072 茅森楓の憂鬱②
飛鳥さんが私を連れてきたのは、校舎と第一体育館を繋ぐ渡り廊下。
広く取られた通路の脇にはベンチが据え付けられている。
廊下を覆うアーチ状のガラス屋根のお陰で、雨に濡れる心配もない。
そういうわけで、休み時間などは主に上級生がたむろする場所になっている。
私達が来た時点で既に何人かの生徒がそのベンチに腰かけ、昼食を取っていた。
飛鳥さんは空いているスペースを見つけると、一目散に向かって腰かける。
それに倣うように、私も隣にちょこんと座った。
「ん」
「あ、ありがとうございます……」
飛鳥さんから、先ほど篠塚君から取り上げたメロンパンを受け取る。
「あそこのメロンパンは美味ぇんだ。 いっつもすぐ売り切れるから中々食えないんだぞ?」
そう言いながら飛鳥さんは、ここに来る途中に自販機で買った紙パックのアップルジュースを手に取る。
ベリっとストローを引き剥がし、飲み口に立てると、また私に差し出す。
「どうもです……、あ、お金払います」
「いらねえよ。 オゴリだ」
そう言うと、今度は自分の分のジュースにもストローを差し、膝に乗せたパンの包装を開けた。
「すいません……ありがとうございます」
「あぁ」
私が礼を告げると、短い返事。
後で篠塚君に五十円だけ払っておこう……。
それから私も包装を開け、メロンパンを口元へ運ぶ。
開けた瞬間、甘くて香ばしい匂いが鼻腔に広がる。
まず一口。
「あ、美味しい……」
「だろ?」
私の感想を聞き、飛鳥さんは満足気に頷く。
もぐもぐ、もぐもく……と、無言でパンを頬張る。
ぱちぱちと、雨が屋根を叩く音が鳴り響く。
飛鳥さんは何も言わない。
ちらりと横目で盗み見ると、飛鳥さんは組んだ足を無造作に前に放り出し、虚空を見つめながら手にしたジュースのストローを噛んでいた。
お互い無言。
だけど不思議と気まずいとは思わない。
飛鳥さんだとむしろ居心地がよく思えるから不思議だ。
そのまま黙々と食べ続ける。
最後の一切れを口に放り込み、ジュースで流し込んだ。
「ごちそうさまでした」
「おう」
そう短く口にした飛鳥さん。
相変わらずストローを加えたまま、だらけた姿勢で外の景色を眺めている。
……飛鳥さんって意外とまつ毛長いんだなぁ。
横顔がミステリアスというか、独特の色気がある。
まぁどっちにしても美人なんだけど。
「何だよ、さっきからジロジロと」
と思っていたら、視線に気付いた飛鳥さんに横目でぎろっと睨まれる。
「へ? あ、いや……綺麗だなぁと思って」
「はぁ? ぶん殴るぞ」
「はいすみません」
すぐに謝る。
綺麗だと思ったのは本心だけど、これ以上容姿に触れると本気で殴られそうだ。
そんな飛鳥さんとのやりとりのちょっとした押し引きも楽しく、嬉しかったりする。
それから、飛鳥さんを同じように外の景色に目を向ける。
屋根を鳴らす雨の音を聞きながらぼーっと外を眺めていると、さっきまであんなに感情的になっていたのに今はすっかり落ち着いている自分に気付く。
私ってこんなに情緒不安定だったっけ?
ちょっとした事で怒ったり熱くなったり落ち込んだり泣き出したり。
メンタルがペラペラ。
メンペラだわ。
静かで、ゆるやかな時間が続く。
「……落ち着いたか?」
どれくらい時間が経ったか、ふいに飛鳥さんが口を開いた。
「まぁ、なんつーかアレだ。 何で泣いてたんか知らねぇし、聞く気もねえけどよ……」
飛鳥さんには珍しく、横髪をくるくると指でいじりながら言葉を続ける。
「辛いことがあんならいつでも言ってこい。 その……これでも一応先輩だからな」
わずかに頬を赤らめながら、飛鳥さんが言う。
その顔が可愛くて、思わず笑ってしまいそうだった。
「はいっ、ありがとうございます」
緩みそうな頬に力を入れ、そう返すと、飛鳥さんは満足そうに頷く。
「それから、夏希だけどな」
「っ……」
その名前が飛鳥さんの口から出た瞬間、無意識に口から音が漏れる。
「あんな試合で、あんな事になって……結構ショック受けてんだ。 なんつーか、お前に悪気があったワケじゃねーのは分かるし、どっちが悪いとかはねーと思うけど……もし後悔してんなら、ちゃんと話しとけ。 ……もし、話しかけづらいなら、間に入ってやるから」
「……そうですね……」
そう返事をして俯く。
でも、飛鳥さんの言う通りだ。
やっぱり、夏希さんにはちゃんと謝りたい。
謝って、ちゃんと話をしないといけない。
そんな事を考えていると、ふいにポンと、私の頭に飛鳥さんが優しく触れて立ち上がる。
「んじゃ、そろそろ戻るか」
「はい」
私も立ち上がり、二人でその場を後にした。
「じゃあ、また後でな。 楓」
「はい、また放課後」
飛鳥さんは二年生の教室がある三階へと続く階段を昇っていく。
「あっ」
楓って……。
飛鳥さんに名前で呼ばれたの初めてだ。
**********
放課後。
練習場所である第二体育館、その一角に集まった女バス部員を前に、制服姿の二人が立つ。
三年生の櫛引千秋と、佐々木由利さんだ。
土曜日の試合に敗れたことで、この大会を最後としていた二人はチームを離れる事になる。
「それじゃあ、千秋さんと由利さんから、一言頂きたいと思います」
二年生でキャプテンの中村さんがそう言うと、パチパチとまばらな拍手が起きる。
コホン、とわざとらしく咳払いを入れてから、櫛引千秋が話し出した。
「えーと、一年だけだったけど、皆とバスケ出来て楽しかったよ。 ぶっちゃけ先輩らしいところもあんまなかったけど、ありがとうございました」
「わたしも! ……試合には全然出なかったけど、楽しかったよ! みんなありがとね!」
二人が順に挨拶。
「ふぅぅ、寂しいですぅ」
「(……ふるふるっ!)」
隣でそれを聞いていた豊後結衣、ブンちゃんが泣きそうな顔でそう漏らすと、全力で同意を示すように北村静香、静ちゃんが大きく首を縦に振る。
試合中、ベンチで待機している時間が長かった二人は、由利さんと一緒に居る時間が一番長かった。
私だって二人には本当にお世話になった。
千秋はまさかのバスケ部在籍に対する怒りから始まり、いざ入部してからは人見知りの私が委縮しないように色々気を使ってもらった。 試合中も好きなようにプレー出来たのは、何より私の事を良く理解してくれていた千秋の存在が大きかった。
由利さんは……正直変わった人だなぁと思っていたけど、底抜けに明るくて優しくて気遣いの塊みたいな人だった。
そんな二人がチームを離れる。
寂しいけれど仕方のない事だ。
「えーと、それでね。 来週の金曜日に二人のお別れ会をしようと思うの。 引退ゲームと、終わった後にどっかのお店でご飯食べて。 ……みんな予定は大丈夫かな?」
「大丈夫ですぅ!」
「(こくこくっ)」
「オッケーで!」
「賛成だー!」
詩織さんの提案に、それぞれが賛同の声を上げる。
「もちろんレイラちゃんのオゴリだよな?」
「バカ言ってんじゃないわよっ! ちゃんと会費は取るわよっ!」
千秋の言葉を間髪入れず否定した顧問の麻木レイラ先生に向け、えーっという非難の声と笑い声が混ざる。
試合に負けた事を、二人が居なくなることを感じさせない和やかな雰囲気。
だけど。
そこに夏希さんと理香さんの姿はなかった。
「さぁ! ミーティングはここまで! 練習始めるわよっ!」
パチン、と麻木先生が手を叩いたのを合図にそれぞれが練習の準備に入った。
二人とも休みか、それとも遅刻か……。
部活で会ったら謝ろうと思っていたんだけど……。
結局その日。
夏希さんと理香さんの姿を見る事はなかった。。
そしてそれは、次の日もその次の日も続いたのだった。




