6回表 ―夏風吹く出会い― 3.差し伸べられた手
茉穂は先日の夏大会で発生した"野球経験のない助っ人選手の重傷事故"の当事者の一人であり、その選手を野球部に引き込んだ"我が儘"がキッカケで、高校卒業と同時に野球から離れようと考えていた。
語られる思いに耳を傾けながら、珠音は自身の経験を伝えると、鎌大附属硬式野球部の練習への参加を提案した。
3.差し伸べらた手
古めかしい壁掛け時計の振り子が一定のリズムを刻み、コップの内部では溶けた氷が"カラン"と心地の良い音を立てる。
一つ一つの音が普段よりも大きく聞き取れるほどの静寂を打ち破ったのは、その状況を作り出した張本人だった。
「ごめんなさい、楽し気な雰囲気を壊してしまって」
「あぁ、いや......」
心から申し訳なさそうな表情を見せる茉穂に、珠音とまつりはどんな声をかけるべきか分からないでいた。
困り果てて立花に視線を送るが、彼女もどこか申し訳なさそうな表情を見せている。
「立花さん......」
まつりの責めるような雰囲気を察知してか、立花は明後日の方向を向く。
「(この状況、来る前から知っていたな)」
更に険しい視線を送ると、立花はビクリと肩を震わせる。
どうやら、図星のようだ。
「その、もしも茉穂さんがよければ、理由を聞かせてもらってもいいですか?」
「......それもそうよね」
珠音が恐る恐る口にした言葉に茉穂は優しく微笑み、やがて口を開く。
「夏大会のことは知っているのよね?大怪我をした選手が野球部に所属していない助っ人で、私の幼馴染だってことも」
「......はい」
「なら、話は早いわね。野球に対して、怖さを感じるようになってしまったの」
「野球をやることに対して、ですか?」
「いいえ、野球に対して私が"我が儘"になることに対してかしら」
「我が儘?」
珠音が首を傾げまつりに助けを求めるも、彼女もその真意を測りきれないでいるようだった。
「洋ちゃ......あぁ、怪我をした幼馴染ね。彼に助っ人をお願いしたのは私なの」
茉穂は力無い笑みを見せる。まるで、自嘲するかのように。
「私や私たちが、単独チームで大会にしたいという身勝手な我が儘を通すために、元々スポーツが得意ではない人まで巻き込んだ挙句の果てに大怪我をさせてしまうだなんて、取り返しのつかないことをしてしまったわ」
「別に、怪我は茉穂さんのせいでは......」
「私のせいよ」
茉穂の視線が真っすぐと珠音を捉える。
「私のせいなの」
“否定は許さない”とでも言いたげな瞳は、潤い揺らいでいた。
「野球に対する我が儘の結果として取り返しのつかないことをしてしまった私は、野球をやるべきではない、そう思うの。それに、自分でもそろそろ潮時かもしれないと感じていたのもまた事実。シニアまでは何とか頑張れたけど、クラブチームで男女差はどうにも埋めようがなかったわ。甲子園もトップリーグも、今でも憧れている。けれども、私に手の届く舞台じゃない。受験の申し込みをしていた女子プロ野球のトライアウトも、取り下げようと思っている。我が儘で人を傷つけて、夢を追う勇気の無くなった私には、受験する権利はない」
強い意志の込められた言葉は、場に更なる静寂をもたらす。
厨房で佇む母も、この対談の発起人である立花も、それを打ち破る術を持ち合わせていない。
「でも」
しかし、そこに珠音がいた。
茉穂の正面には、珠音がいた。
意を決した力強い瞳が、茉穂の揺らぐ瞳と交差する。
「茉穂さん、本当は野球がやりたいんですよね?」
珠音の真っすぐな瞳は、茉穂の瞳の揺らめきを更に増大させる。
「私たちと野球の話をしている時、茉穂さんすごく楽しそうでした。権利がないとか、そんな難しいことを言わないで下さい。夢を追う勇気が無いのなら、私がグラウンドで分けてあげます!」
「......野球は好きだもの」
「なら、もっと素直になるべきですよ」
珠音は椅子から身を乗り出し前のめりになり、対する茉穂は肩を落とし前屈みの姿勢をとる。
「素直に?」
「はい」
珠音は強く頷き、力強い笑みを見せる。
「私、茉穂さんと対戦してみたいです」
「私が、珠音と?」
「はい!」
溢れ出る好奇心が、場の雰囲気を暖める。
「確か、トライアウトってもうすぐでしたよね。本当に続ける意志がないのなら、茉穂さんはとっくの昔に受験の申し込みを取り下げていると思うんです。そうしていないってことは、茉穂さんは心のどこかでまだ野球をやりたい、続けたいと思っているんですよ!」
「でも...」
カフェの室温を上げるような錯覚を覚えるほど、珠音から熱意が溢れ出る。
真正面から受け取る茉穂も、その熱さに思わず目を背ける。
「来週の金曜日、うちの野球部は藤沢の八部球場を借りて実戦練習をやるんです。一日の最後に紅白戦を予定しているんですけど、よかったら茉穂さんも参加しませんか?」
「えっ」
突飛な提案に、茉穂は素直に驚いた表情を見せる。
「うん、それいい。そうしましょうよ!」
茉穂の否定を聞く前に、珠音は勝手に肯定を重ねていく。
「でも、私みたいな部外者が加わってもいいものかな。監督のOKももらってないでしょ?」
「今、OKきました」
まつりの差し出したスマートフォンには、鬼頭から送られてきた"分かった、許可すると伝えて欲しい"の言葉が示されている。
無言を貫いていたまつりが、"猛将"珠音の軍師として鬼頭に連絡したようだ。
「行ってきなさい」
冷たい水をグラスに注ぎながら、茉穂の母は娘の頭を撫でる。
「家の仕事に精を出してくれるのは助かるけど、あなたはまだ我が儘をしていいのよ。親元にいる間も、独立したその後も、あなたがどんな努力を重ねても私たちの子どもであることに変わりはないの。大人のフリなんてしなくていいから、子どもらしく思いきり我が儘してきなさい」
「でも」
「いいじゃないか」
店の奥から、この場にいない人物の声が聞こえてくる。
「洋ちゃん......」
松葉杖をつきながら細身の同年代男子が顔を出し、見慣れない3人に軽く会釈をする。
呼ばれた名前から、彼こそあの試合で怪我をした"助っ人"で間違いはないだろう。
「俺を気にしたって仕方がないだろ。俺がケガをしたのは俺の責任だし、お前が気にする必要なんてないさ」
「でも、洋ちゃんがケガをしたのは、私が助っ人をお願いしたからだし」
「お前が野球が大好きで、ずっと頑張っていたのは知ってる。だからこそ俺だって力になりたいと思ったから、助っ人を頼まれた時にOKしたんだ。俺のケガがキッカケでお前が野球をやめるだなんて、俺は認められないな」
洋治は片足で歩み寄り、茉穂の右肩に手を置く。
「堂々としてろ。俺のこともこの町のことも気にしないで、やりたい野球をやってくれ」
洋治の言葉を受け、茉穂は逡巡するような表情を見せる。
「......分かった」
茉穂は小さく頷き、前屈みの姿勢を改める。
「トライアウトを受けるかはまだ決められないけど、練習には参加させて下さい。そこで私の気持ちを確かめます」
「その意気だ!」
茉穂と珠音が立ち上がり、2人が自然と硬い握手を交わす。
「全力で勝負しましょう!」
「1年先輩を舐めないでね」
握手を交わす手に入る力が、自然と強くなる。
茉穂の沈んだ表情は西日に照らされ、野球を語らい合っていた時のように明るく輝いて見えた。
帰りの車の中、珠音とまつりは一通りの文句を立花にぶつけると、溜め息をついて鬼頭にメッセージを送る。
立花は運転に集中しており、あまり余裕がなさそうにも見える。
「先生、OKくれるかな」
「大丈夫でしょ」
珠音はメッセージの"既読"を確認しつつ、返信がなかなか来ないことにヤキモキしていた。
「まさか、まつりがしれっと"監督とは別の鬼頭さん"から届いたメッセージを見せてただなんて、思いもよらなかったよ」
「いいサポートだったでしょ。メッセージの返信が早い友達で男でも通じる名前だったから、ちょうどいいかなと思ったの」
「いいサポートだったよ。そうだったとも。そうだけさぁ」
実際のところ、珠音は鬼頭へ事前に許可を取った訳でもなく、ただ勢いだけで茉穂に練習参加を勧めていた。
まさかその場で、かつ一瞬にして退路を断たれるとは思っても見なかったのだろう。
「だって、あんなに野球が大好きなのに、辞めるだなんて言い出すんだもん。私やまつりに野球部の"みんな"がいたように、私は茉穂さんにとっての"みんな"になりたいもん」
「......そうだね、そうやって私も野球に戻ることができたね」
照れくさそうな表情を見せるまつりを、珠音が小突く。
思えば、以前のまつりだったらこのような表情を見せなかっただろう。
「あ、先生からメッセージきた」
2人がスマートフォンの画面を覗き込むと、そこには"分かった、許可する"と短い言葉が綴られていた。
「予想通りの言葉を送って来たね」
「面白みにかけるなぁ」
ピロリンと軽快な音が鳴り、鬼頭から続きのメッセージが送られてくる。
「明日、"練習開始の1時間前に職員室まで2人で来るように"だって」
暫くの間の後、2人は揃って深い溜め息をつく。
「面白くないなぁ」
「そうね」
後から思えば立花がセッティングしたこの会談は、トップリーグに所属する史上2人目の女子プロ野球選手の誕生を促す世紀の瞬間となるのだが、当事者となった2人の後輩女子高生にとっては、翌日の説教がただただ憂鬱なだけの帰り道となった。
Pixiv様でも投稿させて頂いております。
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