4-6 守護者達の願い(1)
キースは大きく目を見開いた。リオはその場に立ちすくみ、アルフィーさんは視線を軽く逸らす。
「ラッセル……?」
私は信じられないといった表情で、項垂れているラッセルの姿を見て、言葉をもらす。
声は神殿の中を静かに響いていった。ラッセルを刺した濃い灰色の髪の男の視線がちらりとこちらに向けられる。
無表情で、とても冷たい鋭利な目だった。視線だけで体が刺されたような錯覚に陥る。
男が握っている剣から、赤い血が滴り落ちる。一瞬にしてラッセルの足下は赤く染まった。
剣をラッセルから抜くと、一気に赤い血が吹き出る。彼はその場に倒れ伏し、ぴくりとも動かなくなった。
男が剣先を床に向けて、こちらに歩み寄ってくる。
キースは私の手を引いて、走りだそうとした。しかし彼の動きはいつもよりもぎこちない。殺気が私たちの動きを蝕んでいたのだ。
私はキースの手を振り払って、皆に向かって叫ぶ。
「三人で逃げて! あいつらの狙いは私だから!」
「何を言っているんだよ、ルシア! あんなのと一緒にいたら、ルシアだって刺されちゃう!」
「そうですよ、ルシアさん。貴女をおいては行けません」
二人とも真摯な目を向けてくるが、私は決して首を縦には振らなかった。
キースだけは哀れみのない視線を向けてくれる。
「いいのかい? 君は特別な人間なんだよ。ここであいつらの手に渡って、もし力を使われて、世界が混沌の渦に巻き込まれたら、どうするつもり?」
「――そんな渦を創り出す前に、私で終わらせる」
はっきり言い切ると、キースは泣きそうな表情になった。彼は顔を寄せると、私の頬に口づけをした。
「ごめん、何もできなくて。あとで助けに行くから、絶対に待っていて」
そして私から一歩離れると、傍でぐずついていたリオの手を取って、裏口に向かって走り出す。アルフィーさんは頭を下げて、彼らの後を追った。
私は弓を手にとって矢を持とうとすると、またしても鈍い音が耳に飛び込んできた。
振り返ると、アルフィーさんの背中に数本の矢が深々と突き刺さっていた。彼はリオの後ろに立って、腕を大きく広げている。そして数瞬後、静かに床に倒れ伏した。
さらにいつの間にか寄っていた闇獣が、キースの腿に噛みついていた。彼は苦悶の表情を浮かべたまま、その場に倒れる。
「俺たちから逃げられると思っているのか? 皆殺しだよ」
声がした方に振り返った。赤髪の青年が入り口を全開にして入ってくる。彼の手には火の玉が浮かんでいた。背後に見える家が勢いよく燃えている。
「必要なものを手に入れたら、この村ともおさらばだ。――おい女、後ろにいるのが、竜の半身か?」
裏口から薄茶色の髪の青年が顔を青ざめながら入ってくる。キースの横を通り、アルフィーさんの体から一歩離れて寄ってきた。
「ウォルト……」
彼は私のもとに寄ると、そっと前から抱きしめてきた。そして耳元で囁かれる。
「ごめん、ルーシャン。この悲劇を終わらしたい。皆を助ける方法が、たった一つだけあるんだ」
「どんな方法?」
「君と僕の命を……」
「私はいいよ」
最後まで言う前に、きっぱりと言い放った。
自分と皆の命を天秤にかけるならば、迷わず後者をとる。
ウォルトはさらに強く抱きしめてきた。
「ごめん、本当にごめん。僕がもっと君から離れて、僕のことを忘れるようし向けられれば、こんなことは……」
「ウォルトのせいじゃない。私が勝手にここに来ただけだから」
彼が腕を緩めると、正面からお互いに見合う。赤色の瞳から目が離せなかった。
「さあ、いくよ」
頷くと、ウォルトが顔を寄せてくる。そして彼は私の唇に自分の唇を乗せたのだ。
深くお互いの吐息が入り込んでいくと、突然鼓動が激しく波打ちだした。
同時に背中に熱が帯びていった。入れ墨に沿うようにして熱が伝わっていく。熱は私からウォルトに、そしてウォルトから私に流れ込んでいった。
唇を離しても、鼓動の速さも、熱の移動も衰えることはなかった。
目の前にいた青年が私に体を預けてくる。私は彼を支えて、ゆっくりと腰を折りながら、ひざを突いた。
体の中から何かが出てくる気がした。すると周囲は明るい光を発し始める。光に包まれるなり、温かな心持ちになった。
目を閉じようとすると、ふと目の前に羽が生えている何かが視界に入った。それを見て、ぽつりと呟いた。
「とき……りゅう……」
手を伸ばしたが届くわけがなかった。
ウォルトとお互いに抱きしめあいながら、私の意識は完全に断ち切れた。
* * *
――時竜は他の竜と違い、土や風、光や闇などに加護を残すことはできず、生あるものに寄り添うことで長らえるという、とても不安定な存在なのです。
耳に入ってくるのは、落ち着いた中性的な声だった。目を開けると、眩い光が目の中に入ってくる。光に慣れながら徐々に目を開けていくと、巨大な何かが目の前に佇んでいた。
太い四つ足、そして大きな翼を持った竜がそこにいたのだ。体こそ巨大でびっくりするが、竜が持つ金色の優しい瞳を見ていると、心が和むようであった。
「あなたが時竜ですか」
――そうです。貴女と彼の中にしばし体を借りていた、時を司る竜です。今は自由に解き放たれて、地上とこちらを行ったり来たりしています。
地上という言葉を聞いて、とっさに黒髪の少年の顔が思い浮かんだ。
「ラッセルは、皆は無事なんですか!?」
――実際に見てみますか?
私は軽く頷く。
――なら、乗ってください。
時竜がやや屈み込むような形になる。私はその背に触れながら、乗り込んだ。
ふわりと浮かび上がり、見る見るうちに時竜は空に向かって羽ばたき始めた。そして光の渦の先を抜けると、視界が一転した。
暗闇の中に、私と時竜は浮かんでいた。二つの満月はいつしか混じり合い、地面を煌々と照らしている。視線を下に向ければ、建物は私たちが村を訪れたときと同じ様子で立っていた。まるで火事などなかったようだ。
時竜はゆっくり降りていき、クロース村の神殿の上に足を付ける。そこに触れると屋根を通り抜け、あっという間に内部に入ることができた。
神殿の中には赤い血は見当たらなかった。あれだけの戦闘をしたにも関わらず、荒らされた様子は一切ない。
視線を神殿の前方に向けると、目を大きく見開いた。思わず自分の手のひらや体を見返す。
私と瓜二つの自分が、少年や青年たちに囲まれて、横たわっていたのだ。下にいる私の横には、目を閉じている幼なじみのウォルトもいる。
「あれは僕たちの体だよ」
体を後ろに向けると、いつのまにか乗っていたのか、薄茶色の髪の青年が背を向けて座っていた。私と視線が合うと、静かに微笑まれる。
「魂はここにある。聡いルーシャンなら、どういうことか、わかるだろう?」
私は視線を下に戻し、黙ったまま彼らの様子を眺めた。
私の体にリオが抱きしめている。
「どうしてこんなことになっちゃんだよ。僕たちはルシアを護りたかっただけなのに……! アルフィー、どうにかならないの!?」
ひざを突いていたアルフィーさんは躊躇いながら首を横に振っていた。彼の背中に矢は刺さっておらず、何も傷ついていない背中が広がっている。
「……ごめん。生きていれば色々と試みることはできるけど、何も動いていない状態では、僕には……」
悔しそうな顔で顔を下げる。彼の顔の真下には涙がぽつりぽつりとこぼれ落ちていた。
「キース、どうにかできないの!?」
金髪の青年は私の体の頭を撫でながら、首を横に振った。
「これが彼女の選んだ結末だった。ただの人である僕たちには、もう何もできないよ」
「色々なところを旅して、色々なことを見たんだろう。こういうことは今までなかったのかよ!?」
「あるわけないだろう。僕が旅をし始めた頃には、既にルシアちゃんたちの体に時竜が封印されていたんだ。同じような事象に出会う機会すらなかった。……時竜の封印が解かれ、力が使われるとき、媒体である人間がどうなるかは薄々予想していたけど」
私は手を軽く握りしめてみた。感覚はなく、何かを掴んでいる風にしか見えない。
愕然としていると、ウォルトが私の方に少し寄ってきた。
「……あの後、僕たちは時竜の封印を解いた後に、ある力を使った。それは時の遡り。あいつらが来る前の状態に、物や人間たちを戻すことを試みたんだ。壊れた建物を戻し、傷ついた人々を癒す。さらにはその事件に関して不都合な記憶が残らないよう、記憶の改変まで行っているはずだったけど、彼らには通じなかったみたいだね」
ウォルトが私を見て、切なげな表情をしていた。
「なぜっていう顔をしているね」
「ええ」
「それは彼らが君のことを大切な人として見ているからだよ」
視線を逸らして、ウォルトは天井に視線を向けた。
「久々に再会して嬉しかったと同時に、なぜ来たのかという困惑だけでなく、大切にされているのを見て、嫉妬心を抱いてしまったよ。昔は僕だけをずっと追いかけてくれたのにね」
苦笑する彼をじっと見ていると、涙声が耳の中に入ってきた。リオのものだ。
まだ力は無いけれど、必死に私のことを護ろうとしていた、優しい少年である。
「ルシア、ルシア……!」
その声を聞き、胸が引き締められる。だけど私にはあの時、ああするしかなかった。そうでもしなければ、彼も殺されていた。
「……うだうだ泣くんじゃねぇよ、男だろう」
不機嫌そうな声が、少年に向かって吐き捨てられる。リオは振り返り、腕を組んで傍にあった椅子に寄りかかっていた少年を睨みつけた。
「ラッセルは何も思わないのかよ! ルシアとウォルトさんが……」
「泣くなって言っているだけだ。勘違いするな」
腕を解いてラッセルは近づいた。眉間にしわを寄せて、上から私のことを見下ろす。
そして沈黙の後に、ぽつりと口を開いた。
「……時竜は他の六匹の竜たちを合わせることで、同等になると言われている。そうだよな、アルフィー」
「はい。時竜は他の水竜や光竜よりも、一目置かれた存在となっていましたから」
「なら逆転の発想もありだよな」
キースははっとした表情をして、ラッセルを見返した。
「本気か?」
「一か八かだ。幸いっていうのか、あいつらもまだ村の中にいるんだろう」
「神殿の外にいる。この村にいる人間たちは、記憶をいじられていない僕たち以外は、まだ眠っているらしい」
「なら事は急げだ」
ラッセルはキースたちに背を向けた。
「オレとアルフィーの加護で火と水は確保できた。あと光、闇、風も奪い取れる。土がないのはあれだが――」
「あるよ、土」
キースが胸を軽く叩いた。首から小さなロケットを取り出す。
「粉々にして、ここに入れてある。ある仕事の報酬でもらったものだ。残念だけど加護はないよ、ただのお守りさ」
「それでもないよりはマシだ」
ラッセルが入り口に向かって、しっかりとした足取りで歩き出す。
ぽかんとしているアルフィーさんとリオに視線を向けると、うろんげな目で振り返ってきた。
「そこですがっていても、ルシアは生き返らない。僅かな可能性でも試したいのなら、付いてこい」
そう言うと、リオは顔を引き締めて、アルフィーさんも頷いて、彼の後を付いていった。




