救出劇@異世界
いや、いっそ貧血で倒れれば遅刻も許されるのでは?
そんな淡い期待はあっさりと裏切られることになった。白色に奪われた視界が徐々に戻ってきたからだ。
「はあ、はあ」
膝に手を当てて息を整える。当然、走るのは止めていた。いっそこの苦しみから解放されるなら貧血になった方がましかもしれない。全身が酸素を欲している。
しかし、徐々に取り戻した視界は、東京のオフィス街とは全く違う風景だった。目の前には灰色のコンクリートが見えるはずなのに、緑の草が見える。
慌てて周りを見渡すと青々とした草原が広がっていた。遠くには山々が、青みを帯びて連なっている。空は雲一つない青空だった。
いや、ここどこよ? 記憶障害かしら……?
目線を若干近くに移すと、茶色い土の線が、若々しい草花たちを横切るように続いていた。舗装されていない、ただ、草原を切り開いたような道だ。
ハイキングにでも来ていたかなあ……?
しかし、その草原の道では不穏な事件が起こっていた。
道の中ほどには、質素な馬車がある。そもそも馬車があるなんて、現代の日本ではちゃんちゃらおかしいのだが、それよりも、その馬車を取り囲む光景の異常さに意識を奪われる。
まず、馬車を囲むように汚らしい格好をした男たちが集まっている。馬車の御者と思われる人が地面に倒れていた。
その中に、明らかに異質な可憐な少女の姿がある。彼女の服装は質素な馬車に似つかわしくない豪華なものだった。彼女は男たちの中でも最も体格が良い男に捕らえられていた。
その体格の良い男と華奢な少女を取り囲む10人ほどの男たち。少女を守るはずの兵士は男たちに捉えられて組み伏せられている。きっと訓練された兵士なのだろうが、数の暴力には勝てなかったのだろうか。
そして、驚くことにその恰好は現代日本のファッションとはあまりにもかけ離れていた。その眼前の光景に映画でも見ているのかという錯覚を覚える。これって、ファンタジー映画に出てくる中世欧州の格好よね。
混乱する頭の中で、最善の策を導き出す。警察を呼ばないと! スマホを出そう。
そう思って鞄を探ろうとすると、持っているはずの鞄は手元には無かった。そして、風景が変わってから初めて見る自分の姿に唖然とした。
「え! 何この格好?」
そう、私も映画の登場人物のような恰好をしていたのだ。思わず声が出てしまった。その声に気付いた体格のいい男が声を上げる。
「おい、誰だあいつは? お前、捕らえてこい」
逃げようとしたのだが、体が重くて思うように動けない。追手にあっさりと捕まってしまった。抵抗して殺されるのは本意ではないので、とりあえず大人しくすることにした。
「何だ。男はこれ以上増えても仕方ないんだけどな」
巨体の男の言葉に、他の男たちが、ふへへという下品な笑い声を上げていた。女性に男とは失礼な、と思ったが、さっきの服装は男物で間違いなかった。視線もいつもより高くなっているようで、今の見た目は男なのだろうと推測する。
「まあ、お楽しみは、この別嬪の女だけで十分か」
そういって、少女の首筋から耳にかけて、その男は指を這わせる。少女は目をつぶり、必死に耐えていた。
その光景に、緊張で高鳴っていた鼓動が、別の感情によってさらに早まり、頭に血が上る。頭の中は怒りと恐怖が混じりあっている。
幼気な女の子に手を出すなんてありえない。しかし、残念ながらそれを打開するだけの力は私にはない。だって、経理部員だもの。何でよ、何でこんな胸糞悪いシーンに立ち会わないといけないの?
そんな時、私を捉えていた男の手が胸に触れた。その瞬間に女としての本能が働く。
「何してくれとんじゃ! セクハラ野郎が!」
咄嗟に手が動き、捕らえていた男の顔を打つ。
ゴンッ、と大きな音がする。
その音に驚いていると、想像を超える事態が起こった。
まず、私を捕らえていた男が私から離れていったのだ。そのことに驚いて、後ろを振り返ると、男はものすごい勢いで吹き飛んだようで、かなり離れたところで泡を吹いて道に倒れていた。
盗賊団にざわめきが起こる。
「何だ、今のは?」
いや、私が聞きたいよ。
「おい、手が空いているお前ら、さっさとあいつを捕らえろ。あいつは殺しても構わない。吐かせる情報も無いだろうからな」
至極悪そうな声を出しているが、その声は若干震えているように聞こえた。指示された、呆然と突っ立っていた部下と思しき男2人が剣を抜く。こっちは丸腰なのに剣なんて卑怯よ。
そして、兵士をさっさと殺害しないのは、情報を引き出すためか。意外と頭が使えるやつらなんだな、と妙な感心をしてしまう。
「おい、あいつ、何で剣を抜かない。もしや魔法使いか? 警戒しろよ」
そんなセリフが聞こえて腰のあたりを見ると、そこには剣がある。何で私は剣を持っているのよ。お膳立てばっちりじゃない。っていうか、魔法使いって何?
もう! 剣なんて使ったことが無いのに。
でも、構えるだけ構えるか。中学の時の体育の授業を思い出す。私の通った中学では剣道がカリキュラムに組まれていたのだ。鞘から剣を抜くと、意外とあっさりと持つことができて驚く。こんなに重そうな剣なのになんでかしら?
目線と剣先を同じ高さにする。中段の構えだったよね。
「俺が様子を見てやる。魔法使いだったらフォローしろ」
男のうちの一人が、剣を振り上げながらこちらに向かってくる。私の剣を弾き飛ばそうとしたのか、私が構えた剣に、勢いよくその剣を打ち付けてくる。
私はとりあえず、それを受ける形で剣を構えて応じた。はじかれると思った私の剣はその場に残り、打ち付けてきた男の剣がはじき返されていた。手には衝撃が走ったが、痛さは感じなかった。
男は剣を手から離したらしく、剣は地面に落ちる。驚愕の表情を浮かべて、男は後ずさりしている。
もう一人の男も切りかかってきたので、今度はそれを弾くように剣をぶつける。男の剣は、高い音を立てて空に舞っていった。その男も驚愕の表情を浮かべて後ずさりする。
二人そろって同じ反応だった。
そんな様子を見ていたら、コントか、と徐々に余裕が出てきた。これは、白昼夢か何かかもしれない。妙なリアリティはあるが、夢なのだとしたら怪我をすることはないだろう。腕の痛みも耐えられる程度のものだ。
「団長、こいつ強すぎます。相手にしない方が良いです」
これって、やりたい放題な夢なのかな? 調子に乗って、剣の構えを上段の構えにすると、男たちの顔には恐怖が浮かんでいた。
「きょ、今日のところは許してやる。お前ら撤退だ」
そういって、団長らしき大男が言うと男たちは散り散りに草原を駆けていった。もしこれが映画だったら、追撃するところなのだろうけど、私は追うことはしなかった。無計画に飛び出して迷子になったりするのも嫌だし……と白昼夢と結論づけながらも、妙に現実的な思考をしている自分がおかしくなる。
改めて周囲を見回すと、少女を守る兵士たちはすぐに起きられる状況ではなかった。手足を縛られ、口にも布を噛まされていたためだ。
「どこの誰か存じませんが、助けていただきありがとうございます」
気付くと目の前には先ほど襲われていた少女が佇んでいた。体が震えている。そりゃ、あんなことをされたら怖いよね。しかし、その目には恐怖の感情ではなく、憧れの感情が浮かんでいる。
こんな時に何だが、目の前でこちらを見つめる少女はただただ可愛い。金色の巻き髪に、白く透き通った肌。とても整った顔立ちだ。風に乗って香水の上品な香りが鼻に入ってくる。20代になったばかりというところだろうか。お姫様のようなドレスを着ていた。
同性の私から見ても可愛いのだから、きっと男の人が見たら一瞬で惚れてしまうのでは無いかと思う。少女を襲っていた男たちの欲求も、分からないことは無いかもしれない。絶対に許されることではないけどね。
「え! どうして体が光っているの……?」
驚きの表情をしながら、少女が声を上げる。何を言っているんだろうと思ったが、自分の体を見ると白く発光していた。
「ええ、いや、何よこれ?」
「風来の勇者様、このご縁はきっと忘れま……」
その言葉を発するときの少女の顔を見て、昔の自分を思い出した。難しいことを考えずに生きていた若い時の真っ直ぐな恋をしている時の表情。羨望の人が離れていく胸を締め付けるような寂しさ。そんな感情が彼女の表情には浮かんでいるように思えた。
しかし、視界を奪う純白の光に聴覚も奪われたようで、気づくと少女の声は途中で途切れた。
もう! 今日はなんて日なの? 私の頭がおかしくなっちゃったのかしら?
あ、これが夢で、起きたら家にいて、目覚ましが鳴っていたりして……そうだったら良いのに。