060 Fire Sign
茅森楓視点です。
すばる高がタイムアウト。
一旦ゲームを切る。
ベンチで麻木先生や千春が何か言っていたけど、ほとんど耳には残らなかった。
苦しい。
肺が酸素を求め、大きく収縮しているのが分かる。
脚はまるで自分のものじゃないみたいに重く、再び動かすのが億劫に思ってしまう。
こうやって、ベンチに座っているのが怖い。
一度休んでしまうと、二度と動き出せなくなるんじゃないか。
タイムアウト、早く終わんないかな……。
俯き、広げた手のひらを眺めながら、ずっとそれだけ考えていた。
膝の上に乗せた手のひらは、ぶるぶると小刻みに震えている。
「楓っ!」
突然、大きな声で呼ばれ、顔を上げる。
「……大丈夫?」
そう声を掛けてきたのは麻木先生だった。
「はい……大丈夫です」
反射的に、そう答えていた。
「そう……キツいでしょうけど、ここで楓を下げるワケにはいかないの、踏ん張って頂戴……。 楓だけじゃなく、千秋も、環も」
そう言う先生に、ただゆっくりと頷いた。
やがて、タイムアウトの終わりを告げる音が鳴る。
重い脚を引きずるように、私は再びコートへと向かった。
**********
英修ボールのフリースローでゲームは再開される。
個人のファウルが4つ目となり、あと1つファウルを犯してしまうと5ファウルで退場となってしまう飛鳥さんは、一旦ベンチに退いていた。
ディフェンス面での貢献が大きい飛鳥さんをここで下げられるのは辛いけど、まだ第3Qという状況で、飛鳥さんが退場になってしまうのはもっと辛い。
代わりに出てきたのはキャプテンの詩織さんだ。
第1Qで葵と交代して以来の出場機会。
詩織さんの登場にギャラリーの一角、例のファン軍団が熱烈な歓声を上げる。
盛り上がるその一団とは裏腹に、詩織さんの顔は青ざめたように血色が悪い。
何て表情だ。
覚悟も、決意も、自信なんて微塵も感じない。
劣勢の状況で、そんな顔を見せられちゃ堪らない。
それでも、耐えるしかない。
食らいつくしかない。
いつも通り。
最後の拠り所は、いつだって自分自身だ。
英修のフリースロー。
ボールを持ち、フリースローラインに立つのはチカちゃん。
彼女自身が得たワンスロー、これを難なく決める。
49-60。
再び点差は二桁、11点差となる。
すばる高ボールでのリスタート。
私はエンドラインの外でボールを受け、葵にボールを入れようと――。
「っ!?」
目の前に、英修の選手が二人。
ゴールを決めたチカちゃんと1番の初瀬巡が居残っていた。
他の3選手も、前目にポジションを取っている。
「さぁ! 畳みかけるぞ!」
その最前線で、初瀬が吼える。
葵の投入以後、ハーフコートでのディフェンスに切り替えていた英修が、このタイミングで再びオールコートプレスの構え。
かぁ、っと顔が熱くなる。
一度は取り下げたこのディフェンスを再び引っ張り出したのは、今ならハマると判断されたという事。それは、ここで勝負を決めるという英修の意思表示。
つまり、すばる高は今が叩き時だと相手が見ている。
エンドラインからボールをコートへと入れる。
ボールを掴んだ葵に、二人のディフェンスが距離を詰める
葵は冷静に、ボールを私に戻した。
今度は私に、二人が寄せてくる。
前半なら、余裕を持ってプレスをいなせた。
ところが……。
「っ……!」
足が出ない。
右足も、左足も反応せず、ボールを持ったまま立ち往生。
そんな私に、英修の二人が襲い掛かってくる。
「茅森っ!」
ボールを頭の上に掲げ、二人が伸ばす手から何とか逃れると、二人の隙間から環さんの姿が覗く。
真っ直ぐ、ボールを出す。しかし――。
バチッ。
「あっ……!」
私が出したパスに、チカちゃんの手が当たる。
ボールは逸れ、環さんに届かない。
逸れたボールは、入ったばかりの詩織さんの方へ。
力なく二度跳ねたボールを詩織さんが拾い上げる。
「詩織さんっ……後ろっ!」
「えっ!?」
詩織さんがボールを持った瞬間、その背後から忍び寄った英修の#7が、詩織さんの手からボールを叩き落とす。
「あっ……」
詩織さんが小さく声を漏らした時には、既に攻守が入れ替わっていた。
葵がすぐに寄せるが、一歩遅く。
葵を躱した#7が、そのままゴール下まで持ち込みシュート。
49-62。
イージーシュートを難なく決める。
英修ベンチからの甲高い歓声が、耳を劈く。
あぁ……。
絶望が、霧のように頭の中に広がっていく。
諦めが、まとわりつくように体を重くする。
「さぁ、気を抜くなっ! 一気に行くぞっ!」
「「「「はいっ!」」」」
嵩に懸かって気勢を上げる英修の選手達の声が、コートを支配していた。
**********
第3Qが終了し、最後のインターバルを迎える。
試合は第4Qの10分を残すのみ。
スコアは51-75。
第3Q終盤、英修の伝家の宝刀ともいえるオールコートプレスに抗う事が出来ず、24点差まで広げられてしまった。
余りにも重すぎる点差だ。
私達は今日、この試合が2試合目。
ただでさえ選手層が薄いチーム状況の中で、強度の高い英修を相手にして。
初戦から出てる環さんも、千秋も、体力的には限界が近い。
それは私にも言える。
前半の好調さが嘘のように、今は体が重い。
対する英修はこれが初戦。
しかもベンチには、レベルの高い選手達が控えている。
ここに来ての24点差は、数字以上に絶望的に思えた。
ベンチへと引き返してきた私達を、重苦しい雰囲気が迎える。
パチパチと、手を叩いたり、労いの言葉を掛けてはくれるけど、ベンチのメンバーからも、試合に出ているメンバーからも、それ以上の言葉が出てこない。
麻木先生も、押し黙る。
――打つ手なし。
先生の態度が、何よりも物語っていた。
そんな中、口を開いたのは夏希さん理香さんだった。
「ま、まぁ……、ウチらにしては、良くやった方じゃん?」
「そ、そうそう! だって相手マジ強じゃん!? あんなのに勝てってムリゲーじゃん?」
夏希さんの言葉に追従する理香さんの言葉。
「っ……!!」
カッと頭に血が上り、足に力が入る。
あんたらがっ……! あんたらがそれを言うのかよっ……!
「楓っ!?」
「かえでちゃんっ!!」
感情のまま立ち上がろうとする私を、近くにいたブンちゃんが掴む。
「な、何よ……?」
私の顔を見て、引いたような顔をする夏希さんと理香さん。
そんな二人を睨みつける私。
自分でもどんな顔をしているか分からない。
そんな中――。
パンッ!!
何かを強く叩いたような、乾いた音が響いた。
「詩織!?」
音の方向を見ると、そこには詩織さんと、詩織さんの両頬に手を当てたままの環さんが居た。
「た、タマ……?」
突然頬を叩かれ、痛みよりも驚きが勝ったような顔で環さんを見つめる詩織さん。
私の位置から、環さんの表情は見えない。
環さんは、詩織さんの頬に当てた手を這うように動かし、詩織さんの両耳へと持っていく。
詩織さんの耳を塞ぐようにしてから、ゆっくりと自身の顔を右耳へと近づけていった。
そこで初めて、環さんの横顔が見える。
ごにょごにょと、耳元で囁くように口を動かした後、ゆっくりと顔と両手を離した。
そして――。
パンッッ!!
「「「「!!?」」」」」
今度は詩織さん自身が、環さんに叩かれた時以上の勢いで、自分の両頬を叩いた。
「……え……と?」
呆気にとられるメンバー達の中、辛うじて振り絞るように千春が声を出した。
「……うんっ! ……ありがと」
環さんに向けて礼を言う詩織さん。
その青白く薄い顔の皮膚は、みるみる手の形に赤く染まっていく。
「みんな、ゴメンね。 ……ホント不甲斐ないキャプテンで」
詩織さんが口にしたのは今度は謝罪の言葉だった。
「夏希も、理香も、ありがとう。 二人なりに、私達の事、励ましてくれたんだよね」
そして今度は、夏希さんと理香さんに対してありがとうと言う。
「葵も、楓も。 ……一年生のみんな、不甲斐ない先輩達でゴメンね」
次は私たちに向けて。
今度はまた謝罪の言葉だ。
「千秋さん、由利さん。 こんな情けない私を、何も言わず見守ってくれて、本当に感謝してます」
今度は千秋、由利さんの三年生に向けて感謝の言葉を述べだした。
……何だよそれ。
まるで、最後みたいじゃないか。
「でも、まだ試合は終わってない」
そんな私の不満の声が聞こえたかのように、詩織さんは私を見て言う。
「……正直、ここから逆転するのは難しいかもしれない。 私は、自分のプレーに後悔ばっかりで。 でも、自分が犯したミスはもう取り消せなくて……」
だけど、と詩織さんが言葉を次ぐ。
「私はこれ以上、後悔を残したくない」
そう言い切った。
その顔は相変わらず弱々しくて、自信なんて微塵も感じない。
だけど、決意を秘めた顔だった。
「このまま終わらせたくないっ! こんな風に終わるなんて嫌だっ! 私は……っ!」
人形のように美しく、造り物のように無機質に思えた詩織さんの、真っ赤に腫れた頬を。
静かに雫が伝っていく。
「私は……っ! 負け犬になる為に、このチームを作ったんじゃないっ!!」
館内に響くほど大きな声で、詩織さんが声を張り上げた。
……。
瞬間、館内に静寂が生まれる。
「あっはっはっ!」
そんな静けさをかき消すように、誰かのわざとらしい笑い声が響く。
その声は千秋のものだった。
「いいじゃん詩織。 なんだ、そんなデカい声出るんだ。 知らなかった」
茶化すように、千秋が詩織さんに言う。
「大丈夫。 まだ全然勝てるよ。 だって……」
そう言う千秋が、すっと私の傍へ寄ってくる。
「ウチにはスーパーエースが居るんだぜ?」
そう言って、私の肩に右手を伸ばした。
な?、と小さな声で、私に同意を求めてくる千秋。
私の肩を掴む右手は、疲れからか小刻みに震えていた。
その言葉に、私はコクリと、静かに、力強く頷いて見せる。
そんな私を見て千秋はニカっと笑うと、ゆっくりと背伸びをして、私の耳に顔を近づける。
そして。
「頼むぜ、私のヒーロー」
私にしか聞こえない声量で、そんな言葉を呟いた。
パンパンッ。
手を鳴らす、乾いた音。
全員の目がその音の方へと向かう。
全員の視線が集まったのを見渡してから、麻木先生が口を開いた。
「さぁっ、最後の10分の話をするわよっ」
**********
インターバルが終わり、両チームの選手達が、再びコートへと出ていく。
先にコートへ立ったのは英修の選手達。
その面子は大きく様変わりしている。
第3Qまで出ていた選手が全員ベンチに退き、ここまで出場機会のなかった控えの選手達が入ってきていた。
この試合の勝敗は、第3Qで既に決まった。
向こうがそう思っているのは明らかだ。
英修だけじゃない。
試合を見ているギャラリーも、ゲームを管理するオフィシャルの面々も、誰もがそう思っている。
コートに立てば、否が応でもそんな空気を感じ取れるものだ。
対するすばる高は、葵に変えて4ファウルの飛鳥さんをゲームに戻す。
コートに送り出されたのは、ボール運びに貢献してきた葵ではなく、飛鳥さん。
これ以上点を与えるわけにはいかない。
それ以上に、点を取り続けなければいけない。
ボールを運ぶのも、得点を取るのも、私。
葵を下げたというのは、そういう意図だ。
両チームの選手がコート上に散らばる。
第4Qは、すばる高ボールで再開となる。
審判がボールを持ってサイドラインの横に立ち、その隣に、千秋が立った。
私は一人、バックコートに立つ。
ちらりと英修ベンチへと目を向ける。
ベンチに座り、コートを眺めるさっきまで試合に出てた選手達と、その前で自信満々に立つメガネを掛けた向こうのコーチ。
見てろよ、クソメガネ。
余裕ぶっこいてレギュラーメンバーを下げた事、絶対に後悔させてやるから。
慌ててレギュラーをコートに戻す無能コーチの烙印を、絶対に押し付けてやる。
審判からボールを受けた千秋が、すっとボールを入れる。
静かに動いた私が、そのボールを受けた。
第4Q。
最後の10分が静かに始まる。




