1‐7 流れ者が歩む道に(2)
身なりのいい男に連れられてこられた場所は、視界に入らないほど大きなお屋敷だった。慣れないワンピースの上に上着を羽織り、赤い髪をリオからもらったバレッタで留めて、私はキースとラッセルと共に屋敷の門をくぐった。
丁寧に整えられた、綺麗な庭が広がっている。ラッセルはきょろきょろとしていたが、キースは澄ました表情で真っ直ぐ進んでいた。ラッセルのように視線を巡らせていては、田舎者だと思われてしまう。凝視したいのを堪えて、じっと前だけを見ていた。
荘厳さは屋敷の中に入っても変わらず、目映いくらいのシャンデリア、汚れていない床が私たちを出迎えてくれた。
男は屋敷の中央にある階段に上り、右側の通路を歩いていく。廊下の中頃にあるドアの前につくと、軽くノックしてから声をかけた。
「ご当主様、三人を連れて参りました」
「中に入れろ」
「かしこまりました」
男が扉を開け、中に入るよう促されると、キースが先頭を切って入っていった。その後ろを私は足早に追う。
部屋の奥には、銀色の髪の壮年期の男性が座っていた。手前のソファーでリオがむすっとした表情で、膝を抱えている。リオは私と視線があうと、ぱっと顔を明るくして、駆け寄ってきた。そして私の腰のあたりに腕を回して、抱きついてくる。
「よかった、無事で……」
表情を緩まして、少年の頭をそっと撫でる。
「心配かけて、ごめん。リオは大丈夫?」
リオが下から見上げてくる。
「うん、大丈夫! 怪我もしていないから、安心して! ルシアがいてくれたから、怖くなかったよ!」
弟がいたらこんな感じなのだろうか。私はにっこり微笑みながら、彼の頭を再度撫でた。
「さて、お話中のところ、すまない」
銀髪の男がゆっくり立ち上がった。着ている服の材質、まとっている雰囲気からすると、この屋敷の主であり、町の商業流通の一端を担っている、グレイスラー当主だろう。
リオを体から放し、深々と三人で頭を下げた。キースが率先して前に出る。
「お初にお目にかかります、グレイスラー当主。お会いできて光栄です。私、キース・ペインという、冒険者でございまして、この度は――」
「堅苦しい挨拶はいい。少々込み入った話をさせていただきたい。腰を下ろして、話をできる時間はあるか?」
目線でソファーを示される。キースは頷いてから、ソファーの近くに歩いていった。私とラッセルもその後を追い、グレイスラー当主とリオが並んで腰をかけた前に、三人そろってソファーに座り込んだ。
最初にグレイスラー当主が口を開いた。
「まずは息子を助けて頂き、ありがとう。特にルシア嬢は昼の付き添いだけでなく、体を張って護っていただいたと聞いている。本当にありがとう」
「いえ、そこまでお礼を言われるほどでもありません。結果として、リオ君には怖い想いをさせてしまいましたから……」
物流の鍵を握る一人の当主と聞いていたから、さぞ怖い男だと思っていた。しかし、あまりにも腰が低い男で、逆に慌ててしまった。
「リオは貴女がいて心強かったと言っている。逆に貴女に怖い想いをさせてしまい、申し訳なかったと……」
ちらりとリオを見ると、口を閉じて俯いていた。彼を見てから、私は当主を見据えた。
「私は旅の者。ある程度の危険は覚悟しています。今回は幸いにもこの二人に助けられたため、大事には至っておりませんよ」
キースとラッセルに笑顔で視線を交互に向けると、二人は少し照れたように頷いてくれた。
「そう言っていただけると、少しは私の気持ちも落ち着くよ。――さて、事件の発生から解決までの経緯や、お二人の履歴をギルドにて少々調べさせてもらったところ、相当な手練れと判断させてもらった」
キースは軽く頭を下げた。
「光栄なるお言葉をありがとうございます。二人で組んで動いていますから、多少は無理ができるのですよ。特にラッセルは、そこら辺の男では勝てませんから」
「先日の道の真ん中での乱闘騒ぎを納めたのを、私も見ている。あれは見事だった」
「は、はあ、ありがとうございます……」
この男、誉められるのに慣れていないな。
照れている黒髪の少年を見て、心の中でくすりと笑った。
視線がキースとラッセルから、私へと再び向けられる。
「一方、ルシア嬢、リオから貴女はここより西にあるクロース村を目指していると聞いた」
眉をひそめてリオに視線をずらす。彼は両手を合わせて、ごめんという仕草をしていた。
「――そこでお三方にお願いがある」
当主が本題に踏みいった。
「私の息子リオを、クロース村まで連れて行ってくれないか?」
私とラッセル、そしてリオは大きく目を見開いた。話の筋がまったく読めない。
その横で金髪の青年は平静と聞き返す。
「リオ君の身を護るために、貴男の遠い親戚であり、神殿勤めをしている方に、彼を預けたいからですか?」
これには当主の方が驚いていた。彼は顎に手を当てて、キースのことを探るようにして見る。
「よく知っているな、私にそのような親戚がいると」
「情報を入手するのは、得意としていまして。昔、興味があり、神殿勤めの人はどういう方なのか、調べただけですよ」
どういう興味から、そのような調べ物をするのか。やはりキースという男、底が見えない。
「もしや……〝金の情報鳥〟とは、君のことか?」
「髪から推測されたのでしょうが、違いますよ」
ばっさりと言い切ると、キースは膝の上に乗せている指を軽く握り替えした。
当主は逡巡した後に、私の方に視線を向ける。
「今、彼が話したとおり、リオを私の身辺が落ち着くまで、そこに居候させたいと思っている。そこで道中の護衛をお願いしたい。移動に必要なお金は、こちらで用意しよう」
視線がキースとラッセルに交互に向けられる。
「もし承諾していただけるのであれば、冒険者ギルドを通じて、二人にはお願いをしよう。その方が後々の手続きもやりやすいだろう?」
「そうですね。お金の管理もしやすくなりますから、そうして頂けると有り難いです」
「引き受けてくれるだろうか?」
私としては、すぐに首を縦に振れなかった。
クロース村を目的地としているため、リオを連れて行くのに余計な手間がかかるわけではない。お金を援助してくれるのは、とても魅力的である。
だが、しばらく一人で気ままに旅をしていた身としては、護るべき少年が増えるのが気がかりだった。
さらに今の話から察すると、キースとラッセルも共に行動しろと言っているようだ。
二人の腕は認めている。私よりも遙かに上なのは、わかっている。道中危険が伴うため、彼らが一緒にいるのは、さぞ心強いだろう。
ここからクロース村までは約一か月程度、その間を四人で過ごすことが受け入れられるかどうかだけが、問題だった。
「ルシアさんは団体行動が嫌い……?」
キースがちらりと顔を覗いてくる。私はおもむろに前髪に触れた。
「嫌いというか、慣れていないだけだ」
「……これから闇獣の数が増えてくる地帯に入っていく。きっと僕たちがいた方が何かと役に立つと思うよ」
「たいそうな自信だな。その自信はどこから来る?」
「今までの経験と、竜の加護からかな?」
語尾を上げて言われても、逆に困る。私は視線を隣で頭をかいている黒髪の青年に向けた。
「ラッセルはどう思う。今まで二人で気ままに行動していたんだろ」
「オレは構わねぇよ。護衛の依頼なんて山ほど受けたからな。その期間が少し長いだけだ」
「そうか……」
二人は依頼を受ける気でいるようだ。これでは、私が拒否するわけにはいかない。
リオのためにも、自分のためにも、多少の我慢はしよう。
私は座り直し、背筋を伸ばして、グレイスラー当主と視線を合わせた。
「お引き受けいたします。無事にリオ・グレイスラーを彼の地へ連れて参りましょう」
「ありがとう。息子のことを、どうかよろしく」
当主は深々と頭を下げ、リオは喜々とした表情で拳を作っていた。
帰りに昼食をとり、服を購入した後に、ラッセルに宿まで送ってもらっていた。キースは冒険者ギルドに顔を出してくると言って、途中で分かれている。
「ラッセル、私のこと、いつから気づいた? 髪をおろしている姿を見たとき、特に驚いていなかっただろう」
彼は横目で私の体を上から下まで見て、ため息を吐いた。
「……馬に乗せてもらったときだ。男にしてはやけに細身だったし、腰回りがなんか違った」
「出会ったときから……?」
「何か訳ありだろうって思って、適当にお前に合わしておいた」
「そうか、ありがとう……」
少し前を歩いていたラッセルが、服が入った袋をちらちら見てくる。
「まだ男みたいな服を着て、生きたいのか?」
そう言われ、袋をぎゅっと抱きしめた。
「……慣れみたいなものだ。そっちの格好の方が動きやすいからな」
「たしかにそうだな。馬に乗るなら、そんなひらひらした服だと危ない」
軽く笑いながら流してくれる。私には興味ないように見えるが、実はさりげに気を使っている人間だと、唐突に気づいた。
足を止めると、ラッセルが眉をひそめて振り返ってくる。
「どうした?」
「――ラッセルはキースと違って、私のこと聞いてこないな。彼は私と出会ったばかりの時、既に格好について言及してきたぞ」
ラッセルは左手を腰にあて、右手で頭をがりがりとかく。
「あいつはずけずけと聞き出すくせがあるから……。……誰だって、聞かれたくないことがある。お前がどういう過去を歩んだとか、どういう理由で村に向かっているかは、今のオレには関係ないことだ。それを聞くのは野暮ってもんだろう」
素っ気なく言ってから、彼は再び歩き始めた。先ほどよりも歩幅が早い気がする。
ラッセルとキース、二人とも程度の差はあれ、私のことを気遣ってくれて、決して不利にならないように立ち回ってくれる。ささやかなことであるが、それはとても有り難いことだった。
これからの道中、少しは気持ち的に楽なものになるかもしれない。
空は青く広がっている。
今後の道行きも、明るいものであればといいと願いながら、私はラッセルの後を追った。