3回裏 ―新生、硬式野球部― 1.発信者として
野球部に復帰した珠音のもとに、地元地域紙から取材依頼が入る。
鎌大附属OGの立花真香に対し、珠音は飾ることなく、素直な気持ちを吐露する。
今後10年以上に渡り、取材者・被取材者として交流を続ける2人の出会いは、珠音を中心とする環境に、一つの変化をもたらし始めるキッカケとなった。
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Bottom of 3rd ininng ―新生、硬式野球部―
1.発信者として
珠音が復帰してからの硬式野球部は、それまでの1週間で見せていた士気の低さが嘘のような活気を見せ、基礎トレーニングの反復ながら練習効率も上がっている様子は、周囲から見ても明らかである。
「どんな時でもこれくらいの覇気を見せてくれれば......」
キャプテンの野中は部員たちのあからさまな様子に思わずボヤきと溜め息を漏らしたが、彼自身も珠音の復帰によりやる気を取り戻したことは否めない。
「...取材?」
鎌倉大学附属高校の硬式野球部が日常を取り戻してから数日、昼休みに鬼頭から呼び出された珠音は、突然の申し出に飛び上がりそうになった。
「あぁ、月に2~3回程刊行している地元の小さな新聞社なんだがな。鎌倉新聞って、聞いたことくらいはあるだろ」
「あぁ、そこにも置いてありますよね。図書館でも見たことあります」
鬼頭は整頓された書類の束から1枚のA4用紙が入ったクリアファイルを取り出し、珠音に差し出す。
「今回の湘南杯、全国新聞の地方面や地方新聞には当初から取り上げられることになっていたようでな。大会の後援にもなっているし、事実としてお前は写真付きで掲載されているんだぞ」
「えっ」
先週末の新聞を見ると、小さな記事だが確かに珠音の投球している様子が写真に掲載されている。
「前の週で好投した情報を得て、注目していたらしい。もちろん、強制的に降板させられた内容までは書かれていないがな。いい写りじゃないか」
自分が投球している時の様子を動画に録って見ることは度々あったが、改めて画像として自分の姿を見て、さらにはその様子を多くの人に見られていると考えると、少々の気恥ずかしさを覚える。
「地方紙からは取材依頼も来ていたんだが、返答をする前から先方から丁寧にキャンセルの連絡がきたよ」
「何でですか?」
「理由は言っていなかったが、恐らくは裏から手が回ったのかもしれない。新聞社は連盟の後援だし、相互に影響力を持っていると考えてもいいだろう」
「でも、そしたら何で私の登板情報が新聞に載っているんですかね」
「そこまでは手が回らなかったんじゃないかな。ウェブ版には出回っていないことを見る限り、情報を隠すことはできるが捻じ曲げることはできない。彼らにもマスコミとしてのプライドがあったんだと思うよ」
舞莉がひょっこりと顔を出し、まるで知っているかのような口調で語る。
「いや、ほんと、水田先輩っていったい何者なんですか?」
「謎のある人間の方が、魅力的だとは思わない?」
舞莉がわざと官能的なポーズをとるが、先日の琴音とのやり取り程までは様になっていない。所属はしていないが、演劇部としての才能はあまり無いようだ。
「それで、取材の件だがな」
鬼頭が咳払いをして、話を本題に戻す。
「そもそもこの話を持って来たのが、水田なんだ」
「......ほんと、先輩は何者なんですか?」
「少なくとも今は、新聞部2年の水田舞莉だよ」
「今はって...」
舞莉は得意げな表情を見せると、珠音に手渡された書類の一点を指さす。
「この人、立花真香って人が新聞部のOGでね。今は”ここ”じゃなくて別の大学に進学しているんだけど、ジャーナリスト目指して鎌倉新聞社でアルバイト記者をしているってわけ。実は八部球場にも来ていたんだよ」
舞莉がスマートフォンに保管しているツーショット写真を見せてくる。
見るからに自立心の強さが溢れ出ている女性で、前年の写真で2人が制服姿であることを考えると、珠音から見て3学年上で、今はそのまま進学せずに外部の大学へ進学した1年生のようだ。
「水田、携帯は校内使用禁止だが?」
「まー、そこは見逃してください。先生だって、仕事用のパソコンで動画サイト見ているじゃないですか」
「バっ、あっ、あれは練習方法の検証だ!」
「あはは」
鬼頭の様子を見る限り、検証以外の使用もしているようだ。
しまうように指示をすると、没収するような素振りを見せない。
「流石は記者の卵ってところで、スクープの種を敏感に察知したみたいでね。先輩としても母校で活躍する後輩を応援したいみたい。地域紙までは手が伸びないだろうし、君さえよければこの話を受けて欲しいんだけれども」
珠音は書類に一から目を通し、内容を確認する。
文章から何かを筆者の全てを読み取れるほどの読解力は持ち合わせていないが、少なくとも真剣な姿勢は感じられた。
「分かりました。私でよければ、」
「そうこなくっちゃ」
動かなければ、何も動かせない。
バットを振らなければ、点は得られない。
前に進むと決めた珠音の表情を、鬼頭と舞莉は満足そうに見つめていた。
話はトントン拍子に進み、承諾の連絡を出した週末には早くも取材の場がセッティングされた。
「うぅ......寒い」
「こっちの方がポイから、ちょっと我慢してね。はい、カイロあげる」
地域紙を敢行する小さな会社だけに割けるスタッフの人数は限りなく少ないようで、この日は取材依頼をよこした立花1人がテキパキと準備を進めており、”後輩”の新聞部員たちがその手伝いを担っている。
野球部が練習場で通常通りの基礎トレーニングに励む中、その様子を背景にして珠音はパイプ椅子に腰かける。
最も休日とはいえ、野球部員以外の部活動で登校してくる学生はそれなりに多く、グラウンドコートを着込むことなくパイプ椅子に座ってカメラを向けられる珠音の極めて異様な姿は、行き交う人々の注目を集めることとなった。
「うわぁ、みんな見てる......」
「舞莉から話は聞いているよ。君の目指す未来を実現するためには、もっともっとたくさんの人から注目を集めなきゃいけないからね。人の視線は”兵器”にもなり得るから、”平気”になれるよう少しずつ慣れていきなよ」
「は、はぁ......」
言葉を交わせば交わす程、この立花という人物が舞莉のように感じられてくる。
似たような雰囲気で、もしかしたら親族ではないかとすら感じられる程だ。
「それじゃ、始めようか」
準備が整ったところで、立花の言葉を合図にボイスレコーダーの録音ボタンが押され、インタビューが開始される。
最初は当たり障りの無い内容から始まり、野球を始めた学年や少年野球チーム、中学時代のエピソードなど、立花の話術により次々と珠音の情報や思いが引き出されていく。
「え、お兄さんプロ野球選手なんだ」
「はい、楓山将晴っていいます」
「ちょっと失礼......」
立花は手持ちのスマートフォンで名前を検索する。
プロ野球選手ともなれば球団の公式ホームページだけではなく、ウェブ百科事典にもページが作成されるため、簡単な情報ならばすぐに手に入る。
「へー、静岡サンオーシャンズの捕手なんだ。それなりに出場機会も貰っているみたいだし、掲載されている記事にも将来の正捕手として期待されているって書いてあるよ」
「ありがとうございます。野球を始めたきっかけも、おに...兄の試合を見に行ったのがきっかけで」
「おー、その微笑ましいエピソード、貰い!」
インタビューは順調に進み、気が付けば野次馬は更に増え、チームメイトも練習の手を止めて見守る始末である。
「さて、地域紙に掲載する分はここまでの取れ高で十分かな」
インタビュー開始から小一時間。
立花はノートに満載した情報に目を通しながら、満足そうな表情を見せる。
「掲載する分?」
立花の含みを持たせたコメントに、珠音は首を傾げる。
「これまでは鎌倉新聞のアルバイト記者、立花真香としてインタビューさせて貰ったからね。ここからは、フリージャーナリストの立花真香として話を聞かせてもらうよ」
立花の瞳は寒さにも負けず、活き活きとしたように見える。
「前情報として例の音声データは聞かせてもらっている。ちなみに、湘南義塾の3番打者が連盟理事の孫って情報をあげたのは何を隠そう、この私だよ」
得意げな表情を見せる立花と、その後ろで含みを持たせた笑みを見せる舞莉。
出会ってまだ間もない2人だが、出来ることなら敵対する存在にはなりたくないと、珠音は心から思った。
「私も決して高校野球に精通しているわけではない。増してや、その環境下の女子選手の現状とくれば、尚更だね」
立花は別のノートを取り出し、調べた情報を語り始める。
「女子の高校硬式野球って、連盟の発足自体がまだ最近なんだね。連盟発足が1998年、女子野球協会に至っては2002年で、社団法人として改組されたのが2014年か」
中には珠音の知らない情報も多く、改めて勉強させられることも多い。
「男子では激戦区の神奈川でも、そもそも女子野球部のある学校はそうそうないんだね。徐々に増えてきているとはいえ、全国で見ても40校ちょっと。競技人口が少ないのは仕方がないけど、女子選手の受け皿として環境は決して良いとは言えない。ワールドカップで日本は優秀な成績を収め続けている割には、その土台は決して盤石な物とは言えないんだね」
「よく調べていますね」
珠音は素直に感嘆の意を表す。周囲の男子部員でも、改めて驚きの声が上がっていた。
「ありがとう、調べものが好きなの。失礼かもしれないけど、まだまだ未開拓、未発展のジャンルだからね。調べれば調べるほど好奇心が沸くし、キーワードとして別の事柄を調査してみると、今まで感じることすらなかった疑問も多く出てきたんだ」
立花は嬉しそうな表情を見せ、自分の取材ノートのページを1枚1枚捲っていく。
「最初は単なるスクープの種程度にしか思っていなかったけど、今は違うかな。これだけ心躍らせるニュースに出会わせてくれた珠音ちゃんには、感謝しているよ」
「いや、別に感謝されるようなことは何も......水田先輩のおかげです」
ストレートに謝意を伝えられ、珠音は気恥ずかしさを覚える。
「いいの、勝手に感謝させて。あと、舞莉には別の目的がある様な気がする。何なのかは分からないけど、これは記者としての勘ね。あの娘はあっけらかんと話すけど、一つ一つの言葉を大切に選んでいる。飄々と話すことで言葉の裏側にある外連味を隠しているように感じられるわ。まぁ、人には隠し事の一つや二つはあるでしょう。たとえ、ただの女子高生であってもね」
立花がちらりと視線を送ると、舞莉はまるで気が付いていないかのような表情を見せる。
「それじゃあ気を取り直して、第2弾といきましょうか」
「はい」
事前情報や前置きが必要なく、聞きたい情報も限られることからインタビューはサクサク進んでいく。
「それじゃあ、珠音ちゃんは男子に混ざってただ硬式野球を続けるだけじゃなくて、公式戦出場を目指すのね?」
「はい。仕方がないからって入部前は諦めていましたが、背番号を貰う権利すらない悔しさを感じて、ただ続けるだけでは満足できない自分に気が付きました」
「でも、問題点はあるんでしょ?体力や体格の違いは、どう頑張ったところで埋められないものだと思います。”大人”としてはそりゃ、怪我のリスクを危惧するよ。誰だって責任なんて取りたくないからね」
珠音は頷くと、先日浩平と帰り道で交わした内容を淡々と話す。
「それは分かっていますが、危険性は男子だって同じです。私はただ同じ環境で、同じ舞台に立つための権利が欲しいだけです。権利があったところで、実力不足ならベンチ入りメンバーに選ばれることはありません」
「それもそうね。それがたとえ子供の我が儘と言われても、考えは変わらないと?」
「はい」
「努力を認められず実力不足と言われても?」
「認められるよう突き進みます」
「出る杭は打たれるものよ?」
「一度打たれましたし、何なら折れかけました」
インタビューを囲む野次馬の中から「確かに」という呟きが聞こえてくる。
珠音が視線を送ると、浩平が苦笑いを見せていた。
「でも、私は皆の支えもあって、こうやってインタビューを受けています。応援してくれる皆の為にも、認めてもらえるよう一生懸命頑張ります」
「......ありがとうございます。私にも、応援させてね」
珠音の真摯な表情に、立花は頼もしさを覚える。
フリージャーナリストとして、これ程面白い存在に出会えるなんて、自分はつくづく幸福な存在だとも感じていた。
「最後に、一つ聞いていいかな?」
「何ですか?」
「あなたを突き動かす思いって、何?」
立花の問いかけに、珠音はキラキラと輝く瞳を向ける。
「野球が大好きだからです!もっともっと、上手になりたい!」
これまで伝え聞いてきた想い。
その根底にある単純かつ純粋な想いをかなえること程、難しいものはない。
「......素敵ね」
立花がポツリと呟いた直後、集まったギャラリーからは自然と拍手が沸き上がる。
思いが伝わる瞬間とはこんな状況を差すのだろうかと、立花は心から感心した。
「うっしゃ、胴上げだ!」
練習の手を止めて野次馬と化していたチームメイトが珠音の周囲に集まり、小さく軽い身体をよって集って持ち上げる。
「ちょ、ちょっ、どこ触って、うわぁ!!」
24人の力が合わさり、珠音の軽い体重は容易に宙へと舞い上がる。
「絶対に、落とさないでよ!」
珠音の悲鳴交じりの声に、周囲から自然と笑いが巻き起こる。
「せーんぱい」
その様子を見守る立花に、舞莉がそっと歩み寄る。
「写真部としての実力、いかがでしょうか?」
舞莉が見せた2枚の写真。
1枚は「野球が大好き」と語った珠音の表情。
もう1枚は胴上げされる珠音の姿。
写真とは、流れ行く時間軸から風景を時間軸から切り取り、対象物がその瞬間に見せる外観と内面を永遠に残すもの。
「......最高」
前者には今にも溢れ出しそうな力強い想いが込められた瞳の輝きが、後者には多くの人に支えられ純粋に楽しむ満天の笑みが写し出されている。
「後で貰えないかな」
「あいあいさ。......これくらいで」
「調子に乗らない」
見るもの全てに伝わりそうな珠音の表情に、立花は完全に引き込まれた。
この後、取材者とその対象として10年以上に渡る付き合いとなる2人の第1歩は、こうして刻まれた。