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経験が想像力を殺す。

そういや、最後に焚き火をしたのはいつだったか……。

 現代日本人が、異世界(歴史系も含めて)に転移、転生。

 まあ、いろんな意見があるようですが、チート系、リアル系にかかわらず、私は好きです。


 異世界が近代社会というパターンもありますが、そういうのはひとまずおいといて。

 知識チートなり、内政チートなりの前提にあるのは、主人公が転移、転生した世界において『現代日本よりも遅れている分野がある』ってことじゃないかと思うんです。

 主人公の知識が、『異世界の現状から進化した先にあるもの』という前提ですね。

 もちろん、『異なる価値観』という側面もあるんでしょうが、それを前面に押し出した作品は、割合としては少ないように思います。

 異文化交流によるブレイクスルーなんかも燃える展開ですけど……難しい分野ではあるんでしょう。


 まあ、文化の発展および流れというのは、歴史的な必然が存在したりするので……物語の進め方によっては、読者の反応があらぶったりするようです。

『それはおかしい』とか『無理』とか……まあ、そういう感じに。

 私個人としては、物語に必要なのは現実感のある嘘であって、現実そのものではないと思ってます。

 もちろん、どこからどこまでが『現実』なのかって線引きは曖昧にならざるを得ないのですが。


 ただ、仮にですが、誰かが書いた『高校野球を舞台にした、甲子園を目指しつつラブコメする物語』に対し、『甲子園を目指す高校球児にそんな暇あるわけないだろ』などと、抗議したところで何か意味があるのかと。

 ネタとして仲間内で笑い話にするぐらいならともかく、『ガチの高校球児とはこういう生活をしている。だからこんな話はありえない』などと否定したところで……ましてやそれを作者に抗議して、誰得なの、と私は思います。

 そしておそらく、この手の会話はすれ違うだけでしょう。

『高校球児はこういうものだ』という主張と『これは創作物で、私はこの設定でラブコメが書きたい』という主張に接点があるとは思えません。

 いわゆる、噛み合わないというやつですね。


 とまあ、これは極端な例ですが、良くも悪くも、人は『実体験という価値観にとらわれる』ことが多いです。


 まあ、休日は1月1日の元旦だけ、毎日の帰宅時間は夜の11時頃……みたいな高校生活を送っていた昭和の高校球児からすると、心があらぶっても仕方ないのかもしれませんが、物語という創作に現実を求めることこそがナンセンスじゃないかと。(笑)

 物語に必要なのは、リアリティのある嘘で、リアルそのものではない、と。

 ついでに言うなら、リアリティのある嘘は、物語を面白くするためにあると私は思います。


 リアルの高校球児の生活を語られて、それを読んで単純に面白いと思える人間は多くないと思います。

 面白いとしても『へえ、高校球児ってこんな生活をしてるんだ』という、雑学知識を得るという面白さではないかと思います。

 主人公が生活の全てを野球になげうち、遊びも、勉強も、交友関係も捨てた描写を書き連ねて。

『最後の夏も2回戦で終了。まあ、現実ってのはこんなもんだね、ハハッ』などというエンディングを見せられて絶賛する人はやはり少数派かなあと思います。

 そういうお話を書くなら、書き手の主題は『高校球児の生活』であり、それを喜ぶ読み手は『高校球児の生活を知りたい、もしくはその意外性を楽しむ』という視点ではないかと。

 そもそも、フィクションで味わうまでもなく、現実においてリアルはお腹いっぱいって人の方が多いでしょう。


 例えば……毎日残業で家に帰るのはいつも日付が変わってから。

 調べてみたら、1年で日付が変わる前に会社を出たのは3日しかありませんでした。

 週に3日は会社で3時間ほどの仮眠を取る生活で、週に1日は徹夜で仕事をしています。

 労働基準法ってなんですか?

 週休二日って、どこの異世界のお話ですか?

 入社して1年で、知人に心配されるぐらい白髪だらけになりました。

 そんな社会人生活を克明に綴る物語は……現代日本ではものすごく共感されそうですね。(笑)

 まあ、読んで共感はされても楽しめはしないでしょう。

 せいぜいが、『俺だけじゃない』と自分を慰めるか、『こいつよりはマシ』と自虐気味の昏い喜びを味わうぐらいではないかと。

 もちろん、社会派小説とか、純文学とかの、『人はどう生きるべきか』的なテーマがあるなら、また話は別です。

 それは、読者を楽しませるのではなく、『読者に考えさせるため』に書かれた物語と言えるでしょうから。

 リアルを書く、もしくはより残酷な、リアリティのある嘘を必要とした物語ということでしょう。

 ただ、読んで楽しむような物語としては……どうかなあと。

 自分が共感できるリアルを、そしてその結末を、昏い未来を描写されて、それを心から楽しめるかというと……。


 苦労話だけを書かれても読者としては楽しくないし、当たり前の日常を書かれても、読者としては共感しても楽しいかどうかは別物でしょう。

 読者を楽しませるなら、どこかに非日常は必要だし、苦労にはリターンが必要になってくると思います。



 さて、ちょっと話題を変えて……。

 異世界の、知識チートというか、内政チートでよく題材にされる農業チート。

 農業の知識を持っている人から見ると、色々と思うところはあるでしょうが……専門家でもある農家でも、立場が違えば、経験や考えも違ってきます。


 20メートル四方の畑を狭いとみるか広いとみるかは人それぞれでしょう。

 農業とは無縁の一般人なら広いと思うかもしれません。

 もちろん、一般人でも土地持ちの金持ち(一般人?)と、借家住まいの一般人とでは、反応は変わってくるでしょう。

 これは当然、同じく農業に関わる人でもいろんな反応があります。


 まさしくリアルにこの広さの畑を持っている農家が言うには、『必要とされる肥料の量、種類は、同じ畑の中でも場所によって変わる』そうです。

 道路に面している部分は何らかの影響があるのか……リン系の肥料を多めにとか。

 この北西の部分は、少し地質が違うから……とか。

 この畑は、この季節にこちらから風を受ける……茎を丈夫にするためにこの肥料を、とか。

 これは、10年以上かけて、トライアンドエラーを繰り返し、現状の最適解を探し続けた結果なわけです。(もちろん、現状は変化していく)

 こういう人から見れば、知識だけで、画一的に農業なんてできねえよ、と思うのは自然なことでしょう。


 ただし、これもまた狭い価値観であります。

 そもそも、彼の知識と経験が、別の場所の畑でそのまま通用するかと言われたら疑問でしょう。

 もちろん、ある程度の最適解に近づくための数年を短縮することは可能でしょうけどね。


 そして、何十ヘクタール(1へクタールは100メートル四方の広さ)もの畑を持つ農家の人間からすれば、『そんな細かく畑の手入れをしてたら、いくら人がいても足りねえよ』と反論されるでしょう。

 労働力には限界があり、何十ヘクタールの広さの畑を世話するうえでの最適解を探し続けて……の経験と価値観なのは言うまでもありません。

 逆に言えば、狭い畑しか持たない人間だからこそ、そこまで手間をかけられるのかもしれません。


 人は、与えられた状況で最善を尽くそうとする。

 そして人はひとりひとり与えられた状況が異なる。

 それゆえに、人の経験および価値観は、ひとりひとり異なる。


 まあ、当たり前と言えば当たり前のことですけどね。

 だからこそ、自分ではない他人が書いた物語は面白いし楽しめる……と私は思ってます。

 自分とは違う視点や価値観に触れることができますから。


 ぶっちゃけ、全員を納得させる話なんて無理じゃないのかなあと思います。

 なんせ、20~30年経ったら、学校の教科書の中身が変わっちゃいますからね。(笑)

 土曜日の半ドンとか、若い子に『?』って表情されましたよ。


 というか……2学期制って、なんなの? 




 さて、繰り返しになりますが、『人は実体験という価値観にとらわれる』ことが多いです。


 ちなみに、私はかつて高校球児でした。

 たぶん、一般人よりは野球に詳しいと思います。

 知識は力ですが、知識は枷にもなります。

 知識があるからこそ、『実体験』があるからこそ、書けないお話が多くなります。

 ネタを思いついたところで、『ああ、こんなこと無理だ』って思うことが多いですから。

 無意識レベルにおいて、私の想像力は『経験』に殺されていると言えるでしょう。


 大人になると分別くさくなるとか、若者は無鉄砲とか……歳を重ねる(経験を積む)ことによって、想像力が殺され、いわゆる常識に近づいていくんでしょうね。



 と、やや脱線気味の前置きはこのぐらいにしておいて。(笑)

 異世界のメジャーどころとしては、剣と魔法の世界。

 旅があり、世界の危機もあるかもしれない。

 でも、変わるものがあれば、変わらないものもある。

 物語として、その世界に人(近似も含む)が生きているのは、確かでしょう。

 なので、生活の基盤に目を向けましょう。


 例えば、人が生きていくうえで必要な水。

 ある意味当たり前すぎるので、舞台が異世界であっても、読者がすんなりと受け入れてくれるのは間違いありません。

 まあ、完全異世界で、水を必要としない世界を描くなら話は別ですが……そこまで踏み込んだ物語はやはり少数派でしょう。

 もちろん、空気もそうですね。

 異世界に転移した人間の99%は、大気の構成が別物ですぐに死にました……みたいなネタは、一発ネタならともかく、生物学や、生理学の知識も必要っぽくて難しそうです。

 以前、『塩のない異世界について描かれた物語』を読んだことがありますが、内容がかなりマニアックでした。

 とりあえず、人間に塩が必須なのではなく、塩が身体にもたらす化学反応が必要なのであって、それを代替できる物質があれば必須ではないということしか理解できませんでした。(笑)

 今思えば、体内に取り込んだ魔力がそれを補うとすれば……一風変わった異世界を描けるかもしれません。


 さて、ようやく本題ですが、人の生活とは切り離せない『火』について触れてみたいと思います。

 最近、たき火禁止などとネタとしてはよく聞くのですが、実際はどうなってるんですかね?

 まあ、どちらにせよ現代日本において、たき火というか、『火の管理』という意味で、知識や経験が散逸しつつあるのは間違いないかなあという気がします。

 もちろん登山などのガチ勢は抜きにしてですが。(笑)


 舞台が異世界であろうと、人の生活を描く上で避けて通れないのが、この『火の管理』。

 内政チートでよく登場する、塩、鉱業などでも、ダイレクトに影響してきます。

 森林資源は有限ですからね。

 製鉄で禿山に……そして大災害なんてお話は、現実でも結構転がってますし。

 火を使うといえば、料理なんかもそうですね。

 現代日本人で、薪を使って料理したことがある人間はどのぐらいるでしょうか?

 まさか、『薪って炭と同じじゃないの?』などと考えてはいませんか?

 ついでに言うと、『薪はちゃんと時間をかけて乾燥させないと薪にならない』し、資材としての木材も、木を切ってすぐに使えるわけでもない。

 船を造る木材は、自然乾燥なら2年や3年は乾燥させるという話を聞いたことがあります。

 戦争準備のため、木を切って船を作れ……というのは簡単ですが、この知識があるかないかで、内容が変化するのではないでしょうか。


 いや、別にみなさんの想像力を殺そうとしているわけではないのです。

 新たな想像力を得るための踏み台としてのお手伝いを。(笑)

 まあ、私たちの生活に身近な『火』についての知識は、あって困るものでもないと思いますし。


 私の故郷はかなりの田舎だったので、機会に恵まれていた方だと思います。

 例えば、燃えるゴミは家の庭で燃やすのが普通でした。

 それが普通の世代でしたし、地域でもありました。

『火』を扱うという経験に関して、恵まれた状況だったと言えるでしょう。

 もちろん、子供の火遊びは禁止とか、『火の扱い』に関して、周囲の大人から指導と注意をされてきたのは、それだけ身近にあったからでしょうね。

 まあ、子供の火遊びは禁止なのに、親に言われてごみを燃やすんですけどね。(笑)

 火の管理も含めた仕事というか子供としてのお手伝いだったわけです。(遊びじゃない)

 そりゃあ、火の始末は大事ですから……ちゃんと見守らないといけません。

 風の強い日は、色々と気を使いますし……火のついたゴミが飛ばされて、それが原因でやらかしたら村八分ですよ。

 家じゃなくても畑もあるし、稲を干してる時期なんか……洒落になりません。

 当然、落ち葉も燃やします。

 野焼きなんかも、普通にありました……近所のおっちゃんが、一度やらかしましたけどね。(笑)

 周囲から責められて、引っ越していきました。

 反面教師として、ものすごくためになりましたけど。


 そういう感じで、子供の頃から、火をつける、物を燃やす、火を消さないなど、多少のなれというか生活の一部としての経験が私にはあります。

 少なくとも、私にとって『火』はわりと身近なものでした。

 ただ、それでも私より年配の人間の経験と知識には勝てません。

 私は所詮、ガスと電気と育った世代ですからね。

 生活と『火』の密着度が全然違います。

 あくまでも、私と同世代の人間の平均より上……という程度でしょう。

 それでも、たき火禁止の真偽はともかく、現代日本で、しかも都会で、今の子供が私と同じような経験を積めるかどうかと聞かれたら、答えはノーでしょう。


 まあ、同じような経験をしていても、たき火に関しても上手い下手はあります。

 薪を投入するタイミングとか……炎がピンと立ってないのは空気の通り道が詰まり気味だからだとか、わかる人間と分からない人間はやっぱり存在してました。

 私も、下手ではないけど上手くもないという評価をされてましたね。

 上手い人間がたき火をすると、本当に綺麗に燃え尽きるんです。

 下手な人間がやると、燃え残りが存在したり、ムラになったり……ゴソゴソと細かくいじりすぎて、火が消えそうになったりとか。

 それは結局、薪という資源を無駄に使用するという意味なので……現代日本ならともかく、『たき火が身近な生活の異世界』なら、それが上手いか下手かで家の財産にまで関係してくることになります。

 木が資源で、山や森が村の共有財産だとしたら……他人に頭を下げるか、代価を払って薪を手に入れる必要に迫られることになります。

 というか、街の生活なら『薪なり炭は購入するもの』でしょうしね。


 たき火の技能に関して触れた物語は、あまり目にしませんが……重要だと思いませんか?

 たき火を知っている人間は『たき火にも上手い下手がある』と理解してますが、それを知らないと『たき火?燃やすだけだろ?なにか違いでもあるの?』と思うかもしれません。

 もちろん、そんな細かい描写をしたところで、読者に共感してもらえるかどうは不明ですが。(笑)


 さて、『火』といえば料理です。

 私の最初の失敗談をひとつ。

 子供の頃なんですが、カップめんを食べようと思って焚火で湯を沸かそうとしたんですよ。(12月頃)

 落ち葉やら枯れ枝を集めて、ファイヤー。


 ふんふんふん。

 ふんふん。

 ふん……。


 火力が足りないのかな?

 じゃあ、もっと枯葉や枯れ枝を投入して……どうだぁ。


 いつまでたっても湯が沸かん。(笑)


 料理ネタで多用される『カップ麺は料理じゃない』ですが、カップめんすら作れなかった私は、負け犬以下なんでしょう。

 人並みですが、この失敗を通して私は思いました。


 ガスってすごい。(子供感)


 ついでに、やかんがススだらけになって、洗っても汚れが落ちなくて、しこたま怒られました。


 正直、この頃はカマドって、風を防ぐために作ってると思ってました。

 でも、この失敗で分かりましたというか、教えてもらいました。

 火が燃えるには酸素が必要というか、野外で組み上げるカマドは、新しい空気を供給しつつも、『熱を逃がさない』ために作るんだって。


 言われてみれば、現代社会の台所。

 コンロ周りは、銀板というか、熱を反射するもので囲まれていますね。

 熱を無駄にしないというか、効率的に活用するための工夫です。

 効率はそれに劣るとしても、熱を四方八方に拡散させないために、カマドを作る。

 正直、あの失敗がなかったらすぐにピンと来なかったと思います。

 そう思うと、あれはいい経験をしたのかなあと。



 以前別の話で書きましたが、私が通ってた中学校の春の遠足(5月)はこんなイベントでした。

 山まで歩いて行って、飯盒炊爨(飯盒炊飯)。

 5~6人ほどのグループに分かれて、河原の石を使ってカマドを作り、飯盒で米を炊く。

 もちろん、オカズも作ります。

 そのへんの判断は自由で、別にレトルトでも構わない……というか、失敗したらごはんが食べられないだけ。


 昭和の時代らしい、そして田舎らしい、おおらかなイベントです。

 ただし、学校から支給される炭は、飯盒分のものだけ。

 つまり、オカズを作ることに関して燃料は現地(山)調達か、自分たちで用意するしかありません。

 ちなみに水は、近くの神社か、近くの公園から調達します。

 当然、時間制限もあります。


 さて、このイベントで1年生はたいていひどい目にあいます。

 田舎とは言え、炭や薪で料理をしたことある人間なんか、ほとんどいませんでしたから。

 失敗例を挙げると、キャンプでは定番のカレーに挑んだ某グループ。


 湯が沸かん。(笑)


 繰り返しますが、春の遠足で、5月です。

 冬じゃなくても、湯が沸かないのは普通にあることです。(笑)

 つまり、飯盒の分の炭を学校側が用意してくれているのは、せめてもの慈悲です。

 飯盒に関しては、各グループのモノを集めて、教師の指導つきでやりますからね。


 兄や姉がいる生徒は、前もって情報を仕入れているからあれなのですが……このイベントにおいて、カレーを作る時は、前もって家で下ごしらえした(炒める、熱を通す)材料を持ってくるのが正解です。

 もちろん、これは失敗例なので……ちゃんと現地で調理したグループも居ましたよ。

 炭をグループで持参してきてましたけどね。


 別の失敗例として、焼肉。(鉄板持参)

 キャンプでバーベキューを経験していたらしいですが、彼らは炭の偉大さを理解していませんでした。

 枯葉や枯れ枝に熱せられた鉄板の上で、生焼けの肉が踊る。(笑)


 人はなぜわざわざ炭を作るのか。

 得られる熱量が段違いだから。


 実際に調理してみると実感できるのですが、炭はすごいです。

 薪とは違うのだよ、薪とは、って感じですね。

 そりゃ、薪を使うなら料理は火加減が大事って話にもなりますわ。

 味噌汁は、味噌を入れたあと沸騰させないようにね……とか、カマドの火加減って、スイッチ一つで切り替わらないですし。


 たき火スキルは、料理にも影響します。

 薪を使って、火力を安定させるってとても重要。

 ついでに言うと、火力を必要とする料理は厳しい。

 逆に言えば、高火力の原料、そして火力を安定させられる原料が登場して、料理は劇的に発達し始めたとも言えるのではないかと。


 そして、さっきもちょっと触れましたが……料理をするってのは、薪を大量に使用します。

 昔、朝にご飯炊いて……夜に残りを食べるとか、納得ですよ。

 もしくは、夜の残りを朝に食べるとか。

 いちいち調理とか、温め直しとかしてたら、薪がもったいないもん。

 ひとつの集落で共同の竈があるとか、実際に薪で調理すると、なるほどって思います。

 各家庭がバラバラにするより、まとめてやったほうが経済的。

 山や森が資源というか、争いの種になるのも無理はない。


 これが日本じゃなく、外国ならどうでしょう。

 村でパンを焼く日とか、そのまんまですね。

 逆に、来客の多い貴族とか、常に竈に火を入れて、準備してないといけません。

 お客が来たら、待たせずにお茶を出す。

 これって、どれだけ無駄に薪を消費し続けるんだよとか思います。

 森林資源の少ない地域とか……まさに富の象徴ですね。


 これも別の話で書きましたが、料理が発達するためには経験が必要です。

 経験を重ねるためには、食材と燃料が必要になります。

 森林資源の限られた地域において、料理というジャンルは結構ハンデですよね。

 いろいろ試そうとすると、薪という資源を浪費することになりますから。

 資源と、それだけの情熱が必要になります。


 などと、『実際に薪(枯れ枝)で調理する』だけで、いろんなことが腑に落ちたりします。


 ただし、こんな経験もまた、想像力を殺す枷になります。

 経験は貴重な財産ですが、『そんなことできるわけがない』などと、意識できないところで発想を殺してしまうかもしれません。

 物事は表裏一体。

 良いことがあれば、必ず悪いこともあるということでしょう。



 さて、料理にも少しかぶりますが、異世界といえば、やはり旅でしょう。

 物語の上で、『人の移動』は欠かせません。

 もちろん、定住モノを否定するわけではありませんが、おそらくは少数派。

 むしろ異世界モノで旅を描くのは必須。

 毎回毎回描写する必要はありませんが、旅の視点は、異世界をイメージさせるチャンスでもありますし。


 うん、魔法で瞬間移動はおいとこう。


 そして旅といえば野宿。

 野宿といえば、たき火。 

 実際の旅における、水の確保とか、食料の確保とか、たき火の燃料の確保とか、色々と問題はありますが、最初から細かいことに目を向けてはいけません。


 さて、野宿の経験はありますか?

 キャンプじゃなくて、野宿。

 門限破ったからと、家から締め出される家庭は多くはないでしょうけど……躾の一環として、軒下やガレージでひと晩過ごす子供だっているんです。


 いるんです。(真顔)


 まあ、そうする家庭でも大抵は夏というか、暖かい時期だけでしょうけど。

 世の中には、冬でも締め出す気合の入った家庭が存在します……それを聞いたときはさすがに私も『マジか……』と思いましたが。

 たぶん、今なら虐待ってことになるんでしょうね。

 付け加えるなら、家出をするなら野宿の時代でした。

 昭和の時代で田舎ですからね、家出なんかにしても、友人や知人の家にお邪魔するなどできませんし、ネットカフェやコンビニなどの避難場所もありません。

 どこかの農家の畑のそばの物置小屋や神社の軒下、もしくは橋の下や学校などの公共施設で夜を過ごすのが初心者(すぐ見つかるから)で、森や山などを転々としつつ数日にわたって親から逃げまくる上級者に至っては正直どうなんだろうと思いましたが、いろんなアドバイスが聞けましたから良しとしましょう。

 まあ、私の故郷は温暖な地域だったので……夏季の野宿は、初心者でも1日2日はどうにでもなるイージーモードと言えましょう。

 ただ、野宿をすると、屋根のありがたみがわかります。

 床があるだけで天国です。

 落ち葉って暖かい。

 地面の上で寝転がって眠るのと、木に寄りかかって眠るのとどっちが楽かとか……寝ている間に地面に熱を奪われ続ける体力消耗がバカにならないことも分かります。


 言うまでもありませんが、温暖な地域とは言え、やはり冬はハードモードです。

 異世界に限らず、現代日本でもたき火は必須技能かもしれません。


 まあ、私は好んで冬に野宿をしようなどとは思いませんが、野宿せざるを得なかった経験があります。

 これは、以前被災した時のお話。

 ぶっ壊れた建物の廃材というか……まあ、薪にして火を燃やし、同じく被災していた人たちと暖を取っていたんですが。

 老人が、首をかしげながら言ったんです。


 暖まりたいなら、火に背中を向けないと。


 実際にやってみたら、確かに背中を向けたほうが暖かいんですよ。(主観です)

 背中を温めて、身体の前をコートなり、毛布でおおう感じ。

 うわあ、老人の知恵ってこういうものか……などと感心した記憶があります。

 たぶん、老人にすれば『あんたら、なんでこんな常識も知らないの?』って感じだったんでしょうね。


 まあ、それを傍から見れば『全員がたき火に背を向けている』わけで、異様なシーンでしょうね。

 あくまでも『暖まりたいなら』という目的であって、火を囲んで語り合うには不向きなのは言うまでもありません。


 ただ、こんな余計な知識と経験をしたせいで、たき火で暖をとるシーンでモヤっとするようになりました。(笑)

 そういえば、昔のアニメでたき火に背を向けて眠るシーンがありましたが、もしかするとあれは明るいからじゃなく、その方が暖かいからだったのかも……。



 これはまた別の老人ですが、たき火の中に石を入れるんですよ。

 理由を聞けば、『火がもったいない』と。

 何をするのかと思えば、焼けた石を水の中に投入……ぬるま湯の出来上がり。

 それを使って、身体を拭いたり、手や足を洗ったり。


 寝るときは、焼けた石を布で包んで……ああ、時代劇なんかの懐石ってこういう……などと感心しました。

 でもこの老人、たき火に背中を向けるのは知らなかった模様。(笑)

 同じ老人でも、別の経験というか、知識を持っているってことなんでしょう。

 当たり前と言えば当たり前ですが。



 とまあ……知らない人間からすれば、こういうちょっとした描写が『異世界の生活感』などを与えてくれるかもしれません。

 もしくは、非日常の実感を。

 想像力を殺されるだけじゃもったいないので、活かす方法を考えるのも楽しいですよね。

 そういう意味では、やはり知識は力なのでしょう。


 経験は想像力を殺すかもしれません。

 でも、『無理』だとしたら、『どうすれば無理じゃなくなるか』を考えることで、リアリティのある嘘を描く助けになるでしょう。

 言葉をかえれば、説得力のある嘘。

 そしてそれは、おそらく新しい想像力を生むきっかけになるかも。



まあ、知らないからこそかけるお話はあると思います。

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― 新着の感想 ―
[一言] 知識は想像力を形にする為の道具にすぎない気がします。 鉛筆なら誰でも簡単に絵が描けるけど筆やスプレーガンだと描くのは難しくなりますが頑張って使いこなせるようになると鉛筆の絵よりもクォリティ…
[良い点] 良きまとめです。 [気になる点] 経験が想像力を殺すというより、経験も想像力も上手く使えてないから、つながりに突っ込まれているんですよって事な気がするんですけどね。 [一言] 甲子園の話は…
[一言] 以前、この件で友人と喧嘩になりかけたことがあります。 友人が書いた異世界トリップ系の小説の導入部を読んだのですが……主人公は現代にほんのごくごく普通の女子高生で、自室にいたところをさらわれて…
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