012 その訳を
櫛引千春視点
この練習試合は、突然決まったものだった。
――話は遡る。
先日、その日の練習を終えた夕方。
更衣室で制服に着替え、部室で待機していた時の事。
今日はストレッチの後、手でボールを扱うハンドリングの練習からタップ、ドリブル、シュート、パス、一対一と基礎練に終始。
少し物足りない感覚を手に残し、足元に転がっていたバスケットボールを拾っては、指の上で回してみたり、頭上まで投げてキャッチしたりしていた。バスケットボール特有のざらざらとした触り心地やズシリとした重みを感じる事で、物足りない感覚を少しでも紛らわす。
そうやってボールと戯れていると、部室のドアが開いた。
ボールをお腹に抱えるように持ち直すと、部室へ入ってきた人物を見る。
「みんなお疲れ様!」
「「お疲れ様です!!」」
部員が一斉に挨拶をする。
「ごめんねー、練習見てあげられなくて。 先生今日はちょびっとばかし忙しくてねー。 いやぁ、下っ端教師は下働きが多くて大変だわ」
ハニーブロンドの髪をツインテールにした幼女……ではなく、女バスの顧問である麻木レイラ先生。
親しみを込めて、部員たちからは『レイラちゃん』と呼ばれたりもする。
学校という施設内では余りにも目立つブロンドの髪に小柄な体型。
アーモンド型の大きな目。
正確には知らないが(禁句なので)、赴任してからまだ三年目だと言っていたので、二十五、六歳といったところだろうか。
白いブラウスシャツに紺色のタイトスカートを穿き、いかにも女教師といった格好をしているが、それでも成人女性には見えない。
「で、任せちゃったけど今日はどんな練習したの?」
レイラちゃんが、傍に立っていたキャプテンの中村詩織さんに尋ねる。
詩織さんは、透き通るような声で今日の練習について大まかな報告をしていった。
背の低いレイラちゃんに目線を向け、伏せられた瞼が瞬きをする度に、長い睫毛が優雅に動く。
ひととおり報告を聞き終えたレイラちゃんが、ありがとうと一言礼を述べて続ける。
「さて、先生今日は練習サボっちゃったけど、ちゃんとバスケ部の為にも仕事してたんだよっ!」
腰に手を当て、膨らみのない胸を張るレイラちゃん。
いや、サボったって言っちゃったよこの人。
「というわけで、突然ですが今週の土曜日、練習試合を組みましたっ!」
練習試合というワードを聞いて、部員たちがざわつく。
バスケ部に入部して、初めての対外試合だ。
「相手の学校が、どーしてもって言うから受けちゃいました」
そうして告げられた相手は、明青学院。
名前を聞いて、部員達がざわつく。
女子バスケ界では知らない人は居ない名門中の名門。
ウチの学校からは割と距離的に近い私立校だけど、女子バスケ界では、顔を合わせる事すら難しい遠い存在。
そんな相手が何故……という声が上がったが、聞けば相手は全員新一年生らしい。
そりゃそうだ、レギュラーチームが来たところでウチのチームじゃ練習にすらならない。
一年生相手でもまともな試合になるか怪しい。
意外な事に、向こうのアシスタントコーチはレイラちゃんの高校時代の先輩らしい。
向こうがウチのチームにどんな評価しているかは分からないけど、是非にというはある程度練習になると思ってくれているのだろうか。
「そうそう、『かやもりかえで』は出るのか? って電話口で聞かれたんだけど、誰か知ってる人いる? 良く分かんないから適当に濁しといたんだけど」
……知らないなら何故知らないと答えないんでしょうか、この先生は。
そう思いながら、手をあげる。
「あぁー多分、あたしの友達の事だと思います」
バスケでは有名なんで、と付け加えておく。
明青学院のヘッドコーチに、かなり熱心に勧誘されていたというのは楓から聞いた話だ。
それだけ評価されていたようだし、実際にウチの中学に足を運んでいるのも見たことがある。
今回の練習試合にも、楓に対する興味という面はありそうだ。
もしかしたら楓がバスケ部にいると思ってるのかもしれない。
「何よ、そんな有名な子が何でウチにいるワケ?」
そう言って首をかしげるレイラちゃん。
「今は、バスケやってないんですよ」
そう答える。
そうなの……と言って、何やら思案するレイラちゃん。
「……呼んじゃいなさいよ」
「え?」
聞き返す。
「上手いんでしょ? その子。 呼んじゃいなさいよ。 ホラ、助っ人的な? いや、別に他意はないのよ? でも、ウチにあんまり手ごたえなかったら、相手さんもガッカリしちゃうじゃない? 手ごたえなくて舐められるのも嫌でしょ?」
うんうん、それがいいわ! と、一人納得するレイラちゃん。
顧問としてどうなんだ、その発言……。
難しいと思います、と答える。
正直、楓を呼び出す事自体は難しくないけど、今の楓はバスケのバの字も聞こうとしない頑固者モードだ。
試合に出てと言って、簡単に首を縦に振るとは思えなかった。
「んー、それでも一応声掛けてみてくれない? いや別に負けるのが嫌なワケじゃないのよ? でもウチのチームは初心者の子も多いし、上手い子がいると色々勉強になる事もあると思うのよ! 」
うんうん、そうそう!と、一人納得するレイラちゃん。
そんなに負けるのが嫌なんですね……向こうのアシスタントコーチと因縁でもあるのかな……。
でも、良いかもしれない。
明青の一年生ということであれば、相手には間違いなく藤代 瑠雨がいる。
悔しいけれど、バスケに関する事ではもう、私では楓の心を揺さぶる事が出来ない。
関係性が、そういう領域になっている。
楓の中では、私とバスケは完全に分離した存在になっているんだと思う。
例えば、私が楓に一緒にバスケしたいと言っても無駄なんだ。
私と一緒にバスケがしたいという事が、楓の中で理由として成立しない。
でも、瑠雨なら違うかもしれない。
瑠雨は楓にとってはライバルといえる存在だ。
瑠雨とバスケは、楓の中で関連したものとして残っている。
彼女のプレーを見ることは、楓の気持ちに変化を起こすかもしれない。
考えに整理がつく。
「分かりました、当日連れてきます」
レイラちゃんに、そう答えた。
**********
そして迎えた練習試合。
目の前に現れた藤代瑠雨は、徐々にその実力通りのプレーを見せ始めていた。
1セット目の後半。
スコアは29-27。すばる高の2点リード。
一時は11点あった差が、瑠雨の連続ポイントであっという間に詰められていく。
その勢いに押されて、すばる側は完全に流れを失っている。
攻撃のアイディアも乏しい。
いたずらに時間を奪われた挙句、苦しまぎれのシュートを打たされた。
そのリバウンドボールを明青の選手がキープし、攻守が入れ替わる。
帰陣しながら、ボールの行方と瑠雨の位置を同時に視界に入れる。
相手のポイントガードが、ゆっくりとボールを運ぶ傍らで、静かに瑠雨がフロントコートへ侵入してきた。
慎重に間合いを測りながら、彼女と対峙する。
目にかかりそうなほど長い前髪が揺れ、目線がぶつかる。
深い青味のある瞳、その奥に映る世界はどんなものだろう。
瑠雨には私が、どう見えてるんだろう。
気圧されてしまいそうだ。
試合中に目が合うだけで、上下関係を嫌でも認識してしまう。
瑠雨が動き出す。
それに私は必死でついていく。
一度決め出したら止まらない。
今の状態の彼女をフリーにする事は、「どうぞ好きにゴールを決めてください」と言っているようなもの。
瑠雨にパスが出る。
「お姉ちゃん!」
カバーを呼ぶ。簡単にはやらせない。
姉の千秋が自分のマークを捨てて駆けつける。
二人がかりでプレッシャーをかける。ボールを奪いにいく。
これでどうだっ!
必死で食らいつく。
それでも瑠雨がシュートを打つ。
体勢を少し崩しながらも、私たちが上げたブロックの手を掻い潜るようにボールが放たれる。
弄ばれたいのかもしれない。
私は必死になっても追いつかない、到底及ばない存在を見て、自分の立ち位置を知りたい。
心底凡人なんだと認めたい。諦めたい。
ボールの行方を目で追う。
リングに吸い込まれ、乾いた音を立てながら落ちていく。
ははっ。
笑えてくる。
あんなに簡単に入るのものなのか。
膝に手を突きながら、ちらりと楓の座るベンチの方を見る。
楓は、真っすぐ瑠雨を見ていた。
唇を噛み、強い視線を送る。
……なんだ、まだそんな顔出来るんじゃん。
**********
ビ―――――ッ。
ブザーが鳴り、試合が終わる。
31-37。
終わってみれば、明青学院の勝利。
……善戦したとは思うけど、やっぱり地力が違ったなぁ。
得点板を眺めながら、そう考えていると、私の元に瑠雨が近づいてきた。
「千春、お疲れ」
「おっす」
短く挨拶を交わす。
「……相変わらず、エゲつないシュート打つのね、アンタは」
息も絶え絶えに、皮肉の一つでも言ってやりたい気分になる。
「そういう千春は、全然変わらない」
「ははっ。 そりゃどうも」
変わらない。
悪意は無いと思うけど、それはきっと良い意味で言われた言葉じゃないんだろう。
「千春、教えて」
「ん?」
「楓は、何で制服着たままなの? 試合には出てくれないの?」
そう私に尋ねる瑠雨。
「アイツ、バスケ部じゃねーんだわ」
「そうなの?」
「うん」
短く答える。
「なんで?」
「困ったことに、それが良くわかんないだよねぇ……」
ホント、困ったもんだ。
「どうしたら良い?」
「ん?」
聞かれた意味が良く分からず、聞き返す。
「私に何か、出来る事ある?」
ははっ。と、思わず笑ってしまう。
私に何か出来る事はあるかって?
楓の顔見てみなよ、今朝とは全然違う顔してる。
今もまぁ、大層熱い視線をぶつけてきちゃって。
……妬けてくるよ。
瑠雨はそうやってプレーするだけで、楓の刺激になってるんだよ……。
そんな言葉をのみこんでから、口を開く。
「そうだなぁ……。 楓はプライドが高いから、瑠雨があいつの頭が沸騰しそうなぐらいムカつく感じで挑発したら、意外とノってきたりするかも?」
バ――カ。みたいな?と付け加える。
勿論、冗談だ。
「分かった、やってみる」
そう言うと、すたすたと楓の方へ歩き出していった。
え? マジで言う気なん?
瑠雨が楓の目の前に立った。
「いつまでイジけてんだ、この腑抜け。 そんなに皆に構って欲しいのか? そんな事したって、誰もかえでなんか見ないし。 構って欲しかったら、逃げてないでさっさとかかって来い」
うっわぁ……、何たる棒読み。棒セリフ。
ば――か。まで言ってるし。
そんなんじゃさすがに楓もわざとだと気づくだろ……。
瑠雨が居なくなり、瑠雨に隠れて見えなかった楓の顔が見える。
見たことない表情をしていた。
内股気味にギュッとスカートを握り、顔を真っ赤にしながら俯いている。
その顔は怒っているというより、恥ずかしがっているような表情に見える。
なんだよ、その顔……。
しばらくして、楓は意を決したように席を立つと、ベンチに座る顧問のレイラちゃんのところへと歩き出す。
楓がレイラちゃんの目の前に立つと、貧乏ゆすりしながら、爪を噛んで悔しそうにしていたレイラちゃんが顔を見上げた。
楓が口を開く。
「麻木先生、部活の体験入部期間って、来週の月曜までですよね?」
ほへっと、レイラちゃんは一瞬何を聞かれたのか分からないようなリアクションを取ったが、やがて理解したのか、「え、えぇ、そうよ?」と答えた。
楓が一呼吸、大きく息をしてから言う。
「体験入部したいです、バスケ部に。 入れてもらえますか?」
言った。
あぁ……。
初めから分かってた。
やっぱり、私じゃダメだったんだな。




