3回裏 ―新生、硬式野球部― 3.大きく変わるからこそ、大変
女子硬式野球部の創立機運に対し、野球部顧問の鬼頭は待ったをかける。
女子部創立により珠音が大会への出場意義を問われる事態を危惧した鬼頭は、あくまで合同硬式野球部として活動を継続し、大会別に適切なチーム編成を行う体制を提案した。
大変なこと程、成し遂げれば大きく変わることができる。
その先頭に立つ意志を、珠音は固めた。
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3.大きく変わるからこそ、大変
翌日は生憎の雨模様。
室内の基礎練習を終えた後、全体ミーティングとして野球部員は教室に集められた。
必要事項の連絡の後、鬼頭の口から夏菜の提案の話が出ると、部員の間にざわつきが生まれた。
「野球をやる女の子が増えれば、認めてくれる人も増えると思うんです」
夏菜の意見は一定の同意も得るが、部員たちから次々と異論が沸き上がる。
「女子硬式野球部を作るとして、練習場所はどうするんだ」
「希望者がいると言っても、楓山と違って初心者だろ」
「誰が指導するんだ?」
意見が昇る度、夏菜は自分の考えの甘さを痛感する。
ただ勢いに任せていたきらいはあり、至らなさばかりが胸を締め付けた。
「私としては、そう思ってくれる人がいただけでも嬉しいです」
珠音の言葉はいくらか緊張感を緩めたが、それでも夏菜は胸が張り裂けそうになるのを堪えることで必死だった。
「それで、事前に相談を受けていた監督としては、どう考えているんですか?」
浩平の言葉を受け、教室に集まった部員たちの視線が一点に集中する。
連絡事項を伝えて以降、教室の端で行く末を見守っていた鬼頭が立ち上がり、再び教団に立つ。
「俺からは皆に一つの提案をしたいと思う」
先程までの喧騒は嘘のように静まり、鬼頭の言葉を待つ。
「まず、田中が提案してくれた女子硬式野球部の創部については、却下しようと思う」
言葉の直後、教室には居たたまれない雰囲気に満たされる。
夏菜は視線を落とし、その場で小さく震えているようにも見える。
批判を受けたとはいえ夏菜の提案は意欲的なものであり、部員たちはその姿を敢えて視界に入らないよう顔を背けた。
「理由としては、今後楓山を野球部として活動させるにあたって、”女子”硬式野球部の存在は、当人の公式戦出場への障害になる可能性が大きい。俺たちのような”改革派”を煙たがる勢力から見れば、言い逃れや話題をすり替えるための題材にしかならないだろう」
浩平の指摘と同じ点を、鬼頭も問題に感じていた。
現状で"女子硬式野球部"を創部すれば、"男子"の大会に参加する必要は薄れてしまう。
「だが、皆も分かっての通り非常に意欲的な意見だ。そこは評価されるべきだと思う」
続く言葉に一同が安堵すると、視線が夏菜の元に集まる。
胸の締め付けが取れた夏菜は安堵の表情を見せ、大きく息を吐き出した。
「そこで、ここからが俺の提案だ。ここ1ヶ月、この学校は野球部を中心に大きな渦に巻き込まれている。俺たちはその原因として、常に何かしらの動きを見せ、先頭を走り続けなければならない。提唱するからには実行しなければならない訳だ」
鬼頭は部員たちの表情を見渡してから、提案を続ける。
「まず、女子選手の受け入れは別組織を作ることなく、あくまで”硬式野球部”として実施する。性別を区別することなく、一個人を一選手として扱うと思って欲しい」
「女子が男子の大会に参加するなら、同じ部活で同じ練習をこなすべきってことですか?」
二神の疑問に首を縦に振って応えると、鬼頭は提案を続ける。
「その上で、大会毎にAチーム、Bチーム、Gチームを編成して臨む。それが俺の考えだ」
「少ない人数で3チーム作るんですか?」
「いや、そうじゃないだろ。もうちょっと考えてみろ」
大庭の疑問に、浩平が呆れた表情を見せる。
「Aチームが男女混合で、硬式野球部としてのトップチームといったイメージですか?」
二神の発言に、周囲が納得の表情を見せる。
「その通りだ。Bチームは暫定的に男子チーム、つまりボーイズチームということだ。もしも女子選手の公式戦出場が認められるようになったらAチームのベンチ外選手という意味合いになる。Gチームはガールズチームとして女子部員のみで編成し、女子の大会に備えたチームにするつもりだ」
鬼頭の説明に皆が納得の意を示す中、野中が手を上げる。
「指導は誰がするんですか?」
「それなんだが、新しく指導者を迎え入れる余裕はないから、皆に頼もうと思っている」
ざわつく部員を制し、鬼頭が意見を続ける。
「確かに、入部を申し出てくれた女子生徒は運動部出身とはいえ初心者だ。さらには男女差というのは思っている以上に埋めがたいものだ。だが、それを踏まえた上で皆に頼みたい。選手として人に指導するということは、自分が指導内容を間違いなくこなせる必要がある。これまでの指導を反復し、どのようにすれば伝えられるのかを考え、実際に伝えることは皆にとってもプラスになると思う。そして前に進めるのは、前に進むための行動をした人間だけだ。俺は教育者として、この取り組みを通じて皆に伝えたいと思う。どうか、分かって欲しい」
鬼頭の意見の後、教室は沈黙に包まれる。
誰も肯定せず、誰も否定をしない。
自然と視線が一点に集まると、キャプテンの野中は溜め息をついてから立ち上がる。
「分かりました。みんな、大変だけど頑張ろう。前に何かで見たんだが、”大変”なことほど成し遂げることができれば、自分たちを大きく変えられるらしい。チームとして大会に勝ち上がるのは勿論だけど、野球部として楓山の公式戦出場を勝ち取るのも大切だ。これは俺たちにしかできないことだな」
キャプテンの言葉に部員たちが続くと、夏菜は安堵の表情を浮かべる。
「田中、取り敢えず明日、希望したメンバーと面談をしたい。連絡を回してくれないか?」
「分かりました!」
「夏菜、ありがとね」
「うん!」
夏菜は満面の笑みを見せると、包帯をグルグル巻きにしたままの右手を突き上げる。
「私も選手として頑張るから、ご指導よろしくお願いします!」
一瞬にして部員全員が黙り込み、視線をゆっくりと逸らす。
「え、ちょ、みんな......!?」
溜め息をついた後、浩平が一歩前に出る。
「すまん、大変なことは頑張れるつもりだが、無謀なことだけは勘弁してほしい」
直後沸き起こった笑い声は、しとしとと降る冬の雨音どころか、どんよりとした雨雲を吹き飛ばす勢いだった。
ミーティングの翌日も、前日と同じく雨。
鬼頭と面談した希望者は伝えられた内容に対して一様に驚きを示したが、現所属の部活動に物足りなさを覚えており、自身の向上心を持て余していたことも相まって、最終的には好意的に受け入れられた。
「ついていけるかなぁ」
「まぁ、何とかなるよ」
溜め息交じりの琴音に、入部の誘いを承諾した舞莉が呑気に返答する。
小学生の頃は体操教室などに通っていたものの、中学生になってからは吹奏楽部一筋であり、いざ言ってみたはいいものの吹奏楽部と兼部でこなせるだろうかという不安に、琴音は苛まれていた。
「まぁ、みんなでサポートするから」
二神が苦笑しながら、琴音を励ます。
基礎トレーニング中心でいつもより早く部活動が終わったこともあり、2人は珠音たちのグループと合流して帰路についていた。
「水田先輩も協力してくれてありがとうございます」
「何、私としても目的はあるし、Win-Winに慣れそうだったからね」
「そういえば、何で捕手を希望したんですか?結構ハードですよ」
「あぁ、それは先生......いや、これからは監督か。監督にも言われたけどね。私はみんなと走り回るのは向いていないだろうから、こっちで勝負したくてね」
舞莉は頭を指さし、頭脳戦をアピールする。
「向いてない?」
珠音は首を傾げるが、舞莉はケラケラと笑い飛ばす。
「まぁ、細かいことは気にしないでよ。それに、やりたい事をやるのが大事なんでしょ?」
「ま、まぁ」
「土浦くんは捕手だったよね。よろしくご指導、お願いしまーす」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
浩平が舞莉にタジタジとなっている。
思えば、珠音と琴音以外、舞莉と直接話すのは初めてである。
「それじゃ、私は源氏山の方に住んでいるから、ここでバイバーイ」
駅まで来ると、舞莉は真っ先に集団から離れていく。
「雨だし、2人はバス?」
「そうだよ」
それぞれ別れの言葉を交わすと、大庭は逗子方面へ、二神は藤沢方面へ、琴音と夏菜は大船方面の電車に乗り込んでいく。
「何だか、一気に賑やかになりそうだね」
「そうだな、どうなることやら」
浩平が停留所で溜め息を漏らすと、珠音が不満そうな表情を見せる。
「浩平は反対だった?」
「いや、そんなことはないよ。確かに不安なところは大きいけど、珠音のおかげで他の人には体験できないような面白いことができる。強豪校からの誘いもあったけど、この学校を選んでやっぱりよかったよ」
「そう言ってもらえると、私も嬉しいかな」
珠音は2度頬を叩くと、同じく列に並ぶ客から驚きの表情を向けられる。思いの外、大きな音が出ていたようだ。
「し、失礼しました...」
珠音は叩いた頬以上に赤面するも、咳払いをして仕切り直す。
「私が不安がっていちゃ、ダメだよね」
「珠音?」
浩平は最近の珠音の様子を思い返す。
復帰直後はよかったものの、少しずつ事態が大きくなるにつれて表情が硬く、元気もなくなりつつあった。
「"大変"なこと程、できれば"大きく変われる"か。キャプテンったら、いいこと言うよね」
「確かに」
「常に先頭を走らなければならない。先生の言っていることは、間違いじゃない」
「そうだな」
「......私、走るよ。走り続けるよ」
瞳の奥で静かに燃える信念の炎。
これまで大きく赤くゆらゆらと燃えていた炎は、小さくとも芯のハッキリとした青く強い炎に生まれ変わった。
この日、鎌倉大学附属高校硬式野球部は、男女混合チームとして新しく生まれ変わった。
それと同時に”野球人”楓山珠音が誕生した瞬間を、浩平は間近で見届けた。