031 茅森楓の日常④
「視界が急にモノクロになる?」
夕食の最中。
会話の中で私が口にした話題に、父が箸で掴んだ寿司をポロリと落とす。
私は肯定の意味で頷いた。
視界から突然、色が消える。
その現象が初めて起きたのは中学三年生の時。
中学最後の大会となった明青学院との試合中に起きた。
そして二度目が先月。
ウチの学校でやった明青との練習試合での出来事だ。
症状は、単純に視界がモノクロになるだけでは無い。
ボールや特定の人だけがカラーに見えたり、同時に音が聴こえなくなったり。
「それは……何か病気じゃないのか? 医者には診てもらったのか?」
「うん……中学三年の時にも診てもらったし、先月もう一回受けた。 最初は眼科で診てもらって、こないだは脳外科で診てもらった」
「何て言われたんだ?」
「特に異常は無いって言われた」
それを聞いた父が、心配そうな表情を崩し、ふぅと一息つく。
そんな父を見てから、話を続ける。
「最初は去年の中体連の試合中に起きてさ。 何が何だかワケわかんなくて、怖くなって、プレーもめちゃくちゃになったんだけど……こないだ起きた時はね、すんなり受け入れてる自分が居て」
持っていた箸を空中でくるくるとさせながら、その時の事を思い返す。
「まるで自分の身体を、ゲームで操作してるみたいな感じだったんだよね……」
それを聞いた父は箸を置き、右手を頬に当てて俯く。
何か考える時の父の癖だ。
「その話、愛さんは知ってるのか?」
愛さん、とは私の母のことだ。
「勿論」
「どんな反応だったんだ?」
「ストレス性のものじゃないかって。 もしくは……集中し過ぎて、そう錯覚したんじゃないかって」
ストレス性の症状ならばと、強制的に病院に連れて行ったのは母だ。
結果的に異常は見つからず、ならばと出した仮説が集中し過ぎて起きた錯覚。
つまり、私の勘違いだという説。
「母さんがね、試合中に時折、ボールがスローモーションに見える事があったらしくて。 私のももしかしたら、それに近い現象じゃないかって」
母はバレーボールの元日本代表選手だ。
その話を聞いた父は、何か思い当たるフシがあったのか、あぁ、と声を漏らす。
「その話は何度かされた覚えがあるな」
将棋棋士とバレーボール選手という異色のカップル。
父が母と交際していたのは母がまだ現役の頃だ。
その頃を思い出したのか、少し恥ずかしそうな表情を見せた。
「お父さんは、そんな経験あったりしない?」
そんな私の問いかけに、少し間を取って父が答える。
「"脳内将棋盤"って分かるか?」
「のうない?」
「頭の中にある将棋盤って意味だな。 父さん達プロの棋士は、この盤を使って色んな指し手を何百通りも試すんだ」
はへぇ、凄いな将棋の棋士!
素直に感心する私を見て、一瞬顔を綻ばせる父。
そして話を続ける。
「まぁ、将棋盤と言っても白黒で、81マス分の枠線と駒の文字が浮かんでるだけだけなんだけどな。 対局中はそれをあーでもないこーでもないと動かしながら考えるワケだ」
腕を組み、うーんと悩むような素振りを見せる父。
「で、その脳内将棋盤がどーしたの?」
「昔な、将棋盤の上にある駒が光った事があるんだよ」
「は?」
要領を得ない父の話。
私の頭の上にハテナマークが浮かぶ。
この辺の話下手さが私にそっくり。
いや、この場合は私が父にそっくりと言うのか……。
「あれは二三歳の時、初めて進んだタイトル戦の番勝負を三勝三敗で迎えた最終局だったな。 終盤に差し掛かったところで、間違った手を指してしまった。 挽回できる手は無いかって考えている内に、持ち時間も使い果たして、とうとう秒読みに入ってな」
色々将棋用語が入っているけど、ギリギリ理解出来る。
一応棋士の娘ですので!
「もう頭の中では色んな手を考えつくして、一手も駒を動かせなかった。 指す手が思いつかないんだ。 ただ、目の前の盤をぼーっと眺めていたよ。 いち、に、さん、し……と、秒が刻まれる声が頭に響くんだ。 そしたらな……急に盤上の駒がひとつ、光ったんだよ」
その時の光景が甦ったのか、興奮気味に父が話を続ける。
「吸い寄せられるようにその光る駒を手に取ったらさ、今度は盤上のマスが一つだけ光ったんだ! 『その駒をココに動かせ』って示すみたいに。 で、手に取った駒を光るマスの上に置いたんだ。 そうしたら……」
「そうしたら?」
「急に頭の中にその後の指し手がどんどん流れてきたんだよ! 相手がこう指したらこう、こうきたらこうって……どの局面も全部父さんの勝ちになるんだな。 そこからは無我夢中だったな。 気が付いたら、相手の『負けました』って声が聞こえて、大逆転で父さんが勝ってた」
「へぇ……」
不思議な話だ。
「で、結局それは何だったの?」
頬杖を付いて、父に問う。
「え? いや分からんけど」
ガクッ、っと古典的に頬杖を崩す。
あれだけ語っておいて……。
「でも、楓の話を聞いたとき、この体験を思い出したんだよ。 あれが何だったのかは今もよく分からないし、父さんの場合はそれ一回きりだったから忘れてたけど、楓が経験したのは、今の話に近い現象だったんじゃないかな……? 」
まぁ一言で言えば……と父が言葉を続ける。
「そういう才能、なんじゃないか?」
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「じゃあ、また来るね」
マンションの外で、見送りに出てきた父に別れを告げる。
「気を付けて帰るんだぞ。 ホントは車で送ってやりたいんだが……」
「いや、免許ないじゃん」
父は車の免許を持っていない。
将棋の棋士は運転中も将棋の事を考えて事故りそうになる人が多いらしい。
何と残念な商業病でしょう……。
「そーだ。 これ……」
父が上着のポケットから何かを取り出し、私の手に握らせる。
一万円札だった。
「あざっす!」
臨時収入に思わず空手式の挨拶が飛び出てしまう。押忍!
「愛さんと颯太には内緒だぞ?」
「分かってるって♪」
それじゃあね、と手を振って父とはお別れ。
駅に向かい、帰りの電車に乗る。
車内で、夕食中にした話を思い返す。
父が話してくれた経験談には、確かに私の体験した現象と共通する部分がある。
初めは驚いたモノクロ現象、マジでヤバい病気じゃないかという不安はあるけど……あの感覚は忘れがたい。
特に身体的な感覚。自分で自分を操作するようだった。
視覚や聴覚の異変すら、今思えばまるでゲームのエフェクト表現のようにも思える。
もう一度、あの感覚を味わいたい。
電車の中。
夜が広がる窓に映る自分を見ながら、そんなことを思っていた。




