2話 『少女に名前がついた日』
「お、おじゃまします⋯⋯」
「おう、家賃激安だから少し小さいが遠慮しないでいいぞ」
少女はヘルフに言われるがままに家の中へ入った。
ヘルフの家は木造で出来ている。廊下を進みリビングへと入ると、小さめのテーブルと小さめのソファーがひとつ並べてあり、天井には簡単な電球がひとつぶらさがっているだけだった。
「さ、ソファにでもなんでも座ってくれ。今お茶を淹れる」
「⋯⋯は、はい」
少女言われるままにソファにゆっくりと腰をかけた。しかし、あまり落ち着かないのか、少女はずっとそわそわしていた。それを見たヘルフがお茶を少女の前に起きながら尋ねた。
「どうした? やっぱり落ち着かないか? 悪いな。何しろ激安家賃じゃないと払っていけないからこんな小さい家になっちまったんだ」
「⋯⋯い、いえ。それは全然気にしませんですけど」
少女は気まづさを紛らわすようにお茶を1杯口に含んだのち、熱かったのか口を抑えて飛び跳ねていた。
「ど、どうした? 熱かったのか?」
「⋯⋯そ、そうです。すみませんでした」
「お前、なかなか可愛いリアクションするんだな」
「⋯⋯い、いえそんなことは⋯⋯」
ヘルフがそういうと、少女は顔を赤らめて下を向いてしまった。
それと同時、ヘルフは忘れていたとでも言いたそうな顔で尋ねた。
「なぁ。お前の名前ってなんだ? そういや会ったとき名前聞かなかったよな?」
ヘルフが言うと少女は赤顔した顔から一変、暗い表情に変わり言った。
「⋯⋯私に、名前はないのです。さっきも言いましたが私は捨てられた身なのです。名前など、あるわけがないのです」
「そうだったのか。悪いな。暗いこと聞いちゃって」
「⋯⋯いえ。あなたは悪くないのです。悪いのは私を捨てた人なのですから」
言って少女は俯いてしまった。そんな様子の少女を見てヘルフは重くなった空気を振り払うようにして言った。
「そうだ! 名前を決めよう! お前の名前だよ! そうすれば名前聞かれたとき困らないし、お前も嬉しいだろ?」
「⋯⋯名前を決める、ですか。あなたが決めるのですか?」
「ああ! そういや俺の名前を教えてなかったな。俺は名前はヘルフ。ヘルフ・ホルステンだ。俺がお前の名前を決める!」
そういうとヘルフは立ち上がり、考えている仕草を見せ、閃いたように手をぽんと打ち、少女を指差し言った。
「よし決めたぞ! 今日からお前の名前は「モニカ」だ。どうだ? いいだろ?」
「⋯⋯モニカ?はい。すごくいいと思います」
ヘルフが決めた名前に少女は納得した様子を見せた。
「そうだろ? よかった気に入ってくれて。今日からお前はモニカ・ホルステンだ。よろしくな」
そういって手を差し伸べてくるヘルフに対し、少女──モニカ・ホルステンは手を差し伸べ、2人は握手を交わした。
「⋯⋯あのえーと⋯⋯ヘルフさん」
「ん? なんだ?あ、あとヘルフでいいぞ」
洗い物をしているヘルフに対し、モニカが声をかけてきた。
「⋯⋯あ、じゃ、じゃあヘルフ。あの、ここにお風呂ってありますか?」
「お風呂? あー」
そう言いかけてヘルフは思い出した。今のモニカの姿は泥が身体中についている状態で、本当だったら家に上がれる姿ではないのだ。しかし、ヘルフはお風呂よりも先に名前を決めたり、お茶を出したりしていたため忘れていたのだ。
「こっちだ。ついてきてくれ」
モニカはヘルフの言う通りにあとをついて行った。
「ここが風呂だ。風呂も小さくて悪いな。年頃の女の子は風呂でゆっくりしたいのに、これじゃしにくいよな⋯⋯」
「⋯⋯そ、そんなことは」
頬をポリポリとかき苦笑するヘルフに対し、少女も苦笑を返した。
「着替えはこの桶に入れておいてくれ。あとタオルはこれだ。そして着替えは──あ」
風呂に入る前にいろいろと説明していたヘルフだがあることに気がついた。そう。それはモニカの着替え──つまり女の子の服がないということだ。それも当然といえば当然だ。ヘルフは一人暮らし、それも男だ。あるわけがないのだ。もし持っているとしたら、それは女の家族がいる人か、そういう趣味を持つ人間だけだろう。
「⋯⋯どうかしたのですか?」
ヘルフが考えていると、モニカが不思議そうな顔で話しかけてきた。深く考え込んでいたため様子を伺ったのだろう。
「あ、ああ。なんでもな──くはないな」
「⋯⋯どういうことです?」
意味が分からずといった様子のモニカが首を傾げる。
それに対してヘルフは女の子用の服がないことを説明した
「⋯⋯なるほど。それで悩んでいたのですね」
「あ、ああ」
すると今度は少女が悩み込む仕草を見せ、数秒したのちに口を開いた。
「⋯⋯今日は、その、ヘルフの服で大丈夫です⋯⋯」
気まづそうに言うモニカに対し、ヘルフはなんだかモニカが可愛く見え、白い綺麗な髪の毛をわしゃわしゃとやった。すると、モニカは驚いたような様子で言った。
「⋯⋯!な、なんですか?いきなり」
「いや、ちょっとモニカが可愛くってな。じゃあ今日は、俺のを着るってことで。脱衣所に置いておくよ」
「⋯⋯あ、ありがとうございます」
そういうとヘルフはそそくさと脱衣所から出ていった。
「⋯⋯はぁ」
モニカは湯船に肩まで浸かりながら小さくため息をついた。
今日はいろいろなことがあった。小さな小屋で雨宿りをしていたらいきなり男が入ってきて、入ってきたと思ったら話しかけてきて。そこでモニカは拒否したが、今度は家に来ないか?なんて言ったりして。そしてなによりも名前をつけてくれて。モニカはさっきまでのことを思い出し、力なく苦笑した。
「⋯⋯モニカ、ですか。良い名前です」
そんなことを考えながらモニカは充分に体を温めてから、湯船から上がり脱衣所へと向かった。