6回裏 ―信じた道、信じる道― 1.珠音の背中
珠音とまつりの誘いを受け、鍛冶屋茉穂は鎌大附属硬式野球部の練習に参加する。
クラブチームで男子に囲まれながら野球に打ち込んだ日々を送って来た茉穂にとって、男子と女子が共に練習へ励む光景は斬新に思える。
茉穂は雑談の中で、珠音の背中を追う女子部員たちの想いを知る。
Bottom of 6th inning ―信じた道、信じる道―
1.珠音の背中
高鳴る鼓動は不安からくるものか、それとも自ら捨て去ろうとしている高揚感によるものか。
普段は西に広がる海に沈む太陽は、南の海上から大地に光を降り注いでいる。
「本当に女の子もたくさんいるんですね」
「あら、冗談だと思っていたの?」
「いえ、そんなことは...」
立花は同乗者の言葉に苦笑しつつ、以前よりかはいくらか慣れた手つきでレンタカーを駐車場に停める。
東京湾をフェリーで渡り、見慣れない街並みを眺めてようやく到着した運動公園には、ユニフォーム姿の一団が既に到着していた。
「さ、到着したわよ。長旅お疲れ様」
「ありがとうございました」
茉穂は助手席側の扉を開き、初めて訪れた土地を両足で踏みしめる。
「茉穂さん、こっちこっち!」
車から降り立った姿を見て、人垣から賑やかな声の主が飛び出し手を大きく振っている。
彼女の姿は1週間会わないだけで変わるハズなど無いのに、白い練習用ユニフォームに身を包んだ様子は向日葵も思わず顔を振り向けてしまう程の輝きを放って見える。
「凄いな」
自然に漏れ出た言葉は、同性としての嫉妬だろうか。
「あれ、どうしたんですか?」
茉穂の自嘲気味な苦笑に珠音は首を傾げる。
「いいえ、何でもないわ」
「珠音、球場開いたから入るぞ!」
「戻ってこ~い」
浩平の声に珠音が振り返ると、既にチームメンバーは荷物を運び入れ始めていた。
「わー、ごめんごめん!」
バタバタと駆けていく珠音は、ふと何かを思い出したように立ち止まると、振り返って満面の笑みを見せる。
「茉穂さん、また後で。今日は存分に楽しみましょうね!」
まるで羽根が生えたかのように軽やかな足取りの背中が、仲間を追って球場の中に消えていく。
「さぁ、私たちも行きましょう。鬼頭先生ももういらっしゃっているから、案内するわ」
「よろしくお願いします」
茉穂は後部座席から野球用具を満載した鞄を取り出し、肩にかける。
自宅を出る時にはずっしり重く感じられていたそれは、球場を前にして心なしか軽く感じられた。
青空の下、遮るもののないグラウンドの一角で、鬼頭を中心に円陣が組まれる。
「前に伝えていた通り、今日の練習にはゲストが1人参加する。それじゃあ、自己紹介を」
「はい」
鬼頭の後ろから黒を基調とした練習着姿の少女が顔を出すと、女子選手には慣れているハズの男子部員が色めき立つ。
親しみやすさのある外見の快活少女"には"慣れているものの、行く先々で人々の視線を集めそうな美少女には耐性がなかった。
「鍛冶屋茉穂です。今日は参加させていただき、ありがとうございます。普段はクラブチームに所属していて、ポジションは外野、センターとレフトを守ることが多いです。よろしくお願いいたします」
拍手で迎えられた茉穂が珠音と同程度の背丈を折り曲げ、ペコリと頭を下げる。
「茉穂さん、どうしたの?」
「あぁ、いや」
少々呆気にとられたような様子の茉穂に、珠音が不思議そうな表情を見せる。
「クラブチームで人数がそれなりにいる中で練習するのは慣れてきたけど、同年代の人がこれだけ集まって野球をやるのは久し振りだから、ちょっと緊張しちゃって。地元じゃ人数も少なくて、いつも同じメンバーだったし」
茉穂自身、人見知りはそれ程しない方だと思っていたが、いざ環境が変わればそうでもないのかもしれない。
「すぐに緊張している暇はなくなるぞ。怪我をしないよう、気を引き締めてな」
「は、はい!」
鬼頭の言葉を、茉穂はすぐ実感することとなった。
普段から男子の中でプレーしていた茉穂は多少なりともブランクがあるとはいえ、それなりに付いて行けるものと思っていた。
実際に練習が開始されると長年の"貯金"で遅れを取ることこそなかったが、練習内容とその密度が相当ハードに感じられた。
「普段からこんなメニューをこなしているんだ。女子にはなかなかきついんじゃない?」
「まぁ、これでも男子の半分くらい。残ってる時間は極力基礎練に割り振って、一つ一つのプレイの質を高める練習になるよう心掛けている。それでも、最初は付いて行くのがやっとでしたよ」
練習の合間に茉穂はポツリと言葉を漏らすと、すぐ横にいた希望を皮切りに近くにいた女性陣へと苦笑いが波紋のように広がっていく。
「やっぱそうだよね。前の部活、もっと緩かったし」
「私らは元から運動部だったからよかったけど、夏菜はとにかく運動音痴だし、琴音なんてね。運動部の意地にかけて2人には負けられなかったけど......まぁ、2人ともよくここまで生きのびてるよね」
「ホント、死ぬかと思った。今度から私の事は"傷だらけの天使"って呼んで」
「どこに天使がいるのよ」
佐野の揶揄うような言葉に、夏菜が苦笑する。
「まぁでも、私たちが発起人で皆を巻き込んだんだからね。食らいつかない訳にもいかないよ」
「そうだね。最近は吹奏楽部に顔を出さないといけないから皆には申し訳ないんだけど、私も出来る限り最後まで、ここでも頑張りたい」
女子班結成の経緯は、茉穂も立花から伝え聞いている。
野球を辞めようとした珠音のために2人が立ち上がり仲間を集め、珠音の再起を促した存在。
「す、吹奏楽部!?」
まさかその内の1人が運動部にすら所属していなかったとは思わず、茉穂は思わず素っ頓狂な声を上げる。
「琴音はしかも、その部長なんですよ」
「別に、大したことじゃ」
「......ここにいていいの?」
「うちの吹奏楽部、緩いんで...」
茉穂が所属した野球部にも古い馴染みの女子選手がいたが、あくまで数合わせ程度の存在である。
同性で同じ競技に高い志で取り組む人に出会ったのは初めてで、茉穂は間違いなく高揚感を覚えていた。
「それに、あの姿を見たら、"私たちも頑張らないと"とか"負けられないな"って思わずにはいられないよね」
「そうだよね」
女子選手が次々頷き、男子の中では一際線が細く、小柄な選手に視線を送る。
少し前かがみになった珠音は険しい表情を見せており、汗は遠目に見ても分かる程に溢れ出し、グラウンドへと滴り落ちていた。
男子選手は珠音に気を使っている様子は見受けられず、あくまで対等な一選手としてお互いを認識しているように思える。
「珠音は凄いよ、ホント。私たちはさっきも言ったけど、男子の半分くらいの練習量に絞ってるけど、珠音は全く同じメニューをこなしている。まつりも同じメニューをこなしているけど、やっぱり珠音は段違いに凄いよね」
「そうそう、朝練はもちろん昼休みも時間を見つけて身体を動かしているし、休日も身体のケアを怠ってない。本当に、凄い」
茉穂はここまでの練習を通じ、鎌倉大学附属硬式野球部が春と夏の連続で上位に食い込んだだけのことはあると感じていた。
密度もさることながら、選手の練習に対する意識の高さと一つ一つのプレーへの集中力は目を見張るものがある。
珠音のキャッチボールの相手を務めたが、グローブをはめた右手に伝わるボールの力強さと質の高さには、眼を見張るものがあった。
クラブチームのチームメイトは珠音より遥かに速いボールを投げるが、質だけ見れば珠音程ではないように思える。
「でも、気丈に振舞っているし、本人は気付かれてないと思っているだろうけどね」
「?」
夏菜は小さく息を吐き出し、言葉を続ける。
「たぶん、何度も何度も心が折れている。折れかけている訳でなく、ポッキリと」
「......そうなの?あって間もないけど、私から見たら珠音は凄く強い人に見えるけど」
「確かに、珠音は凄く強いですよ。でも、明らかに表情が曇る瞬間だってあるし、言葉のトーンもおかしくなったり、休憩時間に見当たらなくなったりする時だってある。私たちだって分からないわけじゃない......例えば、中学から体育の授業が男女別になった理由かな。体力と筋力、総合的な運動能力で女子は男子に敵わない。より高いレベルを目指すスポーツ選手なら尚更、そのギャップは広がる一方だって。ましてや、ね――」
夏菜の視線の先で、大柄な選手が汗を拭う。
珠音にとって、男女差の尺度を図る対象はただ一人。
彼女の一番の理解者であり、プロ球団からも陰ながら着目されつつある恋女房―浩平―の存在は、チームメイトとしての頼もしさと同時に、厳しい現実をこれでもかと叩きつける。
「でも、珠音は折れる度にまた強く立ち上がってくれる。そして、真っ直ぐ前だけを見据えて、足を踏み出し続けてくれる」
「そうだよね」
夏菜の言葉に、琴音が頷いて同調する。
その瞳は純粋に、羨望の輝きで満ち溢れていた。
「同い年なんて関係ない。私は珠音と一緒に活動できることを誇りに思えるし、珠音の事を尊敬している。それは、みんなも変わらないんじゃないかな?」
琴音の言葉に、集まっていた女子部員全員が頷く。
茉穂と会話を楽しむ傍らでも、彼女たちは常に、珠音の動きをトレースしていた。
「珠音の頑張る姿を見ていると、私たちも自然と引っ張られちゃうんですよ。ホント、珠音に出会えてよかった」
夏菜の言葉はチームの結束そのものを表しているのだろう。
そして力を付けつつあり、固い絆で結ばれた野球部の中核こそ、楓山珠音という女子選手である。
この日初めて練習に参加した茉穂の瞳にも、その事実は明確に理解できた。
Pixiv様でも投稿させて頂いております。
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