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珠音いろ  作者: 今安ロキ
第1章 高校野球編
13/74

3回表 ―鈍色の想い― 1.規律違反

準決勝で降板を強制された珠音は、週明けの学校をズル休みする。

楓山珠音=元気印と変換されている同級生たちは何事かと色めき立ち、事情を知る者から情報が漏れ、野球部員たちは好奇の目に晒される。


当の本人は部屋に籠り、ベッドで横になる。

目を瞑っても、開いても、思い出されるのは準決勝当日の運営本部での出来事ばかり。

珠音は映像も音声も遮るよう、布団を乱暴に被った。

Top of 3rd ininng ―鈍色の想い―


1.規律違反


 準決勝のあった週末が明けた月曜日。

 高校生の情報網も案外と馬鹿にはできないものだと、浩平は溜め息をつく。

 クラスで一番の元気印で、サボりや体調不良とは無縁そうな珠音が学校を欠席したことに驚愕したクラスメイトたちは、その日数が2日、3日と伸びるにつれ、何やら尋常ならざる出来事が発生しているのではないかと詮索するようになる。

 市内の同じ中学校から進学した同級生に至っては、3カ年皆勤賞の珠音のこれまでの活発さから未知の病原菌に蝕まれているのではと噂に尾ヒレを付ける始末である。

 やがて情報通を自負する学生が当事者や当日その場に居合わせた面々から情報をかき集めた結果、準決勝における事の顛末が学校中に知れ渡る結果となった。

 珠音と別クラスの浩平も当事者の1人として噂好きの格好の標的となり、暫し好奇の的に晒される羽目になった。

「全く、好き勝手に言ってくれるな」

 大庭も同様に餌食にされたようで、部活開始前から文句を並べている。

「人の噂も75日っていうから、もう暫くは続くんじゃないかな。それで、当の本人は?」

 二神が呆れたような表情を見せている。

 他の部員も学年を問わず同じ様子で、皆一様に憮然とした表情を見せていた。

「ダメね。既読は付くんだけど、返信は返してくれないわ」

 スマートフォンを操作しながら、夏菜が溜め息をつく。

「こっちもダメだ。家に行ってみたけど、珠音のお母さんも手を焼いているらしい」

「浩平一家でダメか......こりゃ、重傷だな」

 家族ぐるみの付き合いですら現在の珠音に取り付く島もないとなれば打つ手がない。

 二神はそう言いたげな様子で、肩を大袈裟に竦めて見せる。

「先生は今日もまた教職員会議だってさ。この話題、だいぶ問題になっているみたい。学校として、正式に抗議するとかなんとか」

 夏菜はキャプテンの野中と2人で仕入れた情報を整理しつつ、この日の練習の準備を進める。

 鬼頭は通常の業務をこなしながら、情報の整理と対策の立案、更には取材依頼への対応に追われ、週明けから練習に顔を出せないでいた。

「とにかく、何とか出来ることをしてあげないと。みんなもシャキッとしないでしょ」

「......だよなぁ」

 夏菜の言葉を受けて、3人はグラウンドに集まった野球部の面々を見る。

 どこか覇気が無く、練習にも身が入っていないように見える。

 大会終了後の"燃え尽き感"という可能性も否めないが、どちらかと言えば突然晒された理不尽の前に自分たちが何も出来なかった無力感の方が正しいように思える。

 雰囲気作りの中心人物を欠いて、士気の低さが際立つチームに、キャプテンの野中も頭を抱えていた。

「でも、どうすればいいんだろうね」

「分からんな」

 浩平が頭を掻きむしった所で、野中から集合の合図が出される。

 雑念を振り払うように首を大きく横に振ると、鈍色の空の下、気が乗らないままにこの日も練習が開始された。



 薄暗い部屋の中、珠音は"自分がこんなに弱いものか"と自嘲気味に笑う余裕は取り戻しつつあった。

「あー、木曜日かぁ......」

 小学校と中学校では、熱があったとしても出席し意地でもぎ取った皆勤賞だったが、高校では敢え無く手放すことになった。

「みんなに心配かけちゃってるよね」

 スマートフォンを見てみると、浩平や夏菜を始め、友人から多数の着信やメッセージが寄せられていた。

 純粋に体調を気遣う内容、出来事を知ってか励まそうとする内容、野次馬根性が見え隠れする面白がるような内容。

 しかし、今の珠音にはそのどれもが他人事のように感じられた。

「そういや、こんなにボールを触っていないのも久し振りだな」

 少年野球チームに参加して以来、打ち込み続けた野球漬けの生活。

 好奇の視線に晒されることには慣れていたが、悪意を持って強く否定されたのは初めてだった。

「"女子選手の出場は規約違反であり、試合中グラウンド内への立ち入りも認められない"か」

 珠音は投げかけられた言葉を復唱し、大きく溜め息をつき瞳を閉じる。

 準決勝以来、ふとした表紙に瞼の裏に浮かぶ光景は、マウンドから見た景色ではなく、降板後に会議室で行われた出来事だった。



 苦虫を嚙み潰したような表情の主審から告げられた、降板の指示と理由。

 珠音はマウンドに立っていたつもりだったが、気付くと球場内の薄暗い通路に設置されたベンチに腰掛け、何もない地面をジッと見つめていた。

 どうやら、自分は無意識のうちにマウンドを降り、自らベンチを外れたようだ。

「楓山」

 目の前に立つ鬼頭は、入学以来見てきた表情の何れにも当てはまらない、怒りと、それを必死に噛み殺そうとする感情の入り混じった表情だった。

「......?」

 疑問符を表現するべく何かしらの言葉を発したつもりだったが、少なくとも自分の耳にその声は入ってこなかった。

「俺はこれから、大会運営本部に行って抗議してくる。事前の申し合わせで、お前の出場は問題なしと判断されていたんだから、当然だ」

「......でも」

 事実として、自分は"規約に反する存在"としてマウンドを降ろされた。

 珠音は口から漏れ出しそうになる言葉をぐっと堪え、耳に入れないようにする。

「お前はどうする。ここにいるか?」

 運営本部に行けば、より詳細な原因が分かるかもしれない。

 一番の当事者たる自分が訳も分からないままではいけないだろうと、珠音の混乱が続く脳は判断した。

 言葉を発することが何故だか躊躇われ、珠音はその場に残らないという否定の意味を込め、首を小さく横に振る。

「分かった、じゃあ行こうか」

 今度は肯定の意味を込めて首を立てに振ると、立ち上がるために脚に力を入れる。

 両脚に若干の震えを感じ、自分が現実をまた突き付けられることに恐怖を覚えていることを自覚した。

「大丈夫か?」

「......たぶん?」

 ゆっくりと歩を進めると、すぐに大会運営本部の設置されている会議室の扉の前に到着した。

「行くぞ」

「......はい」

 鬼頭は丁寧かつやや乱暴に扉をノックし、承諾の声も聞かずに扉を開く。

「......おや、試合中にも関わらず監督が采配をほったらかしにするとは、どうかしているのではないかな。こんな監督の指導を受けるとは、選手たちも可哀想なことだ」

 声の主にして珠音が降板する元凶となった存在は、周囲の大会運営スタッフから距離を置かれた状態で窓越しに試合を観戦しつつ、嘲笑うかのような声を上げる。

「どうかしているのはあなたの方ではありませんか。私がここに来たのは、私の大事な”教え子”の名誉を守るためです」

「それは大事なことだ。して、何の用だね」

 まるで他人事のような口調の壮年男性は窓際の椅子から立ち上がると、鬼頭と対面するように歩み寄る。

 運営責任者は眉間に皺を寄せつつ自分の席を譲り、机上の書類をまとめて出しっぱなしの筆記用具をペン立てに戻す。

「その娘も連れて来たのか」

「訳も分からず降板させられた当人です。理由を直接伺う権利はあると思いますが」

「なる程、筋は通っているか。分かった、まずは自己紹介だな。お互いの"立場"というものを確認しようではないか」

 壮年の男はパイプ椅子の感触に不満気な表情を見せると、懐から名刺を取り出し一応は丁寧に挨拶の言葉を送る。

「私は増渕和男。高校野球連盟で理事を務めている」

 鬼頭は名刺を受け取り、より厳しい表情を見せる。

「鎌倉大学附属高校の野球部顧問、鬼頭勝雄です。持ち合わせがなく、申し訳ありません」

 鬼頭の礼節をわきまえた礼を、増渕は手で制する。

「ここは仲良く握手を交わす状況ではないだろう。改めて伺うが、監督が無責任にも試合中の選手をほったらかしにし、ベンチを離れてまで私に何用なのかね」

「単刀直入に申し上げましょう。我が校は本大会への参加に当たって運営本部に直接の問い合わせを行い、ここにいる彼女のような女性選手の選手登録について許諾を頂いております」

「そのようだね」

 増渕は鋭い眼光を向けると、大会運営責任者がビクリと身体を震わせ、視線を明後日の方向へと逸らす。

「また、この大会の運営は連盟とは切り離され独立したものと伺っております。あなたが相応の立場の人物であれ、連盟主催の公式戦でなく、私設大会の運営規約を強引に変更させる権利はないと思われますが」

「もっともな意見だ」

 鬼頭の筋の通った指摘に、増渕は感心したような表情を見せる。

「では、私の見解を述べよう。まず、私設大会とはいえ連盟の規約には従っていただくべきだと考えている。先ほど運営規約を見たが、大会参加規約に"女性選手の参加を認める文言"は記載されていない。また、連盟本部への事前照会もないなど運営面にも問題が挙げられ、緊急事態への対応に疑問が残ると言ってもいいだろう。これ以上の参加継続は彼女を含めた選手たち全員にとって危険だと判断し、彼女の降板を指示した次第だ」

 増渕の語る理論に間違いはなく、彼はそのまま毅然とした態度で言葉を続ける。

「また、選手たちのパフォーマンスにも影響が出ているようにも見受けられる。先日の県大会で優秀な成績を収めた湘南義塾高校の各選手が、"実力に劣る"彼女の投球の前では中途半端なものになっている。女性選手との接触やもしもの事態が発生した時のことへ意識を取られているとしか思えない」

「実力の劣る......」

 珠音のか細い声は、増渕の言葉にかき消される。

「ただでさえオフシーズン手前で、本来は試合を行わなくなる時期に集中力の欠いたプレーをしてしまっては、将来有望な若者たちの未来を潰す可能性さえ考えられる。ただでさえ競技人口が減っている中で、優秀な人材を守ることは重要な使命だ。よって、連盟幹部としてそのような状況をとても見逃すことはできません。私の判断は、間違っているかね」

 言葉尻では疑問形を呈しているものの、返答を許さない眼光が鬼頭を貫く。

「我が校の部員たちが、実力に劣ると言いましたね。湘南義塾の選手たちにも、実力の劣る相手に対して侮っていると。フェアプレー精神に基づく彼らの努力とパフォーマンスを否定するなど、彼らを護るべき存在の発言として看過できません。それに、あなたの言うように競技人口が減る中、”優秀な人材”を選手起用したいと思うのは間違っていますか?」

「ほう、それは確かにそうだな、謝罪しよう。だが、女性選手を先発させて生まれた隙を突こうとした君こそ、フェアプレー精神に欠けているのではないかな?」

 鬼頭からの批判をかわす様に、増渕は高圧的な嘲笑を見せる。

「それに......」

 増渕が視線を試合会場に移すと、塁上はランナーで埋まり、マウンド上では高岡が苦しそうな表情を見せている。

「投手が変わってからの湘南義塾ナインのプレーは、正に本領発揮といった所だな。それに引き換え、君の導くべき部員たちはアップアップだ。本来、動揺を抑えるべき指揮官がこんな所にいるだなんて、なんて可哀想なことだろうか」

 まるで舞台役者のように台詞じみ、且つ刃のように鋭い声は、同じ空間に居合わせた面々に鳥肌を立たせた。

「くっ」

 不義理を覆い隠すように正論をかざされ、鬼頭は発言に窮してしまう。

「......私の努力は、認められないんですか」

 しばし室内に沈黙が流れた後、最初に口を開いたのは珠音だった。

「高校に入る前、他の競技に転向するか悩みました。大会に出られないのなら、いっそのことって。入ってからも、分かっていたとしても、悔しくって。何で男子じゃないんだろって考えることが多くなりました」

「私個人としては認めよう。君の努力は称賛されるべきものだ」

 増渕は先程までとは打って変わり、孫をあやすような声を出す。

「だが君1人、ただ個人の我が儘を守る訳には、認める訳にはいかない。私たちは野球へ懸命に取り組む選手たち全員と、100年続く高校野球の伝統を大切に守らなければならない。分かるだろう」

「......分かりません」

「なら、分かるようになりなさい。子供は大人の言うことを聞くものだ。勝負事とはいえ、高校野球はスポーツを通じた高等教育の一環だ。義務教育を修了しているのだから、規則を遵守し分別ある行動をとれる大人にならないと――」

「分かりません!分かりたくありません!」

 珠音がまるで聞き分けの無い駄々っ子のように否定の言葉を重ねると、増渕の顔がみるみる紅潮していくのが分かる。

「子供じゃないんだ」

 怒声を出さないよう必死にこらえながらも、温和な雰囲気を出していた増渕の口調が再び厳しいものに戻る。

「私は子供です。まだ子供です。私の我が儘は、そこまで認められないものなんですか?」

「伝統を守るためだ」

「伝統が何だって言うんですか。伝統は守ろうとしないと守れないことなんですか?変わろうとしても変わらなかった、変えようとしても変えられなかったことこそ、本当に大事な部分として伝統と呼ばれるようになるんじゃないんですか!?」

 珠音の言葉に、鬼頭は強く頷く。彼女の意見は正しい。

 積み重ねられた時代ごとの変化に晒されても結果的に残ったものであり、伝統とは長く続く文化の根幹である。

 積極的に守られてきた訳ではなく、結果的に守られていたものだ。

「小娘が、分かったようなことを言うな!」

 増渕が突然発した怒声に、珠音は怯む。

「子供は大人の言うことを聞いていればいい、規則という籠の中でしか自由のない鳥だ。君は只でさえ規則を破る、言わば犯罪者、その予備群と言ってもいい。規則を作る大人に口答えする権利はない。規則の無い完全な自由を求めるなど、もっての外だ」

「犯罪者...!?」

 増渕から発せられた予想外の言葉に珠音は愕然とし、周囲の面々も只々開いた口がふさがらないといった様子だった。

「やりたい事を、私はしてはいけないんですか」

「そうだ」

 珠音の弱々しい言葉を半ば遮るよう食い気味な返答の前に、一同は黙るしかなかった。

「たかが一選手の我が儘や夢を叶えるために、伝統を守るための規則を変更することはできない」

 増渕が追い打ちをかけるよう言葉を発した直後、球場に快音が響き渡る。

 珠音がグラウンドへ弱々しい視線を向けると、代わってマウンドに上がった高岡が項垂れ、本塁へ生還した3人が殊勲打を放った打者走者を迎え入れていた。

「逆転満塁ホームランか、上出来だ」

 増渕は本塁付近で喜ぶ選手たちの様子を見て微笑を浮かべると、時間を確認する。

「さて、私は用事がある。これでも忙しい立場なものでね。そろそろお暇させていただくとしようか」

 増渕がゆっくりとした足取りで会議室を出ようとし、扉のノブに手を掛けたところで、2人に振り返る。

「そうだ、"鬼頭先生は"いい加減ベンチに戻ったらどうかね?まだ、試合は続いている。野球は9回2アウトからだろう。...あぁ、この大会は7イニング制だから、7回2アウトからかな」

 増渕はそう言い残し嘲笑すると、気まずそうな表情を見せる秘書兼運転手役を引き連れて会議室を後にした。

 運営本部は重い空気に包まれる。

 鬼頭が無言で部屋を出るまで、室内には秒針がリズムを正確に刻む音が支配した。

「......ごめんなさい」

 鬼頭に従わず部屋に残りパイプ椅子に腰かける珠音の前に、中年の女性職員が紙コップに入れたお茶を差し出す。

 しかし、珠音はコップに口を付けることはなく、ましてや窓越しに見えるグラウンドの様子を伺うことすらなかった。



 珠音が再び瞼を開くと、時計は既に夕食時を指し示していた。

「短い夢だったなぁ」

 垣間見た夢は現実の荒波に打ち消され、時には眠ることさえ億劫に感じてしまう。

 折角なら楽しい夢でも見たい所だが、青春真っ盛りの心は刺さった棘をより深く差し込もうと反芻し打ち込み続けてしまう。

「ごはんよ」

 扉が開かれ、真っ暗な部屋に廊下の光が珠音の顔に当たり、顔を思わずしかめる。

「うん」

 珠音は小さく答えると、ベッドから起き上がり母親の元へと向かう。

「明日は学校行く。ごめん、ありがとう」

「分かったわ、無理しないでね」

 元気が取り柄の1人娘が見せる弱り切った背中に、母親は心配そうな視線を向ける。

「親って、難しいわね」

 それでも前に進もうと一歩を踏み出した姿に、思わず安堵の溜め息が漏れ出した。

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