008 茅森楓と藤代瑠雨
私がバスケを始めたのは小学校4年生の時。
地元のミニバスケットボールチームだった。
元々は二つ年上の櫛引千秋が所属していたチームであり、その後を追うように私と千春もそのチームに入る。
私のいたミニバスチームは、男女合わせて二十数名の小さなクラブ。
大会こそ男女別々のチームで出場するが、普段の練習は男女混合で行われていた。
私が藤代瑠雨と出会ったのも、このクラブでの事だった。
「ルゥー!」
唇を限界まで尖らせ、目の前の少女の名を呼ぶ。
「わざとでしょ! わざと外したでしょ!」
ルゥと呼ばれたその少女、藤代瑠雨が、力なく跳ねるバスケットボールを拾って背後から喚く声にいかにも面倒だというような顔をして反応する。
「そんな事ない。 二本連続で外れたから私の負け。 キャプテンは楓に決まり」
それだけ告げるとそそくさとボールを片付けようとする。
「あからさまに『ワザと負けました』みたいな顔されて納得出来るかー!」
うがーっ と、両手をひろげて、今にも噛みつかんばかりに口を大きく開き、地団太を踏む。
勝った方が新チームのキャプテンという事で、私がふっかけたフリースロー対決。
互いに五本ずつ、多くシュートを決めた方が勝ち。
先攻の私が四本決めた後、後攻の瑠雨があっさりとニ本連続でシュートを外して早々に決着が付いたところである。
「楓はキャプテンがやりたい。 るーはやりたくない。 もともと勝負する意味がない」
自分のことを『るー』と呼ぶ少女が、呆れたように話す。
新チームのキャプテンはみんなで決めなさい、というコーチの放任主義的発言から始まったこのやりとりは、ただ一人、しゃしゃりでた私が何故か物言いをつけ、黙って見ていた瑠雨に、キャプテンの座をかけて勝負だっ! と謎の挑戦状を叩きつけて今に至る。
千春を含む周りの同級生、そして下級生たちにとっては、私が瑠雨にケンカを売る光景も見慣れた日常であり、またかと半ばお約束ムードで傍観者を決め込んでいる。
「と・に・か・く! もう一回! 今のはノーカン! もっと本気でやれ!」
と、ひどく自分勝手な理由を付けて再戦を要求する。
「そんな事言われても、私は別にキャプテンやりたくないんだけど」
すぐに断る瑠雨。
「キャプテンやりたいって立候補したのは楓。 巻き込まれる意味が分からない」
瑠雨がそう付け加えると、周囲の面々が音もなくうんうん、と一様に首を縦に振る。
「わ、私は別に、キャプテンになりたいってゆーか、誰もなりたがらないなら、なってもいいかなーって……、でもでもでも良く考えたら何か外れクジっぽくてそれはそれで納得いかないから! と、とにかくあんたは私と真面目に勝負しろぉ!」
ズバっと人差し指で瑠雨をさす。
周りからは「えぇ……」とか、「何という自己中」とか、「ただの言いがかりじゃん」とか囁く声がしたが、聞こえないフリをした。
肺から憂鬱を吐き出すように、溜息をついた瑠雨だったが、何か考えるように目をつぶった。
それから静かに目を開くと、逆に私を指でさしかえす。
「じゃあ……負けた方がキャプテン、ならもう一回やっても良い。 楓はキャプテンやりたいわけじゃない。 私もキャプテンやりたくない。 これなら真面目に勝負する」
と、ルール変更を要求してくる。
その要求に、一瞬言葉が詰まったが、
「良いだろう! その勝負乗った!」
と高らかに宣言。
周りからは「良いのかよ……」とか、「何という自己中」とか、「ただ遊びたいだけじゃん」とか嘆く声がしたが、聞こえないフリをした。
再びフリースロー対決が始まる。
じゃんけんの結果、先攻は再び私からとなった。
コートに転がるバスケットボールを拾い上げ、フリースローラインに立つ。
ダンッ、ダンッ と二度ボールをついてから、利き手である左手にボールをのせ、右手をボールの側面に添えたシュートフォームを作る。
膝を折って反動をつけると、バネのようにその力を活かしてボールに伝え、ゴールリング目掛けてシュートを放つ。
放たれたボールは綺麗に回転しながら、リングめがけてゆるやかに放物線を描き、『ザシュッ』と心地よい音を響かせてネットを通る。
まずは一本目を成功。
ニ本目、三本目、四本目と同じようにシュート成功させたが、最後の五本目はわずかにシュートが短かったか、リング手前に嫌われて弾かれた。
結果は先ほどと同じく五本中四本のゴール成功だった。
体育館脇でそれを眺めるチームメイトの中、おかっぱ頭の小さな男の子が「楓ちゃんすごい!」と一人はしゃいでいる。
そんな私と入れ替わりで、瑠雨がフリースローラインの前に立つ。
私のようにシュートの前にボールをつくようなルーティン行動は取らず、両手で持ったボールを眼光鋭く見つめたかと思うと、そのままシュート態勢に入り、シュートを放った。
私のシュートと比べると幾分直線的な軌道で、ボールがゴールへと向かう。
バックボードに描かれた枠を正確に捉えたボールが、ガコンッと音を立ててボードを叩き、リングを通過した。
落ちてきたボールはそのまま前進するように跳ね、瑠雨のもとに戻ってくる。
それを拾い、間を空けずにすぐにシュートを放つ。先ほどのリプレイでも観ているかのように、同じ軌道を辿ったボールが、同じようにバックボードを叩き、リングを通過し瑠雨のもとへ跳ねながら戻ってくる。
そうして三本目、四本目、五本目ともあっさり成功させた瑠雨。
まるで意思を持っているかのように、自身の足元へ戻ってきたボールを拾いあげると、
「キャプテン就任おめでとう」
と、私にボールを渡してくる。
対決を見守っていた周囲からも暖かな拍手が巻き起こる。
「な、な、な……なんでよー!」
両手両足をジタバタと動かしながら、喚く私。
「あんた、他のチームとの試合のときは対してシュート入らないくせに、何でこういう時だけそんなポンポンとシュート入るのよ! おかしい! そんなの絶対おかしい!」
と、文句をつける。
「仕方ない。これがるーの実力」
そういって、周りの拍手に左手をあげて応える瑠雨。
「絶対に負けられない戦いが、ここにはある」
エッヘンと胸を張って、スポーツ中継などで良く目にするフレーズを口にした。
「ふざけんな! やり直しを要求します」
そう言って、再び駄々をこねる。
その後も粘り強く駄々をこね続けた結果、事の発端を作った放任主義のコーチが、
「お前たちに任せたオレがバカだった」
と自分の非を認め、最終的に何故か千春を新キャプテンに指名。
「なんで!?」
と、千春の叫びが体育館にこだまして、チームのキャプテン問題は終結した。
その後、私は邦枝中へ、藤代瑠雨は明青学院へと別々の学校へ進学する。
私にとって藤代瑠雨という少女は、幼いころから切磋琢磨した仲間であり、ライバル視する唯一の相手であり、常に壁として立ちはだかった天敵である。
一方で、バスケに対するモチベーションを支えた恩人だと言い換えてもいい。
その少女が今、明青学院の選手として私の瞳に映っている。
胸の奥が疼く。
しばらくの時間、私は彼女を眺めていた。