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ホラー短編

オコモリサマ

作者: まあぷる

夏のホラー2022参加作品です。

  引きこもりの兄が失踪した。

 

 うちは母子家庭で、二つ違いの兄は元々とても明るくて優しい性格で妹の私ととても仲が良かった。

 兄が変わってしまったのは高校二年生の時、クラスの苛めの標的になったのだと聞いている。兄は夜中に何処かへ出かけて行って朝方家に帰ってくるなリ部屋に閉じこもり、鍵をかけたという。

 その日から何度も何度もドア越しに話しかけた。私も、母も。だが返事が帰ってくることは一度もなかった。

 毎日、三回、母が置いていく食事は食べてあったりなかったり。

 普通にトイレには行ってるし風呂は夜中に入っていたようだが、私は兄の姿を一度も見ていない。音に気付いて見に行くと既に部屋の中に戻っている。兄は姿を見せないどころか口を利くことさえなかった。

 母はいろいろな場所に相談をし、どうにか現状打破しようとしたが、それが却って仇になったのかもしれない。

 三年経ち、重い鬱病を発症した母が首を吊っているのを見つけたのは、帰宅した私だった。いつかこんな日が来るとは思っていたが、悲しみとショックでへたり込み、警察に連絡を入れたのは夜になってからだった。

 葬儀の日、私は兄に母が死んだことを告げた。兄は葬儀にも出なかったが、ドアの外に紙が置いてあった。

「もう食事は作らなくていいです。食事代を置いてください。夜中に自分で買いに行きます」

 母のことには一言も触れてなかったが、今まで見たこともないような歪んだ文字に兄の悲しみが溢れているのがわかった。夜中になるとドアを開ける音が聞こえる。私はあえて兄の姿を見ようとはしなかった。何を言っていいか判らなかったからだ。

 次の年の四月、私は高校を卒業して近所のスーパーで働いていた。


 

 その年の夏、七月七日、土曜日。いつもどおりドアの外に一週間分の食事代を置いた。だが翌日になってもお金はそのままで、ゴミも出されていなかった。そんなことは初めてだったので不審に思った私は無駄と思いながらも何度もドアを叩いて呼びかけ、遂には業者に頼んで部屋の鍵を開けてもらった。

 最悪の光景を想像していたが、部屋の中には誰もおらず、拍子抜けするほど整頓されて綺麗になっていた。

 締め切ったカーテン、つけっぱなしの蛍光灯。デスクトップのパソコン、本棚、クロゼット、ベッド。兄がいつも持ち歩いていたリュック、財布、スマホ。何一つ持ち出されてはいなかった。


 そして、ひときわ異彩を放つものがテーブルの上に置かれていた。

 ラジオだった。黒くて大きくてダイヤルが付いた古い型のラジオ。

 兄は何処でこれを買ったのだろうか。何故だろう。ラジオ放送なんてパソコンでもスマホでも聞けるのに。


 私はラジオを持ち出して居間に持ってきた。アンテナを伸ばし、電源スイッチを入れ、ダイヤルを回す。流行りの曲、パーソナリティとゲストのたわいもない会話と笑い声。

 聞いているうちに自分が一人になってしまったことを改めて突き付けられたような気がしてスイッチを切る。

 しんと静まり返った部屋の中で私は泣いた。兄に帰ってきて欲しかった。


『というわけで、次のリクエストはラジオネーム「引きこもりの兄」さんから。「佐々岡さんこんばんは。いつも楽しく聞かせていただいております。今日はいつも迷惑をかけている妹に曲を送りたいと思います」では、リクエストにお応えして……』

 真夜中、いきなり鳴りだしたラジオの音に驚いて目を覚ました。ラジオは枕元に置いてあったが、昼間から一度も電源を入れていない。曲はならず異様な沈黙が続く。そして、黄泉の国から聞こえてくるかのような声が響いた。

『深雪、深雪、聞いているか。俺の日記を見てくれ』

 しゃがれたようなその声はそれでも確かに兄の声だった。それっきりラジオは押し黙った。恐る恐る確認したが電源はやはり切れていた。

 何かぞわっと寒気のようなものを感じ、とにかく音が聞きたくて電源を入れる。『リクエストありがとうございました! それでは次はラジオネーム……』

 何事もなかったように番組は続いている。聞いているうちに少し心が落ち着いてきた。ラジオを消し、兄の部屋に向かう。

 

 パソコンが乗っている机の引き出しの中に日記はあった。パラパラとめくってみる。

 何気ない日常のことが綴られている。兄が日記をつけていたのは初めて知った。だが、真ん中あたりで急に字の色が赤くなった。

『〇月〇日 クラスの田中と中林に絡まれた。最悪だ。あんなに目立たないようにしていたのに。帰り道、人気のないところに連れていかれて殴られた。これからよろしくなと言われた』

『〇月〇日 あいつらから金を盗られる。渡しても渡せなくても殴られる。母にも妹にもこんなことは言えない。自分でどうにかしなくてはいけない』

 その後はどのような暴力を受けたのか数ページにわたって記されていた。自分の尿を無理やり飲まされたところで私は吐きそうになった。

『七月七日 町はずれの廃屋に夜中に一人で行けと言われた。行かなければ妹に手を出すと脅され、一人で廃屋に向かった。ラインが繋がっていていちいち報告しなければならない。二階建ての廃屋はドアのかぎが壊され、懐中電灯を点けて入ってみると中はボロボロで落書きだらけだった。各部屋を一つ一つ見て回り、証拠として写真を撮る。二階に行くとどうしても開けられないドアがあるらしい。そこを開けて何か取ってこいと言われた。階段を登り、二階に行くと突き当りに確かにドアはあった。それは何もない壁にペンキで描かれたものだった。開くわけがない。ラインが鳴った。「おいおい、そこを開けて何か持ってこなければどうなるかわかってるよな」心臓が早鐘をうつ。これはもうどうしようもない。違う部屋から何かとって誤魔化そうと思った時、絵だったはずのドアが存在しているのに気が付いた。ドアノブを回し、中に入っ』


 そこで一旦日記は途切れていた。


 次のページを開く。もはや意味不明な赤い文字で日記は塗りつぶされている。日記の最後のページまで。かろうじて読めた文字は「よねん」「とじこもる」「くちをきかない」「オコモリサマ」

これはどういうことだろう。取りあえず、日記を閉じてその廃屋を探しに行った方がいいような気がしたが、田中と中林のことが気になった。兄のスマホを手に取ると部屋を出た。


 翌日は休みの日だったので朝、兄のスマホを充電し、電話帳を確認したが二人の番号は載っていなかった。ラインを立ち上げると二人とのやり取りが記録されていた。廃屋と思しき汚く暗い部屋の写真。最後の写真は絵で描かれたドアだった。私はまず田中と連絡を取ってみることにした。

『久しぶりだな。元気か?』

 しばらくすると既読になり、返事が来た。

『お前、何をした。痛い、苦しい、助けてくれ、誰かた』

 同時に写真が送られてくる。部屋の中の写真。誰もいない。だがこの写真に違和感を感じる。そして気付いた。この写真には日付が記されている。それは四年前の七月七日だった。


 次は中林に連絡を取ってみた。

 こちらもすぐに返事が来たが、どうやら母親らしかった。

『お友達の方ですか? 中林純一の母です。純一は四年前から行方不明です。なにかご存知ではないでしょうか』

 私は兄ではなく妹であることを告げ、住所を聞いて家を訪ねてみることにした。

 

 七月の半ば、じりじりと焼けそうな日差しに閉口しながら辿り着いた中林の家は歩いて三十分ほどの住宅地にあった。かなり大きな家だ。インターフォンを鳴らし、中に迎え入れてくれたのは黒いワンピースを着た大人しそうなご婦人だった。

「いきなり申し訳ありません。実は私の兄も最近家から出て行って居所が判らないのです」

「そうだったんですか」

 苛めのことには一切触れなかった。この母親もたぶん全然知らないに違いない。

「ですから、もしかして中林君が何か御存じではないかと思ってお伺いさせていただきました。失礼ですがよかったらお部屋を見せていただけないでしょうか」

「どうぞ、ご覧になってください」


 二階に上り、母親が部屋のドアを開けた。

「四年前からそのままなんですよ。いつか戻ってくると思って」

「そうなんですか。こんなことをお聞きして申し訳ないんですが、荷物は持って行かれたのですか?」

「いいえ。そのままなんです。警察にも捜索願を出してるんですが、何の進展もなくて」

「見せていただいてよろしいですか?」

「どうぞ、ご自由に」

 ぱたん、とドアが閉まる。部屋は兄とは違い、服がベッドの上に積まれ、机の上も雑然としていた。

 何を探せばいいんだろうか。引き出しを探したが日記などはなさそうだ。まあ、今どき日記をつける人は少ないだろうし。兄は文章を書くこと自体が好きだった。取りあえず中林のバッグの中を探りスマホを出した。充電をする間、部屋を見回す。そして気が付いた。壁にドアの絵がある。なぜ今まで気が付かなかったのだろう。あれは兄のスマホに残されたものと同じだ。

 茶色のペンキで殴り書きされたようなその絵に触れてはいけない気がして目を逸らし、背を向ける。

 使えるようになったスマホのラインを開く。田中宛ての文章が目に入る。

 今日は面白かったな。あいつの顔見たか? そんなやり取りが延々と続く。頭がぐらぐらしてきた。吐き気がする。

 

 そしてあの日。七月七日。

「おい、川原。連絡しろ。何やってんだ」

 兄「見ました。見つけました。それでは持って帰らせていただきます」

「おい、何を見たんだよ」

 兄「オコモリサマ、約束は守りますのでどうぞよろしくおねがいいたしマス」

「待てよ。二階のドアは絵だぞ。入れるわけないだろ!」

 兄「ヨロシクオネガイイタシマスヨロシクドウゾオスキナヨウニサマオコモリサマ」

 そこで会話は途絶えていた。

 壁の絵はいつの間にか消えていた。見間違い? もう何が何だかわからない。

 

 あれ?

 その時、私は気付いてしまった。そういえば中林のスマホはずっと使われていなかった。それじゃあ、母親はどうしてすぐに私のラインに出ることが出来たんだろう。

 

 ドアを開け、外に出る。あれ、と思った。さっきまで綺麗だった階段も廊下も埃が積もっている。急いで階段を下り、他の部屋を探したが母親の姿はなかった。それどころか、ここは完全に廃屋だった。玄関のげた箱の上には兄の部屋と全く同じラジオが置かれていた。ガガガ……雑音に混じって聞こえてきたのは

『早く出て。早く出て』

 兄の声だった。

「もうお帰りですか?」

 その声に振り向くと真っ黒に焼けたような人影がゆっくりと近付いてくるのが見えた。

 慌てて家を出る。走って門の外まで行くと息を整え、改めて振り返った。大きな家の窓の一つが真っ黒な煤のようなもので覆われていた。窓の上の壁も黒い。全く人の気配はなく、庭も腰の高さまである雑草に覆われている。

 さっきまで私は誰と話をしていたのだろうか。


「あんた、そんなところで何やってんの?」

 気が付くと近所の人らしいおばさんが不審そうに私を見ていた。

「あ、あの、この家の方はどうされたんでしょうか」

「あんた、知らないんだ。この家の息子さんと友人の息子さんが同じ日に行方不明になってね。確か四年前の七夕の日の夜だったかな。結構騒ぎになったんだけど、何しろ学校でも問題児でイジメとかいろいろあったらしくて、結局はどこかへ家出したんだろうぐらいですまされちゃったんじゃないかな。そうそう、それからいくらも経たずに母親は焼身自殺。父親も家を出ていったらしいよ。まあ、気味悪いから早く取り壊してほしいんだけどね。ああ、そうだ。息子さんの友人もそっちは両親と不仲でアパートで独り暮らしだったらしいけど、そのアパートの部屋も同じ日に全焼して、もう今は取り壊されて更地なんだよ」

「そうだったんですか」

「まあ、あんまり近付かないほうがいいよ。祟られるかもしれないから」

 おばさんはそう言うと少し足早に歩き去った。

 

 田中の住んでいたアパートがすでにないのなら行ってみる必要もないだろう。場所もわからないし。だが、だったらさっきのラインは何処と繋がったのだろうか。


 すっかり疲れてしまったのでコンビニに寄ってから家に帰った。

 夕食を食べながら考える。

 兄は廃屋で何を見たのだろう。もしかすると友人二人の命と引き換えに契約を結んだのか。

「オコモリサマ」とは一体何なのか。

 これ以上、触れてはいけない気がした。

 目の前にある黒いラジオ。

 兄が廃屋から持ち帰ったのはこれかもしれない。


 数日後、私は兄が訪れたという廃屋まで行ってみた。だが、中に入ることは出来なかった。なぜなら、その家に普通のドアはなく壁に絵で描かれたドアがあるだけだったからだ。いや、それどころじゃない。窓もすべて絵だ。見間違いかもしれない。でも、これ以上近付くことを拒否された気がしてそのまま私は逃げ帰った。


 それから数年。私は家を売って引っ越した。ユーチューブの動画に廃墟に行ってみた系のものがあるとついつい見てしまう。だがあの廃屋の動画はなかった。

ラジオは今でも手元にある。しかし、あれ以来それが音を出すことはなくなってしまった。

 兄はまだいるのだろう。あそこに。

 いつかあの廃屋のドアを開けて入ってくるものが現れるまで。





「以上が今回送られてきた手紙の内容です。実は送られてきた方に連絡をとろうとしたんですが住所も名前もデタラメでして、でもとても興味深い内容なので紹介させていただきました」

「長かったねえ。朗読お疲れ様でした、三好さん」


【昼間からオカルト!】というタイトルのこのラジオ番組は一部のホラーファンに人気があった。

 パーソナリティの佐々岡がゲストに問いかける。

「で、どうですか、及川先生。霊媒師としての意見お聞かせください」

 及川はもったいぶった態度で答える。

「どうもねえ。話が嘘臭いね。いろいろツッコミどころもあるし」

「いや、それがね、この「引きこもりの兄」さんからのリクエストは実際あったし、でも真夜中に放送されたのは意味わからないですよね。そういうことで真相が知りたくてこちらも相当調べこんでついに見つけたんですよ、この廃屋」

 佐々岡は少し得意げな笑みを浮かべた。

「それは本当かね? いや、驚いたね」

「でしょう? 今、レポーターの杉本をそちらに向かわせています。ミヤちゃん、聞こえますか?」

 

 ラジオ局のスタジオにあるモニターに不安そうな表情を浮かべた杉本が映った。

『あ、はい聞こえます。なんだか私、二階に行くことになっちゃって。なんでですか? 私、こういうの本当に苦手なの知ってるのに』

 廃屋の中、昼間なのに曇ったガラス以外から光は入らず、ひたすら暗い。同行しているのはカメラマンだけだ。

「大丈夫、大丈夫。単なる作り話だと思うからとにかく二階に上って」

 ギシギシと軋る階段を登り、二階につくと杉本の顔はさらに曇った。

『何、探すんでしたっけ』

「廊下の突き当りにドアの絵があるかどうか見てきて」

『はい。この廊下凄く暗くて、なんだか空気がどんよりしてる感じで。。今懐中電灯つけたんですけど……あ、あれですかね。なんだか気持ち悪い絵です』

 カメラが近付いてドアの絵を映し始めた。が、その途端に映像が乱れ、画面には何も映らなくなった。

『あ、あれ? ドアありますよ? 見間違いだったのかな』音声は生きているらしい。

「じゃあ、中に入って」

『なんでですか? 嫌です』

「仕事なんだから入ってよ」

『佐々岡さん、いつもそうですよね。嫌なことは全部押し付けてきて。いいですよ。入ります。でも後で私とのこと世間にばらしますからね!』

「え、ちょっと」

 ギイイイイ。話を遮るようにドアが開く音が響いた。そして足音、ドアの閉まる音。

 カメラマンが動揺した声でいくら呼びかけても返事はない。突然画面が映った。壁に描かれたドアの絵が。

『あ、あの、俺も入ろうとしたらドア無くなっちゃって。ミヤちゃん! 返事して!』

 また画面が真っ暗になった。

 囁くような掠れた声が聞こえた。オコモリサマ、と。

 中継はそれきり途切れてしまった。


 しばらくスタジオは静まり返っていた。

「……ええっと、何が起こったんでしょうか」

「いったん、CMです」

「なんだね、これは。やらせだったらいい加減にしてもらえないかね」

「黙れ、インチキ霊媒師!」

 佐々岡は思わず怒鳴ってしまった。スタジオの空気が重い。

 スタッフの非難じみた視線に耐えかねて佐々岡は席を立ち、廊下に出た。

 

 あんなのは嘘だ。俺が最近相手にしないからミヤの奴、カメラマンと組んで芝居を打ってるに違いない。もうあいつは番組から降ろす。

 誰もいない廊下でタバコに火をつけ、壁に寄り掛かった。

 背中がめり込む感覚に驚いた時には遅かった。佐々岡は頭からゆっくりと壁の中に呑まれて消えていく。

 ぽとん、と火のついたタバコだけが廊下に落ちた。

 

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[一言] 面白かたったです! おお、今年のテーマはラジオか。 まあぷるさんのは、物語の始まりの引き込み方とか、盛り上がりどころとか、あとオチがしっかり描かれていて、安心して怖がれるんすよね! 友…
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