3-5 潜入調査(3)
うだるような体を引きずりながら、私は廊下を歩いていた。だるいのはあながち嘘ではない。この宿、特に部屋に入って嗅いだ匂いが、私の体を重くさせていたのだ。
ラッセルやキースは特に変わりなく振る舞っている。レナさんも特に表情を変えていない。私だけが体に合わなかったと思うと、少し情けなくなった。
よろめきながら入り口に行き、わざと受付から見える位置で、壁にもたれ掛かるようにして床に座った。
「おい、お嬢ちゃん大丈夫か?」
受付にいた人が声をかけてくる。その間にラッセルが駆け寄って、私のことを軽く支えた。
「大丈夫か?」
私はその問いに対して軽く頷くと、ラッセルに背中を回され、膝下に腕を入れられて、持ち上げられた。そして玄関の方に向かっていく。
「おい、そこの人たち!」
受付の人が焦ったような声を出す。
「部屋に戻って、ゆっくり彼女を休ませた方がいいんじゃないか?」
「外の空気が吸いたいようです。すみません、外出してもいいですか?」
「一晩くらい我慢できないのか?」
「――宿泊料金はすでに払っています。ドアの施錠はなされていない宿なのに、なぜ必要以上に置いておこうとするのですか?」
受付の男の言葉が詰まったのがわかった。ラッセルは軽く一瞥した後に、私を抱えたままドアを押して夜風が吹く道に出て行った。
しばらくその状態で歩き続け、周囲にいる人が誰も目に留めていないのを確認してから、路地裏に入った。そして私の足を地面につける。
「……ありがとう」
「いや。ちょっと無理矢理感はあったが、大丈夫だろう。受付の人間しかいない時間帯でよかった」
「それを狙っていたっていうのもあるけど……」
裏路地を進んでいくと、黒いパーカーを着たキースと、地味な色の上着を羽織っているレナさんと再会した。キースはフードを被って、金髪を目立たないようにしている。
「おい、思ったよりもあっさり出られたが、大丈夫か?」
「あの人は気が弱いので有名な人よ。あとで怒られるでしょうけど、こちらには関係ないわ。――さあ、行くわよ。ついてきて」
レナさんが路地裏を颯爽と走り始める。しばらく黙々と走っていると、大通りに出た。夜が更けてきているにも関わらず人通りは多い。私たちはレナさんと少し距離を付けてから歩き出した。
彼女はここで雇われている身。たとえ私たちの存在が気づかれたとしても、彼女に影響を与えてはいけない。
しばらく大通りを歩いていると、前方から二十代の無表情の男と、髪が腰まで伸びている鋭い目つきをした女性が歩いてきた。二人を見たレナさんは顔色を変えて、とっさに裏路地に入った。後ろにいたキースに肩を叩かれた私たちも、自然な風を装いながら、方向を転換して路地に入る。
酒を大量に飲んだのか、壁に背を付けながら寝ている人がいた。さらに首をかきむしった跡が残っている、大の字で倒れている男もいた。
先に露地に入ったレナさんが怪訝な表情をして進んでいた。
「……入る場所、間違えたわ。早く出ましょう」
「――行っちまうのか、レナちゃんよ?」
突如声をかけられる。いかにも悪をしています、という男たちが前方に五人立ちはだかっていた。気がつけば後ろにも人がいる。
レナは身構えて、声を発した引き締まった体格の男を睨みつけた。
「あら、こんばんは。こんなところでどうしたんですか?」
「それはこちらの台詞だぜ。……実はな、レナちゃんを捕まえろっていうお達しがでているんだ。何か心当たりはあるか?」
「いえ、初耳です。私はきちんと職務を真っ当しているだけですよ」
「だろうな。じゃあさ、レナちゃんが仕事しているのを見せつけるために――オレが注いだ薬、飲んでくれ」
にやりと笑みを浮かべる男。レナさんは警戒を解かずに明るい表情で首を振った。
「遠慮しておきます。私には強すぎる飲み物ですので」
「飲めば極楽なのに何を言っている? 従わないのなら、従わせるまでだ。――レナちゃんと一緒にいる男たちは潰しちまえ!」
男たちが一斉にレナさんや私たちに向かって飛びかかってくる。
キースが前に出て、レナさんに拳を振り上げていた男に迫った。彼女は拳を振られる前に、軽やかにかわした。腰を低くして相手の出方を伺っている。
後ろではラッセルが淡々と男たちを倒していった。足払いをし、頭を強く打ち付けて気を失わせたり、すれ違い際に首根っこを掴んで、首の後ろに手刀を入れたりと、鮮やかに対処している。
しとめ損ねたのが一人こちらに来たが、私は慌てずに攻撃をよけた後に、両手を握りしめて、背中を殴った。怯んだ隙に、首の後ろに蹴りを下ろす。男は倒れ静かになった。
やがて立っている男は、先ほど威勢のいい言葉を発した者のみになった。
何人か地面に沈み込ませたキースは、手を叩きながらレナさんの前に出た。
「そうですね、従わないのなら従わすまでですよね。そこを退いてくれませんか?」
低い声で発すると、男は渋々と通路を開けてくれた。
その横を表情を変えないキースが通過しようとする。しかし背を見せるなり、男が背後からナイフを振り下ろしてきた。キースは流れるように反転しながら、男の腹に拳を入れ込んだ。その衝撃でナイフが落ちる。すぐ傍にまで寄っていたラッセルが、わき腹を勢いよく殴った。男が勢いよく壁に当たると、ずるずると沈んでいった。
「どうも、ラッセル」
「慣れないことさせたみたいだからな」
キースは赤くなった自分の拳に触れていた。
そういえば前に聞いたことがあるが、キースは後衛方だと言っていた。多少は動けるとはいえ、基本はラッセルが攻めに転じるようだ。
キースは男たちをじっと見下ろしているレナに手を差し伸ばした。
「レナ、君も一緒に行こう。もう目を付けられている」
「……ありがとう。でも今、私も行ってしまったら、私とあなたたちの関係を勘くぐられる。ほとぼりが冷めたら行くわ」
レナさんはくすっと笑ってから、路地裏を歩き始めた。キースは溜息を吐きながら後を付いていく。その後ろ姿を見ていると、彼女のことを大切に想っているのだなと思った。倒れている男たちを一瞥してから、私たちも歩き出す。
足下に注意しながら進んでいく。レナさんは真っ直ぐではなく、左に曲がったりしながら、ジグザグに進んでいった。迷いなく進む姿を見て、彼女が仲間でよかったとつくづく思った。
少しずつ表通りに近づいていくと、唐突にレナさんが立ち止まった。私たちも止まって先を見据えると、ぞわりと悪寒が走った。
にこにこした男が、表通りの光を背景にして立っている。彼の傍には真っ黒な色の大型犬が二匹、唸り声をあげていた。
「レナという女性は貴女ですね。貴女は知りすぎた。すみませんが、ここで死んでもらいます。――さあ、行きなさい、闇獣」
男が手を叩くと、闇獣が一直線に私たちの方に走ってきた。
険しい顔をしたラッセルがレナさんを下がらせて、右手で短剣を抜く。そして飛び上がってきた闇獣の腹に一線を入れた。
それを見た男は、ほうっと声を漏らす。
「よい護衛を連れているようだ。だが果たして無傷で突破できるかな? はぐれ闇獣に襲われた哀れな男女よ、さようなら」
そう言って彼は背を向けて表通りに消えていった。追いかけたいという思いもあったが、それよりも目の前のものを対処する方が先だった。
一匹はラッセルが果敢に攻撃しているため、必然的にもう一匹はこちらに向かってきた。
私は足下から短剣を取り出し、キースはポケットから得体の知れない玉を取り出す。
レナさんは上着の内ポケットから小さなナイフを四本取り出した。そして突進してくる闇獣に対してナイフを軽やかに投げつけた。それをやんわりとかわされるが、次の瞬間その闇獣の顔には別のナイフが四本突き刺さった。
「たかが闇獣が、私を殺せると思っているの?」
片手ではなく、両手でナイフを握っていたようだ。闇獣は唸りながら、近くの壁に当たった。彼女はキースを手で制して、鋭く尖った細長い針を手にして闇獣に寄っていく。
「楽にしてあげる」
闇獣の頭に向かって真っ直ぐ振り下ろす。その瞬間、それがかっと目を見開いて、噛みつこうとしてきた。レナさんはすぐに気づくと、針を持ち替えて、攻められる前に牽制を仕掛けながら、後退した。
「毒を仕込んでおいたのに、どうして動けるのよ。まさか闇獣まで薬を飲んでいる、なんていう馬鹿な話ないわよね?」
闇獣がこちらの出方を伺っている間に、私はレナさんの後ろに寄った。短剣を握って、じっと様子を見る。
一人で闇獣を一匹倒したラッセルが、こちらに駆け寄ってくる。そして私たちと対峙していた闇獣に向かって、突っ込んでいった。
彼なら大丈夫、そう思った矢先――レナさんの右側にある通路から、闇獣が飛びかかってきた。
「危なっ――」
移動して短剣を振るには時間がない。前方に気を取られているレナさんを庇うようにして、闇獣の鋭い爪を背中で受け止めた。
「痛っ……!」
激痛が背中に伝わる。あまりの痛さに私はレナさんにもたれ掛かるようにして、座り込んだ。
「ルシア!?」
「ルシアちゃん!」
「ルシア!」
三人が私の名を叫んできた。
ラッセルは容赦なく闇獣の一匹を燃やして駆け寄ってくる。キースは私を襲った闇獣に目潰しの粉を撒き、その隙に液体を軽くかけてマッチで火を放った。
「大丈夫!?」
レナさんが私の肩を持って呼びかけてくる。
大丈夫と言いたかった。表皮をかすっただけだ。だが声が出てこなかった。
レナさんが私の背中に手を回そうとすると、キースが一声かけた。
「レナ、待て。――爪に毒が仕込まれている」
「なっ……!」
「ルシアちゃん、僕の名前を呼んで」
屈んだキースのことを、目を細めて見る。口を動かし、声を発しようとするが、言葉が出てこなかった。
「麻痺性の毒か? これは早く医者に見せないと危ない。一刻も早くこちら側を出ないと」
「――あの表通りに出て、少し歩いたところに門はあるわ。私が誘導して隙を作るから、あなたたちは外に出て」
レナさんがにこりと微笑むと、キースは首を横に振った。
「駄目だ。そんなことをしたら君は……」
「危険なんて最初からわかっていたわ。――助けに来てくれるんでしょうキセルス、いえ、キース」
レナさんは私をキースに預けて、立ち上がりながら私の背中に上着を掛けてくれた。彼女の温もりが伝わってくる。
「私を助ける前に彼女を助けて。貴女にとって、大切な人を」
そう言って、彼女は堂々と表通りに向かって歩き始めた。
意識が徐々に遠のき始めていると、キースは私を抱えて持ち上げた。
ごめんと言いたかったが、それは風の中に消えていく。呼吸をするのが辛い。荒くなってきている。
「キース、オレが持つ。オレの女として連れてきたんだ」
ラッセルが私のことを見下ろしてくる。キースは首を横に振った。
「いや、何かあったら、お前は追っ手を払ってくれ。彼女には男二人で揺れる少女でも演じてもらおう」
そう言いながら、彼は私の顔を体に寄せて、顔を見せないようにしてくれた。
きっと大丈夫。三人が自分たちの役割を明確にして、門に向かっているから。
それなのに私は何をやっているんだろう。
ごめん、私が弱いばかりに迷惑をかけて――。




