073 茅森楓の憂鬱③
サボってました。
「退部!?」
木曜日の放課後、練習前のミーティング。
私がそう聞き返すと、部長の中村詩織さんは静かに首を縦に振った。
「なんで……」
そこまで口にして言葉に詰まる。
分かり切った事を聞いていると思った。
竹谷夏希さんと加藤理香さん。
女子バスケ部の先輩である二人は今日、揃って職員室を訪れ、そこで顧問の麻木レイラ先生に退部を申し入れたという。
「それで、先生は何て?」
そんな話を同じく隣で聞いていた櫛引千春が、詩織さんに話を促す。
千春の右手には松葉杖。
先日の試合で負傷した右足首には、今も痛々しく包帯が巻かれている。
もちろん練習には参加できないが、こうやって部活には顔を出していた。
そんな千春の問いに、詩織さんが答える。
「一応理由を尋ねたら、受験の準備に集中したいって理由を言っていたみたいだけど。 『そんな理由並べて辞めるって言う子を引き留めるなんて、そんな事、私がするわけないでしょ』って。 正直、レイラ先生も戸惑っているみたいで……」
千春の問いに対し、詩織さんは眉尻を下げ答える。
「ここに来る前に、夏希と理香に直接問おうと思ったんだが、二人ともすでに帰ってしまっていてな。 L@INEも送ったんだが、既読すら付かないよ」
詩織さんの隣に立つ安藤環さんが、そう言って短く息を吐いた。
「ふぅん……そーですか」
千春がチラリとこちらを見る。
それから、いかにもダルそうに言った。
「まー、いいんじゃないですか? 二人とも、お世辞にも本気でバスケやってるように見えなかったし。 むしろ向こうから居なくなってくれるなら私は大歓迎ですけど」
「千春……その言い方は……」
千春の言い草に詩織さんは眉をひそめる。
それを見て悪びれる様子もなく、千春は言葉を続ける。
「ぶっちゃけあの二人、数合わせですよね? 部活立ち上げの時の。 なら良くないですかー? 今はもう私達一年も入ってきたんだし。 この際だから言わせてもらいますけど、あたしもっとちゃんとバスケやりたいんですよ。 もっと上手くなりたいし、もっと強いチームにしたい。 真面目にやってくれない人たちの事なんて考えてる場合じゃないでしょ。 詩織さんだって、内心は辞めてくれて……」
「やめて!」
詩織さんの鋭い声が、館内に響く。
同時に、強く千春を睨みつける。
「……ごめん。 でも、二人の事をそんな風に言わないで欲しいな……」
詩織さんは眉間に寄った皺を解くと、困ったような笑顔を千春に向ける。
「あーすいません、ちょっと熱くなっちゃいました」
そんな顔を向けたられた千春は、バツが悪そうに目を逸らした。
「こっちこそ、大きい声だしちゃってゴメンね。 さ、とりあえず練習始めましょう?」
そう言うと、詩織さんはパンッと手を叩く。
それを合図に、部員達はバラバラと動き出した。
私はポンと、千春のお尻を叩いて促す。
「なにさ?」
「別に。 さ、練習するから手伝ってよ」
「はいはい」
すっと肩から力を抜いた千春が、ダルそうに歩き出す。
千春が動き出したのを見てから、私は詩織さんに目を向けた。
詩織さんは、気が抜けたようにその場に立ち止まったまま。
「……いなぁ」
ぼそりと何かを呟く。
その顔はとても無機質で、何だか出来の悪いCGみたいだった。
**********
「……ごちそうさま」
「はい……って何よアンタ。 今日はずいぶん小食じゃない。 おかわりしないなんて」
「うん、なんかお腹いっぱい」
その日の夜。
いつもならお茶碗三杯は食べる私が早々に夕食を切り上げたのを見て、珍しく家にいる母が怪訝そうな顔を向ける。
普段が食べ過ぎだって?
うるさい、部活もやってカロリー消費して、おまけに育ち盛りなんだよこっちは。
そんな脳内答弁をしながら、自分の分の食器をもって立ち上がる。
手早くシンクで食器を洗い、水切りカゴに立てかけた。
そのままダイニングを離れ、テレビのあるリビングへ。
ソファに腰かけると、足元に紙袋が置いてあるのに気付く。
「何これ、おみやげ?」
言いながら、紙袋を開いて中に入っているものを取り出す。
和紙だろうか、風鈴と金魚らしきデザインがあしらわれた、やけに涼し気な箱だ。
「京都名物の八つ橋よ。 そうだ楓、アンタちょっと隣にそれ持っていって頂戴よ」
隣とは、ウチのマンションの隣に住む櫛引家の事だ。
「えー」
「おこずかい、減らすわよ」
「すぐに行ってきます」
つい反射的に渋った瞬間に秒で脅され、これまた反射的に承諾する。
まぁ別に嫌なワケじゃないんだ。
用がなくても良く行くし。
「あ、そ、それなら僕が行くよ。 もうすぐ食べ終わるから」
そんなやり取りを聞いていた弟の颯太が、喜色を浮かべて手を挙げる。
私と違って颯太は、こういう理由がないと櫛引家のインターホンを鳴らせないのだろう。
「あー、じゃあ……」
反射的に思春期真っ盛りな可愛い弟に譲ってやろうかと思ったが、そこで思い留まる。
「……いや。 私が行くわ」
「あ、そう……」
そう言うと、しょげた犬みたいに背中を丸める颯太。
すまん……颯太よ。
姉ちゃん、恋路を邪魔するつもりはないんだけど、また今度にしてくれ。
**********
紙袋を手に家を出て、隣室の櫛引家のインターホンを鳴らす。
間もなくして、「はい」と男性が応じると、カメラで私の姿を確認したのか、「ああ、楓ちゃん。 ちょっと待っててね」と、優しい声が聴こえてきた。
ガチャリ、と鍵が開く音がして、すっとドアが開かれる。
「いらっしゃい楓ちゃん」
「こんばんわ」
出迎えてくれたのは、小柄な眼鏡姿の男性。
櫛引姉妹のお父さん、櫛引パパだ。
「これ、お母さんから。 八つ橋みたいです」
「やぁ、それはわざわざありがとう。 いつも申し訳ないね、嬉しいよ」
そう言って、受け取った紙袋の中身を改めると、柔和な笑顔を私に向ける。
「上がっていくかい? ……といっても千春はちょうどお風呂に入っちゃったんだけど」
「あ、じゃあ……ちょっとだけ」
リビングの方から、豊かな香辛料の匂いが鼻先に届く。
さっきまでお腹一杯と思っていたのに、その香りを嗅いだ瞬間お腹がざわつく。
「カレーだったんですね」
「毎度芸が無くて恥ずかしいけどね、楽だからつい、ね」
「いえ、美味しそうです」
「良かったら食べていくかい?」
「えーと……、今日はもうお腹一杯なので」
《嘘をつくなー》
《ホントはまだまだ行けるぞー》
と、騒ぐお腹を擦り宥めながら櫛引家に足を踏み入れる。
「えーと、千秋は?」
「自分の部屋にいるよ。 勉強してるかもしれないけど、遠慮せず行っていいからね」
そう言い残して櫛引パパは、リビングへと戻っていく。
私はそのまま、千秋の部屋の前に立った。
コンコン、とそのドアをノックする。
「開いてるぞー」と、千秋の声が返ってきた。
静かにドアを開け中に入ると、千秋は勉強机の前で椅子に片膝を立てて座っていた。
そのまま伸びをするように、背中を反らす。
過重を掛けられた背もたれがぐにゃりと曲がり、千秋を支える。
そこでようやくこちらに顔を向けた千秋が、くるくると右手でシャープペンを回す。
「ごめん、勉強中だった?」
そう言いながら、つかつかと千秋のいる机の方へと向かう。
すると千秋は、がばっと勢いよく身体を前傾させ、机の上に広げられたノートや参考書を腕で隠すようにして……。
「邪魔をするなー!」
「ぐぅっ」
その言葉にたじろぐ私を見て、ニヤリと笑みを浮かべる千秋。
ホント……良い性格してるよ……。
「ひひっ、誰の真似でしょう?」
「はいはい、私が悪うございましたよ……」
茶化すような口調の千秋を適当にあしらい、私は千秋のベットに腰を掛ける。
私の反応に満足したのか、千秋は再びノートにシャープペンを走らせはじめた。
「……受験勉強、大変?」
「んー? まぁ大変といえば大変だけど、苦ではないかな。 やりだすと結構楽しいもんよ? 今のところ、やったらやった分だけ結果が返ってくるしね。 確実に受験の才能があるな、私」
そう言いながら、カリカリと軽快な音を響かせる千秋。
「なんだかんだ目標があるってのはやっぱ楽だよ」
「楽?」
「そう、楽。 だって余計な事考えなくて良いじゃん? なんだかんだあっても結局これクリアすりゃ問題ないんでしょ? みたいなね」
「うーん……そう、なの? 達成出来るか不安になったり、上手くいかなくてもやもやするもんじゃない?」
「若いのう。 私くらいのドMになると、それすらも快感よ」
「なに言ってんだこいつ……」
まぁ、分からなくもないけど。
「……それで? 悩める楓ちゃんは、お姉さんに何を聞いて欲しいのよ?」
「聞いてくれるの?」
「勿論」
くっくっと低い笑い声を漏らしながら、千秋が言う。
「じゃあ……」
そう言って、私は話を始める。
この数日の事。
夏希さんと理香さんが退部届を出したこと。
それを聞いた千春が言ったこと。
それで詩織さんと千春が少し不穏な空気になったこと。
私が夏希さんに謝ろうと思ったこと、謝れずにいること。
そもそも何で謝るのか、よくわからなくなっていること。
この間の試合のこと。
私がまた、バスケを始めたこと。
バスケを辞めた時のこと。
最近の事から遡るように、思いつくことをただひたすら千秋の背中に向けて発する。
気持ちがモヤモヤした時、昔からこうやって千秋の部屋を訪れて話を聞いて貰っていた。
相談ではなく、ただ聞いて貰うだけ。
千秋は答えず、ただ私の話を聞いてくれる。
今も、休むことなく右手を動かし続けながら、時折、うんうんとか、だよねーとか、相槌を打つだけ。
それが何故か心地よくて、気持ちが安らぐ。
千春には言えないことも、何故か千秋なら言える。
そう言えば千春はお風呂から上がっただろうか?
私が時折千秋のところへ来ているのを、千春は知っているはずだけど、こういう時あいつは絶対に部屋に入ってこない。
それも多分、この姉妹の心遣いなんだろうと思う。
どれくらい話しただろうか。
私の話が途切れると、千秋はまた背中を背もたれに預け、んーっと大きく伸びをした。
「よし、お終い」
そう言って、パタリと開いていたノートと参考書を閉じる。
私の話が終わったことか、勉強のことか。 多分両方だろう。
くるりと椅子を回転させ、千秋が私の座るベッドの方へ身体を向けた。
「よし、楓」
「なに?」
向き直った千秋が、ニヤリと笑う。
「土曜日、部活サボれ」
「え?」
余りにも唐突な提案を口にする千秋。
何で?という前に、千秋が言う。
「私と、デートしようぜ」




