薄氷
先輩と僕は部屋へと移動し、黙ってカレーを口に運んでいる。
不用意な僕の質問から始まった沈黙は、盛り付けが終わり、食べ始めてからも続いていた。
僕は、自分の失敗を悟った。
直感に従い、聞いてしまったが、問いただすべきことではなかったのだろう。
やはり、何か理由があるのかもしれない。
区切りをつけると、目の前の皿に再度向き直った。
カレーのスパイスと、かすかな甘み。
普段なら美味しいと感じる味のはずだが、何かが混ざって純粋に楽しめない。
「隠し味だけど、なんだったと思う?」
プレッシャーからか、繊細な味が分からなくなってきた。
思い出すのは、黄色い果実。
鍋の奥底にあった唯一の真実。
「バナナですか?」
「残念だ、正解はパプリカだよ」
パプリカ?
「パプリカだよ、青くはないけどね。君は、見えるものにとらわれすぎだ」
無言で口に運んだ、瑞々しい果肉の感覚と特有の甘みが口に広がる。
もっと早くに気づくべきだった。
悔いつつも、無言のまま続ける。
気が付けばもう、二人とも口に運ぶ食べ物がなくなってしまった。
「食べ終わってしまいましたね」
出来上がりまでの時間に比して、無言で食べる時間の早さは無情である。
「ああ」
「ご馳走様、ですね」
「そうだね、ご馳走さま」
先輩は食べ終わった食器を僕の皿に重ねる。
「これは君に任せるよ」
言い終わるころに、先輩のスマホが鳴り始めた。
「母さんかな? ちょっと失礼するよ」
先輩は親指と小指を立て、時代錯誤なハンドサインで僕に合図した。
台所の方へ移動した先輩は、誰かと話し込んでいる。
5分か10分が経ちその会話が終わると、戻ってくるなり僕に告げた。
「名残惜しいけど、今日はもう帰るよ」
「送りますよ」
「いつかここに来るときは、君の隠し図書館の蔵書でもあばいてやろうと思ったんだけどね」
「また来ればいいじゃないですか」
「それもいいかもしれないね」
先輩は玄関を見つめる。そこには、無残に破壊されたうえに無粋に補強されたドアが張り付いていた。
「またいつか……か」