4回裏 ―初陣― 1.芽吹きの春
伊志嶺まつりが硬式野球部に加わり、鎌大附属硬式野球部は構想通り男子班と女子班を編成した上での大会参加が可能となった。
それぞれの目標を持って迎える、"それぞれ"の春大会。
新生硬式野球部は、初陣を迎えようとしていた。
Bottom of 4th ininng ―初陣―
1.芽吹きの春
入学試験、学年末試験、卒業式。
年度末に畳み掛けてきたイベントがひと段落した所で、鬼頭は赴任同期の谷本と居酒屋に繰り出した。
「ひと段落した学校行事と、卒業した生徒たちの実りある光り輝く未来に」
「待ち受ける春大会と、新しい生徒たちに」
2人は黄金色のビールが注がれたジョッキを掲げ、"カツン"と音を立ててから口をつける。
「ウチから2人も引き抜いたんだ、勝ち抜けよ」
「引き抜いた訳じゃない、借りているだけだ」
谷本は陸上部の顧問を務めており、彼が"引き抜かれた"と主張する2名の内1名は伊志嶺まつりを指している。
1月末以来、陸上部のエースとして君臨していたまつりは、少年野球を経験したという同級生1人を伴って野球部を掛け持つようになっていた。
「借りているのは吉永だけだろ。伊志嶺はむしろ陸上部の方を兼ねているように見えるのは、俺だけか?」
「よく言うよ。この際だから、大会が終わったら楓山を陸上部に貸せ。これで"あいこ"だ」
谷本が憮然とした表情を浮かべて、お通しのメンマに箸をつける。
鬼頭はその様子に、苦笑を浮かべるしかない。
「......あいつは、楽しんでいるか?」
「あぁ、少なくとも俺と部員達には、彼女の表情は活き活きとして見えるぞ」
ストイックさは相変わらずだが、陸上部時代から見せていた冷徹とも言えた雰囲気は春の雪解けに合わせたかのように消え、徐々に名前通りの明るい一面が現れるようになってきた。
「そうか......」
谷本は串焼きに手を付け、少しホッとしたような表情を見せる。
「陸上部にいた時はいつも辛そうな顔をしていたからな。お前の話を聞いていると、もしかしたら伊志嶺は昔の辛い思い出を忘れるために、もがいていたのかもしれない。そう思えてならないよ」
「すぐ横のグラウンドでは野球部が練習していて、その輪の中には自分と同じような境遇ながら前に進もうと女子選手がいる。振りほどこうともがけばもがく程、辛い思い出が自らをより強く縛り付けたのかもしれないな」
「何だお前、理系のくせに文学的な表現ができるのか」
谷本は国語、鬼頭は数学を担当している。
文理の違いはあれど、教師としての立場は変わらない。
「俺はあいつの悩みに気付いてあげられなかった。まだまだ勉強しないといけないな」
「それは俺もだ。あいつらの進む未来をより良いものにするために何ができるのか、難しい課題だよ」
ふと谷本が、鬼頭の髪の毛をいじり出す。
「そういえば、白髪増えたな」
「お前ほどじゃないよ」
鬼頭が腕を振りほどき、不満気にジョッキのビールを飲み干す。
三十代後半、互いに子持ち。
互いに過ごす環境も変わってきて、こうやって愚痴を言い合う機会も少なくなった。
悩みの尽きない年代としては溜まった疲れをシャワーではなく、時には気心知れた友人との酒宴でアルコールとともに洗い流したくもなる。
長らく語り合う2人は仲良く終電を逃し、それぞれ妻に呆れられた。
迎えた高等学校春季地区大会初戦。
綾瀬スポーツ公園第1球場に集まった観客は、3塁側に陣取った鎌大附属サイドの応援席を思わず二度見したことだろう。
「なんか、こっち見てざわついてない?」
「ユニフォーム姿の女子が10人近くいて、しかもアルプスにいる男子部員よりも人数が多いだなんて、県内見てもあり得ないでしょ。そもそも、硬式野球部にマネージャー以外の女子部員がいる学校自体が珍しいんだし」
珠音とまつりは鎌大附属の応援に集まった面々にメガホンを配りながら、集まる視線に思わず嘆息する。
「些細なことを気にしても仕方がないね。私たちは応援に集中しよう」
「そうですね」
ベンチ入りが叶わなかった野球部員と手分けして応援を手伝ってくれる吹奏楽部員にテキパキと指示を送る横で、舞莉と琴音がフルートを組み立てる。
本格的な応援はまだできないが、少しでも盛り上げようとベンチ入りできなかった男子部員と協力して、小規模ながら応援団を結成していた。
その一団の中で琴音が野球のユニフォームに身を包みながらフルートを手にする姿は、それこそ目を引く存在になる。
「私たちにとっては好都合だと思うよ。私たちはどんな形であり、注目を集めてなんぼでしょ。琴音には頑張って目立ってもらわないと」
本人は無自覚だが、琴音は珠音と同様にクラスで1番とは言わないまでも整った顔立ちで、男子受けはそれなりにいい。
「舞莉の言う通りだよ」
集まった応援団に歩み寄る人物に、珠音を始めとした野球部員には見覚えがあった。
「立花さん、来てくれたんですね」
珠音の出迎えに、立花は好奇心に輝いた瞳を向ける。
「もちろんだよ、君たちを密着取材しているんだから」
男子班の初戦の相手は、湘南杯で辛酸を舐めさせられた湘南義塾。
地区大会ではブロック上位2チームが県大会に進出できるが、同じ湘南地区の強豪校は鎌大附属として乗り越えなければならない相手には違いはない。
あらゆる意味で因縁の相手を初戦に迎え、鎌大附属ナインの気合は十分だった。
「今日のこの状況、実に面白いじゃないか。しっかり稼がせてもらうよ」
立花が視線を向けた先には、カメラマンと新聞記者が多数。
「流石は強豪校の湘南義塾。プロ注目の選手がいるとなればメディアの扱いも違うね」
「プロ注目の選手、ね」
珠音は相手校のベンチを見ると、一人だけスイングが明らかに違う人物がいる。
湘南杯では3番、この試合では4番を任されている増渕という選手は、前回見た時よりも体が一回り大きくなっているようにも見えた。
冬場の厳しいトレーニングを乗り越えた証である。
「地方紙とはいえ、メディアに君たちの名前は出ているからね。彼らも君たちのことを意識しているみたいだし、小さくとも記事になるかもしれない。もちろん、応援を受ける彼らの頑張り次第だけども」
「それは大丈夫ですよ」
秋の地区大会で珠音の瞳に宿っていたのは、羨望と嫉妬の色。
舞莉は綺麗に磨かれたユーフォニアムの鏡面越しに、珠音の表情を観察する。
「うちが勝ちますから」
「......いいね」
映し出されたのは信頼の色。
鏡越しでも分かる程の強い意志の色に、舞莉は心から満足した。
試合開始直前、円陣の中心ではキャプテンの野中がチームに檄を飛ばす。
「みんな、今日が大事な初戦だ。選手として目の前の試合で勝ちを目指すのは当然だけど、俺たちは同時に指導者として、女子班に手本を見せなきゃならない」
女子班を結成してから4か月。
まつりが参加した際に「Gってゴキブリっぽいから嫌だ」との意見に同調し、名称が女子班に変更されてからも、これまで野球に触れたこともなかった女子部員たちはみるみる上達していった(男子のBチームも、男子班に改称された)。
男子部員もただ指導していただけではない。
初心者の女子部員への指導を通じて自分たちの動作を一つ一つ見つめ直しただけでなく、自らに課した厳しい練習を経て、各自がレベルアップを実感できるまでになっていた。
「打線は強力だし、相手投手もレベルが高い。それでも俺たちはレベルアップしたんだ。練習の成果、そして自分たちが教えた内容を信じて、試合に臨もう」
下馬評では湘南義塾の勝利は揺るがない。
だからこそ、ひっくり返す価値がある。
『おうっ』
スタンドから送られる声援も、物量差に優れる湘南義塾が圧倒している。
それでも芯の強さを持つ掛け声は、球場に確かな存在感を示した。
スコアボードに記された得点は、4と2。
「ゲーム!」
相手チームの愕然とした表情と集まった記者のざわめきを耳にして、浩平たち鎌大附属ナインは自分たちの勝利を実感した。
「勝ったはいいけど、打たれた感覚しかねぇわ」
ベンチに引き上げクールダウンする益田が、苦笑しながら浩平に話しかける。
「勝てばいいんですよ」
先発の益田はプロ注目の増渕にしっかり2本のホームランを献上し、彼の実力をスカウトへ知らしめるには十分に貢献した。
しかし、彼を打席に迎えた時点でランナーを得点圏に進めないよう思案を巡らせた浩平の術中に、湘南義塾打線がまんまとハマった結果としての勝利である。
勝利を収めたとはいえ、大量得点のイニングを作った訳ではない。
打撃では格上の相手に対し、ボールをキッチリ見極めセンター返しから打者から見て反対方向を狙うことを基本とし、長打を狙わず甘い球を基本に忠実に打ち返す。
ランナーの進塁を第一の優先事項として、コンパクトかつバットの芯で捉えるスイングを心がける。
長打はなくとも堅実に得点を奪い取るための策を講じ、チャンスでは抜群の集中力を発揮した。
守備では基本動作の反復で養った安定感を発揮し、守備範囲に飛んだ打球をミスなくしっかりと捌ききった。
さらには強烈な打球にも果敢に飛び込む球際の強さが光り、抜ければ失点というシチュエーションを悉く潰し、湘南義塾打線は悔しさのあまり唇を噛み締め天を見上げるばかりだった。
何れも、初心者の女子部員へ指南役を担った男子部員が、指導の経験を得て自らも強く意識付けられたポイントである。
華には欠けるものの、現状の実力で勝利をもぎ取るための最適解を男子部員が女子部員に対して攻守もともに身をもって現し、日頃の成果として見事に示してみせた。
「湘南杯だって途中までは渡り合えていたんだ。俺たちのやり方は間違っていなかった訳だし、今日の結果に自信を持ってもいいだろ」
「そうだな。ただ、自信過剰は禁物だ。次戦で足下を掬われかねん」
基礎練習の反復を繰り返した日々に自信を覗かせるキャプテンの野中に、鬼頭が念の為といった表情で釘を刺す。
初戦から格上相手の山場を迎えたこともあり、次戦以降に気が緩まないよう、締めるところは締めなければならない。
「すみません、取材をお願いしたいのですが、よろしいでしょうか?」
鬼頭は差し出された名刺に少々の驚きを示す。
全国的に有名なスポーツ紙で、開幕直後の高校野球春季大会の特設ページを担当しているらしい。
後に続くように数社のスポーツ紙、全国紙が鬼頭の元を訪れ、そのままキャプテンの野中と浩平が連れられて行く。
「あー、先越されたわー」
「お疲れ様です。てっきり、真っ先に飛んで来ると思っていましたよ」
げっそりとした表情の立花を、珠音が出迎える。
「何かあったんですか?」
「連中ったら、君らのことを根掘り葉掘り聞いてきた挙句、出し抜かれたのよ。もー、出遅れちゃったじゃない」
立花はやや大袈裟に溜め息をつく。
「まぁ、この試合の注目ポイントといえば、事前情報さえなければ湘南義塾の増渕くんくらいでしょう。実力や実績の差が大きい2校の勝敗なんか、はなから興味の対象外だわ」
立花の物言いに少々ムッとしたものの、自分も取材者の立場ならそう思うかもしれない。
「それが蓋を開けて見れば、スタンドには一チーム組めるだけの女子部員。これだけでも注意を引かれるのに、打線は実力に優る投手へ喰らい付いて確実に点をもぎ取り、守備陣は実力に劣る投手を必死に盛り立て堅守を見せたわ。素直に"面白い"と思わせる要素に溢れていたのでしょう。そして、下馬評を覆す大番狂わせときた。記者の端くれとして、色めき立つ理由は分からなくはない」
立花の顔には、自分だけの特種を知られてしまった悔しさと、母校の後輩たちが注目を集める誇りも混じり合っていた。
「そういえば、4番を務めた土浦くんには記者もスカウトも驚いていた様子ね」
「えっ」
珠音は記者団に囲まれた浩平の姿を改めて見る。
「小兵揃いの中堅校において、頭一つ大きい体格。ただの"もやし君"の可能性だってあるんだけど、彼は違う。文字通り"頭一つ抜けた"存在で、他の打者が苦慮した湘南義塾エースの丸川くんの投球にも、彼だけはしっかりと対応できていた」
珠音はスコアボードを思い返す。
湘南義塾は十一安打二得点で、得点は全て増渕のソロホームラン二本に由来する。
多数の安打を許しながら本塁打による失点のみに留まったのは、正しく鎌大附属守備陣の誇る堅守の賜物だろう。
対する鎌大附属は相手の二失策に加えてもぎ取った四球の数は6。
六安打四得点の結果から見ても、如何に相手のミスにつけ込み、粘り強く効果的な攻撃が勝利に繋がったことを物語っている。
「結果も物語っているわ。増渕くん程じゃないけど、丸川くんもそれなりに将来有望な選手だからね」
六安打の打ち分けは浩平が四安打、一番打者の舟橋と六番打者を務めた高橋が各一安打。
四得点のうち、打点の打ち分けは浩平が三で高橋が一。
高橋のタイムリーヒットで本塁に帰還したのが、二塁打を放った直後の浩平だったため、浩平は鎌大附属の四得点全てに直接関わっている。
「彼はまだ"新"2年生だ。これから1年の成長を考えれば、彼が注目されるのも無理はない。全国的には無名校に咲く一輪の大輪は、まるで物語の"主人公"だ。中学軟式野球出身で無名の存在だから、尚更ストーリー性もあるね」
「主人公......」
珠音の視線の先に映る浩平は、立花の言う記者団の注目を現すかのように多数のボイスレコーダーを向けられ、緊張の面持ちでインタビューに応えている。
そう言われてしまうと、長年に渡る"相棒"も急に遠い存在に思えてしまう。
「君も"主人公"だよ。彼は"ヒーロー"で君は"ヒロイン"だ」
珠音の心の内を見透かしたように、立花は微笑を見せる。
「でも、"ヒロイン"なら"ヒーロー"の存在なしには成り立たないですよね」
「そうでもないさ」
立花はスマートフォンを手早く操作し、画面を見せてくる。
「ほれ。"ヒロイン"は"ヒーロー"の単なる女性形にすぎない言葉さ。つまり、本質的には同義。彼が主人公なら、君もまた主人公さ。個々の人生における主人公ではなく、群衆がそれぞれ送る人生の中で、燦々と輝き他者に影響を与え続けた強烈な存在としての"主人公"だね」
「私は、そんな存在ではないですよ」
「"まだ"そうだね。君たちが目標の一つを達成し、その先に進めた時に初めて、君は"主人公"になれる」
珠音の少し弱気な発言へ喝を入れるように、立花は喰い気味に返答する。
「いいかい、君は主人公に成り得る存在だ。その意味と価値を、自覚した方がいいよ」
立花の真剣な眼差しに、珠音はハッとさせられる。
少なくとも、ここに集まった野球部はもともと所属していた男子部員だけでなく、所謂"女子班"は自身の存在により人生を大きく"動かされた"人物である。
「はい」
珠音の表情が自然に凛と引き締まる。
「増渕理事だ」
立花の声に、珠音はその視線の向きを追う。
八部球場の事務室で対峙した約5ヶ月前の記憶が思い起こされる。
珠音の視線に気が付いたのか、増渕は不機嫌さを前面に押し出した表情と視線を返してきた。
「私は立ち止まれませんね」
立花は少し驚いた表情を見せ、珠音の表情を見やる。
公用車に乗り込む増渕の背中を真っすぐ捉え、その姿が見えなくなるまで視界に収め続ける。
自分の歩むその先の人生を見据える眼光は、どんな障壁でも貫ける程の鋭さだった。
Pixiv様にも投稿させて頂いております。
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