3-9 歪む空間(1)
激痛が走る。
だがそれ以上、剣が私の背中をかききることはなかった。
不思議に思って振り返ると、ウォールの動きが止まっていた。私が半歩前に出て離れても、彼は動かない。
訝しげに思いながらさらに半歩離れると、彼は勢いを付けたまま剣を振り下ろした。地面に剣先が食い込む。
ウォールが目を大きく見開いて、私のことを見ている。
「なぜ、そこにいるんだ?」
それはこっちが言いたい。あのまま振り落としていれば、私は動けない身になっていたにも関わらず、なぜ動かなかったのか。
驚愕に満ちた表情をしているウォールの横っ面を叩くかのように、ラッセルが飛び込んできた。周囲への意識が削がれていたウォールに攻め込むのは容易で、あっという間に彼の左腕には深い切り傷が入った。
「こいつに手を出すなら、オレを倒してから行け!」
「――すごくかっこいいこと言っている。これだから鈍感男は厄介だねぇ」
どこからともなく声が聞こえてくる。ウォールが周囲を見渡している間に、その人物は彼に肉薄していた。
指に小型ナイフを挟んで、至近距離でウォールの背中に投げつける。それは易々と背中に突き刺さった。
ウォールは剣を振り回しながら反転するが、キースは軽やかに後方に下がった。その隙にある液体がウォールの体に振りかけられる。
私のすぐ後ろから青白い光が見えた。アルフィーさんが腕輪をさすりながら、左の手のひらをウォールに向けていた。
冷気が漂ったかと思うと、ウォールの表面に氷が作り出されていく。液体をかけた部分が急速に温度を下げていき、氷を作り出したのだ。ウォールの表情が歪んでいく。
私はちらりと背後を見ると、土でできた小型犬は水によって泥水になっていた。マイリーアは足でも傷つけられたのか、その場で横たわって戦況を悔しそうに見ている。
剣を握っている腕まで凍っていくウォールは、目の前にいる黒髪の少年を睨みつけていた。少年は右手で剣を持ち、剣先を下に向けたまま寄っていく。
「お前はたしかに強い。だが連携がまったくとれていないのが、痛手だったな」
ラッセルは剣を振り上げて、ウォールが持っている剣を弾き飛ばす。そして近づいている途中で、突然相手は口元ににやりと笑みを浮かべた。ラッセルはとっさに退くが、先にウォールが短剣を抜くのが先だった。黒い前髪がはらりと落ちる。
氷が溶け始めており、ウォールの身を拘束する物はなくなっていた。
ウォールも加護持ち――水竜の加護を持っているものだ。アルフィーのささやかな攻撃では固定することができなかった。
彼は一番厄介だと思った相手ラッセルに向かっていく。キースが横からそれを阻止するために目潰しの粉を叩きつけるが、軽く剣を振って、衝突する前に両断された。
ウォールの剣がラッセルの鼻先を通過する。
後ろ向きで下がっていたラッセルが踏み違えたのか、背を地面に向けた状態で倒れる。隙など逃さず、ウォールは容赦なく剣を振り下ろした。
「ラッ――!」
声を発しながら手を差し伸ばした瞬間、再びウォールの動きが止まった。
「え?」
周囲を見れば全員の動きが止まっている。ラッセルにいたっては、あり得ない体勢で止まっていた。
「いったい何?」
私以外の時が止まっている……?
意味は分からないが、今はラッセルを助けねば。
彼のもとに駆け寄り、体を動かそうとしたがびくともしなかった。
ウォールの剣の向きを変えようと思ったが、それも無理だった。
今の状態でできることは、私が動けることのみか。それならできることは一つだけだ。
短剣を手に取り、ウォールの剣と交差する。
瞬間――時が流れ始めた。
短剣に力強い負荷がかかる。だがそれよりも印象的だったのが、ウォールが驚きに満ちた表情をしていたことだった。
一瞬、彼の手元が緩んだ。その間にラッセルは手を地面に付けて、下から腹に向かってドロップキックをした。手に持っていた剣が落ちる。
後ずさったウォールの背後にはキースがおり、足払いをしてウォールを押さえ込んだ。腕を後ろに回し、間接を抑えて、腕を捻っていく。
「この……っ!」
「いい加減に大人しくしてください。薬漬けの患者を増やしても、あなたたちにはまったく利益はありません。騒いで町を崩壊させることだけが、あなたたちの目的ですか、”竜神創造会”は」
ウォールの表情が消えていく。マイリーアもがっくりと肩を落としながら、アルフィーさんに拘束されていた。
「力を振りかざすしか能がない人たちとは、哀れなものですね。――詳しいことは後で聞きましょう。勝手に死なないでくださいよ。知っていると思いますが、竜の加護を受けた者の自殺は御法度。死んでも成仏されませんよ」
ラッセルが加減をしながらウォールの頭を殴ると、彼は気を失ってしまった。それから二人で彼の動きを封じ始める。
その様子を見て、私は急に力が抜けてしまい、その場に座り込んでしまった。
背中に負った傷は開いている。右肩に受けた傷、背中に刺された傷からも、血がにじみ出ていた。全身全霊で振り落とされた剣を受け止めたりと、慣れないことを多々してしまい、もはや気力で立つこともかなわなかった。
あとさっきの謎の出来事の直後から、とても体がだるい。
ラッセルが傍に寄って、声をかけてきてくれる。だがその声は徐々に遠くなっていた。
そして私は彼に身を預けるようにして、意識を失ってしまった。
* * *
「ルーシャン、婆さまが僕たちにお話があるって。一緒に行ける?」
こくっと頷いた私は大きくなっている少年に手を引かれながら、村で一番物知りの婆さまのところに行った。
中に入ると、婆さまは温かく甘いココアを出してくれた。
「二人ともわしがこれから言うことが、何を言っているのかわからないと思うが、頭にだけは留めておいてくれ」
二人で頷くと、婆さまは言ってくれた。
「危険なことには自ら突っ込まずに、平和な日々を過ごすようにしてくれ。命の危険に晒されれば、反応してしまうからな。できる限りひっそりと穏やかに過ごしてくれ」
「婆さま、よくわからない」
私がすぐに聞き返すと、婆さまは傍に寄ってきて頭を撫でてきた。
「わからなくていい。それがお前らのためだから」
隣にいた彼はわかっていたのか、頷いていた。私はよくわからないままだったが、真似して頷いておいた。
* * *
目を開くと、白い天井が見えた。またも診療所送りにされてしまったようだ。
今回傍にいたのはリオだった。彼は俯せになっている私と視線が合うと、飛びつくようにして、寄ってきた。
「ルシア、大丈夫!? 痛みは!?」
「ああ、大丈夫。痛みはないよ。他の人は?」
「キースはレナっていう人の傍にいる。まだ目を覚まさないみたい。ラッセルは隣のベッドで寝ているよ。さっき起きて、また寝ている。アルフィーはジルドさんに連れられて、ギルドに行っている」
「そう……。結局どうなったか、知っている?」
尋ねると、リオは頷き、作戦会議で使った地図を持ってきた。
「ルシアたちが強い二人と戦っている間に、先発部隊が裏門をあけて、突入してきた。本拠地にも結構強い人はいたけど、大半が薬漬けにされた人で、倒すのは簡単だったらしい。幹部の中でも薬を飲んでいた人がいたらしいよ。気持ちよくなる飲み物らしいからって」
リオは裏門から本拠地まで指でなぞっていく。
「割とあっけなく陥落。ルシアたちの戦闘が終わった頃には、もう落としていたんじゃないかっていうくらい。ジルドさん言っていたよ。そっちが気を引きつけてくれたおかげで、ほとんど無傷で抑え込むことができたって」
「負傷したのは、私とラッセルくらい?」
「しばらくの療養が必要なのは二人だけらしいよ。……もうさ、どうして無茶なことするかな! 皆に護られていればいいじゃん! 背中の傷まで開いちゃうし!」
「ごめん……」
リオに怒られるとは思ってもいなかったため、すぐに謝罪の言葉が出てしまう。腕を伸ばして、ベッドの傍に寄っている彼の頭を軽く撫でた。
「今後は気をつける。だからそんな顔しないでくれ」
泣きそうなリオだったが、それを飲み込むかのように首を縦に振った。
あそこで必死に耐えて、ここに戻ってこられて良かった。彼の泣き顔は見たくない。
随分と護られっぱなしの戦いであった。キースとアルフィーさんから物をもらっていなければ、土でできた獅子は倒すことはできなかっただろうし、三人の介入がなければ、私は切られていたはずだ。
誰かに護られては駄目だと思っていた。自分が弱いからだとも思っている。
だが弱いからこそ、今は彼らの力を借りて進んでみてもいいのかもしれない。
部屋のドアが軽くノックされる。リオが駆け寄っていきドアを開くと、キースが手を振りながら入ってきた。私は上半身を持ち上げて、彼を出迎える。
にこにこしているキースだが、前に立つなり、額に拳を軽く押し込んできた。
「ルシアちゃん……」
いつもより声に剣呑な雰囲気が帯びている気がする。笑みを浮かべているが、どこか怖いとも思ってしまった。そして次の瞬間両頬にぱんっと手で挟まれた。
「君ね、怪我人なの。盾になろうとか、そういう考えをしていい立場じゃないんだよ?」
「でもあの時はレナさんもいたし、逃がすのが……」
「僕たちの力を信じてよ。二人の女性を護るくらい、男はやってみせるもんだよ」
キースはそう言って、手を離した。そして深々と溜息を吐かれる。
「こっちも裏で色々と保険かけているの。……あの時、僕が潜入しているときに知り合った住民にレナを頼んで、少しの間匿ってもらっていた。だからすぐに戻ってこられたんだ。土でできた獅子はたしかに面倒な相手だけど、大量の水でもかければ、洗い流せるでしょ? アルフィーさん、一回ならできるくらい、力は使えるようにしていたんだよ?」
「でも能力を使いすぎると、寿命が……って」
「だから、それは時と場合によるって言っているだろ!」
背後から声が聞こえ、びくっとして振り返るとラッセルがうろんげな目でこちらを見ていた。
「アルフィーは頭が回る奴だから、それくらいの加減わかって操作している。オレだって火柱一本くらいじゃ飯の量が一皿増えるくらいで、全然影響ねぇんだよ」
「そうなの?」
「そうですよ、ルシアさん。父からそこの話はしっかりと聞いていますよ」
アルフィーさんが微笑みながら中に入ってきた。彼に言われると妙に説得力がある。
「すみません、知りませんでした……」
「教えていないのですから、知らないのは当然です。謝らないでください。……まあまあキースさん、ルシアさんが無茶をしたのを怒るのはいいですが、そこら辺にやめにしておきましょう。皆さん、無事に生きているのですから」
「わかりましたよ」
はあっと息を吐くと、キースはあっと声を漏らした。
「レナなら大丈夫だよ。顔の痣が消えるのは時間がかかるけど、残るものでもないからって。しばらくゆっくり休ませてもらうって言っていたよ」
「良かった……」
一番の気がかりを言ってくれて、ほっと胸をなで下ろした。
キースは傍にあった椅子を、リオやアルフィーさんに進めると、自分も腰を下ろした。
「薬を根絶するには時間を要するけど、ギルドや自警団が先頭だって進めるみたいだから、大丈夫でしょう。――それより僕が気になったのは、別のことだ」
キースが真っ直ぐ私を見てくる。
「ルシアちゃん、君は何か隠している?」




