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珠音いろ  作者: 今安ロキ
第1章 高校野球編
35/75

6回裏 ―信じた道、信じる道― 2.スイッチ

困難を乗り越えようと取り組む珠音の姿を見聞きし、茉穂は自問自答する。

常に全力で駆け抜ける彼女に手を差し伸べられた"私"も、全力をもって答えるべきではないか。


珠音に対し、前の打席では左のバッターボックスに入っていた茉穂は、本来の"左投右打"の選手として右打席に立つ。

その目、その心は、さながらスイッチが入ったかのように、勝負師の眼になっていた。

2.スイッチ


 楽しい時間は、あっという間に過ぎ去っていく。

 この日の練習メニューの最後として、夏季休暇中の厳しい練習の成果を確認するべく7イニング制の紅白戦が組まれていた。

「今日は夏休みの成果を試す場なんでしょ?私が出場するのは申し訳ないんだけど......」

「まー、気にしないで下さい。茉穂さんが出場してくれないと、私とまつりが散々怒られた意味がなくなっちゃいますもん」

「あ、やっぱり怒られたんだ......」

 まつりと茉穂は紅組に振り分けられ、それぞれ1番遊撃手と2番中堅手としてスタメンを飾っていた。

 珠音と茉穂の2人が別チームとなったのは、2人の願いを汲んだ鬼頭の配慮によるものだ。

「私は2番手で投げることになっています。負けませんよ!」

 あれ程厳しい練習をこなした後だというのに、平時はケロッとしている。

 紅白戦の登板を控えているというのに一切手を抜くことをしない珠音に、茉穂は感心していた。



 紅白戦は、先攻の紅組が初回から先制点をもぎ取る滑り出しとなった。

 白組先発の高岡からまつりがレフト前へのテキサスヒットを放ち、左打席には茉穂。

 サインはエンドラン。

 初球からまつりがスタートを切って駆け出し、白組二塁手の希望が2塁ベースのカバーへ向かう。

「(速いけど、打てないことはない!)」

 盗塁の巧いまつりを警戒したバッテリーが初球に速球を選択することを読み切ると、茉穂の打球は、ガラリと空いた一二塁間を鋭く破り、打球を右翼手が処理する間に一塁ランナーのまつりは悠々と三塁ベースへ到着した。

「初見なのに男子の速球に対応できるなんて、やっぱり茉穂さん、凄い選手だ。なんか、私もどんどんワクワクしてきちゃったよ!」

「大した適応力......珠音以外にも凄いのがいるもんだ。俺も負けてられん」

 紅組の3番はあっけなく内野フライで打ち取られ、打席には4番の二神。

 難しいコースを次々と見極め、6球目の甘い球を逃さず左翼手前へとライナーで運んでいく。

 対する白組も負けてはいない。

 紅組先発の二神から三番打者の大庭がしぶとく中堅手の前に落とすと、次打者は浩平。

 甲高い金属音が鳴り響くとともに打球は高々と舞い上がり、中堅手を務める茉穂の頭上を遥か上を通過してバックスクリーンに衝突する、逆転の2ランホームラン。

 それぞれがそれぞれの持ち味と練習成果を遺憾なく発揮し、試合は進んでいく。

「お願いします」

 左打席に茉穂が立ち、地面をならす。

 センター方向に真っすぐ見据えた先には前の打席とは異なり、自分と同じ背丈程の左投げ投手が立っている。

「勝負!」

「集中しろ!」

 先程、自分の頭上を通過していく打球を放った捕手―浩平―が、少々気の抜けた様子の珠音に呆れた様子を見せる。

「プレイ!」

 審判役を務める7月に引退したばかりの前キャプテン野中の合図で、試合が再開される。

「......!?」

 先程までにこやかな表情を浮かべていた珠音の瞳が、鋭く勝負師の色へと移り変わる。

 初球はボールの縫い目が空気を切り裂く音を鳴らしながら、綺麗な回転の直球がストライクゾーンに決まる。

「(速い)」

 ゆったりとした投球フォームから投げ放たれたボールは、先程の高岡という投手よりも球速で比べれば遥かに遅い。

 それでも、球威が落ちることなく進むボールは打者の手元で伸び、見た目以上の速度感を打者へと与える。

 2球目の変化が大きなスライダーを見逃してボール、3球目は手元で微妙に変化する所謂動く直球―ムーヴィングファスト―を打ち損じてファールとし、カウントは1ボール2ストライク。

 4球目のタイミングと視線を外すための遅いカーブを見極め、5球目は際どいコースの直球を何とかカットして逃げる。

 6球目は5球目と同じ軌道。

「(もらった!)」

 しかし、スイングの起動と同時にブレーキがかかったようにボールが下方へと沈み始め、茉穂はスイングを止めることができずにバットが虚しく空を切る。

 悔しさのあまりに思わず天を見上げた後、この回を完了してマウンドを降りる珠音と目が合うと、彼女は満面の笑みを見せていた。

「手の内を全部見せて、全力で抑えに来てくれた」

 中堅のポジションから、打席に入る珠音を眺める。

 マウンド上で見せていた程の雰囲気はないが、二神の投げ込むボールに喰らいつき、着実にタイミングを合わせに行っている。

 投手としてだけではなく、打者としても十分な能力を持っているようだ。

「センター!」

「っ!」

 鈍い金属音の直後、やや差し込まれた打球が中堅手から見て左中間寄り、視界で言えば右斜め前方に飛ぶ。

「オーライ!」

 左翼手が自分の後ろへ回り込む動きを感じ取ると、思い切って打球の落下点に向け身体全体を飛び込ませる。

「(間に合え!)」

 鼻腔に土と草の香りを感じつつ、差し出した右手のグローブの先に感じる重さを恐る恐る目で確認する。

「アウト!」

「んぁーーー!」

 二塁塁審を買って出た舞莉が捕球を確認すると、打者走者の珠音は一塁を回ったところで悔しそうな表情を浮かべ、地団太を踏む。

「ナイスプレー!」

 一通り悔しさを晴らしたのか、珠音は大きく溜め息を吐き出すと、相手チームの茉穂に対して惜しむことなく拍手を送った。



 7イニング制の紅白戦は後攻の白組が1点リードの状態で、7回表を迎えた。

 ネクストバッターズサークルから最終打席に向けて気持ちを整えつつ、前の打者のまつりに対して全力投球を見せる珠音の投球を観察する。

「珠音は、私に全力で向かってくれている」

 このまま紅組が無失点で終われば白組の勝利で終わるタイミングで、茉穂の第4打席が訪れようとしていた。

『我が儘でもいいと思うんです。自分の我が儘に責任を持つための努力をできる内は』

 1週間前、珠音との別れ際に言われた言葉が、茉穂の中でグルグルと回っていた。

「珠音はたくさんの仲間を巻き込んだ自分の我が儘を通すために、常に先頭に立って自分を追い込み続けている。自分を信じて」

 まつりの打球は三遊間に飛び、三塁手の大庭が的確に処理してこの回は2アウト。

「私も折角だし、我が儘になろうかな」

 茉穂は一塁側から真っすぐに左打席に入ろうとした足を止め、捕手の浩平と主審の野中の後ろを通って右打席へと回る。

 その様子を見守る紅白両チームから、ざわめきが起こる。

「え、茉穂さんスイッチヒッターなの!?」

「俺の専売特許!」

 珠音が驚きの表情を見せ、三塁手の大庭が地団駄を踏む。

 以前に立花から見せてもらった茉穂の打撃フォームは全て左打席に立ったもので、キャッチボールの際も左投げ。

 チーム編成上で左打者が貴重なこともあり、わざわざ右打席に入る必要性は薄いと言えるため、受け入れた側も彼女の事は当然の如く"左投左打"の選手だと思っていた。

「さぁ、いきましょう!」

 茉穂は驚く面々を面白がるように笑みを見せると、打席でバット構える。

「ま、考えても仕方がないか。私は左だろうが右だろうが、バッターを抑えるのが仕事だもんね」

 スイッチヒッターの茉穂がどうして前の打席で右打席に立たなかったのか興味津々な様子だったが、珠音は気持ちを眼前の獲物を打ち取ることだけに切り替え、狩人の如き表情を見せる。

 対する菜穂も普段の可愛らしい表情が消え、一瞬の間合いを逃さない武士のような雰囲気を醸し出す。

「(とりあえず、様子見でインコースにストレート)」

 浩平の意図を正確に理解した珠音はサインに頷くと、その通りのコースにボールが投げ込まれる。

 直後、球場に鳴り響く金属音。

「あー、惜しい」

 真芯で捉えた打球は、三塁線の僅かにファールグラウンドで跳ね、そのまま外野フェンス際まで転がっていく。

「わーお」

 惚けた様な声を上げる珠音だが、好敵手を捉える瞳の色は闘争心という名の薪をくべられ、火勢を増したように見える。

「(左打席は小技狙いのコンパクトなスイングだったが、右打席は長打狙いの力強いスイングか。だが、利き腕と反対の打席にしては、スイングに違和感がないな。左腕の"抜き方"も上手だ。むしろ、さっきの左打席の時の方が"後付け感"があって違和感を覚えるくらいだ)」

 浩平がスイングを分析し、次の配球を練る。

 利き腕と反対の打席ともなればどこか機械的な動作感が残りがちだが、茉穂が右打席で見せたスイングにはまるで違和感はなかった。

「(一先ず、外角で様子を見よう)」

 珠音と浩平のバッテリーが選択したのは、外角低めへ逃げるように沈むチェンジアップ。

 しかし、茉穂はバットをピクリとこそ反応させたものの、無理に追いかけて引っかけるようなことはしない。

「もしかして、元々右打ちですか?」

「さーて、どうでしょう」

 野球を始める場合、大抵の場合は利き腕に合わせた打席でのスイングを指導されるのが通常であり、左利きならば尚更である。

 一般的に年少者の野球において、打席から一塁ベースへの距離が近い左打者は有利であり、わざわざ左利きの選手に右打ちを指導することは悪手である。

 やがて本人の希望や足の速さなどを考慮して右打者が左打者へと転向する場合があるが、その反対のパターンは稀少で、元来左投右打だった選手は左打ちへ矯正されることが殆どである。

3球目のストレートで空振りを奪い、続く4球目。

「(インコースに食い込むスライダーで決めよう)」

「OK」

 浩平のサインを受け取ると、珠音は了承を口ずさむ。

 大きく息を吐き出し投球動作に入ると、ゆったりとしたフォームから三日月のような大きく弧を描くような軌道で、ボールが投げ込まれる。

 茉穂はスイングを崩されこそしたものの食らいつき、打球はそのままバックネット下の壁面にぶつかった。

「いい球だなぁ」

 茉穂は楽しさからくる興奮を隠すことなく、かつ自覚もしていた。

 これ程までに心躍る瞬間は、これまで得られなかったように思える。

「よく当てたなぁ。さぁ、次!」

 対する珠音も興奮を抑えきれない様子で、浩平へ次のサインを早く出すよう促している。

「(一球、外角に外すか)」

 浩平が外角のボール球を指示すると、珠音は露骨に嫌そうな表情を見せて首を振る。

 浩平も思わずやれやれといった様子で首を振ると、外角のストライクゾーンのぎりぎりにキャッチャーミットを構え、ストレートを投げ込ませる。

「(あっ、バカ!)」

「(しまった!)」

「(もらった!)」

 ほぼ同じタイミングで三者三様の反応を見せた直後、コントロールミスで若干真ん中よりに入ってきたストレートを茉穂の力強いスイングが捉え、打球はまつりの頭上をライナーで越えていく。

「あちゃー」

「ショートは中継に入れ、セカンド!」

 茉穂が快足を飛ばし、悠々と二塁ベースに到達する。

「くそー、打たれたかー」

「あんな露骨な表情したら、バレるだろうが!」

 キャッチャーミットでポンと珠音の頭を叩き、浩平は深い溜息をつく。

「いて」

 珠音は悔しさを滲ませたが、同時に全力勝負を十分に楽しんだのか笑顔を見せていた。

「切り替えていくぞ。この回、無失点で終わらせるからな」

「当然!」

 珠音はフッと息を吐き出すと、表情を引き締め直す。

 結果的に紅組はこの回無失点に終わり、白組の勝利で紅白戦は終了した。

Pixiv様にも投稿させて頂いております。

https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=19915860

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