007 練習試合の前に
体育館内では、着々と練習試合の準備が進められている。
私は、葵ちゃんに勧められ、ベンチとして用意されたパイプ椅子に腰かけていた。
そのすぐ脇、得点表示用の機器などが置かれた長机の前で、二人の女性が挨拶を交わし始める。
今しがた他校の生徒を引率してきた女性と、女バスの顧問である麻木先生だ。
「麻木、久しぶりだね」
青を基調としたデザインのジャージに身を包む長身の女性。
胸元はルーズに開いていて、中に着ている白いTシャツを盛り上げるように実った双房が飛び出している。
深い黒味のある髪を後頭部でぎゅっと1本に纏め、化粧はほとんどすっぴんと表現できるほどに控えめ。
人為的にデザインされた形跡のない眉毛は力強くキリっと凛々しい。
「お久しぶりです。先輩」
対する麻木先生は、対照的に小柄な体型。
墨色の大き目な花柄があしらわれたデザインの白いワンピースに、薄いピンク色のニットカーディガンを肩にかけるように羽織っている。
ハニーブロンドの長い髪は、左右の高い位置でまとめ両肩にかかる長さで垂らした、いわゆるツインテールで、幼い造りの顔にはバッチリ化粧が施されている。
有体に言えば派手。
非常に存在感があるというか、高校の体育館では浮いて見える。
「七海の結婚式以来か? 今日はよろしく頼むよ」
「いえいえ、こちらこそ。 明青さんと練習させて頂けるなんて、私たちにとっても願ってもない機会ですから」
「いやいや、こちらは一年生ばかりだし、逆に胸を借りさせてもらう立場さ」
相手の女性が、麻木先生の目線に高さを合わせるように屈む姿勢をとり、右手を差し出す。
応じて麻木先生も右手を出す。
二人はがっちりとお互いの手を掴み、握手を交わした。
が、しかし……。
ピキピキと音が聞こえる気がするほど、麻木先生が明らかに握る手に力を込めているのが分かる。
それを受ける相手の女性は、ふん、と鼻で笑うように息を吐いてから、お返しとばかりに握力を加え返した。
……麻木先生、めっちゃめちゃ痛がってますやん。
自分よりも強い力で右手を握り潰されそうになった先生は、顔を真っ赤にしながらも、表情筋を総動員して強引に笑顔を作っている。
「あらぁ? 相変わらずゴリラみたいにたくましいですねぇ、先輩。 青春を汗まみれにしながら必死の思いで入った実業団を辞められて、たいそう落ち込んでいるかと思ったらそうでもないみたいですね。 せっかくふっつーの人間の女性に戻るチャンスなんですから、指導者の道を歩む前に、もう少しお淑やかになってはいかかですかぁ? このメスゴリラ」
先ほどまでの会話から一変、とても穏やかではない言葉を使い、まくしたてる麻木先生。
「はは、言ってくれるね。 そういえばそのメスゴリラに意中の男を取られて、ヤケ酒の末に居酒屋のトイレをゲロまみれにして泣いてたクソチビ女がいたらしいけど、誰だっけなぁ? 女は容姿から判断出来ない人間性ってモンが重要って事だよ。 君も頭ん中までその服みたいな花咲かせてる暇があったら、もう少し自分の内面と向き合ってみたらどうだろうか? この色欲ロリババア」
相手の女性が、これまた負けず劣らずひどい言葉のチョイスで応戦してきた。
「ふふふ……」
「ははは……」
最後は笑いあった二人だが、互いの視線はバチバチと火花が飛んでいる様子を錯覚しそうな程、激しくぶつかりあっている。
えぇ……なにやだ怖い。
見てはいけないものを見せられた気分。忘れよう。
そんなニ人から目を反らすと、千春が豊後さんと北村さんを連れてやってきた。
「ブンちゃんと静ちゃん。あんたには今日、二人の横で試合を観ながらいろいろ解説して欲しいのさ」
豊後結衣と北村静香の二人を隣にした千春が説明する。
要は解説役をお願いしたい、という事だ。
「ニ人は最近バスケを始めたばっかだから、今日は試合出ない予定なのよ。 まぁ、解説と言っても、あんたはいつもみたいに独り言呟きながら試合を観て、たまに二人の質問に答えてくれればそれでオーケー」
簡単でしょ?と、千春は右目を軽く閉じ、ウインクをする。
なんでわたしが……。と、悪態をつきそうになるが、当人たちの前でそれをこぼすほどデリカシーを欠いてはおらず、喉の手前で飲み込んだ。
「まぁ……、今日だけなら」
承諾すると、それを聞いて、豊後さんと北村さんが「よろしくですぅ」「……どもです」と、それぞれ丁寧に頭を下げて礼を述べた。
それからすぐに、大きく手を叩く手と「集合」の声が聞こえる。
声をかけたのは女子バスケ部のキャプテン、中村詩織さんだ。
ベンチとしてパイプ椅子を並べた一帯にすばる高の部員たちが集まる。
そこに麻木先生もやってくる。
鼻息荒く、目が血走っている。いやだから怖いんですけど……。
私も、やや遠慮がちにその輪の近くに寄る。
詩織さん以外の上級生たちと顧問の麻木先生には先に簡単な挨拶をすませているが、そもそも私は部員ではないし、余り邪魔をするワケにはいかない。
部員たちの顔を見回し、全員いる事を確認した麻木先生が話をはじめた。
「みんなお疲れっ! 改めて、今日は“あの”明青学院さんと練習試合です」
言って、ダン!と一度、右足で体育館の床を大きく踏みつけるように足踏みする。
その振動がコートを伝って届き、何人かがビクっと肩を一瞬震わせた。
「しかぁぁし! 練習試合とはいえ、絶対に負けられない戦いというのはあるのですっ! 今日がそう! 相手が“あの”明青とは言っても所詮一年生中心! 勝てるチャンスは十分あります! あんなメスゴリラの率いるチームに負けるなど、この私が絶対に許しませんっ!」
先のやりとりを思い出したのか、こめかみに浮かぶ血管を脈動激しく動かしながら右拳を掲げる。
手に爪が食い込まんばかりに力の入った拳が、ブルブルと細かく振動している。
私情がひどすぎる……。
「勝った暁にはこの麻木レイラ、あなたたちにファミレス……いや、すき焼き! すき焼きを振る舞いましょう!」
単なる練習試合にも関わらず、突然に最上級のニンジンを生徒達の目の前に垂らす顧問。
掲げた右手の拳を下して、左手で包むと、ポキポキと、乱暴に拳を鳴らす。
「「す……」」」
「「すき焼きじゃあぁぁぁぁぁぁぁ!!」」
突然目の前に現れた報酬に、一部のメンバー(主に櫛引姉妹)が過剰なまでのリアクションを見せる。
麻木先生の提案は、ひとまず彼女たち部員の士気向上に一役買ったようだ。
そのまま円陣を組もうとする面々。
その輪になし崩し的に私も組み込まれ、両隣の子と肩を組む。
そう、うまくいく相手かなぁ……。
明青学院高等学校。
すばる高と同じ地区にある、中高一貫教育の私立校だ。
女子バスケに少しでも興味がある者なら、誰しもが名前くらいは聞いた事があるだろう。
日本代表クラスの選手を多数輩出し、全国大会では常に優勝候補の一角として数えられる、女子バスケットボール界を牽引する存在。
そんな明青学院には毎年、県内外から将来有望な選手がリクルートされて入学してくる。
全員が一年生といっても、そのメンバーは例外なく中学時代各チームでエース格だった子たちばかり。
何より明青学院は、中等部自体が千葉県内随一の強豪校。
私が中学時代、一度も全国大会へ出場した事がないのは、常にこの明青学院に阻まれてきたからだ。
当然、その中等部からも優秀な選手が高等部へ進学してきている。
「「すき焼きぃぃ! ファイッオォォ!!」」
謎の掛け声の後で解かれた円陣の中、私は遠く、明青学院のメンバーを見渡す。
ほどなくしてそしてその視線は、自然と一人の少女に固定された。
背丈は私と同じくらい。
紫がかった艶のあるショートボブの髪型。
前髪は左から右に流すように非対称で、右側の髪が右目に掛かりそうにやや長い。
目鼻立ちは鋭く整い、やや華奢な印象の白い手足がTシャツとハーフ丈のジャージパンツから伸びている。
藤代瑠雨。
彼女もまた、静かに私に視線を向けていた。