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珠音いろ  作者: 今安ロキ
第1章 高校野球編
3/74

1回表 ―終わり― 3.区切りの夏

あれ程までに長く続くことを願った中学野球の日々は、あっけなく終わりを迎えた。

これからは高校受験の準備に勤しむ日々になるのだろう。


一選手として、受け入れてくれる高校はないかもしれない。

それでも、長らくバッテリーを組む土浦浩平は手を差し伸べ、珠音はその手を受け取らない選択はなかった。


Pixiv小説様でも、投稿させていただいております。

https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=19414196

3.区切りの夏


 終わりや区切りというものはこうもあっけないものかと、珠音は天を仰ぎ見て思案する。

 あれ程待ちわびた、やや涼しく日照りのない曇り空に恵まれた気候も、ただどんよりと浮かない気持ちを表しているように感じられる。

「She is out!」

 悲しみや悔しさが自然と溢れるものだと思い込んでいた心は存外穏やかで、一塁塁審が最後の打者に対するジャッジの主語を、律義に"She"としていることにも気が付く程だった。

「ゲーム!」

 本塁付近に整列し、対戦相手の喜びと安堵に満ちた表情を観察する。

 彼らは駒を次に進め、最後の夏をもうしばらく継続させる。あれ程辛く、投げ出したいと思った部活動も、悪態をつきどこか嫌っていた顧問との生活も、いざ終わると思えば寂しいものだ。

「お待たせ」

 試合後の反省会を終え、泥だらけのユニフォームから制服へ着替えると、既に荷物をまとめ終わっていたチームメイトと合流する。

 うら若き乙女としては汗を流すべくシャワーの一つも浴びたいものだが、そんな訳にもいかない。制汗剤とウェットティッシュを効果的に駆使し、素早く汗の匂いをブロックする。

「それじゃあ、帰ろう」

 キャプテンの浩平を先頭に、最寄り駅まで徒歩移動する。習慣として学年順に並び歩きがちな敗者の列は、横から見ると頭の位置が弧を描きながら下がるように並んでいる。

 成長期の男子は竹のようにグングンと背丈を伸ばすため、中学生になったばかりの1年生と3年生では体格差が大きい。

 そんな中、1人だけ頭半分小さく服装も異なる珠音の姿は、傍から見て特異に見えることだろう。

「終わっちまったなぁ」

 最寄り駅でチームメイトと別れ、珠音と浩平はバスへと乗り込む。学区の端に住む2人は、他のメンバーと別行動をとる機会も多い。

「そうね」

 曇り空からはポツリと小雨が落ち始め、路面が少しずつと濡れ始める。

「もうちょっと、このメンバーで続けたかったな」

 中学校までとは異なり、高校進学時に地元から少し離れた学校へ進学することも多い。

少年野球チーム時代から慣れ親しんだメンバーと野球をやる機会は、この先数える程度だろう。

「......続けるのか?」

「まだ考え中」

 浩平の質問に、珠音は表情を変えずに即答する。

「そっか」

 浩平は珠音の即答に、続けようとした言葉を発し損ねる。

「今度......」

「......ん?」

 珠音の様子を伺いながら、浩平は意を決して言葉を続ける。

「今度、先生に頼んで、高校の練習を見学に行こうと思っているんだ」

「へー、いいじゃん。どこ行くの?」

「鎌大附属」

 鎌倉大学附属高等学校。地元では、省略して鎌大附属と呼ばれている。

 元々は母体の大学共々女子高だったが、公立化に際に男子学生を受け入れ、共学化している。文武両道を校則にこそ掲げているが、どちらかと言えば学業よりで部活動の成績はそこそこでしかない。

 武家の都”鎌倉”というイメージのせいか、剣道、弓道、薙刀といった武道系の活動は盛んだが、球技ではお世辞にも有力校とは言えない。

「浩平の実力なら、もっと強い高校でも通用するんじゃない?」

「かもしんないけど、俺としては試合に出たいからなぁ」

 部員を多数抱える有力校への進学も、選択の一つである。

 しかし、大会に出場できるのは一校一チームのみであり、大会により異なるものの所属する部員数に関わらず公式戦に出場登録できる人数はおよそ20名前後である。

 有力校の厳しい競争の中で切磋琢磨するもよし、そこそこの環境で着実なレベルアップを図るもよし。選択は人それぞれである。

「ま、それもそうだね」

 浩平の表情がハッとなる。

 そもそも、野球部に選手として所属しても公式戦に出場できない珠音には、嫌味に捉えられるかもしれない。

「そ、それでさ」

 少し鼓動の高まりを感じつつ、浩平は続く言葉を発する。

「一緒に見学に行かないか?」

「え?」

 珠音が驚いた表情を見せる。

「でも、私が行ったって......」

「俺は、高校でもお前とバッテリーを組みたいと思っている。公式戦では無理かもしれないけど、野球は公式戦だけじゃない。練習試合だってあるし、ルールが適用されないような小さな大会だってあるはずだ」

「そうだろうけど、扱いの面倒くさい選手を受け入れてくれる学校なんて無いよ」

「なら、受け入れてくれる学校を探そう。その手始めと思って」

 長い付き合いではあるが、浩平から押してくることは少ない(普段は珠音の押しが強すぎて受けに回る機会が多い)。

「...分かった」

 浩平の珍しい様子に、珠音は悪戯な笑みを見せる。

「デートのお誘い、受けるよ」

「で、デート!?」

 浩平は顔を赤らめ、視線を逸らす。

「そ、そんなんじゃねぇし」

「へー、そうなんだ」

 恥ずかしがる浩平の姿が可愛く見え、珠音は頭を撫でる。大会前に気合を入れたスポーツ刈りは触り心地がいい。

「じゃ、夏休みの約束ってことで」

「お、おぅ」

 部活動が終わり受験勉強に勤しむ(ハズの)夏休みのスケジュールに、イベントが一つ追加される。

 今日という日の敗戦は、続く勝利への糧となる。

 その第一歩が、こうして刻まれようとしていた。

「ところで、さ」

 珠音が笑いを堪えており、浩平は不思議そうな表情を見せる。

「バス停、通り過ぎたけど」

「えっ」

 普段とは逆方向から乗ったことも相まって、この日は珠音より先に浩平が降りるバス停が先となる。

 会話に気をとられ、浩平は最寄りのバス停を乗り過ごしてしまった。

「教えてくれよ」

「ごめ~ん」

 珠音は反省の色をまるで感じさせない返事を送る。

 浩平は大きく溜め息をつくと、2つ先にある珠音の最寄りまでそのまま同乗し、会話を楽しむこととした。

「......マジか」

「わー、本降りだねぇ」

 バスを降車する頃には、雨は本格的に降り始めていた。

 用意よく折り畳み傘を差す珠音に対し、バス停2つ分を歩いて戻る浩平は傘を所持しておらず、雨に打たれるがままになってしまう。

「水も滴るいい男ってね!」

「風邪ひくなよ~」

 珠音は走って帰る背中を笑って見送る。

 翌日、浩平は案の定風邪を引いてしまい、さすがの珠音もこの時ばかりは反省した。

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