055 反撃
コートの中から。
茅森楓視点です。
一際小柄な少女が、サイドラインを跨ぎコートへと入ってくる。
動きに精彩を欠くキャプテンの詩織さんに代わり、ベンチから送り出されてきたのは、私と同じ一年生の高木葵だった。
「よろしくー!」
飄々とした様子でチームメイトに近づくと、手のひらを向け、順にメンバーとタッチをしていく。
「先生の指示は?」
「ボール運びは私と楓ちんでやれってさー」
「ん、了解」
葵と短く言葉を交わす。
ボール運びに苦戦するチームにあって、その状況を打破したいという麻木先生の指示。
千春が試合に出れない以上、その役目を託せるメンバーは、私の他には葵しかいない。
試合前のゲームプランは既に崩壊している。千秋を別のポジションに移し、詩織さんに変えて葵を入れるのは納得出来る判断だ。
それが吉と出るか凶と出るか。
どっちにしても、これ以上相手の好きにやられるようなら、この試合の勝敗は決まりだ。
「さー、声出していこー!」
葵がチームに一声かける。
決して大きくはないけど、聞き取りやすい声だ。
すばる高ボールのスローインで、試合が再開される。
英修はお決まりのオールコートプレス布陣。
対するすばるの選手は、全員がバックコートでポジションを取る。
スローワーの私は、エンドラインから葵へとパスを出した。
葵がボールを受けて前を向いた瞬間、英修のプレスが始まる。
「うおっ!?」
勢いよく襲い掛かる英修のファーストディフェンスに、葵が咄嗟に仰け反る。
あっという間に二人に詰められた葵が、慌てて私にボール戻す。
そのパスをカットしようと英修ディフェンスの手が伸び、ボールに触れる。
が、幸いにもボールはその手に弾かれ、エンドラインの外へと出た。
「あ、あっぶねー!」
切れ長な目をさらに細く伸ばし、表情を強張らせる葵。
ふぅ、と、汗をかいてもいないのに額を拭う仕草を見せた。
「葵、落ち着いて!」
「ごめん、ごめん! ちょっと面喰らっちった!」
葵に声を掛けると、軽い口調の言葉が返ってくる。
「さぁ一本! 返してこー!」
葵が声を出す。
普段通りに見えて、やっぱ緊張しているのかもしれない。
仕切り直しのスローイン。
英修の選手達は淡々とオールコートプレスの陣形を整え構えている。
私は審判からボールを受け取り、エンドラインからスローインを入れる。
今度は中央へと動いた環さんへ。
その環さんを経由し、ボールは再度、葵に渡った。
英修のディフェンス二人が、すぐに葵との距離を詰めに襲い掛かる。
自身に近づいてきたその二人の間を。
「とぉっ!」
葵はその小さな体を隙間にねじ込むように、低い体勢のドライブで割って入る。
意表を突かれたか、英修ディフェンス二人の反応が遅れた。
一気にギアを上げた葵が、その二人を置き去りにして抜け出す。
葵の突破を合図に、全員が前を向いて、フロントコートへと駆け出した。
しかし、葵にはすぐに第二陣、セカンドラインを構成していた英修のディフェンスが一人寄せてくる。
葵はドリブルの勢いそのまま、前方のスペースへとボールへと突き出すようにボールをバウンドさせて送る。
「リタ!」
葵を追う英修の選手が声を出す。
その声の先には、英修の最終ラインに残る#34の選手がいた。
持ち主不在のボールを追い、その長い腕が伸びる。
その手前で――。
「ナイスパス!」
全速で走り込み、ボールを取る。
そのままドリブルを突っ込んだ。
#34が慌てて反転するが、もう遅い。
彼女を置き去りに、無人の相手陣へ侵入してそのままレイアップシュート。
バックボードを捉えたボードが、ゴールネットを揺らす。
ようやく取った12点目。
相手のオールコートプレスを破り掴んだ得点だ。
「ないっしゅー!」
得点を決めて自陣へと戻る私に、葵が手を出す。
「ナイスパス!」
駆け抜けざま、その手を叩いた。
「さー! ディフェンスだー! しゅーちゅー!」
私とのハイタッチを決めた葵は、すぐに腰を落としてディフェンスの体勢に入る。
攻守が切り替わり、英修のオフェンス。
ボールを運ぶ英修の#1がフロントコートに入ってくると、呼応して葵がその前へ出ていく。
葵が正対する相手のポイントガード、初瀬巡は決して背の高い選手ではない。
そんな相手を前にしても一目瞭然なほど、の葵は小さい。
それでも、その小さな身体を目一杯大きく見せようと、葵は両手を広げ構える。
そんな葵の近くに、英修の選手が寄りスクリーンプレイを仕掛けてきた。
そのスクリーンを利用してドライブを仕掛ける#1を、葵が追うが――。
「むぅっ!」
その小さな身体はいとも簡単に相手が作り出した壁に阻まれる。
「飛鳥さん!」
ヘルプに入ったのはスクリーンを掛けた選手をマークしていた飛鳥さん。
マークが強制的に入れ替わる。
スクリーンを掛けた選手も反転し、瞬間的に2対1の状況が生まれた。
「舐めんな!」
ボールを持つ#1に、飛鳥さんが飛びつく。
バシッ! と、手の甲を叩く音が聞こえた。
ピィッ!
審判の笛が鳴る。
飛鳥さんのファウルだ。
「ちっ!」
審判に背を向け、飛鳥さんが舌打ちする仕草を見せる。
「オーケーです!」
「ごめんなさいっ! あたしのせいだー!」
「……悪い」
私達に対してか、審判に対してか、飛鳥さんは静かに右手を上げた。
ファウルにはなったけど、得点されたわけじゃないしフリースローを与えたわけでもない。
それでも、相手ボールの攻撃が続く。
スローインから再び#1がボールを持つと、今度はマークする葵の頭上を越える山なりのパス。
ハイポストに入った#34が、マークする環さんを背にしてボールを受ける。
英修の選手が一気に動き出す。
ゴール下に走り込んだ選手へと、パスが通る。
そのままジャンプシュート。
しかし、シュートはわずかに乱れ、リングに嫌われた。
そのリバウンドを、好ポジションに居た環さんが掴む。
「タマさんっ!」
直ぐにフォローに寄った葵が、環さんを呼ぶ。
ボールを受けた葵が前を向いた。
速攻のチャンス。
「こっち!」
パスコースを作り、直ぐにボールを要求。
しかし、パスは出てこない。
代わりに右手を前に差し出し、制するようなポーズを葵が取る。
「かえでー! 一旦落ち着こー!」
英修はプレスを掛けてこず、あっさりと自陣へと引いていく。
相手の動きを確認した葵は、ゆっくりとドリブルを始めた。
「ここは大事にいきましょー!」
味方に声を掛けながら、葵がボールをフロントコートへと運んでいく。
葵のその姿を見て、急速に頭の中が冷えていくのを感じる。
自分でも気付かない内に、だいぶ熱くなっていたみたいだ。
点差が開いているといってもまだ第1Q。
相手のペースに合わせて攻め急ぐより、落ち着いて、相手ペースで進む試合の流れを変える方が有効かもしれない。
生来の気質か、外から戦況を見ていたからなのか……葵は落ち着いてゲームを見ている。
きょろきょろと視線を動かし、コートを見渡す葵。
そんな彼女のゲームメイクに、ここは託す事にした。
そんなウチの攻撃を迎える英修。
私には再び、#1初瀬巡がマンマークに付き、他の四人でゾーンディフェンスを形成した。
ピタリとつくマーク。
鬱陶しい。
私がボールを持つには、このマークを一瞬でも剥がす必要があった。
動きながら、飛鳥さんの位置を確認する。
すぐにインサイド付近を周遊していた飛鳥さんを見つけると、向こうも私を見ていた。
目が合うと、飛鳥さんがするりとこちらへ近寄ってくる。
3ポイントエリアを出たところで動きを止める飛鳥さん。
その飛鳥さんを壁にして、マークを剥がす。
飛鳥さんを避けるように#1が付いてくるが、ボールを受けられるだけの余裕が生まれる。
「葵っ!」
左サイドから中央付近へと流れ、今度こそと葵にパスを要求。
葵の顔を視線が捉えると――。
にかっ。
と、狐の笑顔のような顔を見せた葵の手が動く。
「えっ」
だが葵は、私の動きとは逆の方向へとパスを出した。
その先にいるのは千秋。
3ポイントラインの外で、千秋がそのボールを受けた。
ゾーンで守る英修のディフェンスは外へと出てこない。
相変わらず、「打ってください」の姿勢。
つまり、ドフリーだった。
「ごー!」
葵が千秋に声を掛けると、ゆっくりとシュートフォームを作った千秋は、両手でボールを放った。
どこか頼りなく感じる軌道。
それでも確実に、ゴールへとボールは飛んでいく。
リバウンドに備え、両チームの選手がゴール下に密集する。
ザシュッ。
密集した人混み。
その真ん中にすとん、と、リングを通過したボールが落ちてきて跳ねた。
千秋の3ポイント。
この試合、私以外が取った初めての得点だ。
「「キター!」」
千秋と葵の声が重なる!
自陣へと戻りながら、二人はバチンと互いの手のひらを弾いた。




