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珠音いろ  作者: 今安ロキ
第1章 高校野球編
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1回表 ―終わり― 2.女子選手のイロイロ

中学生の3年間は男女とも、心身に大きな変化が現れる期間と重なる。

小学生の頃は変わらずできたことも、この3年間を経て主に運動能力に差が生じ始めて来る。

何とかくらいついて来たが、自分が大好きな野球を続けられるのは中学生までかもしれない。


こんな日々が、1日でも長く続きますように。

2.女子選手のイロイロ


 男女差を強く感じるようになったのは、自分より小さかった男子部員たちに身長を追い抜かれた始めた頃だっただろうか。

 児童期における身体の成長において、一般的に女子児童は男子児童よりも2年ほど早く成長すると言われている。

 珠音が地元の少年野球チームに参加するようになったのは小学3年生。

 浩平を始め、チームメイトの内数人とはその当時からの腐れ縁ではあるが、周囲の男子勢は当時こそ同程度で、小学校高学年の頃には少し見下ろしていた身長も、成長期真っただ中の今となっては10cm程度差を付けられてしまっている。

 一方の自身はと言えば身長の伸びはほぼほぼ止まり、チームメイトの殆どを見上げるようになっている。

 代わりにと言わんばかりに大きくなる臀部に着実な成長の痕跡を残すが、当人の心境としてはどうせだったら胸部の成長を期待しつつ、同時に投球動作の邪魔になることも懸念している。

「腹立たしい。ついこの前までは私よりも小っちゃかったくせに」

「いつの話だよ」

 自分の悩みなど知らぬ存ぜぬと言わんばかり、憎き男子チームメイトの代表格たる浩平は春の身体測定で176cmをたたき出し、目下15cmの差を付けられた珠音は悔しさのあまり脛蹴りした挙句に悪態をつき、せめてもの抵抗としてしばらくチョンマゲを結わえていた。

「そういや、また身長伸びたわ」

「はっ!?」

 試合帰りのバス、前方に座る大きな背中から放たれた衝撃的な一言に、珠音は手に持っていたスポーツドリンクを下に落としかける。

「な、何cm!?」

「2cm」

「腹立たしい、実に腹立たしい。3cmよこせ!」

 後背に位置する優勢を活かし、大きな標的をポカポカと叩く。

「痛てぇよ、そして何でだよ!元の身長より小さくなってるじゃねぇか!」

「178cmなんて微妙じゃん。3cm縮めば175cmで切りもいいし、四捨五入しても同じ180cmだから問題ないっしょ」

「大ありだわ。というか、お前こそ俺に2cmよこせ。そうすれば俺は正真正銘180cmになれる」

 後ろを振り返り、浩平は悪戯な笑みを見せる。

「冗談じゃない!」

 浩平の表情とは反対に、珠音は真剣な表情を見せて反論する。

「私から2cm”も”奪い取られたら160cm切っちゃうじゃん!」

「四捨五入したら159cmだって160cmになるんだから、問題ないだろ」

 珠音のセリフを引用した返答に、浩平はしてやったりとでもいった表情を見せる。

「乙女の1cmと猿の1cmじゃ価値が全然違うんだから、3...いや、5cmくれたってお釣りが来るよ」

「へいへい。まぁ、まだ身長は”止まって”いないんだろ」

「まぁ、一時期の勢いはないけど、慎ましく伸びているよ」

「なら大丈夫さ」

 浩平の言葉を受けると、珠音は何も返答せず、窓の外―それも遠くの方―へ愁いを帯びた視線を送る。

「.....まだ悩んでいるのか?」

「そりゃねぇ」

 珠音は深いため息をつく。

 付き合いの長いチームメイトから伊達に”老夫婦”と言われるほどの腐れ縁である。浩平は古女房として、”旦那”の抱える悩みの種は熟知しているつもりだ。

「先のことなんて、そうそう考えられないよ」

 中学3年生の夏。部活動も最終盤を迎え、どんなに勝ち進んだとしても夏大会の終了はそれ即ち受験勉強の本格的な始まりを意味する。

 無論、既に学習塾に通い詰める友人を珠音も知っているが、当人はそれには当てはまらない。

「でも、誘いもあったんだろ?」

「そうなんだけど......まったく、桜井先生も余計なお世話をしてくれたなぁ」

 珠音はただ高校への進路で悩んでいるのではない。

 自分が志望する可能性のある学校になら難なく合格できる程度の学力は有しており、問題となるのは部活動の方面である。

「どんな進路を選んでも、俺は応援するよ」

「......簡単に言ってくれちゃって」

 珠音は深く溜め息をつく。

 進学後は硬式野球の世界への挑戦を希望しているが、その障害が大きいことも十分に理解している。

 プロ、アマチュアを含め、”野球界”では唯一、高校野球のみ女子選手の公式戦出場を禁止している。

 理由は明示されていないが、選手としてのフィジカル面の課題で間違いはない。

 事実、大学や社会人リーグでは女子選手の出場記録が数例残ってはいるものの、実力差は成績としてハッキリと現れている。

 "プロ"と呼ばれる世界では、独立リーグチームへの入団時にこそ大きく話題になったものの、成績を残せないまま後に続く者は現れておらず、トップリーグでは未だに女性選手は誕生してない。

 他の競技においても時折女子のトップ選手が男子の大会に参加することもあるが、なかなか優れた結果を伴わないでいる。

 キャリアが進めば進むほど、男女間で体格や身体能力の差が大きなハンディキャップとなっている。

「この前、先生に教えてもらった高校のソフトボール部を見てきた」

「ほぅ、で?」

 高校野球でも硬式や軟式を問わず女子野球部は少数ながら存在しているが、所在地が離れていることが大抵で、通学に難があるだけでなく、野球部間の交流や練習試合の機会自体が限られてしまう。

 そのため、高校進学を機に競技形式の最も近いソフトボールを始め、その他の競技に転向する選手も多い。

 珠音は野球部引退後の進路について当然のように顧問の桜井へ相談していたが、彼女も例に漏れず、本人の希望とは裏腹に他の競技への転向を強く勧められてしまった。

 事実として珠音の身体能力は同世代”女子”の中では有望と言えるレベルであり、転向を勧める気持ちも分からない訳ではない。

 正直、軽く背中を押して欲しかっただけだった珠音にとって、かえって悩みを大きくする悪手となってしまった。

「すごく活気があって、実力も見て分かるくらいに高かった」

 本人としては悩みを抱えた少年少女を導くための善意のつもりだったのだろうが、相談を受けた顧問は話を聞くだけに留まらず、近隣有力校へ練習見学のアポイントメントまで取っていた。

「でも、何か違うんだよなぁ」

 20代中盤で信念と情熱に燃える熱血教員だけに無下にもできず、半ば押し切られる形で見学することにしたが、野球よりも小さなグラウンドで大きなボールを操り、国際大会でも優秀な成績を収めた競技に、関心こそすれ心を大きく揺さぶられることはなかった。

「多分、途中で野球がやりたくなっちゃうかな」

 似ているだけに、かえって諦められなくなってしまうかもしれない。

「そうなるくらいだったら、いっそのこと他の競技にするよ」

「へー、となると?」

「水泳とか、陸上とかかなぁ。バドミントンも好きだし、バレーボールやったら身長がまだまだ伸びそうだなぁ」

 2人の脳裏に、別の競技に励む珠音の姿が浮かぶ。どの姿も中々様になっており、それなりの成果を残しそうなものではあったが、どこか決定打となるものが欠けているように思える。

「ま、暫くは考える余裕もあるしね」

 車窓から見える景色は、会話している内に見慣れたものへと変わっていた。

 最寄りの停留所が案内され、珠音は降車ボタンを押す。

「浩平は?」

 珠音の視線が、真っすぐと浩平を捉える

「続けるよ」

「そっか」

 珠音は浩平の簡潔な返答に満足した様子と幾許かの羨ましさを見せる。

「あー...」

 浩平が何かを言おうとしたタイミングでバスが停留所に止まり、珠音が立ち上がる。

「そんじゃ、また明日ね」

 夏大会の2回戦が行われたこの日は土曜日。大会期間中であることなど関係なく、野球部に休みは殆ど無い。次戦は翌週の土曜日を予定している。

 西日に照らされた珠音の表情は、いつもより数倍明るく見える。

「珠音」

「何?」

 そのまま降りようとした背中を、浩平が呼び止める。

「色々考えることが多くて大変だろうけど、今は今を後から後悔しないように頑張ろうな」

 浩平が右手を握りしめ、珠音へ差し出す。

「もちろんそのつもりだよ、後悔なんか絶対にしたくないもん!」

 珠音もそれに応え、右手を同様に差し出す。

 少年野球でバッテリーを組むようになって以来、このグータッチは幾度も交わしてきた儀式だ。

 確実に訪れる変化の時は、目の前まで迫っている。

 2人は少しでも長く変わらぬ日々が続くようにと、儀式に願いを込めた。

Pixiv小説様でも、投稿させていただいております。

https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=19414196

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