3-4 潜入調査(2)
もう一度ノックがされた。ラッセルはゆっくりドアに近づき、声をひそめて尋ねた。
「……どちらさまだ?」
「お飲物をお持ちいたしました。早めの方がよろしいかと思いまして」
ラッセルは振り返り、私と目線を合わせた。聞き覚えのある声だ。
ドアを開けると、にこやかな表情をした茶色の髪で豊満な胸の持ち主の女性――レナがお盆を持って立っていた。お盆の上には小さな瓶とコップが二つ並べられている。
「すみません」
「いえいえ、既にお取り込み中ではなくてよかったです。こちらはどちらに運べばよろしいですか?」
彼女はラッセルに気づいていないのか、話を続けていく。
「では、ベッドの脇にある机の上に」
「かしこまりました」
お盆を持って行くレナの後ろをラッセルが付いていく。そして机の上に乗せたのを見計らって、ラッセルは彼女のすぐ傍に寄った。
「ありがとうございます。――さて」
一段と声を落とす。私はドアの傍によって、静かに鍵をかけた。
「キース……いやキセルスはどこに行った?」
レナがはっとして振り返ろうとしたが、ラッセルが彼女の両手首を背中の後ろで掴む方が先だった。身じろぐが、彼はぎゅっと掴んでいるため、彼女は思うように動けなかった。彼女は背中越しからラッセルのことを見てくる。
「貴方、キセルスと一緒にいた坊や……? 見違えたわ。こんなにいい男だったのなら、貴方を連れ込んだ方がよかった」
「冗談は対外にしろ。話を逸らすな、あいつはどうした?」
「私が簡単に言うと思う?」
そう言うと、ラッセルは彼女を自分の方に振り返させる。そして足払いをして彼女をベッドの上に押し倒した。彼女が怯んでいる隙に、片手で口を塞ぎ、もう片方で肩を押しつける。さらに足で彼女の足をベッド際に押しつけて、身動きをとれないようにさせた。
「簡単に言わねぇと思っているさ。どうすりゃ教えてくれる? オレはこのままお前を窒息死させることも、気を失わせて身ぐるみをはがすことも可能だぜ?」
レナの目が涙目になっていると、ラッセルは口から手を離して、首に移動させた。彼女はひっと声をもらす。
横から見たラッセルは目が据わっていた。闇獣を見ているかのような、狩人のように見える。
あまりの殺気の出しように、私はついつい後ずさっていた。ドアに軽く背中を付けた後に、鍵が小さな音を立てて開いたのに気づく。背中を離して間を取ろうとするが、ドアが開いて廊下から伸びてきた手に腕を握られて、外に出される方が先だった。
「ラ――!」
「静かに」
廊下に出されて、後ろから口を塞がれると、中性的な声が聞こえてきた。聞き覚えのある声に気が引かれている間に、彼はゆっくりドアを閉める。その間際にラッセルが私のことを呼ぶ声が聞こえたが、私は答えることができなかった。
ゆっくり顔を上げると、薄暗い中で金髪が輝いている青年が微笑んでいた。髪を下ろしているのか、いつもと雰囲気が違っている。
「来っちゃったんだ。びっくりしたよ。詳しいことを話したいから、隣に移動しよう」
(ラッセルは?)
口を押さえられているため、うまく発音ができなかったが、彼はすぐに察してくれた。
「それは後でね。そろそろ巡回が来るから、一つの部屋に男女が二組以上いるのはマズいんだよ」
それだけ言うと、彼は私を引きずるようにして、隣の部屋に連れ込んだ。そこで私はようやく彼の手から解放された。部屋の中は隣の部屋と対して変わりはない。部屋の奥には天蓋が付いたベッドが置いてあった。
鍵をかけたキースが寄ってくる。
「ルシアちゃん、君ねぇ、どうして来たの?」
「……キースが危ないもの飲まされて、戻って来られないかと思ったから」
視線を逸らして言うと、彼はきょとんとした後にくすくすと笑い始めた。
「ああ、薬ね。飲んだよ」
「なっ……!?」
キースの方に振り返ると、近寄っていた彼に右腕をきつく握られた。そして優しさの欠片も感じられないまま、ベッドまで引っ張られていく。
「キ、キース、痛い、やめて!」
「随分と女の子らしくなっちゃって。所詮自分は女だって、わかっただろう」
そしてキースは私のことをベッドの上に乱暴に押し倒す。背中に伝わった衝撃を飲み込んでいる間に、彼に組み敷かれた。膝上に馬乗りにされ、右腕を押さえつけられて、左手で口を覆われる。
何がなんだかわからないが、キースの虚ろな瞳を見ていると、これから何が起きるのか薄々察することができた。
「今までずっと我慢していたんだ。おちゃらけて適当なことを言っていたけど、この日を待っていたんだ。ルシアちゃんが僕のものになるのを」
うっすらとにやける姿は、今まで見てきたキースにどれも当てはまらない。
口をもごもごを動かすと、彼は軽く手をどけてくれた。
「キース、薬をどれくらい飲んだの? 貴方は本当にキースなの?」
「そうだよ。僕は君と一緒に旅をして、クロース村に向かっているキースだよ。ルシアちゃんもあとで飲もう。とても楽しい気分になれるから」
彼は私の体の両手と体で押さえながら、顔を近づけてきた。そして顔の右側に顔を埋められるようにして覆い被される。
「キース、や――」
「今だけ静かにして」
その声色はさっきまでの気の抜けたものではなく、きりっと引き締まったものだった。
私ははっとして言葉を飲み込んだ。
キースの鼓動が直に伝わってくるが、全体重はかけられていないのか、重くはない。先ほどよりも多少力強さは和らいでいる。逃げようと思えば逃げられるが、廊下側から聞こえてくる足音を察知して、私は耳を澄ました。
部屋のドアが開けられる。誰かが部屋の中を覗いているのか、少しして閉じられた。
足音が徐々に遠のいていく。それが聞こえなくなると、キースは体を持ち上げた。
「ふう、どうにか誤魔化せたみたいだね。ラッセルもうまくやったようだし」
私は起き上がり、ベッドの上で少しキースから離れた。
「どういう意味?」
「だから巡回が来るんだよ。薬だと気づかず楽しく飲んで、男女の愛をはぐくんでいるかって。体に合わなければ死ぬ可能性もある薬だから、こうして様子を見ているわけ」
「じゃあキースは……飲んでいないのよね?」
おそるおそる聞くと、彼は首を縦に振った。距離を付けてベッドの上に座る。
「ごめん。演技だったとはいえ、怖い思いさせたみたいで。僕は情報を得る以外は、相手の合意がない限りこんなことしないから」
「情報を得る……? じゃあ昨日、レナさんと一緒に行ったのは……」
キースは軽く前髪をかきあげた。
「彼女からこの町の現状を聞き出すため。あの人も実は情報屋なんだ」
「え……?」
徐々に心が落ち着いてくる一方で、頭の中が混乱し始める。
レナさんはキースとは他の町で会ったと言っていた。
彼が寝るのは、情報を女性から掘り出すためで……。
「彼女とは昔、別の町で情報を得るために、一緒に泊まったんだ。ただあちらも同じ思惑だとわかって、お互いの立場を知った上で、結局何もせずに情報の交換をしただけなんだ。交換することで、丸く納まるとわかっていた事例だったから、お互い気兼ねなくさらけ出すことができたよ。――あ、これはオフレコだから、他の人には黙っておいてね」
指を一本、口元に当てる。黙っててねという意思表示に対して、私は首を縦に振った。
「じゃあ、レナさんは今何をしているの?」
「彼女も潜入調査。男と一緒に酒を飲みつつ、こっちの宿で働いている」
「でも彼女が差し出している飲み物って……」
「薬とよく似たものだよ。飲むと意識が朦朧として寝てしまう、いわゆる睡眠薬。それで何人か誤魔化せたらしいけど、雇い主に勘付かれはじめて、ヤバくなってきた所に、僕が登場。何とかしてくれると思って、僕を誘ったんだ」
「キースは町のこと知っていたの?」
彼はこくりと頷いた。
心配して来た、私たちが馬鹿みたいだ。
「ただ、ここまで陰湿な状態になっているのは、知らなかった。ここは本当に危険な場所だよ」
「……ごめん。そんなところに来てしまって」
視線をベッドに落として呟くと、キースは微笑みながら首を横に振った。
「たしかに君たちのことを見たときは驚いたけど、同時にほっとしたのもあるんだ。――二人が一緒にいれば、何とか逃げきれるかもしれないって」
きょとんとして顔を上げると、外から軽くドアがノックされた。キースが警戒しながら近づくと、「オレだ」という一声が。
彼は鍵を開けてゆっくり開くと、外にいた男女を手早く中に入れ込んだ。ラッセルとレナさんが中に入ってくる。彼女はにこやかな笑みを浮かべておらず、きりっとした表情をしていた。右手を腰に当てて、キースを見据える。
「そっちもうまくやり過ごしたようね。どうやったの?」
「そっちこそ、この口うるさいお節介男、よく黙らせたね。彼女を連れて行ったら、すごく怒ったんじゃない?」
「そうでもないわ。とても察しがいい坊やよ。初めは殺されかねなかったけど、貴方の名前を出したら、『二人で何を企んでいる?』ですもの。さすが貴方が認めただけあるわね」
ベッドの傍で立った私のことを、ラッセルは頭から足までじろじろと見始めた。そして腕の辺りが軽く腫れているのを見ると、キースの胸倉を容赦なく掴んだ。
「てめぇ、演技だとしてもやり過ぎじゃねぇか? 一発ぶん殴られたいのか?」
「怖いよ、ラッセル。ルシアさんは君の所有物じゃないだろう?」
「は?」
「とりあえず今はどうやってここを抜け出して、門をくぐり抜けるか考えよう」
真顔で言い切ると、ラッセルは舌打ちをしてから手を離した。
レナさんに促されて、私たちはベッドの上に乗った。そして天蓋に被さっている布をすべて下ろした。
「声は顰めなくては駄目だけど、少しでも遮る方があった方がいいわ。――さて、脱出計画を練る前に簡単に自己紹介を。私は情報屋のレナ。いくつか名前はあるけど、今回はこれで呼んで。情報を得るためなら、相手の懐に潜り込んで諜報もするわ」
「オレはラッセル。冒険者ギルドに所属している。腕っ節ならおそらくこの中では一番強い」
「私はルシア。多少は体術に心得があるから、普通の人を撒くくらいならできる」
「ラッセルとルシア、二人とも危険を承知でここに来たのよね。どうやってここから出るつもり?」
レナが鋭い視線を送ってくる。私はラッセルのことをちらりと見ると、彼が口を開いてくれた。
「キースを見つけて逃がした後に、薬を適当に飲んだフリをして夜が更ける前に出て行くつもりだった」
「それはこちらの状況を知らなかったから言える内容ね。その作戦は無理よ。この宿に入った宿泊客は、一人一人顔を確認される。薬を出した相手には、それを飲んで中毒者となったかどうかもチェックが入るわ。貴方、受付で飲み物を要求したんでしょう。素知らぬ顔をして出て行ったら、確実にバレる」
「よく断言できるな」
「薬を飲んだ人間は、間違いなく一晩は正気を保てない。だから素面で夜が更ける前に出て行くのは無理よ」
「飲み物なんか頼むんじゃなかったぜ……。なあ、キースはどうするつもりだったんだ? 丸一日戻ってこなかっただろう」
ラッセルが話を振ると、キースは自分のことを指でさした。
「僕はもう少しこっち側で調査しようと思って、残っていたんだ。彼女の連れってことで、二、三日くらい厄介になる予定だった。でもまあそれなりの情報は得たから、もういいかな。これ以上いたら、飲まされかねないからね」
「何がわかったんだ?」
「それは戻ってから言うよ。下手に人の耳に入れたくないから」
キースは姿勢を正して、私のことを見つめてきた。私もそれに倣って背筋を伸ばす。視線が合うと、彼はにっこりと微笑んだ。
「さて、ルシアさん、君たち二人がここから無事に抜け出すために、一芝居打ってくれないかい?」




