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Lay-up girls レイアップ・ガールズ  作者: 日野かさね
Lay-up girls 2
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067 怪物

 

 息を殺して。

 ただひたすら息を殺して、試合を観ていた。


 第3Qが終わった時にはほとんど試合の勝敗は決まったようなものだったのに……。

 これなら最後、ちょっとだけ出番があるかもなぁなんて、気楽に思っていたのに。

 どんどん点差を詰めはじめて、気が付けばワンチャン勝っちゃうんじゃないかって展開になって。


 目の前で繰り広げられる試合が、私の心の奥にあるドアをノックする。

 乱暴で、無遠慮に続くその音は、いつか私の許可もなく勝手にドアを開けるんじゃないかという恐怖を私に感じさせた。


 シオに誘われて入ったバスケットボール部。

 理由を聞かれれば、「その時の気分」としか答えようがなかった。


 声を掛けてきたのがあの綾瀬しおりこと中村詩織で、有名人との邂逅に舞い上がっていたのかもしれない。

 特にやりたい事もなく、ただ何となく過ぎていく日々にモヤモヤしていたのもある。

 中学でバスケを辞めたつもりだったのに、離れてみると意外とつぶつぶな感触のバスケットボールが恋しく思ったり。


 そういうのを全部ひっくるめて、「その時の気分」だった。


 そんな経緯で入ったバスケ部の居心地は良かった。

 顧問の先生はこっちがびっくりするくらい適当だし、うるさい先輩もいない。


 好きなようにボールに触って、気が乗らない時は遊びに行って。

 だけど結局、モヤモヤした気分は晴れなかった。


 それでも私は、自分の楽な方、楽な方へと流されていく。


 そんなバスケ部も、新学年になって新入部員が入ると空気が変わっていった。


 決定的な変化は、あの一年生が入ってきてからだ。


 ある練習試合にふらりとやってきて、何故か途中から入部してきたその一年は、瞬く間に部の中心人物になっていた。

 普段はキョドりまくっていて人の目もまともに見れないクセに、バスケをしている時だけは自信満々で。


 明らかにそいつに感化されるように、みんなが練習しだして。

 私だって、何も思わなかったワケじゃない。


 だけど私は、頑張れなかった。

 どんなに頑張ったって、どうせ私はヒロインにもヒーローにもなれやしない。

 モヤモヤした気持ちが晴れることなんてない。


 だけど……もし。

 もし自分にその機会が訪れるなら……。


 **********


 飛鳥が5つ目のファウルを犯した瞬間、私はすぐに顧問のレイラちゃんを見た。

 それからすぐに、目が合わないように伏せた。


 なのに、レイラちゃんは……。


「夏希! 行くわよっ」


 嘘でしょ、こんな場面で?

 冗談やめてよ。


 お腹のド真ん中を紐で縛り付けられたような痛みを覚える。

 同時に、全身にぶるりと震えが走った。


 怖い。

 あの空間で息をする事が。


「な、夏希! マジ頑張って!」


 隣に座っていたリカが私の手を握る。


 何か返さなきゃと口を開けたのに、声が出ない。

 上に着ていたシャツを脱ぎ、ユニフォーム姿になって立ち上がった。


 下を向きながら、飛鳥がコートから出てくる。

 飛鳥のユニフォームには大量の汗が染み込み、濃紺の色をさらに濃くしていた。

 その表情は疲弊しきっている。

 だけど、どこか充足したような目をしていた。


「一試合目の調子を思い出してっ! 行って来い!」

 手短に、バシンッと私の背中を叩くレイラちゃん。


 準備運動もなく、そのままサイドラインを跨いでコートに入る。


「夏希、冷静にね」

 千秋さんが私に手を差し出し、そう声を掛けてくる。


 私は言葉を発することなく、その手を叩いた。


 フリースローレーンでは、英修のフリースローを待つ他の3人が構える。

 シオが強く、鼓舞するように両手を叩く。

 環は集中しているのか、目を瞑って再開を待っていた。


 そしてあいつは……茅森は、焦点の合わない目で何もない空間に視線を漂わせていた。


 その姿を見てぞっとする。

 人ではない……化け物を見たような気分になる。


 どうして、なんでそこまで頑張れるのか。

 何がそこまでさせるのか。

 たかが部活の試合で、そんなになってまで勝ちたいのか。


 心臓がバクバクと、私の心をノックする。

 その音が、妙に心地よく感じた。


 英修の13番が、審判からボールを受ける。

 すらりと伸びる長い手足。

 女の私から見ても、端正な顔立ちをしている。


 その選手は一度、ゆっくりと息を吐いてから、静かにシュート体勢を作る。


 そして綺麗なフォームでボールをリングに向けて放った。


 スパッと音を立て、ボールがネットを通過する。

 それを見届けると、安心したように肩から力を抜いて脱力した。


 そしてもう一度、ボールを審判から受ける。

 そこで何故か、13番はフリースローレーンに立つ茅森を見た。


 その綺麗な横顔が、ぎょっとしたように歪む。

 まるで異質なものを見たような、そんな顔だった。

 私と同じ事を思ったのかもしれない。


 そしてさっきと同じように息を吐き、シュート体勢を作る。


 ――外すかもしれない。

 根拠はないけど、そう思った。


 シュートが打たれる。

 さっきと同じように放たれたボールは、少し弱かったのかリングの手前でバウンドする。

 リバウンドボールに、環と英修の#34が飛びつく。

 そのボールは、より有利な位置にいた環が取った。


 試合が再開する。

 茅森がすぐにボールを求め、環に寄る。


 それに応じるように、茅森へボールを預けると、環はすぐに前へと走り出した。


 それを見て、私も必死で足を動かす。

 フロントコートへと足を踏み入れる。


 英修のディフェンスは、既に陣形を整えている。

 私にも、英修の選手がマークに付いてきた。


 そこへ、ボールを運ぶ茅森がやってきた。

 さっきまでの様子からは考えられないくらい、その目線はしっかりしている。


 茅森を待ち構えていたのか、13番が近づいていく。

 それを見た茅森が、躊躇なく仕掛けた。


 左右にドリブルでボールを動かし――、一気にギアを上げた。

 その動きに合わせるように、周りが一斉に動き出す。


 カッコ良かった。

 この生意気でめちゃめちゃムカつく一年生が、まるで風のように相手を切り裂いていく。


 この小さなバスケットコートの中で、茅森だけにスポットライトが当たっているみたいだ。


 私に、そんな機会があるんだろうか。


 ――もし、ボールが来たら。

 茅森からパスが貰えたら。


 一瞬だけでも、私にもスポットライトが当たる時が来たら。

 そう思うと、自然と足が動いた。


 茅森がドリブルで、中へと切り込んでいく。

 その進行方向とは逆に、私は動いた。


 もしかしたら。

 もしかしたら、茅森からパスが出てくるかもしれない。


 あいつがこの終盤、パスを多用するようになっていたのは気づいていた。

 そのパスはどれも、意表を突くようなものだった。


 あいつなら、あの天才なら――私の動きを見てくれていて、完璧なアシストをくれるんじゃないか。

 今日の私は調子が良い。

 一試合目なんて、14点も決めた。


 今ボールを貰えば、絶対に決められる。

 そんな事を思うと、不思議とパスがくるとしか思えなくなり、勝手に足が動く。


 その時だった。


「えっ」


 茅森がいきなりボールを左手から右手に持ち替え、私が動き出していた方へと突っ込んできた。

 その視線は私なんかに向いていなくて、ただ真っ直ぐ、ゴールだけを見ていた。


 ヤバイ。

 そう思ったときにはもう手遅れだった。


 茅森が勢いよく私にぶつかり、その反動で後ろへと倒れる。

 私は立ち止まり堪えるも、その衝撃にその場で情けなく尻餅をつく。


 激しい衝突。

 審判の笛が鳴る。


 茅森の手からボールが零れ、力なくフロアを転がっていく。


 そこで私は、自分が生み出した状況を理解した。


 茅森がむくりと、上半身を起こす。

 謝らなきゃ。


「…あっ……ごめっ……っ」


 だけど、うまく言葉が出てこない。


 私が逡巡していると、茅森が這うように私に近付く。

 そして、突然私の胸倉を掴んだ。

 凄い力で、その手元へと引っ張られる。


 そして――。


「邪魔をするなぁぁぁぁァァア!!」


 鼓膜を破るような、腹の底から吐き出すような憎悪に満ちた声。


 その形相に、恐怖に、身体が動かない。

 私の目の前で、私に向けて敵意をむき出しにする得体の知れない怪物。


 胸倉を掴んでいた手がふっと緩む。


 そして、怪物はいきなり倒れた。

 まるで糸が切れた操り人形みたいに。

 ふらりと、ゆらりと。



 それからの数分は――何も覚えていない。


 記憶が繋がるのは、ひたすら惨めで、無様に、嗚咽を漏らして泣いていた時だった。






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