028 茅森楓の日常①
「おかえり」
ランニングを終えて自宅に戻ると、玄関ドアを開けた先に、制服を身にまとった女子が立っていた。
「お、おう……」
片手にジャムのついた食べかけのパンを持ち、リスみたいに頬を膨らませながら、もぐもぐと行儀悪く口を動かしている。
羊に似た眠たそうな目。
丸い鼻。
肉厚な唇。
癖が強く、ウェーブが掛かった髪。
朝から人ん家に勝手に上がり込み、飯を食らうこの人物は、櫛引千春。
同じマンションの隣室に住み、同じ学校に通う私の幼馴染だ。
「座って食べなさいよ……」
「えー? せっかくお出迎えしてあげたのに……もぐもぐ」
そう言いながらも食べる事を止めない千春を手で促し、一緒にリビングへと入る。
「あ、おはよう、姉ちゃん」
ドアを開けると、弟の颯太が制服姿でキッチンに立っていた。
「千春さん、コーヒー飲みます?」
「飲む飲む~」
私への挨拶もそこそこに、甲斐甲斐しく世話を焼く中学生男子と、我が物顔でダイニングテーブルの席に座り、朝食を食べる高校生女子。
そんな空間に、さらにもう一人が加わる。
ドアを開け、ドカドカとリビングへとやってきたのは、180cmを悠に超える長身の女性。
寝足りないとでも言うような不機嫌な顔をしたその人は、茅森家の大黒柱たる母だ。
「……おはよう」
「おはよ」
「おはよう」
「おはようございまーす」
私たちは、バラバラと挨拶に応える。
そんな子供たちの面子に、隣の家の子を見つけた母が話しかける。
「あら千春ちゃん、来てたの。 パパは出張中?」
「はい。 昨日の夜から大阪行ってます」
そう、とだけ反応した母は、キッチン前のダイニングテーブルではなく、TVの前に置いてあるソファーへと向かい、そのままどかりと寝そべった。
長身の身体があっという間にソファーのスペースを占領し、
寝大仏の様な姿勢でTVのニュースを観始める。
「母さん、朝ごはん居る?」
「いや、コーヒーだけ頂戴」
颯太はマグカップにコーヒーを注ぐと、母の元までそれを運ぶ。
「はい」
「ん」
寝大仏姿のまま、それを受け取る母。
「てか颯太、あんたそろそろ出なくていいの? もう6時過ぎてるけど?」
颯太に尋ねる。
時刻は6時過ぎ。
中学でバレー部に所属する颯太は、いつもなら朝練で家を出る時間だ。
「え? いや、まぁ……今日はいいんだよ」
「?」
デカい身体をふんにゃりとさせ、何だか怪しい態度になる颯太。
そんな我が弟に、千春が言う。
「あ、じゃあ颯太さぁ、今日はあたし達と一緒に行こーよ。 途中まで一緒じゃん?」
「え! そうですね! 是非是非!」
千春の提案に、今度は目をキラキラさせ、何度も首を縦に振る颯太。
ちょっとキモい。
「颯太よ……お前は実に分かりやすいなぁ……」
「え? いやいやいや別にそんな……!」
リビングに鎮座する寝大仏からの指摘に、一転顔を真っ赤にして何やら否定する颯太。
うーん、キモい。
千春は、そんな颯太をニコニコと眺めていた。
……シャワー浴びてこよ。
**********
そんなこんなで颯太と千春と私、三人で家を出て登校。
颯太はご機嫌で、千春に中学での出来事などを話していた。
ちなみに千春の姉である千秋も同じ学校だが、私たちとは別登校。
彼女の起床は非常に遅い。
一応は受験生、ということで夜遅くまで勉強してるんだとか。
私と千春は、国府台昴高等学校の門をくぐる。
ようやく見慣れた校舎、その2階に位置する教室へと入る。
「楓ちゃん、おはよっ!」
席についた私に声を掛けてきた女の子。
「久しぶりだねっ! 元気だった?」
笑顔が眩しい。
今日も今日とて、フリージアのような甘い香りを漂わせ、ワンランク上の制服着こなし術で、私に圧倒的な女子力の差を見せつける彼女は、クラスメイトの峰藤咲希。
いや、クラスメイトなんて余所余所しいじゃないか。
ハッキリ言おう。
私の友達! 咲希ちゃんだ。
その存在はもはや神。
真っ暗だった私の足元を明るく照らす神。
日本神話的にいうとアマテラス。
今、私がなりたい人ぶっちぎり一位なカリスマ女子。
どうしよう、賛辞が止まない。
「元気だったよ。 あっ、ゴメンね……休み中せっかく誘ってくれたのに行けなくて」
「ううん、全然大丈夫だよ! 部活だったんでしょ?」
「うん。 あ、今度は私から誘うよ! 部活の無い日で良ければだけど」
「ホント!? じゃあ、楽しみにしてるね!」
そういって、柔らかな笑みを浮かべる咲希ちゃん。
ああ……ええ子やでぇ……。




