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珠音いろ  作者: 今安ロキ
第1章 高校野球編
10/74

2回裏 ―立ちはだかる壁― 1.湘南杯

秋季大会の終了後、珠音たち鎌大附属高校硬式野球部は私設大会"湘南杯"に参加する。

連盟主催でないこの大会には珠音も参加が可能であり、秋季大会では番号の無かった背中には「18」の文字が堂々と記されていた。


大会初戦、珠音は意気揚々とマウンドへと上がる。

この日の珠音は、勝利以外の結末を知らなかった。


Pixiv様にも、投稿させて頂いております。

https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=19555108

Bottom of 2nd inning ―立ちはだかる壁―


1.湘南杯


 高校硬式野球界が秋季大会で熱を帯びる中、一足先にその輪から離れた鎌大附属の面々は、来たる私設大会への参加に向けて再始動していた。

「湘南杯?」

 練習終了後、集合した部員たちに鬼頭が告げた大会名は、一同の首を傾げさせた。

「あぁ、相模湾沿岸地区の高校硬式野球部による小規模大会の開催案が数年前から出ていて、いよいよ形になった訳だ。鎌大附属にも誘いがあって悩んでいたんだが、参加登録をしておいたんだ」

 鬼頭が説明した大会より、むしろ部員たちは別の点に意識が向いているようだった。

「鎌倉って、湘南か?」

「湘南って、江ノ島より西だよな」

「鎌倉は鎌倉だろ」

 神奈川県民の特色として、県外出身者への自己紹介では自らの出身地を県名ではなく、通称名や市町村名で伝えることが多いと言われている。

 川崎市では在住地の通称名、横浜市は地区に限らず"横浜"と全国的に有名な呼称で、県南部の相模湾沿岸地域はまとめて"湘南"と通称されるが、鎌大附属の位置する鎌倉市は県の示す行政区域では厳密には"湘南"に含まれず、単に"鎌倉"とだけ呼称されている。

 認知度の低い県名よりも土着の名称を好む傾向が県民性として挙げられることもあり、その傾向が部内でも見られただけである。

「いや、この際はどうでもいいだろ」

 茨城県出身で、大学進学以降に神奈川県へ定住した鬼頭にとっては少々縁遠い話題なようで、部員たちの主張にやや呆れたような表情を見せていた

「期間は10月下旬から11月中、土日祝日に集中開催される予定だ。西地区と東地区に別れたトーナメント方式で、両地区の優勝校が決勝戦を戦う予定になっている」

「うちは当然の如く東地区でしょうけど、どこが東西の境目になるんですか?」

「相模川の東西と思ってくれればいい。基本は茅ヶ崎より東と、平塚から西」

 その後も、鬼頭から大会の概要が伝えられていく。

 計32校の参加が決まったこと、当初より過密日程が予想されたこと、オフシーズンに差し掛かることの3点を利用に、選手のケガ防止の観点から投手には80球の球数制限を設け、ダブルヘッダーの連続登板は禁止、試合は7イニング制を採用し、ベンチ入りメンバーは最大25名までとされた。

 7イニングで試合が終了せず延長戦に突入した場合、タイブレーク制でノーアウト、ランナー1、2塁から開始し、決着がつくまで実施。

 決勝戦のみ9イニング制で開催され、延長戦は同一ルール。3位決定戦は行われず、同率3位として表彰される。

「概要は私からグループにアップしておきますね~。プリントの写真、後でスマホに撮らせて下さい」

「助かる」

 夏菜がメモを途中で諦め、鬼頭もその提案に乗る。

 便利ツールは活用してこそ価値がある。

「なるべく全員にチャンスを与えるつもりだ。地区大会の時のレギュラーは白紙だと思ってくれていい。背番号は学年とポジション別に割り振るが、全員が横並びのつもりでいてくれ。これから、背番号を配布する」

 鬼頭の指示を受け、夏菜が背番号の入った段ボールを持ってくる。

 現在の鎌大附属野球部員は総勢25名で、今大会では"全員"のベンチ入りが可能である。

 背番号は鬼頭の言う通りにポジションを考慮した学年順で配布されたが、チームメイトはそれでも盛り上がりを見せ、ライバルの選手間で互いの健闘を誓い合う。

「......大会ね」

 その様子を、珠音はやや冷めた視線で見守っていた。

 先日、吹奏楽部部長の水田舞莉から投げかけられた言葉は、珠音の心を収まることなくかき乱し続けていた。

 自分でもハッキリとしなかった気持ちを他人の指摘で鮮明にされて以降、自身では整理がつかないままになっている。

 かと言って、誰かに相談するのも"お年頃"だけに難しく、ただ延々と出口の見えない迷路を闇雲に進んでいるかのようだった。

「珠音、呼ばれているぞ」

「......ふぇっ!?」

 浩平から不意に肩を叩かれ、珠音は素っ頓狂な声を上げる。

 意識を自分の内側へ向けていたこともあり、虚を突かれた形となった。

「楓山、いらないのか?」

「え、えぇ!?」

 鬼頭が眉間に皺を寄せ、『18』の背番号をひらひらとさせている。

「私、出られるんですか?」

「前に言っただろう。連盟規定外の私設大会だったら、お前だって出場可能だ。ついでに言うと、大会運営にはちゃんと確認をとってある。まさか、忘れていたのか?」

「い、いぇ......」

 正直なところ全くもって覚えていなかったのだが、それを素直に言うのは憚られた。

「忘れてたと思いますよ」

「う、五月蠅い!」

 大庭に茶化され、グラウンドに珠音の大声が響く。

「何だ、元気じゃないか」

 鬼頭が皺をほどき、改めて背番号を差し出す。

 グラウンドに響き渡っていた珠音の声はここしばらく鳴りを潜めており、あまりの変貌ぶりは職員室でも心配の声が上がる程だった。

「あ、ありがとうございます」

 珠音は背番号『18』を受け取ると、その場から動かず俯いてしまう。

「......どうした?」

 鬼頭が恐る恐る珠音の表情を覗き込むと、珠音は手を震わせ目を赤く腫らせていた。

「い、いえ」

 珠音は盛大に鼻水をすすり、大きく深呼吸する。

「分かっていたつもりだったんですが、背番号を貰える権利すらなくて、試合に出られないのがこんなに辛いものだなんて、想像していた以上でした」

 先程まで盛り上がっていたチームメイトたちが、珠音の言葉をジッと静かに聞いている。

「背番号を貰えることが、こんなに嬉しいのは初めてです。この大会、頑張ります!」

 珠音の心に刺さった棘が抜け落ちた瞬間だろうか、久し振りの笑顔を見せる。

「さぁ行こう、エース!」

 キャプテンの野中が声を上げて手を叩き、周囲がそれに便乗する。

 プロでの所謂エースナンバーと夏季休暇中の実質的なエースが掛け合わさっている。

「負けねぇぞ」

 地区大会で主戦投手を務めた2年生の益田や同学年の高岡が歩み寄る。

「バッテリーを組めるな」

 浩平が左手を握り、珠音へ差し出す。

「頼むぜ”女房”」

 2人の間で幾度も交わされたグータッチ。

 不意に懐かしさを覚えた浩平がよくよく思い返すと、これが高校に入ってから初めて交わされた儀式だった。



 迎えた"湘南杯"初戦は、運よく秋晴れに恵まれた。

 東地区は八部球場と俣野公園球場に、西地区は小田原球場と平塚球場に4校ずつが集まり、朝からトリプルヘッダーで2回戦まで終了する運びになっている。

 鎌大附属は八部球場の2試合目が初戦となり、勝利を収めると続けての試合となる。

 スケジュール上、勝ち進めば翌週も同一球場での地区準々決勝、準決勝のトリプルヘッダーが予定されている。

「珠音、応援に来たよ!」

「来てくれてありがとう!」

 投球練習の最中、同じクラスで吹奏楽部所属の桐生琴音から声を掛けられる。

 高校に入って初めて出会った2人だったが、名前の語呂が近く、且つ出席番号順となった座席順で前後になったこともあり、すぐに打ち解け親しい間柄になっている。

「背番号、本当に貰えたんだね。今日は出れるの?」

「嘘を言っても仕方ないじゃない。スタメンで先発だよ!」

 部活が休日ということもあり、友人を引き連れてスタンドへ駆け付けてくれていた。

 今回の大会では演奏応援は決勝戦のみ認められているため、吹奏楽部としての活動はそもそも予定されていない。

 それでも、試合会場が比較的交通の便のいい場所ということもあり、チームメイトの友人も多く駆け付けてくれていた。

「やぁ、今回は試合で投げられるんだね」

「...どうも」

 その中には、吹奏楽部部長にして珠音の心中を搔き乱した張本人である水田舞莉も含まれていた。

「どうしてここへ?」

「自分の学校の応援に来ちゃいけないのかい?まぁ、私を邪険に扱うのは無理もないか」

 舞莉は飄々とした様子を見せると、デジタルカメラのレンズを珠音に向ける。

「えっ」

「うん、いい瞳だ。この前とはまるで別人とも感じられるよ」

 舞莉は写真を満足そうな表情で確認する。

「いや、急に写真撮らないで下さいよ。しょ、肖像権の侵害!」

「使い慣れない言葉を使うものじゃないさ。今回は、君たちの取材だよ”しゅ・ざ・い”。私は吹奏楽部と新聞部を兼部していてね。うちの吹奏楽部は緩いし、アンコンだってだいぶ先だし、たまには新聞部員としても貢献しないと。ついでに言うと、写真部も兼部しているんだ」

「......あんこ?」

 舞莉の言う"アンコン"は毎年3月に開催されるアンサンブルコンテストを示しているのだが、業界違いの珠音には理解できなかった。

「それに、君は人の視線に慣れておいた方がいいよ。君は目立つ存在だし、少なからず好奇の視線を集めることになるだろうからね」

「は、はぁ.....」

 口から思わず零れそうになった"そんなものには慣れている"という言葉を何とか飲み込み、珠音の返答は曖昧なものとなる。

「ほれ、珠音」

「あぁ、ごめん!」

 浩平に釘を刺され、慌てて投球練習に戻る。

「おや、これ以上邪魔してしまうと、君のパートナーからも取材NGを喰らってしまいそうだね。取材対象は君だけじゃないし、失礼されてもらうよ」

 舞莉は返事を聞かずにその場からそそくさと離れ、珠音の視界には見えなくなる。

「誰?」

 投球練習を終えると、浩平が駆け寄ってくる。

「吹奏楽部部長の水田先輩」

「へー、知り合いなんだ」

 浩平の"知り合い"という言葉に、珠音は首を傾げる。

「知り合いではないかな。一方的に知られている感じ?」

「何だそりゃ」

 浩平の反応は、至極当然だと思われる。

 まだ2回しか会話していないのに、一方的に人の内面を見透かされたり、やけに親し気に話しかけられたり。

 いまいち、水田舞莉という人間を珠音は理解できないでいた。

「今度、琴音に聞いてみるか」

「何か言ったか?」

「いや、ごめん、なんでもない」

 珠音の独白に対し、浩平が敏感な反応を見せる。

 これから試合が始まるというのに、先発投手が集中力を保てていないのは、女房役として頂けない。

 浩平が珠音の右肩を軽く叩くと、珠音の表情が変わる。

「集中していくぞ」

「もちろん。私にとっては数少ないチャンスだし、無駄にはしたくない」

 珠音はグローブを外して脇に抱えると、両頬を自分の手で叩き気合を入れ直す。

「あぁ、楽しんでいこう」

「うん」

 試合開始まで10分を切る。

 珠音から雑念が消え、心は試合に挑む高揚感で満たされた。

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