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Lay-up girls レイアップ・ガールズ  作者: 日野かさね
Lay-up girls 1
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001 入学式の日に

「新入生のみなさん、いよいよ待ちに待った高校生活が始まります。 ……これからの三年間は、みなさんそれぞれが主役の物語です。 一日一日を大切にして、三年間が人生で最高の物語だったと、心から思える充実した日々を送られますことを切に願っています。 …………結びに、新入生のみなさんの輝かしい成長とご列席の皆さまのご健勝を心からお祈り申し上げ、式辞と致します」


 校長先生の長い式辞の後、入学式は式次第の通りに進行し、無事に終了。

 晴れて国府台こうのだいすばる高等学校の生徒としてスタートを切った男女総勢320名の『主役』達が、ぞろぞろと列を保ちながら、これからの一年を過ごす教室へと向かう。


 そんな主役の一人である私は、ちょうど自分の教室の戸をくぐったタイミングで、背後から誰かにがつっと、勢いよく両肩を掴まれる。首を捻って後ろを見ると、そこには良く知る顔があった。


「ひどい顔だなあ、入学式くらいシャキっとしなよ」

「ふわぁ、偉い人のありがたいお話はお経にしか聞こえない説。今日、完全に証明されたわ」


 普段から眠そうに見える羊のようなその目を、殊更にしぱしぱとさせて、欠伸をしながら長い睫毛を震わせる彼女、櫛引千春(くしびきちはる)に向けて私は大げさに呆れ顔を作った。


 肩を掴んだままの千春を牽引するように、私は自分の名前が貼られた自分の席へ向かう。名前のあいうえお順に割り振られた出席番号順に配された私の座席は、窓際の前から三番目。中々に良い位置だ。


 教室内はざわざわと騒々しく、どこか浮ついた空気が漂う。 千春が私のすぐ後ろの席に座り、私は半身を千春の方に向けて座った。


「それにしても、また同じクラスとは思わなかったわ。 十年連続で一緒って、私たち縁が腐りすぎじゃない?」


 そう言ってから、眠気を霧散させるように千春が天井に向けて腕を伸ばした。


 思えば私の傍には常に彼女がいる。


 自宅は同じマンションの隣室。小、中と同じ学校で同じクラス。中学では同じ部活で汗を流した仲でもある。


 私にとって千春は、唯一無二の『心友』といえる存在だ。確かに私たちの関係を腐れ縁と呼ぶのであれば、腐敗臭すら漂う。


「これは癒着が疑われますね」

 掛けてもいない眼鏡を左手でクイッと上げる仕草をしながら、キリっとした顔でおどけてみた。


 まぁ、とりあえず一年間よろしく、と千春が言う。どうやら小ボケ過ぎて拾う価値もなかったらしい。


 真新しいブレザーのポケットに両手を突っ込み、改めて千春を見る。

 この春までに伸びたと思われるやや癖の強いウェーブが掛かった髪は、所謂ポニーテールにアレンジされ、適度な長さの前髪はにだいたい真ん中、というような雑さで分けられていて、彼女の性格がよく表現されている。


 丸くて小さい鼻に、厚めの唇。

 眠たそうなその目は、羊を連想させるなんとも不思議な愛らしさがある。

 千春は、遠くを見つめるように頬杖をついて窓の外を眺めている。


「……千春さぁ」


 呼ぶと、千春は窓の外から目線だけを私に向ける。


「本当に良かったの? ……その、進学先がこの高校で」


 唐突な問いを発した私に対し、頬杖を解除して、今度は目線だけじゃなく顔ごと私に向けた千春は、きょとんとした表情を作る。


「何でさ?」

 ひと呼吸分の間を置いてから聞き返してきた。


「いや、他に行きたい高校、あったんじゃないのかなぁ……? って思って」

「はぁ? ……ないない」

 千春は顔の前で大きく右手をひらひらとさせて否定する。


「……どうしたのさ? 随分今更な質問じゃん?」


 私たちが今日から通う私立国府台昴高等学校。

 元々あった2つの高校が併合する形で設立された、開校から10年も経たない新設高校だ。

 偏差値は低くないが、バリバリの進学校というわけでもない。かといって、その名を全国に轟かすような部活動もない。

 良く言えばバランスの良い。悪く言えば特色のない私立校、というのが私の印象だ。


 そんな学校を進学先として志望したのは私で、それに続けて千春も受験を決めた。

 私は、自分の志望校に千春が後から合わせてくれたのだと思っている。


 私にとっては理由があって受験した学校だったわけだけれど、千春の選択として考えると違和感のようなもやもやした気持ちが残る。


 千春は元々成績優秀者で、偏差値で言えばもっと上の高校にも行けたハズなのだ。部活動で決めたとも考えにくい。


 中学時代、私たちはバスケ部で、それなりに熱心に取り組んでいたと思うが、この学校に女子バスケ部は無い。


 私との関係にしたって、そもそも今更離れようのないほどベッタリなご近所付き合いなワケで、高校が違うくらいで疎遠になるような関係じゃない。(……と、思いたい)


 千春は私と違って友達も多いし、例え知り合いのいない高校に行っても、ボッチになるような姿は想像出来ない。


 そもそもそんな事を心配する気持ちが、千春には理解出来ないだろう。言葉の全く通じない外国に突然放り出しても、現地で知り合った人と肩組んで帰国してきそうな女だ。


 まぁ、人付き合いに難のある私としては、千春と同じ高校なのは素直に嬉しいけれど……。


 そんな考えをふわふわと頭の中に浮かべてから、どうやってそれを千春に伝えようかと思案していた。多分、口を開けてアホ面晒していたのだろう。私を見て、千春はニヤリと口元を歪める。


「愚問だぜ、楓ちゃん」


 なんでもお見通しとでも言うように、チチチと舌をならすと、キザに人差し指を立ててこう言った。


「あたしはただ、あんたと一緒の高校に行きたかっただけなんだから」



**********



 ホームルームが終わり、これで入学初日の予定は全て終了。

 教室で渡された大量の教科書類も、この日に限っては全て持ち帰らなければならない。


 通学用に新調したグレー色のリュックを空けると、教科書から何からを乱暴に押し込む。シンプルなデザインだけど、容量はかなり大きい。チャックを閉じ、「よっこらせ」と少々年寄り染みた口調でそのリュック背負ったところで、後ろの席の千春が声を掛けてきた。


「うちのパパが車で送ってくれるってさ」


 教室の後方に目を向けると、そこには小柄なメガネ姿の男性と、対照的に一際目立つ高身長の女性が、並んでニコニコと満面の笑みで私達に手を振っている。

 千春のお父さんと、私のお母さんである。


 櫛引家は、千春が幼い頃に母親を亡くしている父子家庭であり、逆に我が家は父親の居ない母子家庭だ。マンションが隣同士の両家は、私と千春の仲の良さもあって、自然と交流を深めてきた。


 お互い働きながら子供を育てている親同士で色々と話も合うのだろうか、千春のお父さんとウチのお母さんはやたらと仲が良い。


 実は付き合ってんじゃね?

 と、私と千春が本気で勘繰っていた時期もあったんだけど、それは当人たちから何度も否定されている。


 千春のお父さんは、160そこそこの小柄な人で、人柄が滲み出るような優しげな目がメガネの奥から覗く。

 娘の千春が言うには、父親が声を荒げて怒ったりするところを見たことがないという。当然私も見たことがない。

 私たちが何かイタズラしたり怒られるような事をした時も、本当に優しく諭すように色々と教えてくれる。

 不機嫌な姿を見せるようなことがない。私たちに対しては常に笑みを絶やさず、まるで自分の全てを受け入れてくれているような、包み込まれるような気持ちになる。


 そんな千春の父は、私にとっても本当のお父さんのような存在であった。


 対して、茅森家の文字通り大黒柱である私の母について。誰もが皆、まずはその背の高さに目を奪われる。


 女性ながら180半ばを超える高身長は、自然と周りの人間を威圧する。


 バレーボールの元日本代表選手であり、今もコーチや解説を生業としているが、その性格は身長以上に威圧的かつ強烈だ。

 少しでも相手方に非があると感じれば、まるで獲物を見つけた獣の如き狂暴性で相手の心に尖った爪を立てに行くのだ。

 その姿を見て育った私にとっては、家のリビングに棲む「起こしちゃいけない冬眠中の熊」のような存在である。

 はっきり言って恐い。


 そんなお母さんのバレーボールの解説は、性格そのままに狂暴性MAXで毒まみれなのだが、その毒舌がお茶の間では人気だというのだから、娘の私からすると理解出来ない。

 世のバレーボールファンは特殊な性癖でもあるのだろうかと思ってしまう。


 ちなみに現役時代の異名は、『コートの悪魔』である。

 対戦相手にとってではなく、主に味方方面に。

 そんな異名で呼ばれる奴、絶対に同じチームになりたくない。


 実際、私がバレーを嫌いになったのはこの悪魔によって植えつけられた幼い頃のトラウマが大きい。

 ……バレーの楽しさを知る前の子に、泣き止むまで延々とレシーブの練習させるのは虐待ではないかと思うよ、お母さん。


 泣き止むまでというのがポイントである。

 泣いても辞めさせてくれないという意味で。


 そんな悪魔が、千春の父の前では終始上機嫌な様子でニコニコなのだ。娘である私にとっては、母をそこまで籠絡する千春の父は、この世で最も尊い、身近な崇拝対象でもある。


 ちなみに我が茅森家は離婚が原因の母子家庭であり、実の父親は健在だ。こちらも母とは別の意味でクセの強い親だが、その話はまた別の機会に。




「千春も楓ちゃんも高校生かぁ。 あっという間だなあ」

 学校からの帰路、千春のお父さんが運転する車内。ハンドルを握る千春のお父さんが、しみじみした口調で呟く。


「楓ちゃんは、バスケの強い高校から沢山誘いがあったんだろう? まさか、千春や千秋と一緒の高校になるとは思わなかったなあ」

「ホント、この子は色々な学校から推薦の話が来ていたのに、全部断っちゃうんだから……。 よほど千春ちゃんと離れ離れになるのが嫌だったのね」

 お母さんが、わざとらしくため息をついて言う。


 私はその推察に、いやいやいや。と大きく頭を振って否定する。


「私が先にすばる高を受験するって決めて、千春が真似したんだってば!」


 後部座席のシートから、中腰で身を乗り出した私は、千春の座る助手席の座席を掴んで、声を大にして反論した。


「でもさぁ、すばる高には千秋もいるし、最初に学校案内を持ってきたのはあたしじゃん?」

 助手席から目線だけを私に向け、千春が笑う。


 私は中学の時、女子バスケ部だった。自分で言うのも変な話だが、それなりに名の知れた存在だったと思う。


 『天才』


 恥ずかしながら、そんな風に呼ばれることもあった。


 実際に県内外の強豪校からいくつか勧誘を受けていたし、中には熱心に勧誘してくれた高校もあったんだけど、結局は全て断る事にした。バスケを続けていく気持ちが無かったからだ。


 ところが、思いがけず進路に悩むこととなった。


 バスケを続けないという事は決めていたけど、他にやりたい事がまったく思いつかなかったのだ。

 そんなワケで、高校なんて近くの高校の中から適当に決めればいいやと考えていたのだが、いざ進路を決めるとなると、以外と適当に決められないもので、あれこれ考えてしてしまう。


 そんな折に、千春が自分の姉が通っている高校のパンフレットを持ってきた。

 それが国府台昴高校だったのである。


 私はそのパンフレットを見て、すばる高の受験を決めた。その理由は3つ。


 一つ目は、自宅からそれなりに近い事。


 特にやりたい事があるわけでもない私が、通学に一時間以上かけてまで進学したい学校なんてあるワケが無い。近場の高校で十分だ。


 二つ目は、男女共学である事。


 これは中学の三年間で気づいた事。

 私はどうも、女子だけの集団の空気というのがあまり得意ではないようだ。


 最初はなんとなくグループの中に属するけれど、気が付くと周りと隔たりが生まれている。その思いを言葉にした事はないし、あからさまな態度に出ないよう、気を付けてはいるのだけれど、どうも周囲の子にバレてしまう。


 なんというか、女の子だけの空間で生まれる特有の同調的な圧力とでもいうか、そういう雰囲気がたまらなく受け入れられないのだ。だからといって男の子と話すのが好きいうワケでもないのだけれど。


 あとシンプルに彼氏が欲しい。そういう青春には人並みに憧れる年頃です。


 三つ目は、女子バスケットボール部が無い事。


 どの学校のパンフレットを見ても、目につく高校は全て女子バスケ部がある。


 これを言うと別にバスケ部に入らなければ良いだけの事のように思われるかもしれないけれど、バスケから離れる決意をした以上、自分の中学時代、特にプレーヤーとしての自分を知る人間には極力関わりたくないし、バスケ部と関わる可能性が無いならその方が好ましい。

 勧誘されても鬱陶しいだけだし、昔の話をされても鬱陶しい。


 正直、まったく未練がないとも言えないし……。


 バスケは小学校四年から中学までの六年間、私なりに真摯に、夢中になってプレーしてきたし、嫌いになったワケじゃない。


 誘われたら決意が容易に揺らいでしまう。そんな自分を想像すると、気持ちが沈む。


 そうやって高校生活をぼんやり想像していた時に、千春が持ってきたパンフレットを見た。

 そこには、部活動紹介を含めてどこにも女子バスケの記述が無かったのだ。

 念のため、学校のホームページも確認したが、やはり女子バスケ部は無いようだった。


 空けて翌日、すぐに国府台昴高を志望校として担任の先生に提出した。


  まさに灯台下暗し。理想の学校は、めちゃめちゃ近場にあったというオチ。


 偏差値は当時の私の成績からするとやや高かったが、猛勉強で何とかなる範囲。(実際はかなりギリギリだった!)


 男女共学で、通学はバスを利用して、家から学校まで三十分程。


 それに加えて、女子バスケ部が無いとなれば、私の受験動機として不足はない。


 パンフレットの経緯だけ聞けば、千春がキッカケみたいに思われるかもしれないが、いずれ近隣の高校を総当たりで調べようと思っていた私は、この三つの条件に当てはまるこの学校に遅かれ必然的に行き当たるワケだ。


 きっと最終的にはすばる高を受けるという結論に達していたと思う。


 そもそも私からすれば、千春はずーっと進路をはぐらかし、何度聞いても何にも教えてくれなかったのだ。


 私が第一志望を決めた途端、しれっと自分と同じすばる高に願書を出していたのである。

 なのに、あたかも自分が千春の後を追う金魚のフンのように扱われる事には強く抗議したい。


「金魚のフンは千春なのです!!」

 窓の外に向かって力強く拳を握ってみた。

「アンタ誰に向かって言ってんの?」


 隣に座る母の冷たい反応を受けてから、しゅんと座席に背中を預ける。


「ところでさぁ。 楓、部活は? どこ入るか決めてんの?」


 千春が話題を変え、私に問いかける。


「んー……」


 言われて、今後の高校生活について脳内に描いてみる。

 が、特にやりたい事が浮かばず、その画にはもやもやとした霧がかかってしまった。


 部活ねぇ。

 バスケを続けるか辞めるかの二択だった分岐の先に、さらに無数の選択肢がある事をまったく想像していなかった。

 どこにも入らない、という選択もあるんだろうが、何もせずダラダラ過ごすのは漠然とした不安がある。かといって他にやりたい事は今のところ思い浮かばないし……。


「そういう千春は? どっか入りたい部活あるの?」


 私は問いをそのまま千春に返す。

 大方、私の動向を見て決めるつもりなのだろう。この金魚のフンめ!


 ところが、助手席に座る千春からは、予想に反した答えが返ってきた。


「あるよー」


「え……?」


 マジ……?

 私の知っている櫛引千春は、最後の決断を自分でしない。

 今回の進学先にしてもそうだが、昔から何かを決めるのは私であり、周りにいる他の誰かだ。

 朝ごはんに何を食べるか。

 放課後に何をして遊ぶか。

 部活でどんな練習をするか。

 それを決めるのは彼女ではなく、周りの誰か。またはその他大勢の意志。


 つまり他人任せ。

 ただ、単なる日和見主義ではないのが千春だ。


 思うがまま流されているのではなく、お膳立てをしてから流れていくのが千春流の処世術。

 どうしたら自分が一番楽しめるか、コース設定をきちんとしてから流されていく。

 周りを誘導するのが上手いというか、何というか。

 それでいて、自分では何も決めていない。


 建設的日和見主義。

 そんな千春が主体的に部活を決めたとは思えないんだけど。


「……どこ? 何部?」


 私が警戒感を隠さず食い気味に尋ねると、待ってましたとばかりに助手席から後部座席に顔を覗かせた千春は、悪巧みの似合う眼をキラキラとさせ、ニヤニヤしながら言い放った。


「バスケ部」


「……はぁ?」


 車内に、私の素っ頓狂な声が響いた。


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