006 青い春のはじまり
土曜日。
千春の呼び出しに応じ、私は学校に来ていた。休日なのに……。
ここは第二体育館。
バスケ部が活動している場所だ。
話は、千春からメッセージを受け取った翌日に遡る。
**********
「何? このL@INE」
朝の教室で、自分の席の後ろに座る千春に、スマホの画面、メッセージアプリに表示された千春からのメッセージを出す。
机に突っ伏してぐだっていた千春が顔を上げて、いつも以上に眠たそうな目で画面を覗きこんだ。
「そのまんまの意味だけど」
「は?」
「は?」
会話が成立しない……。
「何で私が休みの日にわざわざ学校に行かにゃいかんのさ」
「来ないの?」
「行かないってば」
「そっか……残念だなぁ」
そう言って、心底残念そうな顔をしながら、千春はポケットの中からスマホを取り出す。
迷いのない手つきで何やら操作しだすと、画面に某SNSを表示して私に突き出した。
「……!?」
『かやかえ@』という人物のSNSのページが表示された画面を凝視すること数秒。
サーっと私の顔から血が引いていくのが分かった。
「いやぁ、ネットを漁ってたら、とても感性豊かな詩を書いてる人を見つけてさぁ」
と言って、画面を自分の方へ向けなおした千春が、無表情で画面に書かれているものを読み上げる。
「えーと、タイトル『#TOY18号』 わたしの心をエンジンにして、大きな空へ飛んでいけTOY18号。 ハリボテのボディーは私の勇気。大気圏なんてヘッチャラさ……」
「ふ゛き゛ぅゃあ゛ぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」
こいつ……! 何故それを!
私は奇声をあげ、千春のスマホを奪いにかかるが、千春はそれをひょいと交わし、尚も続きを読み上げようとする。
「お前は悪魔か!?」
「なにが? あたしはこの素晴らしい詩を1人でも多くの人に届けたいと思っただけなんだけど? あ、そうだ! この最高の詩を拡散して、もっと多くの人に届けよう!」
そう言って、私の攻撃をかわしながらも器用にスマホを操作し続ける。
「人の目に届け! TOY18号……!」
「りゃめぇぇぇ!!」
春の穏やかな陽気が窓から入り込む朝の教室に、私の叫びがこだました。
**********
黒歴史。
誰しもが人に知られたくない過去がある。
多感な年頃、無意識に溢れ出る承認欲求、その心のバランスを取ろうとした先の末路。
私は一時期、SNSの裏アカウントに自分の詩をUPしていた。
ほぼ本名丸出しのアカウントネーム。
端末任せなパスワード管理。
その結果、IDとパスワードを完全に忘れてしまった。
記憶力に自信があるとか言ったのはどこのどいつだよ……。
アカウントを消すに消せず、まぁいいかと放置した結果がこれです。
未熟なネットリテラシーが生んだ悲劇。
私の純真な心が生んだ詩は、心無い悪魔が付け入る隙として悪用されたのです……。
こうして痛々しい過去を人質に取られ、犯人が要求するがままにこの体育館を訪れる事になってしまった。
体育館の正面口で学校指定の上履きに履き替え、館内へと入る。
「あ、ホントに来た」
そんな私の姿を見たジャージ姿の悪魔の第一声。
「あんたが呼んだんでしょーがっ!」
人の面の皮を被った悪魔こと、櫛引千春に対し大きな声で叫ぶ。
「わはは、怒ってる怒ってるぅ」
なんで私、こいつと友達やってんだろ……。
本気で距離を置くことを考える時期が来たのかもしれない。
「おはようございます。 茅森さんだよね?」
そんな私に、ユニフォームの上からジャージを羽織った長身の美少女が声をかけてきた。
私はほへぇーと口を空けて、目の前に立つ美少女を前に視線を上下させた。
身長は私よりもやや高い。
後頭部でお団子にまとめた髪に、絵に描いたように整った顔。
ジャージの首元から覗く肌は透き通るように白く、そこからスラリと長い手足が続いていく。
まさに美少女の中の美少女というような存在。見惚れてしまう。
「あ、はい……じゃないや、お、おはようございます。 茅森です……」
我に返り急いで頭を下げる。
顔をあげると、ニコリと笑いかけてきた。
「こちらこそはじめまして、部長の中村詩織です」
と、それはそれはまことにご丁寧なお辞儀を返してくる美少女。
「ごめんね、お休みの日に……。 お手伝いに来てくれてありがとう」
いえいえそんな……と言葉を返したが、実のところ自分が何の為に呼ばれたのか? まったく詳細を知らされていない。
千春の要求は、次の土曜日に女子バスケ部を手伝え。 という一方的な通知のみ。
一体何を手伝えば良いのかは聞かされていない。
「実はまだ準備が終わってなくて……。 まだ時間あるから、それまでゆっくりしててね」
中村先輩はそれだけ告げると、私たちのもとを離れ、準備作業へと戻っていった。
「……ぐぅの音も出ない美少女」
「……やばいよね」
中村先輩の後ろ姿を眺めながらそんな感想を漏らすと、千春が同意の言葉を返してきた。
ほどなくして、入れ替わるように三人組が近づいてくる。
「おはよー! そしてはじめまして! 茅森ちん」
三人を代表するように挨拶をしたのは、その中で最も小柄な少女。
「あ、どうも。 おはようございます。 茅森です」
と、再び名乗りながら挨拶を返す。
「おはおは、あたしら一年だから、敬語じゃなくてオーケーだぜ、茅森ちん」
自分のことを茅森ちんと呼ぶ狐目の少女の姿を、前傾姿勢でまじまじと凝視する。
「え、え? どしたー?」
私にじっくり顔を見られ、不審がる少女。
「……もしかして、三中のガードの人?」
言うと、少女は細い目を見開いて、奥にある瞳をキラキラと輝かせながら、ぱぁっと笑う。
「えぇー! もしや、あたしの事覚えてる!?」
「あ、うん。 一度地区予選で当たったことあるよね?」
少女はコクコクと、大きめに二度頷く。
「うわーうわー、めっちゃ嬉しいし! そうそう、そうだよ!」
と、心底嬉しそうに答えた。
自分の記憶に間違いがない事に安堵し、頬が緩む。
「ちーこなんて全然あたしのこと覚えてなかったんだぜー? 試合でマッチアップまでしたのに!」
と、千春を人差し指でさす。
指された千春はまるで自分の事では無いとでもいう表情で、その指さす方向へ顔を向け、そのさらに先へ視線を飛ばす。誰も居ねえよ、お前だお前。
「いやキミの事だから! っと、そうじゃなくて」
千春にツッコみを入れた少女は、再び私に顔を向けて笑みを見せる。
「二度目まして、あたしは高木葵。 こっちの二人はブンちゃんとしずにゃんな。 よろしくにー」
と、砕けた表情と口調で自分とその隣の二人を紹介する高木さん。
紹介された二人がそれぞれ、「豊後結衣です、よろしくですぅ」「北村、静香……どもども」と丁寧に頭を下げて自己紹介をしてくれる。
「いやーそれにしてもよく来たなぁ。 一体どんな脅され方をしたんだー?」
と、頭の後ろで手を組みながら高木さんが笑う。
「……脅された件はノーコメントとして。 ぶっちゃけ今日、何で呼ばれたのか知らないんだよね……」
「え!? ちーこから聞いてないのか!?」
股を大きく開きながら体を大げさに仰け反らせてから、驚いた顔で千春を見る高木さん。
リアクション面白いな、この人。
千春はベタに口笛を吹く素振りをして知らぬ存ぜぬといった顔。
その憎たらしい表情に若干の殺意が芽生えたが、チッと舌打ちをしてから再び高木さんに目を向けなおした。
「今日はなー……」
と、高木さんが話しかけたところで、
「おおい!」
と、背中の方から男の人の呼ぶ声が響く。
「お前ら働けよ! 何で手伝いのオレたちばっか働いてんだよ!」
そこには両手にパイプ椅子を計4つ抱えながら、何やら文句を言う長身の男の子。
幼馴染の小島渚だった。
どうやら千春や葵たちに対して声をかけたようだったが、その輪の中にいる制服姿の私を見て、渚は仰け反るように体を傾かせる。渚の持っていたパイプ椅子が、ガチャガチャと音を立てた。
「なっ……なんでお前がいんだよ!?」
何故か肩を怒らせ、顔を真っ赤にして自分を見る渚。
えぇ……ただ居るだけでそんな言い草します?
「なんでって……、そりゃ、呼ばれたからじゃん」
そっけなく答える。
「渚こそなんでいんの?」
「オ、オレは女バスの手伝いに駆り出されたんだよ……下っ端だからな」
自身の状況を不満げに答える渚。そういえば渚もバスケ部なんだよね。
しばしの沈黙の後、本来の要件を思い出したのか、再び千春たち女子バスケ部員たちに矛先を向けはじめる渚。
「つーか、お前らもコレ運ぶの手伝えよ! 急がねーと、相手のガッコ着いたらしいぞ」
そう言って、パイプ椅子を指すかわりに肩口まで持ち上げて伝える。
相手の学校?と、今日のイベント内容にたどりつきかけた私が口を挟もうとした時。
渚の背後からずらずら十名ほど、上下青色ジャージ姿の女子集団が、体育館の入り口に連れ立っていた。
先頭で入ってきた人物が促すように何かを喋り、全員が館内に入ったのを確認すると、その集団は、ややまばらながら横一列の形を作り並ぶ。
「「「おはようございますっ!! っろしくおねがいしますっ!!」」」
良く声のそろった、威勢のいい挨拶が館内にこだまする。
相手の学校とは、どうやら彼女たちのことらしい。
さしもの私もここまでくれば察しがつく。
ましてその学校は、私もよく知る学校だった。
「うわっ、マジで茅森居るじゃん!」
突然、自分の名を呼ぶ声が耳に届く。
それに反応し、声のほうへと目を向けると、列の端に知った顔を見つけた。
褐色の肌をした背の高い子、その隣に立つ紫がかった黒髪ショートカットの少女。
私の名を口にしたのは褐色の方だったが、私の視線は既に彼女を捉えておらず、もう一人の少女に向いていた。
私の瞳にその少女が映り、その少女の目に私が映る。
「瑠雨……」
互いに視線を合わせたまま、私はその少女の名を呟いた。