田捕手がケガで戦列から離脱した時期に高卒入団の梶捕手、同期入団の水落捕手の同い年トリオで切磋琢磨し、その穴を埋めて戦力ダウンを感じさせない活躍を見せたことは、ファンの記憶に当然のように留まっている。
その中でも、将晴の存在なくしてこの試合を迎えられなかったことは、ファンの共通認識となっていた。
試合開始直前、軽快な音楽とアナウンスに背中を押されて、後攻のサンオーシャンズの"おっさんズナイン"がグラウンドに姿を現していく。
「......平均年齢31歳。兄ちゃんがスタメンに入ったから下がったけど、スタメンに36歳の選手が3人もいる。確かに"おっさん"だね」
珠音が選手名鑑を片手にスターティングメンバーを確認する。
スタメンが20代の若手から中堅選手で占める先攻ポートスターズに対し、サンオーシャンズは中堅からベテランを中心としている。
特筆すべき点は、その各々が実績に乏しいか、引退を間近に控えた選手だったことだろうか。
シーズンを任されるはずだった主力選手が早々に離脱した苦しい台所事情の中、実質的にその場凌ぎとして起用されたベテラン勢が奮起し快進撃を見せる姿にメディアが着目し、世間の注目を集めるに至っていた。
「"おっさん"って言うけどな、36歳なんて世の中じゃ働き盛りなんだからな」
父親の言う通り、プロスポーツの世界と一般社会では認識が大きくかけ離れている。
厳しい世界に身を投じ、グラウンドに散らばった選手の中で一際若く見える選手が、大歓声に迎え入れられる。
サインボールをスタンドに投げ入れ始め、いよいよ最後の一球。
一瞬目が合ったかと思うと、最後に将晴が投じられたボールは大きく弧を描き、珠音の伸ばしたグラブにすっぽりと収まる。
「兄ちゃん、ガンバ!」
周囲の若干驚いたような視線を送るのは、選手の家族がすぐ傍にいたからか、将又見慣れない制服姿の女子高生が突然大声を発したからかは分からない。
家族からの声援が届いたからか、ただ偶然スタンドから送られた声援に応えただけなのかは分からない。
将晴は一度力強く右手の拳を突き上げると、キャッチャーボックスに腰を下ろし、先発を任された城所投手の投球練習を受け始める。
ライトスタンドからは今日の勝利と優勝を勝ち取る願いを込め、応援団が応援歌を熱唱し、球場のボルテージは試合前にも関わらず早くも最高潮に達しようとしていた。
時計は間も無く、プレイボールの18時を指し示そうとしている。
大観衆の中で大事な一戦に挑む兄の姿を、珠音は心から誇らしく感じた。
熱気に包まれた草薙球場での一戦は両チームの先発が好投を見せ、手に汗握る投手戦の様相を呈していた。
球団拡張の折りにポストシーズンの仕組みが変更され、両リーグの頂点を決める戦いは首位チームによるものから、両リーグの上位3チームのトーナメント戦の勝者による形式に変更されている。
横浜ポートスターズは現在3位で、4位の瀬戸内レッドウェーブとはポストシーズンへの激しい進出争いを展開している。
負けられない一戦に、両チームともマウンドにはチームの勝ち頭を送り出している。
「締まったいい試合だねぇ」
球場の熱気に当てられることなく、サンオーシャンズ先発の城所とポートスターズ先発の河村の好投に、両チームの打線は沈黙する。
ホームランは野球の華とも言うが、1点を争うロースコアの戦いの下で選手たちが見せる妙技も、野球の醍醐味と言えよう。
「あぁ!」
速いテンポで進む試合を動かしたのは、ポートスターズの誇る"安打製造機"こと加藤が放った左中間への本塁打だった。
マウンド上では被弾した城所がガックリと肩を落としている。
球場は大きな溜め息に包まれる一方、レフトスタンドに陣取るビジター応援団はこの機とばかり大いに盛り上がる。
「まだまだこれから!」
応援団が選手たちを鼓舞して後続を抑えるも、サンオーシャンズ打線は相手投手陣の前に沈黙し、そのまま1点ビハインドで迎えた9回裏。
この回先頭打者の4番十川が、ポートスターズの"守護神"から熱烈なファンの待つライトスタンドへ同点のアーチを掛ける。
36歳にして初めてレギュラーに定着して規定打席に到達し、ホームラン王争いにも加わっている正しく"おっさんズナイン"の象徴的存在とも言える4番が放った土壇場の一撃に、地鳴りのような歓声が球場に木霊し、収まる気配はない。
球場の雰囲気に呑まれたか、ポートスターズの"守護神"が制球を乱し、走者を2人出して何とかアウトカウントを1つ稼いだ所で、8番打者の将晴を迎える。
「まぁ、代打だよねぇ...」
「仕方ないよな」
珠音と父が、ベンチ前で素振りする兄を見て苦笑する。
絶好の場面に向かおうとする兄は監督の葛城から呼び止められ、ベンチから所謂"代打の切り札"が姿を見せる。
シーズンで活躍を見せたとはいえ、兄の打率は2割台前半。
身内を贔屓目で見たい所だが、自分が監督でも兄は容赦なく交代させるだろう。
「......あれ、交代じゃない?」
しかし、兄は監督と二言三言交わすと、監督から背中を軽く叩かれ打席へ送り出される。
どうやら、ベンチから出てきた選手は9番打者への代打のようだ。
「すごい声援だね」
ランナーは2、3塁だが、状況から見て敬遠はない。
打球が内野手の間を抜けるか、外野へある程度の飛距離のフライを放てば、その瞬間に試合が決着する。
息を呑む展開に、ある者は大声で声援を送り、ある者は手を握り祈るように視線を送る。
「ファール!」
マウンド上の投手も、易々と点を取られる訳にはいかない。
渾身の投球に将晴は何とか食らいつき、その打球の行き先に球場中がざわめきを伴って注目する。
迎えた8球目。
『......!』
打球音がグラウンドに響いた直後、一瞬歓声が止み、観客たちが席を立って前のめりになる。
「いけーっ!」
「届け!」
「切れるな!」
直後、レフトポール際へ飛んでいく大飛球を、観客の暴風の如き大歓声が後押しする。
珠音も当然、例外ではない。
「入れ!」
フェンスオーバーするかしないかといった飛距離の打球を、左翼手が懸命に追う。
たとえ捕球したとしても、3塁走者はタッチアップして本塁へ突入するだろうが、ファールグラウンド上なら"わざと"捕球しない選択をするだろう。将晴の打撃成績は決して良いとはいえず、再び打席で勝負した方が得点を奪われる可能性も少ない。
フェアグラウンドだったとしても、最後の瞬間まで何が起こるか分からない。
左翼手はフェンス際で懸命に左腕を伸ばすが、懸命のプレーも虚しく打球はその上を越えていく。
レフトスタンドに打球が落着したのを認めると、球場は自分の声も分からない程の歓声に包まれる。
恐らく、中継では実況の声もかき消されている程だろう。
「うわぁ、ごめん!」
ファンは互いに抱き合い手を叩き、ダイヤモンドをゆっくりと回る将晴の殊勲打とチームの優勝を称える。
珠音もその例に漏れず、気付けば横にいた母と抱き合い飛び跳ねていた。
「踏み忘れるなよ!」
「ちゃんと踏めよ!」
グラウンドではホーム周辺に人だかりでき、今日のヒーローを出迎える。
将晴は両手を上げてその輪の中心に飛び込むと、そのまま揉みくちゃにされすぐに姿が見えなくなった。
Pixiv様にも投稿させて頂いております。
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=19958744




