057 楓 vsチカ
まもなく後半戦、第3Qが始まる。
すばる高にメンバー変更は無し。
対する英修は、フォワードを務めていた22番の選手に代えて、13番の選手が入る。
この13番が斎川睦、チカちゃんだ。
彼女とは先月、麻木先生に紹介されて参加したバスケサークルで知り合ったばかり。
その時はまさか、公式戦で対戦するなんて思いもしなかったけど……。
ベンチから、一足先に英修の選手達がコートへと歩み出る。
皆、引き締まった表情をしている。
その顔からは油断も緩みも感じられない。
……そんな緊張感溢れるメンバーの中で。
「エージくーん! 観ててねー!」
チカちゃんはコートに出るや否や、ギャラリーの一角に向けて声を張り上げ、それから両手を大きく振り出した。
そして、慌てて駆け寄ってきた初瀬巡に、パーで思いっきり頭を叩かれた。
ギャラリーから、笑い声が聞こえる。
緊迫したゲーム展開を期待する館内の空気が、ふわっと緩んだ気がした。
「……何か、変な奴が入ってきたんだけど……」
「何あれ、マジウケる」
そんなチカちゃんを見た夏希さんと理香さんが、嘲笑しながらそんな言葉を交わす。
自分が好奇の視線に晒されている事を知ってか知らずか、当のチカちゃんは尚も暢気にギャラリーの方、恐らくはエージさんに対して笑顔を振りまいている。
「楓。 それから千秋」
麻木先生が、私と千秋を呼ぶ。
「マーク、変えるわよ。 1番のマークには千秋が付いて。 チカ……13番には、楓が付きなさい」
「え? あの変な子に楓をぶつけるんですか?」
何故?といった顔で千秋が聞き返す。
英修の中心選手である1番ではなく、途中出場の控え選手に、私のマークを代える理由が分からないのだろう。
千秋は勿論、チカちゃんがどんな選手なのか知らない。
千秋だけじゃなく、すばる高の他のメンバーも、ギャラリーの観客も、ほとんどの人が彼女がどんな選手かを知らない。
どんなレベルの選手で、どんなプレーをする選手なのか。
それを知る数少ない人が、私であり、麻木先生だ。
少なくとも先生は、斎川睦という選手を、私と同レベルのプレーヤーだと認識している。
「楓、あの子の相手は任せたわよ」
先生はそう言って、私のお尻を叩く。
「はいっ」
その衝撃に送り出されるように、私は再びコートへと足を進めた。
**********
英修ボールで試合が再開される。
英修の選手がスローイン。
第3Qの幕が上がる。
ボールを受けたのは、後半から投入された#13 斎川睦だった。
「さー先輩たちっ! 張り切っていきましょー!」
ドリブルを始めたチカちゃんが声を出し、他の選手たちは彼女を見ながらポジションを取る。
ポイントガード?
チカちゃんが!?
背筋を伸ばし、顔を上げて視野を広く保ちながら周囲を伺うチカちゃん。
周囲を見渡しながらも、ボールを扱うハンドリングに乱れはない。
その姿は明らかに、ポイントガードのソレだった。
そんな彼女を正面に捉え、ディフェンスの体勢で構える。
隙があればいつでもボールを奪いにいける距離。
でも、その隙はない。
何をしてくるか分からない、得体の知れない不安が胸に広がる。
先月プレーした時とは、印象がまるで違う。
ぐっと、全身に力が籠る。
第3Q開始前に感じていた身体の怠さは、いつのまにか気にならなくなっていた。
そんな私の胸中とは裏腹に、チカちゃんはあっさりとボールを手放す。
一旦ボールを味方に預け、左アウトサイドへと流れていく。
彼女をマークする私も、左サイドへと移る。
味方からリターンパスを受けると、何気ない所作でレッグスルーを織り交ぜてドリブルを開始した、そう思った瞬間。
「えっ!?」
思わず声が漏れる。
彼女の手に、既にボールは無い。
慌てて後ろを振り返ると、ボールはそこにあった。
私の股下を通り、跳ねるボール。
意表をつくタイミングで出されたパスに、私はまったく反応できなかった。
チカちゃんのパスに反応し、走り込んできたのは英修の#8。
#8はボールを受け、さらに短いパスを出す。
そのパスに#34が反応。
素早いパス展開についていけず、私達5人は皆、揃って棒立ち状態になってしまう。
ゴール下でボールを受けた#34が、難なくシュートを決める。
41-46。
後半最初の得点を英修が上げる。
「ナイッシュー!」
パンパンッと手を叩き、満面の笑みを見せるチカちゃん。
英修ベンチから、ゴールを称える掛け声が響く。
「大丈夫! 今のは忘れて切り替えましょー!」
唖然とするすばる高メンバーの中、真っ先に葵が声を出す。
そうだ。
どんな取られ方したってただの1ゴール、たった2点だ。
焦る必要は無いし、やられた分は取り返せば良い。
エンドラインからボールを入れ、すばる高の攻撃が始まる。
英修の5人は既に自陣に引き返している。
それを見て、葵がゆっくりとドリブルでボールを運ぶ。
ここでも英修は変化を見せる。
フロントコートへと全員が入ると、英修の選手達はそれぞれマークに付いた。
第2Qで採用していたボックスワンのゾーンディフェンスから、オーソドックスなマンツーマンディフェンスに守り方を変えてくる。
葵には#1が、千秋には#7、飛鳥さんには#8、環さんには#34。
私のマークについたのは、やはりチカちゃんだった。
でも、これはこちらにとっても好都合だ。
すばる高は、第2Q同様、全員がアウトサイドへとポジションを取る。
マンマークに変えたことで、英修のディフェンスは外へと引っ張り出される形。
ドライブを仕掛けるスペースが十分にあり、一対一に適した状況。
加えて、フェイスガード気味につかれていた#1のマークとは違い、チカちゃんのマークはそこまで厳しくない。これなら簡単にパスが受けられる。
葵も同じ事を考えていたか、すぐにパスが来た。
左アウトサイドで、そのパスを受ける。
私にボールが渡ったのを見て、味方の四人は意図的に逆サイドへとポジションを偏らせる。
アイソレーションオフェンスの形だ。
チカちゃんとの一対一。
整った形をした彼女の瞳が私を見据える。
腰を低く落とし、やや斜に構えた体勢。
距離を測る様に、右腕を私の胸元へと差し出す。
ダンッ、ダンッ
キュッ、キュッ
私がボールを突く等間隔の音と、シューズがフロアに擦れるスキール音が響く。
私を見つめる瞳が変わる。
侮りでも、恐れでもない。
ただひたすらに、私のわずかな動きすら捉えようとする視線。
右、左と交互にドリブルしながらタイミングを計り、そして――。
キュッ!
仕掛ける。
右から抜きにかかる私に、チカちゃんが反応したのを見て。
すぐに左手にボールを持ち替える。
重心を後方に預けていたチカちゃんの反応がわずかに遅れた。
そのまま左からドライブ。
右手でチカちゃんを遮り、ゴール下へと切り込んでいく。
逆サイドから、英修のヘルプディフェンスがゴール下に入ってくる。
環さんに付いていた#34だ。
そこで急停止し、ターン。
ターンしながらボールを持ち替え、フェイダウェイシュートに移る。
私が得意とするシュートパターンだった。
しかし――。
「っ!?」
頭の上へと構えたボールに、チカちゃんのブロックの手が伸びる。
それでも構わず、シュートを放った。
直後、チカちゃんの右手が私の手に触れる。
ピィィッ!
直後、審判の笛が鳴った。
尚も、シュートの行方を目で追う。
ファウルを受けたのはシュートを打った後だ。
シュート自体はリングを捉えた感覚があった。 でも――。
ボールはリング手前に当たり、跳ね返される。
審判がチカちゃんのファウルを示す。
シュートモーション中のファウル。
フリースローが2本与えられる。
「あぁーっ! 惜っしぃー! もうちょいっだったのに!」
チカちゃんが悔しそうに天を仰ぎ、声を荒げる。
「ナイス! 楓!」
私には千秋が近寄ってきて、フリースロー獲得を労う。
「……うん……」
そう答えながらも、私は喜べずにいた。
完璧だったハズだ。
ドライブからターン、シュートに至るまでの一連の動きにミスはなかった。
なのに……。
チカちゃんのブロックを受けて、狙いがズレてしまったのか。
それとも、私の感覚にズレがあったのか。
この時はまだ気づいていなかった。
違う、認められなかった。
自分のプレーが徐々に噛み合わなくなっている事を。




